紋傭兵の再就職
笹垣
第1話 若草と紅蓮
「……以上が本拠点で活動する上の大まかな注意要項となります。
その他気になった点、または今後活動中に疑問や気になった点等がございましたら、当窓口及び
それでは、とうやうやしく頭を下げる腕章を付けた女係員は、直後そそくさとカウンターの奥へ引っ込んでいってしまった。
経験ありとはいえこちらは新人の扱いだというのに随分と淡泊な対応だ。
……あくまでも受付という心構えらしい、これではまるで自分だけが気を遣っているようだな。
そんなことを考えるのは反射的に礼を返していた青年、リーク・エルシェンは、微かに頬を赤らめながらもはにかむように顔を揺らして恥ずかしさを誤魔化すと右手に持った紙を見やる。
手渡されていた資料だ。
流石に口頭だけでは伝えきれないものの一つや二つあるだろう。
「要は気になったら調べろ、か」
等と思っていたが結局は係員に言われた以上の事は載っておらず、リークは面倒そうに息を吐く。
しかしながらまあダラダラ説明されるよりはマシだし、説明しきってもらったのはありがたくもあるか、と彼は紙を畳んだ。
「
階段を1回上って、右側にある部屋の3つ目の前。
リークは木造ドアの番号と手元の厚紙を交互に見やりながらぼんやりと黒く短い髪を撫でる。
わざわざ言葉にしたのは、緊張の為だ。
「……ふぅ、さて」
だが既に状況は始まっている以上立ち止まっても仕方がない、ドアを見据えた彼はそう覚悟を決めた。
後は早々に部屋に立ち入り支度を進めてしまうだけだ、仮に誰かがいたとしてもこれからよろしくお願いしますで済ませればいい。
と、普段ならば気の向く向かぬにかかわらずそのように思考が回るのだが、あの淡々とした説明によるとベテランが一人ついてくれるらしいのだ。
するといきなり入って上に対しての礼儀が足らぬと今後の行動や関係に支障が出るというのは、過干渉されたいわけではないが円滑でないゆえのリスクを負うつもりもない彼には困る。
それにその、名をシェリザ・エルステルクというらしい女性が、曰く気がいいのですぐに仲良くなれるでしょうとのことであれば尚更だった。
そういう相手にこちらが理由のギクシャクを招くのは、朗らかであろう故に気まずさが洒落にならないからだ。
ともあれ訳もなくイライラしていれば流石に気のよさも発揮されないだろう、そんな環境でなければいいが、とリークは警戒をしつつ息を一つ吐き、丸めた左の拳骨をドアへと伸ばす。
「……あぁ、どうぞー」
乾いた音が二回響き、少々の間の後返ってきたのはハスキーな女性の声。
その低さと抑揚からは落ち着いた印象が受け取れる。
杞憂だったらしい、という安堵と共に彼はノブを捻り部屋の扉を押し開いた。
「え」
のだが直後硬直し、目を見開いて呟く。
どうした?とは女性の声だが、その疑問を投げたいのは問われた方だっただろう。
「……」
広い部屋の中、ソファへどっかりと座り込み横腹を見せる彼女はリークと比べてもほんの少し背が低いかどうか。
下世話な話、低めの声に高い身長の組み合わせは彼の琴線に少なからず触れており、 好みであれば多少やる気に関わってくるから、だからこれはよい。
だがその容姿が問題だった。
「いや、あの……」
正気を取り戻したリークは左手で顔を半分を抱える。
感情は照れ半分の惑い半分、何気ない動作はしかし自らを刺激から守るためでもあった。
「んん?」
対する女性は何がおかしいと言わんばかりに、ドアの方へ向き直って腕を組む。
これまた何気なくそして、おかしくもなかった。
たわわな果実が挟まれ押し上げられるのは動きの特徴からすれば予測できる常識の範囲内であり、半ば無意識にチラリチラリと目が行きそうになるのも単なる悲しい性といえばそうである。
そもそも自分が男であり多少のスケベ心は持ち合わせていることくらい自覚しているから、普段ならば紳士的に目を逸らす程度で終わらせられる。
「失礼、した……」
しかし今回のリークは目の前の状況に視線を外して後退っていた。
もしや間違えたのはタイミングではなく部屋なのではないか、そんなことすら考えてしまう。
だがそんな一連の中でも、網膜には直前の光景がしっかりと焼き付いていた。
きょとんとしたとぼけた顔とほんのり焼けた健康的な肌、風呂上りだろうか漂う湯気に腰までを覆う白い高級感の伺える紋入りの柔らかそうな布…………そして、下も上もなく丸見えな大きい胸。
----見るなという方が無理だろうが、だからといってだな。
好奇心と理性のせめぎ合いに揺らぐ彼、しかし直後にそれは収まることとなる。
ギィ、と木の板を踏む音が響いた。
誰のとは問うまでもない。
先程、リークが裸の上半身を見た女性のものだ。
キュック。
表すとすればあまりにも奇妙なそんな音が、リークの喉から這い出た。
緊張と、それはある種の諦観だろうか。
とにかくまずい、初日からこれはまずい。
そのように思考を巡らせながらも、彼はゆっくりと目を開けてしまう。
来たる攻撃に備えろという、男特有のそれとは別の本能がそうさせていた。
「いやーすまない!いつもの係員かと思って油断していたわー!」
「は……?」
「悪い悪い、だからそんなに怒んないでくれ」
だが見えたのは、何ら気にしていない様子の……紅蓮の焔を獅子の
それも怒るのではなく、何故だか謝るような言葉さえ彼女の方が使っている。
戸惑うリーク、しかし彼女は笑って続きを語り出した。
「いやな?どうせ風呂の後に私が裸で涼むのなんて係員は知ってるだろうって風でいて……それでいっつもこんな感じだったんだが」
「はぁ、そ、そうか……」
「しかしまあわざわざノックしたのだしな……気づけばよかったな」
胸が見えている、やたら大きい身振りのたびにぶるんと揺れる、男がそれを目で追っている。
そんなことをかほども気にせず振舞う彼女に、リークは未だそれに視線を奪われてしまいつつ、大丈夫かと内心深くため息を吐く。
彼女がシェリザなのか、もしだとしたらこれからの日常は苦労が付き纏いそうだ。
「……!」
等と困ったように考えながらも、観察を怠らない彼の目ははっきりとその紅の線を捉えていた。
彼女の豪奢な髪と似た、いやむしろこちらの方が色濃いとさえ感じられよう紅の派手な紋様だ。
頭を掻く伸びやかな右腕の肘先から手首へと走るそれは言ってしまえば趣味の悪いアクセサリー、だが彼はある種確信じみてそれを否定していた。
恐らく彼女は同類だ、そう思っていたからである。
思わず左の拳が握られる。
その甲には、若草色の筋がうっすら浮かび上がっていた。
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