女魔王と村人Fの成り上がり

飯田

第1話プロローグ

 地面に雨が刺さる音がした。

 風が吹き木々の葉が揺れ、何人も私についてくるなと言っているようだった。


 雨に濡れた地面は土から泥水へと変化し、近づく者を嫌っているようだった。

 踏みしめる者を汚し、落ちた枯葉を穢し、後続を知らしめるように跳ねる音がした。


 だが、それも止まない雨に掻き消され、私の耳には届かない。


 私の名前はナキア。お父様である魔王の一人娘であり、現在は何処かも分からない森で彷徨い続ける孤独の魚。


 先程まで鳴き止まなかった寂しさは既に息を潜め、何が起きようとそれに委ねるのみだ。

 これは私の招いた事故。諦めるのに、そう時間は掛からなかった。




 その日、私はお父様が人間の国に仕事があると言っていたのを思い出し、支度を始めたお父様に連れて行ってっと頼んだ。


 お父様は何度も“危ない”“何が起こるか分からい”と言って許してはくれなかった。

 だが、私も諦めることが出来なかった。我が儘娘と呼ばれようが、知った事では無い。


 それから出発までの三時間、お父様の傍を離れずに何度もおねだりし、漸く許可が下りた。


 決め手は“お父様なんて大嫌い”。


 あの時のお父様の悲愴に満ちた顔は、この先もずっと忘れないし、大きくなったらこれを思い出話にお酒でも飲んでみたい。


 だが、そんな淡い夢は後方から聞こえてくる雨を踏みしめる音に音を立てて崩れていく。



「げはっはっは! 追い詰めたなりっ! これでチミも僕チンのコレクションに加わるのだぁぁぁ!!」



 ねっとりと全身を不快感で包むその独特の口調。

 思わず肩が跳ね上がり、体温がスーッと落ちていくのが分かる。


 出来ればこれは夢であってくれ、身体が冷たいのは雨のせいだ。そうに違いない。


 そう思い込んでも、私の震えは止まることなく、この悲しい現実を突きつけて、地獄への入り口へと誘われる。



 その時、私の腕が――痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!


 熱く、熱く燃える様に熱く、気が可笑しくなりそうな程の痛み。


 突然の出来事に困惑、なんてする暇も無く、私は痛む左腕を右手で押さえ、泥に塗れることも厭いとわず地面へと膝から崩れ落ちる。



「はぁはぁはぁ、可愛いね……! いいよぉ! もっと苦しむんだっ!!」



 男が擦る様に歩くことによって出来た水の波。それが私の顔に当たり、目に泥水が入り込む。


 痛い。辛い。寒い。苦しい。


 腕を抱えて蹲うずくまる事しか出来ない私は、赤く染まる泥水と、じりじりと寄ってくる醜悪しゅうあくの塊を震える瞳で見つめるのみ。


 怖いよ、怖いよ、と心で幾ら叫ぼうと助けは来ない。


 ――不思議だな。つい先ほどまでは死をも受け入れていたのに、いざそれと対面してしまうと恐怖が顔を出す。


 可笑しいなぁ、可笑しいなぁ。


 瞳から流れ落ちる雫は、雨なのか、涙なのか。



 私は目の前に迫る醜怪しゅうかいなそれに髪を掴まれ、



「はぁはぁ……あははははっ! 御対面だあっ!!」



 水を吸った衣服を無理やりに――







「っは!!!」



 目の前に広がるのはあの頃の森では無く、自らの部屋。

 見慣れた化粧台にロッカー、小さめの机に置かれたカップは近くに居た者に持ってきてもらったものだったか。


 私はいつの間にか出ていた大量の汗に、夢だったかと安心する。


 首に張り付く髪の毛を汗と同時に拭い取り、着ていたネグリジェを脱ぐ。

 私は基本、寝る時に下着は身に着けない。


 パチンッと一つ指を鳴らして部屋に明かりを灯す。


 汗で汚れてしまったシーツに洗浄クリーンという魔法を掛けて洗濯後と同じようにし、ペタペタと室内を歩いて行く。



「…………はぁ」



 自室に備え付けてもらった浴室に向かう際、必ず目に入る、この大きな鏡。

 壁に取り付けられたそれをじっと見つめ溜息が漏れる。


 自分で言うのもなんだが、私のプロポーションは最高だ。

 豊かに育ってくれた胸、程よく肉がついているが、縦に線の見える腹。その周りは縊れており、其処から先は又、安産型と呼ばれるであろう。


 スッと伸びた脚は上体よりも長く、よくメイドや部下の女性達から羨ましいと言われる。



 しかし、今の私はいつもの私じゃない。



 下がっていた視線を上にあげ、その全てを台無しにしている“顔”を見つめる。


 別に不細工なわけではない。逆に言えば、この魔国で最も美しいと名高いのはこの私だ。…………いや、今のは無しにしておこう。


 私はもう一度、今度は細い溜息を吐いて、再度鏡に映る顔を見る。



「こんなんじゃ、お嫁どころか、町すらも歩けないわ」



 酷く赤らんだ目元を人差し指の腹で押し、この野郎と呟く。



「…………お風呂入ろ」



 もうこの顔を見るのは嫌だ。


 私は持っていたタオルを浴室内に掛け、シャワーを頭から浴びる。



 あの夢は実際に体験した記憶であり、私が六歳になった時の事である。

 事のあらすじはあのまんま。しかし、話には続きがある。


 その後、服を割かれた私は全身が露わになり、その悍ましい何かに嘗め回された。

 未だにあの時の感覚は残っており、思い出すだけでも背筋が凍り付く。


 それから事に及ぼうとしたそれが、自らのズボンに手を掛けた時だった。


 突如それが血を口から吹き出し、凄まじい衝撃と共に倒れ込んだのだ。

 それによって私に血が降りかかり、下敷きにされたのは言うでもないか。


 数秒と立たずにそれは私の上から吹き飛び、次に現れたのがお父様。

 瞬間、私は何一つ理解できなく混乱したが、徐々に落ち着きを取り戻し、その暖かな胸へと飛び込んだ。お父様は何も言わずに頭を撫でてくれ、私に来ていたローブを着せてくれた。


 しかし、喜ぶ私とは一変し、お父様の表情は未だに硬かった。

 それから次に血を流したのはお父様だった。


 原因は吹き飛ばされた肉達磨に要るもので、不意を突かれた一発。私が居たが為に不意が出来てしまった一発。


 それにより命を落としたお父様の最後の軌跡が、咄嗟に放った私への転移魔法。


 叫ぶ私が飛ばされたのは、魔王城のメイド達が集まる宿舎。

 その大広間に現れた私にメイド達は心底驚いていたが、泣きじゃくる私を何も知らないのに暖かく抱きしめてくれた。

 

 その温かみはお父様と似ており、私は溢れてくる涙を止めることが出来なかった。




「ふぅ。嫌な思い出ね」


 私は過去の思い出に浸かっていた思考を、浸かっていた浴槽から出ると同時に消し去る。


 水の滴る躰を掛けてあったタオルで拭きとり、もう一度ベッドに潜り込む。



 魔王である私の朝は早い。


 私の様な被害者をこれ以上出さない為にも、早急に人間を始末しなければならないのだから。


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