第二章 

第二十五話 なりすまし①

『まだ6月なのに連日猛暑日とか。

 これで本格的に夏になったらどうなっちゃうんですかぁ~?』


 桜並木の葉は、目に飛び込んでくるような鮮やかな緑になっていた。それは綺麗でいいんだけど、教員住宅までの道のりがきつかったぁ~(私は歩いてはいないんだけどね)


「この辺はまだ涼しい方なんだがな。

 待ってろ、縁。

 今、エアコン入れるから。」


 部屋に入るなり、先生は風量を『強』にして私に風を向けてくれた。その流れに鯉の滝登りのように飛び込む私。


『ああ~。い、生き返るゥ~。』


「死んでるんだけどな。」


『例えですってばぁ。』


 去年の夏も、動きが鈍ったのよね、私。

 それでもあの学校は風の通りも良かったし、日差しもそんなに差し込まなかったから、教室の隅っこにいれば暑さも凌げたんだけど。

 今の桜が丘高校の美術室&準備室はよく日が当たるから……。


 冬のとても冷え込んだ朝に死んだせいか、情けないくらい暑さには弱い。

 幽霊にもそんな苦手なことがあるだなんて意外だったけど、先生は、そういうのは死んだ時の状況に左右されるんだろうって教えてくれた。


「幽霊って、言ってみれば『気』だけで存在保ってるんだもんな。」


 先生は脱いだジャケットをキッチンの椅子の背もたれにかけて、私の顔を心配そうに覗き込む。

 ああ、だめです~@

 きっとだらしない顔してます、私。

 見ないで欲しいのにそんな顔されたら抗えない~。


『あははぁ。その空気自体があったまってるとダメですねぇ。』


「ん~、その気とはちょっと違うけど、

 いや、どうも思考力まで落ちてるみたいだな。」


 ああん、かみ合わなかったみたいでちょっと悲しいョ。

 でもあんまり元気ない顔して先生心配させたくないし。


『幽霊のくせに、

 自分でゾっとして背筋が寒くなるなんて、できませんしねぇ。』


 なんとか笑って取り繕う私に、先生はワイシャツの袖を捲り上げながら冷蔵庫を開けると、中を指さした。


「どうする、縁?

 この夏、俺が学校に行ってる間、ここで留守番してるか?」


『いやですッ!!』


「そんなに嫌がらなくても……。

 やっぱり豆腐や野菜なんかと一緒じゃ、嫌だよなぁ。」


 少ししょぼんとなる先生。

 そうじゃなくてぇ。


『先生と一緒にいたいんですッ。』


 でも、拗ねた私の声はエアコンと冷蔵庫の戸を閉める音で聞こえてなかったみたい。


「お前の今日のバテ具合見てたら、なんだかそのまま成仏しそうだったぞ?」


 きっと先生、昼の私の様子を見て、授業終わったら速攻で帰ってくれたんだと思う。そんなふうに気を遣わせてしまって……


『ううう恨めしいですううううう。』


「ごめん。せめて見た目だけでもいいように、今度ケーキでも入れとくよ。」


 先生ったら、もう冷蔵庫の中身なんてどうでもいいのに~ィ。


「ところでさぁ、縁。

 渡瀬さんに憑依した時さ。

 体のサイズって気にしたか?」


 バテてたのに渡瀬さんの名前が出た途端、叫んでしまったッ。


『なんですか急にッ!

 やっぱり先生は胸がおっきいのが好きなんですかッ?!』


「ば、ばか!

 誰も胸のことなんて聞いてないよ!

 背丈が近いから迷わなかったのかなぁって。」


『真っ赤な顔して、胸を見ながら言われてもぉ。』


「あ、ごめん。つい。」


 ついって、どんなついですかッ。

 きっと渡瀬さんの見たの、思い出したんじゃないの?

 ぐすん。


「ほら、年明けに生霊と戦った学校でさ。

 あそこの婆さんの幽霊って、自分より大きな……胸のことじゃないぞ?」


 まだ私の目を気にしてか、先生は咳払い一つして続ける。


「あの婆さん、自分より身長のある渡瀬さんに乗り移ろうとしてたんだよな。

 だからその逆もあるのかなって。」


『逆?

 もしかして子どもに乗り移るとかですか?』


「いや、実際に子どもに乗り移らなくていいんだけど。

 例えば自分より小さな箱に入っちゃう、

 なんてことも幽霊ならできるんじゃないかなって。」


 時々先生は突拍子もないことを言い出すけど、今度はいったいなんですか?

 思わず首をかしげちゃう。


「だからさ。

 例えばクーラーボックスに入っちゃうことができれば涼しいし、

 夏もそれほど気兼ねせず外に連れていけるだろ?」


『先生、……それって……もしかして、私のこと考えて?』


 先生は眉を上げて笑って答えた。


「ずっとそういう流れで話してましたよ? 俺は。」


 わあ、今日の疲れがふっとんだよッ!


『きゃ~ッ! 嬉しいですッ!』


「冷たッ! お前自身は冷たいのになぁ。」


 ハグした私を引き剥がすようにしながら先生は苦笑した。


*****************************


 翌日の美術準備室。

 授業が終わって雨守先生が帰り支度をしようとしていたところに、ひょっこり教務主任の宮前先生が顔を出した。


 私は昨日先生が買ってきてくれたクーラーボックスに身を潜め、目から上だけ覗かせていた。


「雨守先生。

 非常勤の先生に申し訳ないんだけど

 放課後、生徒一人見てもらえないかな?

 今日来た転校生が美術部があれば入りたいって言うんだけど。」


 雨守先生は背負いかけた鞄をまた椅子におろすと、ちょっとだけ眉間に皺を寄せた。


「美術部ないですよ? ここ。」


「うん、確かにそうなんだけどさ。」


 実際文化系クラブは吹奏楽と演劇だけだし、運動系も野球とあとサッカー、バレーを男女作ったらもう練習場所さえない小さな学校だし。

 すると、困ったように黙った宮前先生の顔を、雨守先生は覗きこむ。


「それでも宮前先生がわざわざ私にそんな相談持ちかけたのは

 ……訳ありの子ってことですか?」


「うん、実はそうなんだ。

 一年生の掌内(しょうない)頼子(よりこ)って子で。

 詳しい資料は前の学校からも届いてないんだけど、

 もしかしたら、前の学校で『いじめ』に関係あったんじゃないかなぁ。」


「なるほど。かまいませんよ。」


 ちょっとほっとしたように笑顔をみせて、宮前先生は準備室から出て行った。


『帰りそびれちゃいましたね?』


「まあ、いいさ。

 でも年度途中のこのタイミングで転校か。

 それだけ深刻だったって、ことかな。」


『いじめに遭ってたんだったら、かわいそうですよね。』


「そうだなぁ。

 自分から話さない限りは、俺からは何も聞かないがな。」


『でも先生と話すことができれば、きっと気持ちも穏やかになれますよ。』


 先生は答える代わりに顔をしかめて見せたけど、私は知っている。

 前の学校でも奥原さん、浅野さんだって先生に救われていたはずだし、誰よりも私がそうだったんだもの。


「それにしても縁、そのカッコ、なかなかシュールだな。」


『もーう、やめてくださいってばぁ。』


*********************


 放課後。

 二年生の掃除分担の男子生徒が、珍しくその時間まで残っていた雨守先生に人懐っこく話しかけたりしてるのを、なんだかかわいいなぁ、なんて眺めて。


 先生は椅子に腰かけたまま、笑って「うん。うん。」としか返事してなかったけど、きっとまた「聞き流してただけだ」なんていつものように言うんだろうな。

 でもそれも嘘。

 だって先生、なんだかんだいってもちゃんと聞いてくれるんだもの。


 そして美術室も、その周りもすっかり静かになったころ。

 日中の暑さもやわらいだようだから、私はクーラーボックスから出てその上に座るようにした。

 するとちょうどその時、準備室の戸をそっとノックする音が響いた。


 恐る恐る戸を開けたその小さな生徒は、うつむいたまま、ぺこりと頭を下げた。


「あの……掌内です。よろしくお願いします。」


 目元までかかる揺れた前髪を押さえながら、静かに顔を上げる掌内さん。


 うわ。

 なんてすごいビッ……美少女!!

 小柄で、黒く澄んだ瞳は不安を感じてるのか少し揺れている。

 守ってあげたいッ

 そんな風に抱きしめたくなった衝動を抑えるのに、心臓動いてないのにドキドキしちゃった。


 ……でも、次の瞬間、私の背筋は凍った。

 掌内さんの後ろから、床を這うようにずるっ、ずるっと、顔が潰れた女の子の霊が憑いてきたから。


『先生ッ!?』


 先生はゆらっと立ち上がった。

 でもその霊のもとにではなく、掌内さんを見下ろすように。


「俺は雨守っていうんだけどね。お前は誰なんだ?」


「え?! 掌内……頼子です……けど…?」


 掌内さんは目を丸くして先生を見上げる。

 先生は彼女を睨みつけ、初対面とは思えない言葉を投げた。


「それはその体の名前だろう?

 今そこにとり憑いて話している、お前はいったい誰なんだ?」

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