第十六話 サクラ咲く地で①

前半:縁ちゃん、後半:渡瀬視点です***************** 


 新学期。

 今度の学校は、県のはずれの小さな村の、山の中にあった。


 通学路になっている道は、車は対行できそうだけど歩道もないから、先生は指定された駐車場から十分ほど歩いて登ることにした。


 両脇の白い花びらに満ちた桜並木が、まるでトンネルみたい♪


 通学する生徒達はゆっくり歩く先生を追い越していくたびに、「おはようございます。」って、明るく挨拶をしてくれる。先生も静かに笑って挨拶を返していた。


『初めて来たのに、皆気持ちがいいですねッ。

 なんだかいい学校みたいだなぁ。』


「そうだな。なんで俺が呼ばれたんだろうな。」


 先生は少し、首を傾げて目を細めた。

 途中の小さな十字路に差し掛かった時、先生は突然立ち止まった。そして左に曲がって歩き出す。


『どうしたんですか?

 初日に遅刻しないでくださいよ?』


「ああ。

 ただ……こっちじゃないかな。よく、わからないんだけどさ。」


 先生にしては珍しく、眉間にしわを寄せたまま歩いていく。

 桜並木のトンネルを抜け、視界がぱあっと開けたそこには、自然のままに残したような広い公園が。


 そこかしこに水仙の花が咲くその真ん中に、一本の大きな桜の木があった。


 周囲四メートルくらいありそうな太い幹。それが途中でクネってSの字に曲がってるから、木全体が倒れないようにつっかえ棒が数か所にあてがわれてる。

 いったい樹齢何年になるんだろう。


『立派な桜ですね~。

 桜って白い花びらじゃなかったですか?

 なのにこの桜は、とっても濃いピンクなんですね~。』


 並木の桜と全然違うんだなぁ。その鮮やかな薄紅色の花が、やわらかな日差しと、そよ風に揺れている。ちょうど今が盛りだな。久しぶりに絵を描きたくなっちゃった。


 もっと近くで見たいなって先生の前に進もうとしたら、さっと手で止められちゃった。


 ? 


 先生もずっとこの桜の大木を見上げていたけど、その先生の向こうに見えるベンチに、杖に両手を乗せた白髪のおじいさんが腰かけていたのに気がついた。


 太い眉毛まで白いそのおじいさんが先に声をかけてきた。


「やあ、おはようございます。

 あの学校に新しく来られた先生だね?」


 その声に先生は振り向いて答える。


「ええ、あ、おはようございます。 よくわかりましたね?」


 気さくそうなおじいさんは、嬉しそうに笑顔を向けてくれる。


「この村にはあなたのように若い人は、そうはいないからね。

 だいだい学校の先生だよ。

 どうだね? 立派な桜だろう? 

 今年も見られて良かった。ここいらの年寄の、楽しみの一つでね。」


「とても古い木のようですね?」


「今は公園になっているが、

 ここはその昔、戦国の時代に激しい戦があった場所でね。

 先生がお勤めになる学校に、かつてその城があったんだよ。」


 よいしょっと言いながら立ち上がったおじいさんは、先生の隣に立つと、腰を伸ばして一緒に桜を見上げた。


「その城を守る者、攻める者、双方大勢の犠牲が出た。

 ここの地面に染みついた血が、この桜の色を染め上げたんだとか。

 よそでは見ることができないほど、こんな鮮やかな薄紅色で咲くんだよ。」


「桜が血を吸ったんでしょうね。」


 ふええッ?

 先生の言葉にびっくりした私とは対照的に、おじいさんはニコニコと頷いた。


「うん。うん。そう言い伝えられとるよ。

 では、先生。新学期、頑張ってくださいね。

 私もこれで。さあ、朝ドラ見なきゃ。」


 おじいさんはゆっくり会釈をすると、杖を突きつき帰っていった。

 その背中が白い桜並木のトンネルに隠れると、先生はボソッと呟いた。


「あながち、昔話とも言えないな。」


 ちょっとこわ~い感じもしながら、先生の顔を覗き込む。


『先生。あの……まさか、この桜に霊が?』


「ああ。

 重なり合ってるから正確にはわからないが、

 あの太い幹、前面に並んだ大勢の顔が俺を見ている。」


『ふええッ。』


「後代もそれ以上近づかないほうがいい。

 この桜は、何年にも渡って霊を喰っているんじゃないかな。」


『じゃ、じゃあ、先生を呼んだ霊って彼らですか?

 自由になりたいってことなんですか?』


「それが良く聞き取れないんだ。

 一斉に何かうめいているからね。」


 一瞬、ゾッとしてしまった。浮遊してるから、地につけてる必要がない脚なのに、すくんじゃったよッ。


『せ、先生……。』


 初めて怖いって感じて動けなくなってる私に、先生は真剣な目を向けた。


「遅刻する。急ぐぞ。」


 ええ~ッ?!


『ちょっと、待ってくださいッ!! 先生~ッ!!』


************************************


「渡瀬課長、年休を頂いてもいいですか?」


 三月末で退職した古谷さんは、私(と幻宗さん)の強い希望で嘱託職員として今もここ、県教育委員会の「分室」にいる。だからメンバーは変わってないし、デスクの上の役職名の入ったプレートだけ入れ替えただけなんだけど。


 年休(年次休暇、いわゆる有給休暇ね)なら、断る必要もないのにな。何かもの言いたげな古谷さん。


「どうしたんですか? 古谷さん。」


 ん~、実はまだちょっと呼びづらいな。たまに課長ってうっかりつけちゃうもの。


「私、というよりはですね……。」


 古谷さんはその後ろで珍しく思案顔の幻宗さんを振り返った。


「幻宗さん、どうしたんですか?」


『こやつを十日、

 いや場合によっては一月も連れ出してよいものだろうか?

 だが、渡瀬殿の仕事に差し支えては申し訳ないからのう。』


「新学期はもう始まってますから、

 各学校が落ち着くまで『分室』は結構自由が利きますよ?」


『そうか。かたじけない。』


「いえ。

 ほんとなら温泉にでも行って、

 古谷さんにも疲れをとって頂きたいくらいですし。」


 実際、三月は忙殺されてたし。あんまり難しい顔をして幻宗さんが頭を下げるものだから、努めて明るく言ってみた。すると先に口を開いたのは古谷さんだった。


「どの学校を選んだのか、今日知ったのですが。

 雨守君、〇〇村の桜ケ丘高校に赴任したのですね。」


「ええ、いくつか紹介した中で、雨守クンがそこに決めたんだと。」


 突然、幻宗さんは刀を抜いたッ。

 ちょっ!

 切られはしないとわかっててもびっくりするじゃないですかッ!


 眼を剥いて訴えたけど、いつもはすぐ鞘に納めてくれるのに、遠くを睨むようにその切先を見上げながら、幻宗さんは低い声で呟いた。


『因縁の地なのじゃ。』


「因縁?」


 古谷さんも、なにか苦し気にただ床を見ている。ただ事じゃ、ないわ。


『そこに雨守という男が呼ばれたとなれば、儂は往かねばならぬ。』


「いったい、なにがあるんですか?」


 きっと古谷さんの前世、お兄さんである幻宗さんも命を落とした時と関係がある!

 もしかして、雨守クンが……危ないってこと?!


 突然動けなくなってしまった。自分が今どんな顔をしているか、全然わからなかった。


 でも、ふっといつもの優しい眼をして幻宗さんは、刀を鞘に戻さぬまま、じっと私を見つめた。


『案ずるな。渡瀬殿。わしは約束は守る。』

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