第八話 変わりゆくもの

前半:渡瀬、後半:縁ちゃん視点です*******************


「渡瀬さん、このタクシー代は出ませんよ。

 申し訳ないですが、決済できませんねぇ。」


 カチッ!

 ピコリン♪


 古谷課長のマウスクリックと同時に、私のPCに受信のチャイム。穏やかに微笑みながら、古谷課長は私が回した出張伝票を差し戻してきた。


「ええッ? そんな~。」


「派遣の通知は、通常は郵送で済ませてますから。

 わざわざ出向かれて、勉強熱心なのは感心ですが。」


 そして何食わぬ顔で古谷課長はコーヒーをすする。

 やっぱりだめだったか~。はあ。朝からあったイライラもやもやが、また一つ増えちゃったわ。

 絆創膏だらけの指で頭を抱える私に、というよりは、半ば独り言のように古谷課長はつぶやいた。


「それにしても年明け早々、全焼とは。

 『本室』は朝からてんやわんやの大騒ぎですねぇ。」


 もちろん、昨日の学校のこと。

 でも私が現場にいたにも関わらず、古谷課長はもちろん、どこからも事情を聴かれもしないのはどうも腑に落ちないわ。聞かれたところで、生霊の仕業ですって言っても誰にも信じてもらえっこないけれど。


 後代って子のおかげで私も幽霊が見えるようになっちゃったけど、私と違って雨守クンは目の前にいない遠方の霊の声まで聞こえているらしい。

 相当半端ない感受性……というか霊能力ってことよね?

 まさか四六時中そうなのかしら? それってきっと、とても疲れるんじゃないの?

 なんだかそれで、彼は自分の命を軽く見てる気がしないでもない。だからすごく腹が立ったんだわ。


 そこでまた、校舎が焼け落ちて私の意識が戻った瞬間のことを思い出す。

 雨守クンの顔がすぐ目の前にあった。


 あの子! 絶対! 雨守クンにキスしてた!!

 それも私の体使って!!

 畜生ッ!!


 嫌いな相手なら、あんなことされたら絶対許せないけど。

 そう、「けど」なのよ! それでイライラもやもやしてるのよ!!

 自分の意志がそこにあったわけじゃないんだもの!!


 これって何?

 やられ損? 

 やらせ損? 


「するなら自分でしたいわよおッ!」


 はッ! 思わず口に出して唸ってしまった!!


 私、そんなに欲求不満だったのかしら?

 いや~ッ!!

 頭をぶんぶん振って恥ずかしい考えを振り払う!


 幸い古谷課長は電話を受けていて今のは聞こえてなかったみたい。それはそれで助かったけど。


 そう、これもやっぱり「けど」なのよ!

 実は朝から気になって気になって仕方がないものが、否応なしに視界に入っている。古谷課長の後ろの、その大きな男の人の霊が! 

 それで全然落ち着かないんですけど~ッ!!


 守護霊っていうの?

 立派な顎鬚口髭が、ぼさぼさの髪とつながっていて、そこに太い眉毛の下の大きな目が埋もれずにいる。三白眼っていうのかしら? とても鋭い眼光だわ。それに銃刀法違反間違いなしの長い刀を背負っている。


 なんとなく、江戸時代の侍より古い姿してるって感じだけど、守護霊って現代人の霊とは限らないってことなのかな?

 そんな人がずっと険しい表情で、私のことを見つめているッ。


 今までどおりずっと見えてないふりしているんだけど……ああ、こっち見てるこっち見てる!

 やっぱり何か挨拶するべきなのかな。

 うーん、でも古谷課長自身はこんな人がいつも後ろにいるなんて知らないだろうし。言ってしまってから変人扱いされるのも嫌だし。


 ああ、どうしよ~ッ。

 一段と深く頭を抱えていたら初めて聞く声が響いた。


『面白い娘じゃ。お主、今日は儂が見えておろう?』


「はいっ?!」


 しまった。思わず返事をして顔を上げてしまった。


「ほう。そうでしたか。」


 受話器を置いた古谷課長が言う。……ってことは、古谷課長は最初から見えてる人だったわけ?!


『荒療治とやらが、どうやら効いたようだな。』


 大男の言葉にうなずきながら古谷課長は席を立ち、初めて見るとても清々しい表情をして私の前に来た。


「これで安心して退職できます。

 では、『引継ぎ』をしましょうか? 渡瀬さん。」


「ちょ、ちょっと、何?

 何なんですか?

 古谷課長?!」


 あ!

 昨日のこと、誰にも聞かれない理由わけが唐突に分かったわ……。

 この狸親父め~っ。


*************************************


「では、お大事に、雨守先生。」


「ご丁寧に、どうも。」


 昨日、火事で燃えちゃった学校の校長先生は、晴れやかな顔で病室を出て行った。先生のお勤めのお話しも白紙に戻っちゃったし。「あの学校での用事はもう済んだよ」と言いながら、上半身だけ起こした先生は苦笑する。


 私は先生に向かい合うように、また中空に正座していた。


『お見舞いっていうより、結局ほとんど愚痴じゃありませんでしたか?』


「でも俺が火事を起こしたとか思ってなかったし、いいんじゃないか?」


『それは当然ですよぉ。』


「それにしても、寄付金が沢山集まる学校ってのも大変なんだな。」


『ホントに。名門校ってすごいんですね。

 数百から数千万円にもなる寄付をするOGが年に一人二人いるんだなんて。』


「人間歳をとると、そうやって名声を買おうとする人もいるんだよ。」


『それはちょっと考え方がひねくれてませんか? 先生。

 純粋な気持ちの人だっていると思いますよ?』


 先生は肩をすくめてみせる。


 さっきの校長先生の話によると、いよいよ創立百周年記念事業を控えていたから、今年は特に寄付が多かったみたい。

 ただ寄付が多いだけなら大歓迎なんだけど、実際そのお金を遣う段になると大変なんだって。


 他の寄付者よりも目立つ事業に使えだとか、自分が学生時代所属してたクラブ活動のためだけに使うようにとか、やたらと細々した条件を付けるOGも多いそうで。

 中には学校運営について頓珍漢な口出しをしてくる人も少なからずいて、結構頭を抱えていたらしい。寂しい話よね。


 だから校長先生的には、学校が燃えちゃって記念事業どころじゃなくなったからホッとしたみたい。今まで集まっていた寄付金は一律、学校再建という最重要課題のために公平公正に使うんだって。


「どっちにしろ、金が動くと生生しいものさ。

 生霊どもの『自分だけを見てくれ』って欲望と変わらないよ。」


『生霊の本体って、みんな女子高時代の人だったんですよね?

 女なら、さもありなんって感じですけど。』


 だって、私だって自分だけ見て欲しいって……。


「その辺、あの婆さんの幽霊は正直だったかもな。

 新しい校舎は裏庭を中心に建てられるっていうから、

 また人目につけば、安心して成仏もできるだろう。」


 本人にはきつい言葉を投げてたわりに、先生は老婆の幽霊を案じてか、静かに笑った。

 でもさっきお見舞いに頂いたお菓子の箱を手にすると、ちょっと困ったように眺めまわしてる。


「後代も食べられればいいのにな。

 俺一人じゃ、甘いのこんなに食べられないよ。

 午後には退院できるから、帰りにナースステーションに差し入れだな。」


『そういうことするから看護師さん達にキャーキャー言われるんですよ?!』


「そうなのか?」


『そうですよ!』


 先生寝てる間、ひっきりなしに看護師さん入れ替わり立ち代わりで、もーう!

 生きた人には関心なさそうな先生だから、あの渡瀬さんの気持ちの変化にも気づいてないでしょうけど。


 でも私に出逢う前も、きっといろんな幽霊に会ってきたに違いないよね。その誰にもきっと優しくしてあげてたんじゃないのかな。

 私だけ特別ってはず、ないもの。


 ……特別って言えば、《あの人》だけなんだろうな。


『先生!』


「ん? どうした、後代。」


『教えてくれませんか?

 先生を守って、消えちゃったって人のこと。

 それって、あの肖像画の人ですよね?』


「……。」


 やっぱり。だんまりだったけど、一瞬、先生の目は大きく開いた。


『どんな人だったんですか?』


「忘れた。」


『下手な嘘つくと許さないですよ?』


 先生は少し、なにか考え込んでから、私をまっすぐ見た。


「昔、好きだった人なんだ。」


『……好きだった人。』


 不思議とそう聞いても、もう胸は痛まなかった。きっとそうだろうなって思ってたもん。ストレートに言われて、何故か素直に受け止められた。

 先生は少しうつむくと、掛け布団の上で結んだ両手の指先を見つめる。


「俺にまだこんな力がなかった時のことでさ。

 嫌な事件に巻き込まれてね。

 先に彼女が死んでしまって、

 俺も危ないって時に化けて出てきて、俺を助けてくれたんだ。」


『先生のこと、その人もきっと、とても好きだったんですね。』


 一瞬、先生はふっと笑う。でもすぐ寂しそうな顔になった。


「ただ、相手が悪くてさ。死霊ってやつ。

 俺も当然なんのスキルもなかったし。

 彼女は俺だけ守って、消えちゃったよ。」


『消えちゃった?』


「ああ、死霊もろともね。

 なぜか突然俺の前に現れた漆黒の【闇】の球体に飲み込まれるようにさ。

 俺がしっかり捕まえていることができていれば……あるいは……。

 まあ、幽霊をこの手で捕まえるなんて、それは無理な話なんだけどね。」


 そう言いながら、先生は結んだ指にぎゅっと力を入れている。幽霊に、触れることはできないから……。


『今も苦しんでるんですね?』


「……うん。」


『でもそれで昨日みたいに簡単に諦めたら、その人が悲しみますよ?!

 きっと泣いてますよ! 私も怒ります!』


「後代に怒られる方が、渡瀬さんより怖いだろうな。」


 顔を上げて静かに笑って見せてくれた。


『そうですよ!』


 あの人に、私は負けないもん。


『そんな大事な……いえ、辛い思い出聞いちゃって、すみませんでした。

 でもでも、ありがとうございます。

 私に話してくれて!』


「いや。変かもしれないが、聞いてくれてありがとな、後代。

 なんだか今、初めてあいつが笑ってくれた気がしたよ。」


『うん! きっとそうですよ!』


 先生は窓の外に目を向けた。

 ああ、今日は陽気が穏やかですね。

 先生が話してくれたこと、ほんとに嬉しいです。


「なあ、後代。」


 先生は突然すっと、私の手を取ろうとした。

 一瞬だけだけど、昨日頭をこずかれる真似をされた時と同じ、ふわっとした心地よい感覚に、私の手が包まれた?!


『い、いきなり何するんですかっ?!』


 同時にまた変な声が出そうになっちゃったよッ!

 うれしびっくりはずかしで瞬きもできずに先生を見つめてると、先生は私のそんな気持ちにお構いなしに、何か気がついたみたいに呟く。


「やっぱりそうか。後代もなにか感じたんだ。

 俺は昨日気がついたんだが、

 後代、お前、もしかしたら物を持つこと、できるのかも知れないな。」


『私が、ですか?』


「ああ、普通の霊体にはそんな反応はない。

 奥原を守護していた女の子と、似てるんだ。

 今はまだ難しくても、そのうち変わるのかもな。」


『ホントですかっ?! 触れることができるってことですよね?』


 じゃあ、じゃあじゃあじゃあ!

 チャンスがあれば、今度は自分の体でできるってこと?!

 先生とキ……きゃぁ~ッ♪


「後代……おまえ、今何か企んだだろ?」


『いいえ~、全然。ぜーん然。』

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