第五話 名門校の亡霊①
渡瀬視点です*****************************
タクシーの後部座席に雨守と並んで座る。私は、助手席の後ろ。ん~、それにしても居心地が悪いわ。
私が同行するのが嫌だから寝たふりしてるんでしょうけど……彼は気づいてないのかしら?
私に見えない方の顔右半分で、片目で前を睨み付けながら時々右頬がぴくっとなったり、なにか言いたそうにしてたり。
さっきルームミラーで見えちゃった。はっきり言って挙動不審!
私に文句があれば黙ってるような人じゃなさそうだけど、なんだか気分が悪いわ。パッと見、ルックスは悪くないのに、こんな変人じゃ彼女なんて絶対いないわね。
そうそう。気分が悪い、と言えばもう一つ。
なんなんだろう? この正面からの圧迫感。
実は彼の部屋を訪ねた時からずっと感じてる……
そう、誰かの視線のようなもの。
他に誰もいないのに。
なんだろうな、もやもやする。
「着きましたよ?」
運転手の声にはっとして顔をあげた。車はすでに校門を通り抜け、まるでホテルのようなエントランスにタクシーは横づけされていた。
「はい。あ、領収書お願いします。」
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吹き抜け構造の玄関ホールで受付を待つ間、壁一面を天井まで張られた古い大きなステンドグラスを見上げ、ため息をついた。色とりどりの光に不思議な心持ちになる。まるで芸術品ね。
「なんだか、とても立派な学校ですね。あのステンドグラス、本物ですよね?」
つい口からこぼれた言葉に、雨守は答えてくれた。
「ええ、本物ですね。今なら七、八千万するでしょう。
公立校の装飾としては完全に規格外。
きっと同窓会の寄付金が潤沢なんでしょうね。」
「そうなんですか?
母校を想う気持ちの強い方が多いんですね。
ここに通う生徒達がうらやましいわ。」
「想う気持ちが強すぎて、はた迷惑……ってこともありますよ。」
「え?」
「いえ。なんでもありません。」
雨守はステンドグラスを見上げながらも、相変わらず無表情。なんなのかしら。
すると受付の小さなガラス越しに、事務の女性が微笑んできた。
「お待たせしました。校長室にご案内します。」
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「それでは早速、明日の年末年始休業明けからお願いします、雨守先生。
渡瀬先生はわざわざのご視察、お疲れ様でした。お帰りはお気をつけて。」
私、別に「先生」じゃないのに。この業界の通例なのかしら。校長は先に立ち上がると自らドアを開け、私達を外へと促した。
それにしても……うーん、甘かったな。県教委の人間が一緒だと、学校長は完全に営業モード。何を聞いても当たり障りのない言葉しか返ってこない。そのくせ早く帰って欲しいって感じ。
そもそもここで明日から勤務しなくちゃいけないはずの雨守は、校長の話なんてずっと空ッ聞かずだったし。面接時点でこんな男、蹴るべきじゃないのかしら?
それなのに校長は私への営業スマイルとは全く違って、雨守には終始じっと真剣な目を向けていたわ。
ほんとにもう、なんなのよ。
この男に何を期待してるっていうのかしら?
もしかして、この男が短期退職を繰り返しても苦情も出さなかった校長達と、なにか共通する理由があるのかしら?
でも、それを突き止めるにはここで数日粘らなきゃならないわ。ああ~、この出張、古谷課長には適当にごまかして来ちゃったからなぁ。
どうしようかと悩んでいると、この帰されるという間際になって雨守は校長に話しかけた。
「校内を回って歩いていいですか? 施設状況、把握しておきたいので。」
「ええ! どうぞどうぞ!! ご自由に。」
なぜか校長は嬉しそうに声を張り上げたけど、渡りに船だわ!
「では、私も!」
なによ? 二人とも一瞬怪訝そうな顔したわよね?!
雨守は真顔で私を見つめてくる。
「渡瀬さん、先に帰ってくんないかな?」
「まッ!」
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広い校舎の長い廊下を、雨守はずんずん歩いていく。ちょっと小走りにならないと追いつけないわ。でもスリッパじゃそんな速度では歩きづらいったらない。廊下に私のパタパタという足音だけが響く。
明日から始業だというから、きっと大勢の先生方が出勤してるのだろうけど、そんな気配だけは感じるけど、皆さんそれぞれの研究室でお仕事されているみたい。まあ、出くわしてまた校長のように煙たがられても嫌だけどね。
この学校は、前身が女子高だったそうだけど、二十年前から共学になったのだとか。古くから由緒ある家のご子息ご令嬢だという生徒が今も何人もいるらしい。新年度には創立百周年を迎えるという。
それに校風なのか広い校舎の廊下には、いたる所に卒業生の絵や彫刻、書道の作品が展示されている。展示説明のプレートを見ると、どれも各分野で活躍している人の作品ばかり。文化系に秀でた名門校かぁ。凄いわね。
非常勤講師とは言っても美術の教師なら、こういった作品に関心を示すのかと思いきや、雨守はまるで無視。相変わらず一人先に歩いて行ってしまう。でも、そっちって美術室と反対の方向じゃないかしら? 下見じゃなかったの?
「雨守先生、ちょっと待ってください。」
よそ見してたらこっちが迷子になっちゃうわ。
いや、もしかしてそれが狙いか?!
くっそー!
「雨守先生ったら!」
もう彼が何を考えてるのか全然わからなくて、呼び止めようとその肩へと手を伸ばした、その時。
私の手首から先だけ、まるで冷凍庫に突っ込んだようにひやっとした。
びくっとして思わず手を引っ込めたけど、なに?
こんなの経験したことなんてないわ。つかむことのできない冷たい空気の塊が、私と雨守の間にある……。
雨守が振り向いた瞬間、ふっ……と、目の前のその圧迫感は消えた。
「なに? 今の?」
思わず声を漏らしちゃった。でも雨守はそれには何もふれようともせず、何もないはずの私の横を見ながら呆れたように大きくため息をつくと、また先に歩いて行ってしまう。
一体何だったのかしら。あの視線のような圧迫感と同じものなのかしら。
戸惑いながらも慌てて追いかけると雨守は校舎を出て、そのまま迷いもなく何本ものヒマラヤ杉が並ぶ裏庭の隅に向かって歩いていく。
「ちょ、スリッパのままじゃないですか!」
もう!
周囲を見渡して、幸い人目がないのをいいことに私もそのまま後へ続いた。雨守はひっそりと置かれた一つのブロンズ像の前に立ち止まって、それを見上げている。
「あ、そう。ふうん。なるほどね。」
独り言かしら? なるほどって、この学校に来て初めて感想を漏らすほど、そんなに立派な作品なのかしら?
高さ1メートルほどの大理石の台座に、まぶしい太陽に手をかざし空を見上げるようなポーズをした裸婦(……にしては若いけど、少女かしら?)のブロンズ像。
でも、この作品にはなんの説明のプレートもないのね。
雨風にさらされて、正直言ってあまりきれいな状態じゃないのに……なぜだろう。無意識に近づいて、その彫像に触れようと私は手を伸ばしていた。
「だめだ!」
口だけならともかく、いきなり私の手を雨守は思い切りはたいてきた。
「いッた! 何するんですかッ?!」
あんまり痛かったので思い切り怒鳴ってしまった。でも、なぜか彼も怒鳴り返してくる。
「やめないか! そんなことしてももう遅い!!」
「やったのはあなたでしょう?」
「心優しい人ならまだしも、この人はそんなタマじゃないんだ!!」
「ひ、酷いわねッ!
なんでこんな乱暴なあなたに優しくしなきゃいけないのよ?
それにタマだなんて、なんて破廉恥なッ!」
かーっとなっていたから気づくのが遅れたけど、彼は私の方を見てはいなかった。ずっとブロンズ像を見上げたままだ。
「あなた、いったい誰に、なんの話をしてるのよ?!」
半ば叫びながら私もつられて彼の視線を追う。
と、さっきまでそこにはいなかったはずの老婆が恨めしそうに私を見つめていた。え? なに? 空中に浮いたまま?
後ろのブロンズ像が、透けて見えている!
まさか……これは、幽霊?!
すると、まるで今気がついたみたいに雨守は私に振り向いた。
「渡瀬さん、俺達はどうやら完全にまずい時に来たみたいだ。」
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