君の声と駄目人間

草太の駄目人間っぷりに、あたしはたびたび酷い言葉をぶつけた。ちゃんとして。もっとちゃんとしてよって。あたしは草太に正しさばかりを押し付けていた。あたしはちっとも彼のことを愛してなどいなかった。自分を満たす為だけの道具として、そばに置いていただけだった。


それでも彼は、そんなことも知らないで、あたしを肯定し続けた。草太はばかだから、彼の肯定は本当に中身のないものだった。「すごいね」「そうだね」「すてきだね」を駄菓子屋の10円ガムのようにここまで安っぽく使える使える人を、草太以外にあたしは知らない。それでもあたしは、満たされているような気がしていた。


無事に試験にも合格し、あたしは東京に就職した。ふたりは遠距離恋愛になった。仕事終わりに草太が電話をくれた。はじめての場所で、はじめての仕事で、まだあたしには居場所がなかった。だから草太の声を聞くと安心した。草太の声は、あたしにとって拠り所で、すがるべき場所だった。


あたしは自分に自信がなくなると、決まって草太にあたしの事を好きだと言わせた。嘘でもはりぼてでも良いから、その言葉があたしには何より必要だった。

彼を試すように、あたしは尋ねた。あたしのことが好きか、あたしの何が好きなのか。何度も尋ねた。何度も、何度も。


「草太って本当にあたしの事が好きだよねぇ。ねえ草太。草太は、あたしが何をしたら、あたしのことを嫌いになるの?」

「どんなことをしても嫌いにならない自信があるよ」


受話器の向こうで草太が自信ありげに笑った。あたしはそんなに自信があるならと、草太が嫌がりそうなことを想像した。


「じゃあもしあたしが、今鼻ほじりながら電話してるとしたら?」

「その鼻くそ食べてあげる」

「なにそれ意味わかんないし。気持ち悪い。ぞっとした。へんたい」

「そっちが聞いてきたんじゃん」

「じゃあもしあたしが、亀甲縛りが好きだったら?」

「え、なに、好きなの? そんなのご褒美じゃん、次そっち行ったとき試そう」

「やっぱりへんたい。じゃあ、じゃあさ、もしあたしが……」


あたしは、つい調子に乗ってしまった。


「耳が聞こえなくなったらどうする?」

「そんなの手話を覚えてたくさんお喋りするさ。俺、手話勉強してみたかったんだよね」


受話器の向こう側で、草太が即答した。拍子抜けだった。あたしはてっきり黙り込むと思っていたのだ。もしくは「そんな悲しいことを言うなよ」なんて言葉を想像していたが、彼の答えは違った。


ばかだ。電話を持つ手が震えた。この人は、本当に、どうしようもないぐらいに、ばかだ。きっとろくにその先のことなんて考えもしないから、そう答えられるんだ。単純な思考で、そんなこと起きうるもんかと思っているから、だから即答できたんだろう。あたしは更に調子に乗った。


「目が見えなくなったら?」

「好きな本を選んでごらんよ、俺が朗読してあげよう」

「……半身不随に、なったら?」

「車椅子をひいて色んな所へ連れて行ってあげる。公園とか、コスモス畑とか、あとは、海とか」

「海か。いいね、海。ねえ、その時はさ、あの海がいい。魚一匹泳いでいないような、はじめて二人で行った、あの淀んだ海。うん、きっとあたしたちにぴったりだよ」


あたしは泣いていた。ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていた。悟られないように、平然を装って、あたしはいつものトーンで必死におどけてみせた。だけど草太には見透かされていた。ぜんぶ。


「ねえ」


本当は、草太はあたしの気持ちをぜんぶ知っていたんじゃないかと思う。草太を道具のように利用して、自分自身を必死に保とうとしていたこと。あたしがどれだけ不純で、不誠実で、不完全だったかを。あたしがどれだけ駄目人間だったかを。それでも草太は、それを分かっていても、あたしがどんな姿になったとしても。


「そんなことで嫌いになんかならないよ」


小さな子どもを慰めるような、優しい声だった。諭すように、草太は繰り返した。何度も、何度も。あの海で、あたしに何度も好きだと言ってくれた、あの日のように。


「俺はきみのこと、そんなことで嫌いになんかならない」

「分かってる、草太は、あたしのことが大好きだもんね」


冗談交じりに返したけれど、ずっとずっと埋められなかった傷だらけの心が満たされてゆくような気がして、あたしは涙が止まらなかった。それは、怪我したはだしのまま、海に入ったときのように、じんじんと沁みて、ぴりぴりと痛くて、だけどどうしようもなく、ああ、あたしは、どうしようもなく、この人の事が好きなんだと、生まれてはじめてその時気づいた。


だけど今更、どうやってこの気持ちを伝えたらいいのか分からなくて、あたしはいつもの傲慢で横柄な態度をとった。本当は涙が止まらないぐらいに嬉しくてたまらなかったくせに。本当は、草太のことを、誰よりも、何よりも、大好きだったくせに。


「俺は、君のことが好きだよ」

「知ってる」


受話器の向こう側で、それでもやっぱり、君は笑っていた。

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