テレプシコラ(仮)

大熊猫

第1話 夏の日(1)

 夏は嫌いではない。雪と寒さに悩まされる冬に比べれば最高に良い季節だ。でも今日は窓から見える雲ひとつない青空が恨めしい。北海道の夏は涼しそうで羨ましい。などと言われるが、実際のところ内陸部はかなり暑い。もちろん東京などに比べれば当然大したことはないのかもしれないが、冬はマイナス二十度になるこの地域。寒暖差は五十度をこえる。

湿度は少ないとはいえ気温三十度の中、エアコンもない教室はさすがに辛すぎはしないか。

「あぁ、暑すぎる。辛すぎる」

思わず口をついて出る。

 

 夏休みも半ばを過ぎた八月。何が悲しくて大切な休みを午後の教室で過ごさねばならないのか。一学期末テストの赤点のせいだ。

宮本花梨の成績は悪くない。理系教科の成績は校内でもトップクラスだ。しかし数学の成績だけはかなり酷い。彼女はどちらかというとひらめきで行動するタイプだ。順序立てて物事を考えるいわゆる数学的思考は致命的に苦手としている。自覚はあるので自分なりに努力はしたのだ。自分なりに。しかし、その努力の成果が夏休みの補習授業というわけだ。


「あと三十分だ。頑張りなさい」


はあ。まだ、三十分もあるのか。教師の言葉にため息をつく。年配の数学教師の佐々木はとても厳しい。特に時間と数字には妥協なく厳しい。ついたあだ名は『マシーン佐々木』機械のように冷血でミスを許さない。当然時間前に終わるわけがない。真夏にスーツで涼しげに言うのがまた腹立たしい。同じ空間にいるだけで息が詰まる。あいつと一緒に暮らす奥さんはいつも大変だろう。きっと如来か菩薩、女神のようにできた人に違いない。

補習はしかたがないとしても、暑い教室でパソコンの画面を見ながら黙々と計算問題を解き続けるだけの授業は辛すぎる。補習という名の修行だ。ここに居る三十五人の生徒は皆一様に同じことを考えているに違いない。


 補習を受けるものには一台ずつパソコンが貸し出されている。花梨の机にもパソコンが一台ブンブンと音を立てながら稼動中だ。

 タブレット型が主流の中で、地方高校の悲しさか未だにかなり古いノート型パソコンが使われている。シルバーのボディにディスプレー背面のリンゴマークはかっこいいのだが、旧型は熱量が半端ない。背面からは音を立てドライヤーの様な熱風が噴き出す。ボディ熱さもかなりのものだ。たまに電車などで膝にパソコンを載せ軽快にタイピングする人を見かけるが、このパソコンなら数分も耐えられないだろう。さながら個人に支給された暖房機である。

 これは地球温暖化を加速させる状況かもしれない。……などとくだらないことを考えている場合ではない。とにかく課題をこなさねば。貴重な夏休みをこれ以上補習に費やすわけにはいかないのだ。

 あと少しでこの苦しみからも解放される。問題の出来不出来は関係ない。とにかく提出することに意義があるのだ。課題とはそういうものだ。


「よし、やるか」


 * 


 補習も残り十分を切った。

「提出の様式はテキストの二十ページを参照のこと」

教師の指示でみんなが一斉に動き出す。

花梨も机のボックスに入れてあるテキスト本に手を伸ばした。


「え?」


指に何か当たる感覚。手紙?

机の中からそれをそっと取り出してみる。

「わっ!」

思わず声を出してしまった。

薄い緑の封筒には四つ葉のクローバーの模様。

その声に何事かと視線が集中した。

「宮本さん、どうかしましたか」

「いえいえ。な、なんでもありません」

「寝ぼけている場合じゃないと思いますよ」

「は、はあ」

「ちゃんと提出しないと明日も補習になりますね」

クラスメイトの笑い声が教室に響いた。

手に持った手紙を素早くノートパソコンの下に滑り込ませた。

誰にも見られなかっただろうか。こんな形で手紙なんて、いったい何だろう。

中身が気になるが今は無理だ。とりあえず今は課題を提出だ。

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