白い髪の女(2009/05作)

 静かな夜だった。

 女はアイスクリームを食べたいと言った。

 男――いま何時だろう?

 女――知らない。

 好きなものを頼めばいいと僕が言うと、女は受話器を取ってフロントに電話を掛けた。

 僕はビールを一緒に頼んでくれと女に言った。

 沈黙――男は少し離れた場所から女を眺める――男は何かを思い出そうとするが、何も思い出せず天井を見る。

「ねえ君」僕は女に尋ねた。「どうして髪が白いんだ?」

 女は手鏡を眺めながら、白い髪を退屈そうにいじっている。

「生まれつきなの」

 手鏡に向かって赤い舌を見せたあと、女は何かを諦めたようにベッドの上へ倒れ込んだ。

「ほら、たまにいるでしょ? 真っ白なライオン――あれと同じでね、色素が薄いの」

「じゃあ君は、真っ白な人間だな」


 真っ白な雪の中で/真っ白なライオンと/真っ白な女が戯れる/ライオンも女も雪も/白く重なりあって/もう何も/見えない


 ドアをノックする音がした。眠たそうな顔のボーイが、アイスクリームとビールを運んできた。

 僕は缶ビールを開けた。

 沈黙――女は、透明な器に盛られた白いアイスクリームを眺める――まるで時間が止まったみたいに。

「子供の頃ね」女はアイスクリームを匙でつつきながら話した。「私いじめられてたの。みんなに白豚って呼ばれてた」

「じゃあ、太ってたのかい?」

「べつに、そういうわけではないわ。きっと白って言ったら豚しか思いつかなかったのよ。子供だもの」

 沈黙――遠くからサイレンの鳴る音が聞こえる――水の中を伝わるようなフワフワした感じの音。

 男――また会えるかな?

 女――商売で? それともプライベート?


 半年後、路上で女が死んでいるのを見掛けた。白い髪をした若い女だった。外傷はなく、きれいな姿で死んでいた。現場には野次馬が大勢いて、その中の一人が自分だった。僕は無性に酒が飲みたくなって、近くの酒屋でウイスキーを買った。

 女――私、死んじゃったみたい。

 男――知ってるさ。

 女――私の名前、おぼえてる?

 男――忘れた。

 僕はバス停のベンチに腰を下ろし、ウイスキーを胃に流し込んだ。バスが一瞬だけ止まり、ため息のようなクラクションを鳴らすとまた走り去った。

「まだ名前……」

 ふいに声がした。

「まだ名前、教えてなかったわ」

「君は幽霊か?」

 白い髪の女は、微笑しながら隣に腰を下ろした。

「ねえ、どうしてあの夜、抱いてくれなかったの?」

 女は僕の手を握った。

「でも、やっとあなたに触れることができた。あの夜は、手も握ってくれなかったから」

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