第103話 夜の訪問者

旅程後半【2日目】

フィエンテ渓谷より先

     送迎団一行――



「――雨になりそうだ。少し早いがここで野営をしようと思う」


 老騎士の短すぎる説明にバルデアの訝しげな視線が上向けられる。

 そこに映るのは、大海原のごとき青き空にゆっくりと流れる島々のような雲の群れ。

 確かに雲の数が多いと見えるが、白く無垢な綿雲に降雨を思わす暗き翳りは感じられない。

 何か別の意図を勘繰るバルデアに対し、「山の天気は移ろいやすい」と理解を示すカストリックには現場経験の豊富さから察すれることがあったのだろう。


「バルデア卿。雨を凌ぐなら林内に野営した方がよいでしょう。ここは実地に慣れている第三軍団われわれに任せていただきたい」

「――そうだな。そうさせてもらおう」


 老騎士の提案に乗るべきと暗に促されてバルデアが素直に承諾する。わざわざ辺境伯軍長が面通しで申し出てきたのだ。小細工と勘繰るよりは“誠意”の表れと捉えることに否やはない。そんな二人の会話の意図を読み取っているからこそ、老騎士は話しを続ける。


「道を挟んで我らは右の林に、そちらは左としようか」

「異存なく」


 街道という明快な緩衝帯を挟むだけで、互いの緊張がほぐれる利点がある。願ってもない提案にバルデアは即答する。


「承知かと思うが辺境の夜は平地の者には耐え難い。身体を濡らせばなおさらだ。雨露の対策には十分気をつけられよ」

「お気遣いに感謝する。皆によくと伝えよう」

「それと、これは辺境の夜に欠かせない火酒だ。しっかり身体が温まること請け合いだ。ただし、平地の者には、ちと・・酒精がきついかもしれぬ。ほどほどに召されることだ」


 老騎士の言葉を合図に側近が両脇に抱えていた小樽を譲り渡してくれる。昨晩そうしなかったのは、フィエンテ渓谷の道行きを案じてのことと思えば不審はない。

 バルデア達がありがたく老騎士の厚意を受け取り、臨時の打ち合わせに区切りが付けられたところで。


「――ひとつ、よろしいか」


 用件を終えたはずの老騎士が、立ち去らぬ理由がその目力に込められていた。それこそが出向いた真の理由と察すれる眼差しに、バルデアは無言で先を促す。


「あくまで私的な興味にすぎぬのだが……尋ねてみたいことがある」

「私で答えられることであれば」

「うむ。別に貴公の見立てでも構わぬ。知っておるなら聞かせてほしいのだ。ルストラン殿下が、公国の将来さきに何を見ておられるのか、と――」


 その意表を突く質問にバルデアは沈黙し、傍らのカストリックはわずかに目を細める。

 読み合いに長けた政務官ならばその真意をどう推し量るだろう。

 話題が互いのことでもなければ、送迎団を巡る暗闘についてでもなく。例え公国の未来を語るにしても、自分達の見解ならまだしも、あえてルストランの考えを取りざたするその理由。

 それも軍団長の地位にある者が“大公代理”と正式に呼ばぬ意味に気付けば、“大公家”でなくルストラン個人に注力していることは窺えるのだが。

 そもこの問いかけ自体、真に老騎士個人のものなのか、あるいはもっと上の・・・・・――さすがに警戒するバルデアが、答えに慎重になるのも無理はない。


「私は一介の守り役にすぎぬ。大公代理殿にとって第一の盾となるべき者であり、その一点にしか興味はない」

「だが近衛長ともなれば最側近のひとり。大公家である殿下とも懇意にされ、薫陶のひとつ受けられていたとしても不思議はあるまい。――私もベルズ様より“辺境の未来”について、よく聞かされたものだ」


 それでバルデアとカストリックの二人にはひとつはっきりしたことがある。

 “辺境の未来”と口にした老騎士の双眸に一瞬浮かんだ煌めきは、それこそが真に聞きたいことなのだと気付かせずにはいられないために。


「我ら辺境人は“領主”という地位におもねることはない。我らがベルズ家を旗頭とするのは、誰よりも辺境の繁栄を願う者だからこそ――」

「此度の争いの起因が辺境伯の私事にあるのだとしても?」

「無論」


 明らかにバルデアの踏み込みすぎた指摘に対し、老騎士は非難するどころか、堂々と呑み込んでみせる。


「例え掲げる者にとって“建前”にすぎぬとも、我らにとって“大義”となるなら、異存などあるはずもない」

「……なるほど。それぞれが、この争いに何かの意義を見出しているのだな」


 踊らされるのではなく、踊るのだと。 

 過酷な地で生き抜くために、辺境人は自ずと個人の熱量が強くなる。その熱量がありすぎ、まとわり悪くても、強い熱量同士をひとところに集めることができれば、驚くほどの大炎となりて燃え盛る。


「それが辺境人われらの強みでもある」

「だが扱う難しさもありそうだ」


 遠慮の無いバルデアに老騎士は憤る素振りもみせずに「そのとおり」と頷いた。


「だからこそ、上に立つ者の力量が――集団をまとめあげる力が何よりも問われるのだ。つまり、その者が胸に宿す某かの念い・・・・・が」


 やはりそうか。

 “公国の未来”と称しながら、その実、ルストランの辺境に対する考え・・・・・・・・を見定めたい――それも辺境人らしく、老騎士自らが“踊るために”見極めておきたいことなのだ。

 それは場合によっては辺境伯陣営から脱退する可能性も秘めているが、さすがにそうはなるまい。

 辺境伯陣営から見れば、ルストランは横合いからしゃしゃり出てきた想定外の障害であり、大局を見極められぬ愚か者だ。

 むしろ、“敵対して然るべき”との理由を明確にしたいだけと捉えるべきだろう。それがために老騎士は、どこか挑発的に先の答えをバルデアに促してくる。


「まさか何もないのか、殿下には? この国に住まう者達を――辺境われらをどこに導こうかとの、指導者としての理念が」


 「あるはずもない」そう確信している老騎士の眼差しに、バルデアは冷めた目で受け止めて。


「わからない」

「……っ」


 あまりにあっさりとして味気ないバルデアの返答に、老騎士だけでなくカストリックも目を鋭くさせた。貴殿が分からずして誰が分かるのかと。

 だがバルデアに愚弄したりはぐらかしたつもりはないようだ。


「あの方は、陛下を深く尊敬している。時に意見の対立があっても、陛下の示す道に異論など抱いておられまい。仮に、このまま大公の地位に就かれたところで、ドイネスト陛下の築かれた治世から大きく反れることはないだろう」


 だからとバルデアは続ける。


「差異があるとすれば、それはあの方が陛下よりも情を重んじ、それ故に情に脆すぎるという一面があることだ。そのことに並々ならぬ熱意を注ぎ、自ら先陣を切る覚悟と行動力がある」

「つまり、殿下には先導者としての“牽引力”があるということか……?」


 そう肯定的に受け止めようとする老騎士ではあったが、さすがに無理があったようだ。


「だがブレないことの強みには、“頑迷”という落とし穴が隠れているものだ」

「それでも“貫く強さ”を否定すべきではないと私は思うが」

「無論だ。無論だが、しかし――」


 老騎士からすれば、安易に肯定できぬ“危うい答え”であったろう。

 ルストランには辺境を分け隔てなく気遣える面もあるが、一度何かのトラブル発生で注意が引かれれば、他は見向きもしなくなる危険性をはらんでいるのは明白だった。

 まさに十年前、中央の混乱を気に懸けるあまり、辺境の窮地から目を背けた大公ドイネストのように。

 そしてエルネ姫を想うあまり、大公の座を強奪する驚くべき行動に出た此度の一件も老騎士の抱く懸念を後押しする。

 それに気付いたバルデアがすかさずフォローする。


「別に大公の地位にある者が完璧である必要はない。まわりで支えれば済むことだ。現に公国はこれまでもそうして今日に至っている」

「そう――今日に・・・


 老騎士の相づちはバルデアが期待するものではなかった。“支え合い”がうまくいっていないからこそ、このような対立が生まれているのだと皮肉を含んでいたからだ。


「殿下が相応しくないと云いたいのか?」

「相応しいも何も」


 語気を強めるバルデアに、老騎士は落ち着き払って応じる。


「殿下は“代理”として十分にやっておられるが、その地位はあくまで一時的なもの。だからこそ、こうして貴公ら『送迎団』が陛下を迎えに来られたのではなかったかな?」


 そもそもが評価を下す段階にあるまいと。

 それは当然の理屈であったが、聞きようによっては“まだ早い”と云っているに等しい。それは不名誉な評価であり、そう発言させた起因はバルデアの軽はずみな失言にある。

 バルデアが自身の短慮を自覚して憮然と口を噤むのを見かねたように、老騎士がとりなそうとする。


「すまぬ。殿下の一面を切り取って何かを評し貴殿を辱めたいわけではない。むしろ、殿下の人となりを知ることで、印象が変わり、興味さえ惹かれたのが正直なところだ」


 存外に“人間味”というものが辺境で好まれるものだと。

 先ほどまでの挑発的な目を和ませ、老騎士は淡い願望まで口にする。


「この件が片付き、もしも殿下との対談が許されるのなら、問いかけてみたいものだ。“辺境の未来”について」

「……その時は、私がお取り次ぎしよう」


 真摯な老騎士の面差しに、不満の影を胸奥へ潜めてバルデアが請け合う。

 できればそうした会談を頻繁に行い、両者の溝を埋めてゆくことで解決するならば、それでよかったのだ。だが、互いに初面識でありながら、明日には命のやりとりをしなければならないのが現実だ。

 互いに、自分達が良しと思う未来を手にするために本気で刃を交えるしかない。


「……」

「……」


 二人の間に奇妙な空気を漂わせながらも、老騎士との短いやりとりは終わりを告げた。

 去りゆく巨漢の背を見送りながらカストリックが安堵の息をつく。


「――何か仕掛けてくるかと思いましたが杞憂でしたな」

「話す機会が最後だからだろう」


 何気ないバルデアの感想をカストリックが聞き流すことはない。


「やはり『ゴルトラ洞穴門』が本命ですか――」

「気負った様子もない。場馴れしているのもあろうが、その部下も・・・・・となれば話は別だ。洞穴門での仕掛けに対し、よほど自信があるのだろうな」

「それはこちらも同じです」


 応じるカストリックの声音に何を感じ取ったか、バルデアが横目で影の指揮官たる騎士を見やる。


「“魔境士族”か。……私も見たが、あの・・幹部筆頭を相手に生き残るだけでも大したものだ」


 バルデアの思わぬ告白に、今度はカストリックがわずかに非難の籠もる横目で見やる。それへ相手は表情も崩さず淡々と説明するだけだ。


「治安を守るための任務だった。『俗物軍団グレムリン』の息がかかった一派と事を構えたときにな。――言えるのは、我らの知らぬ強者があの“魔境”の奥にまだまだ潜んでいるということだ」


 その物言いは、味方に対してのものとは思えぬ疑惑あるいは不審感を孕んでいた。その正体がいまだはっきりとせず、生半な強者でないことも考えれば、警務の責がある身としては身構えて当然の反応だ。それはカストリックも同意見のはず。とはいえ。


「余計な疑いは焦点を鈍らせるかと。彼らが裏で何を企図しようとも、今は我らの頼もしき協力者。ここは素直に彼らの実行力に期待しましょう」

「無論、そのつもりだ。だが――」


 バルデア独特の嗄れ声が、途切れた言葉の先を不安視させる。

 別動隊となった彼らの道行きは、街道から外れたアル・カザル山地の道なき道を舞台とする。そこは『怪物』クラスの危険生物が跳梁し、レベル4以上の『怪物』そのものさえ目撃される危険地帯だ。

 土地勘のない彼らが幾日も山中行軍し、後半は敵地とも云うべき領都近郊を敵に気取られず踏破せねばならない。その状況で今宵は雨にも見舞われコンディションは最悪だ。果たして――


「あちらも順調に進んでいると思いたい」


 色褪せ始めた青空を再度見上げるバルデアにカストリックは大丈夫だと力強く保証する。


「おそらく我らの不安など無用の老婆心。土地は違えど同じ危険地帯に棲みつく輩です。難なく踏破して、むしろ我らの到着を待つくらいの余裕を持っているでしょう」

「そうだな。当主殿の自信に満ちた顔を見ていれば、そう思える」

 

 頷くバルデアの声音には、不安は一切含まれていなかった。


         *****


同日

ギドワ属領境界付近の森

   境界守備隊連絡員――



 ふたつの部隊による戦いが終わりを告げてしばし。

 異様な静けさに包まれた戦場跡には、激戦の余韻を残すように幾十もの兵が屍をさらしていた。


「……どんな戦いだってんだよ……」


 定時連絡で訪れた境界守備隊の連絡員は、予想以上の激戦跡の凄まじさに、呆気にとられて立ち止まる。

 隣の相棒もだんまりだ。ヨーンティ班の“討伐帰り”とは違って実戦経験がまだ浅い。ショックを受けるのも当然だ。


「ん? そういや、何で誰もいねえ……?」

「……死んだからに決まってる」

「は?」


 マヌけた相棒の返事に、いつまで怖じ気づいているのかと彼が横目で睨めば、相棒は意外にしっかりした動作で死体を指差した。


「見ろ。あれも、それも、他のもみんな――ウチの連中の死体ばかりだ」

「何だって――?」


 思わぬ指摘に彼は目を凝らす。

 馴染みの装備に見知った顔。目に付くかぎりの死体はすべて、確かにヨーンティ班の兵達だった。

 思わず足早に近づき、敵の死体はないかと捜索する。


「――あった。これか」


 防具ひとつ身に付けず、異文化漂う旅装に身を包む死体の場違いさ。しかも傍らに置かれた細身の剣など実戦向きとは思えず、戦死した味方の遺骸を目にしていなければ、どこの御貴族様かと笑い飛ばしていたところだ。

 味方と違って敵の遺体はひとところに集められ、身だしなみを整えた上で簡易に供養された名残を残していた。

 だが、その意味するところを彼が気付くこともなく、不審に思うのは別のこと。


「これが敵……? まともに武装も揃えられねえとは……ルストラン殿下ってのは、兵すらまともに動かせないのか?」

「そんなわけがあるか」


 今度もまた、冷静に見極めるのは相棒だ。


「我らと顔つきがまるで違う。こいつらは例の・・魔境から来た連中じゃないか?」

「……ああ、ヘンな連中が加勢してるって云ってたな」


 それを想定した上でヨーンティ班を編制したとの噂も彼は耳にしていた。相手はよほど腕が立つらしく、だから北魔討伐で鍛え抜かれた“遠征帰り”を投入したのだと。

 だが、だからこそ信じがたい思いが胸をつく。


「それにしたっておかしいだろ」

「そうだな。ウチの死体の数に比べて連中のが圧倒的に少なすぎる」


 “討伐帰り”の連中は『俗物軍団グレムリン』の中でも精兵中の精兵だ。こんな見た目通りの一方的な戦いになるわけがない。それに苛烈な戦いであったにせよ、ふたつの部隊が忽然と消えているのもあり得ない話しだ。


「……ヨーンティ様はどこに?」

「それにワイアットの姿もない」


 まさにそのとおり。

 彼らの最大の目的は、行方をくらました仲間の安否を知ることだった。

 街道堅守の命令を無視して、森に入ってゆく姿を最後の目撃情報として、戦地に向かったことは容易に推察できたが、その理由が分からず、何よりもその勝手な行動によってヨーンティの逆鱗に触れるのではと誰もが戦々恐々していた。

 下手に追いかける気にもなれず、定時連絡にかこつける形で連絡員を送ることになったが、さすがに一人で向かう勇者がおらず、今回限り二人で行動させることになったのだ。

 だが女王の癇癪ばかりを気にしていた二人を待っていたのが、このような変事とは。


「……なあ、死体の数が多すぎねえか?」

「俺もそう思ってた」


 はじめは生存者がいやしないかと、あるいは敵が隠れているかもしれないと、慎重に戦場を歩いていた二人の緊張感は次第にゆるめられてゆく。もはやこの地が死者の住処になっていることを実感させられるためだ。そして薄々思っていたことが確信に変われば。

 決定的なネタもすぐに掴むことになる。


「おいっ」

「……ああ」


 それは隊長補佐エッリの遺体だった。

 いかなる力が為さしめたのか、見事なまでに胸部を断ち切られた切り口よりも、あの恐怖の象徴だった凶女が無残な死を遂げている事実に二人は心を奪われた。

 死んでいる。

 男が対戦相手であるかぎり、決して負けることのない凶拳士が。

 本当に死んだのか?

 どうしても確信が欲しいと思いつつ、しかし近寄りたくない恐怖が足を固着させる。この期に及んでなお、エッリという存在が二人の心を支配していた。

 そのまま凍り付いたように二人が硬直して。

 どれだけ時間が過ぎたのか、先に口を開いたのは彼だった。


「…………動かねえな」


 当たり前だ。その当たり前を呑み込めず、二人は目を反らすことさえできずにいるのだ。だが相棒の何気ない一言が呪縛をゆるめることになる。


これをやったのが・・・・・・・・、“魔境”の異人か」

「そうだな。状況を見れば間違いない。ヨーンティ様が警戒するだけはあったってことだ」


 そう口にはしたものの、相手がどれほどの実力か想像もできない。少なくとも一級戦士相当と囁かれた隊長補佐を上回る戦闘力を敵が有しているのは確かなのだ。その脅威が皮肉にもエッリに対する二人の恐怖を和らげる。それによって胸中に湧き上がる“安堵”と“昏い悦び”を彼は自覚した。隣の相棒も同じ気持ちだろう。

 だからこそ、いまだ半信半疑であるものの、彼はようやく口にできたのだ。


「……負けたんだな」

「たぶん。ヨーンティ様は撤退したんだろう」


 死体の数だけみれば、ここに潜伏していた人員とほぼ同数に近い。わずか数名を引き連れ撤退し、敵がそれを追う構図が容易に想像できた。いや、これはもう逃亡劇と呼んでいいレベルだ。

 彼はすぐに決断する。


「よし、戻るぞ。隊長の判断を仰ぐ」

「たぶん、まっすぐ領都に戻ることになるな」

「当然だ。俺たちでどうにかできる相手じゃない。助けようもないだろ」


 念のため、ぐるりと戦場を回るように帰隊する二人。その何気ない行動が予期せぬ成果を挙げることになる。


「た、隊長――?!」

「……」


 見間違えるはずもない。

 血塗れであっても包帯で肌を隠す小柄な隊員などヨーンティ以外にあり得ない。

 先刻目にした時には、艶やかだった顔は老女のように皺枯れて片腕さえなくし、細い首筋にまるで獣に咬み千切られたような傷痕を残す凄惨な屍をさらしていた。


「――っ」

「…………」


 吸い付けられたように屍から目を離せぬ二人。

 あまりに無残な死に方に、しばし思考を停止する。


「……隣にいるの、ワイアットじゃ……」


 ようやく気付いた事実を彼が伝えれば、相棒もさらなる驚愕の事実を突き返してくる。


「それに、あそこの死体は副隊長殿だ」

「何だと……?!」


 ヨーンティからさほど離れていない位置で横たわる首を断たれた死体に彼は目を向けた。

 訝しむのは生首の方。

 異様に突き出た犬歯と木漏れ日の当たる皮膚が火傷を負ったように爛れているのが目を惹いた。敵に精霊術の遣い手がいる証なのか。気になる点があるものの、それ以上の衝撃的な事実に気付いてまともに思考できる状況になかった。


「くそ、これじゃ――」

「ああ、そうだな」


 彼の嫌な考えを聞かされなくとも相棒が承知したように同意する。


「ヨーンティ班は全滅したんだ・・・・・・


 相棒の声を彼は遠くで交わされる会話のように耳にしていた。


         *****


その夜

ヴァインヘッセ城

     小広間――



 対送迎団の作戦が本格的に始まってから二度目の夜。

 再び顔をそろえた面々は、自信に満ちあふれていた初日と違い不愉快な沈黙の中にいた。そうなった原因は夕暮れにもたらされたギドワ属領境界戦での“敗北”という報告にある。


「……念のため、こちらからも人を送ってみてはいかがでしょう」


 そう進言する主席執政官の眉間には、敗戦報告に対する拭いがたい疑念が刻まれている。それへ無駄な足掻きと断じるのは対面に座すオーネスト。


「隊長、副隊長の“死”をはっきり報告してきている。今は報告ミスに希望を見出すよりも、敵の戦力を冷静に推し量ることに腐心すべきだろう」

「その通りだ」


 上座のベルズも同意して、その目をオーネストの下座で沈黙を保つ銀髪の男へゆるりと向けた。


「我が領だけではない。公国軍の切り札とも云うべき『俗物軍団グレムリン』にあって、最強を誇る『幹部クアドリ』二人を擁する部隊が殲滅の憂き目にあったのだ。それも副隊長においては、来たるべき周辺五カ国との戦いに主力となることを期待された『真人』のはず。

 この八年で私が耄碌し、甘い幻想の中で過ごしていただけなのか、それとも他に解すべき原因があるとでもいうのか――?」


 独白の体を為しながら、誰に向けて発しているかは明らかだ。当然、誰よりも察しているはずの男は、静かなる言葉に込められた圧力が、真綿で首を絞めるがごとく強められてゆくのを感じていたはず。

 なのに、責められる当人は至って平静に弁明するだけであった。


「ご承知の通り、“触媒”を得たのはつい最近のこと。計画を本格的に進めたばかりでは、調整することもままなりません」

「“素体”を選別し、“触媒”を得て、“儀式”を無事に執り行った。それ以外に“調整”が必要か」


 ここまでの道程は、労した月日を振り返っても決して容易いものではない。その上で、大公に続いて公女を手にする大きな危険を実際に冒し、今の事態を招いている。これで計画未完のままなど赦せぬと、皮肉を込めるベルズに銀髪の男――フォルムはあくまで理を通すのみ。


「与えた“力”は本物。それ故に今までとの激しい落差に思考も感覚も追いつかないのは当然です。彼らは言わば、生まれたての赤子のようなもの。そのことはご子息の事例でご承知のはず」


 あえて“ご子息”という表現を使うフォルムに嫌味を聞かされたがごとく、ベルズは眉間にしわ寄せ口を噤む。

 目の前に確かな物証・・を示されれば、これ以上の文句はベルズの度量を疑わせることにもなる。内心の憤りを押し殺し、黙って矛を収めざるを得ないのだが。

 場に生まれた不穏な空気にオーネストは意も介さず無言のまま。

 主席執政官は居たたまれない様子でベルズとフォルムを交互に見やるがそれまでだ。

 だからこそ、空気を悪くさせた張本人であるフォルムが「無論、他にも理由はあります」と説明を続けるのは当然であったろう。


「戦場で確認された敵の遺体から、相手は例の“魔境士族”と呼ばれる者達であることは明らか。おそらく、ガンジャス達を“魔境”で返り討ちにしのもこの者達ではないかと愚考します」

「すでに『幹部クアドリ』を倒した実績があるというわけか」

「誠に遺憾ではありますが」

「むぅ。だからと云って……」


 思わず唸り声を上げたのは、主席執政官。

 本作戦の肝要は、“三剣士”並びに公国第三軍団の猛者達を敵に回して打ち勝てる戦力を持つことが前提だ。その土台から覆された趣旨の発言など容易に受け入れられるはずもない。

 ベルズの表情にも、さすがに拭えぬ懐疑があるのは致し方あるまい。


「確か『幹部クアドリ』の強さは、探索者の指標でいうところのレベル4以上と云っていたはず」


 動揺を滲ませ記憶を探る主席執政官にフォルムも「そのとおり」と認める。


「レベル5の『片翼』あるいは6の『双翼』に相当するでしょう」

「それは『怪物モンスター』を相手にできる戦力だぞ。一人で一個小隊の力があると聞いたことがある。それを連中は越えるというのか? そんな――そんな化け物じみた部隊が、ルストラン陣営にいるとでも?」

「お忘れですか。“魔境”はレベル7の『白羽』であっても油断できぬ死地。先般、あの公国最高峰のひとつであった探索班『銀の五翼』をも胃の腑に呑み込んだことは周知の事実」


 レベル8の『銀翼』に達したルルンを筆頭に構成されたパーティは、周辺五カ国にまで名が知れ渡るほどの実力者達だ。彼らほどの実力をもってしても生存が覚束ないほどの危険地帯。

 あらためてその恐ろしさを思い起こされれば、そこに棲む者達の強大な戦力を感じずにはいられない。

 押し黙る主席執政官だけが、場の空気を重くしたわけでないことは明らかだ。それだけに、息苦しい空気を意に介さず口を開くのは、部外者だからこそできたことなのだろう。


「――“沈黙は金”と云いますが、悪戯に刻を垂れ流すのが良いというわけでもありません。相手の戦力を見立てるのは、この辺でよろしいかと」


 ひとり場違いなテンション高めで声を出すのは、昨晩と同じ参席を許された『行商五芒』のフィヴィアンだ。


「“魔境士族”の参戦は当初より予測されていたことにございます。その使い所が明らかとなったことは、むしろ良き前進であるかと存じます」

「その通りだ」


 場の空気を変えるべく、渡りに船とベルズが相づちを打つ。


「それで、何か云いたいことがあるのだろう」

「はい。ご賢察のとおり」


 一度恭しく頭を下げた後で、フィヴィアンはフォルムの蒼白き横顔に視線を移す。


「フォルム様の中では、こうなることも予測の内だったはず。ご指示通り新しい装備も調えてございます。この後すぐにでもお使いいただけますが、いかがされますか――?」


 フィヴィアンの窺いに合わせて、「どういうことだ?」とベルズや主席執政官の疑念の目が向けられる。それに応じるフォルムの発言は誰にとっても拍子抜けするほど平凡なものだった。


「それらの装備は洞穴門で戦う兵達に備えたものだ。ヨーンティ達迎撃部隊が突破されることは想定していなかった」

「では――」

「私が対応する」


 思わぬ申し出に、フィヴィアンの絶やさぬ笑みが硬直する。ベルズや主席執政官も驚きの目を向け、しばし沈黙していたオーネストまでが、横目で不気味な参謀の真意を推し量ろうとする。


「当然のことでしょう」


 応じるフォルムの言葉はフィヴィアン以外の者に向けられたもの。


「あの送迎団には“三剣士”のバルデアと『精霊之一剣』を使うカストリック、それに『調教闘士』を破った新たな強者が参陣しているのです。後に洞穴門での戦いを控えていると思えば、我が方のこれ以上の戦力毀損は避けねばなりません。

 一方で、ヨーンティ達を打ち破った連中も未完とはいえ『真人』すら凌駕する強者達です。その戦力をレベル7以上に見込むとすれば、ここは私が出陣するのが間違いなかろうかと」


 団長のオーネストですらなく、自ら赴くと。

 その言葉の裏を読み取った者は、頼もしさだけでなく底知れぬ畏怖を抱いたであろう。

 確かにフォルムならば、探索者達が理想と描く到達点――レベル8の『銀翼』が相手でも打ち破ってくれるはずと。


「ご許可をいただけますか、ベルズ様」

「うむ。異論はないな、オーネスト?」


 副団長の出撃に団長を飛び越して命令はできぬ。実質事後承諾に等しき投げかけではあったがオーネストの表情に不満の感情など出るはずもない。ただし。


「洞穴門の戦いに支障が出ても困る。“調整”が必要な者がいるなら、帯同させてやれ」

「そのように」


 団長からの指示を拝命するフォルムが席を立つ。


「早速、準備に入らせていただきます。助攻の役目を果たせぬくらいには、連中を痛めつけておきましょう」


 そうして胸に片腕を掲げるフォルムに、その場にいる者皆、本会議で一番の驚きを覚える。役職は与えても客人としての立ち位置が濃い彼が、生粋の軍属らしくふるまうのを初めて目にしたためである。

 あの大戦ですら、そのような真似はしなかった。

 あるいは、十年という歳月が彼の心境を変えたのだろうか。

 死出の別れでもあるまいに、敬礼する彼の姿をベルズはどう受け止めたのか、答礼までは示さずに、ただ静かに首肯してみせる。


「……よもやあの男が負けることはあるまい」


 退出した孤影に思いを馳せながらベルズが呟く。

 大戦の英雄は息子ひとり。だが真実はもうひとりの英雄がいたことを彼らは知っている。

 その英雄の創造者であり、当人でもあるフォルムなら、敵の助攻を確実に潰してくれるだろう。むしろ進んで申し出たことが意外すぎるのだ。


「私は……あの者が信用できません」


 静寂に包まれたその場であっても聞き漏らしそうな低い声で主席執政官が本音を吐露する。第三者であるはずのフィヴィアンの存在をうっかり忘れさせるほど、思い詰めさせる不満が募っていたのかは分からない。


「あの男に任せるとメリットに比した強力なデメリットを負うことになります。いずれ、我々が背負いきれぬデメリットが――」

「だが容易には手放せぬ」


 そう遮るのはベルズ辺境伯。


「せめて『真人部隊』を完成させるまでは働いてもらわねばならん。どうだ、オーネスト。お前なら奴を斃せるか?」

「残念ながら」


 ベルズの不穏な台詞に、驚くほどあっさりと“大戦の英雄”が否定する。悔しさすらも滲ませず。


「あの者は本物の『蒼月鬼』。マガイモノにすぎぬ自分では、追い込むことも高望み」

「なら、『真人部隊』もぶつければ――」


 妙案だろうと主席執政官が勢い込めば、オーネストがにべもなく反論する。


「よしんば成し得たとして。共倒れしたのでは本末転倒だ」

「では、どうすれば――?」


 気色ばむ主席執政官を「いや、手がないわけでもない」と冷静に取りなすのはベルズだ。


「あまり選びたくない手ではあるが、誰もが考えつく効果的な術がある」

「“憤怒の十字軍クルセイダーズ”か――」


 あまりにスムーズな発言に咄嗟の思いつきとは思えない。オーネストの言葉に主席執政官が息を呑み、影のごとく成り行きを見守っていたフィヴィアンもかすかに頬を引き攣らせる。

 あの帝国をして、戦わずに敗北を呑み込ませたとされる聖市国の切り札。人類最強の一画と謳われる騎士団であればさもありなん。


「しかし、あのようなもの・・・・・・・を招けば……」


 顔色を失う主席執政官の懸念は誰もが思うところ。仮にオーネストや『真人部隊』をうまく隠匿できたとしても同じこと。

 なぜなら、邪悪を討つことのみを是とする彼の集団は、“神敵必滅”を至上の聖句として、邪悪諸共に家、民、草の一片も残さず灰燼に帰す凄惨な戦いを繰り広げる。

 討伐した邪悪の数に比し、巻き添えに合い、散らせた老若男女の命は数知れず。

 文字通り、“最後の手段”というわけだ。

 そのような存在をベルズはいずれ招こうとしているのか?

 それは今の『俗物軍団グレムリン』の在り方を認めている以上に、領民にとっては過酷な話になるだろう。

 さすがに秘すべき案件だ。

 気付けば、ベルズの射抜くような視線がフィヴィアンを捉えている。いや、オーネストや主席執政官までもが。

 ベルズが静かに言い含める。


「――他言無用だ。今後も城の出入りを許されたければな」


 その程度で収まる話しではない。むしろどのような意図で『行商五芒』の商人を巻き込もうと考えたのか。

 この時フードの奥で、視線を合わさぬフィヴィアンの目にいかなる感情が過ぎったかは誰にも分からない。

 読み取るとすれば、変わらぬテンションの高さで卑屈に発せられる言葉からしかない。


「利益を追求するのが商人の性。より良き商売のため、上客の御意向を汲むのは当然のこと」


 そうして深々と頭を下げるフィヴィアンに冷たい

三人の視線が突き刺さる。

 ベルズが場を締めるように口を開く。


「頃合いは私が判断する。それまでは皆にこの一件について忘れてもらおう。まずは素直に、今宵の戦果を愉しみに待とうではないか」


         *****


同夜

領都近郊の森林

 送迎団別動隊――



 さらなる敵部隊の強襲も勘案し、速やかに戦場を離れた片桐達は、思うように距離を稼ぐこともできぬまま、早めの野営に入らざるを得なかった。

 山岳における陽の沈みが早いことに加え、空の雲行きまで怪しくなってきたのだけがその理由ではない。

 異界の者との戦いは、自覚している以上に心身を消耗させ、まるで泥沼の中を歩くように肉体が重くなってしまったのが最たる原因だ。

 誰もが休息を渇望していた――なのに腰を落ち着け簡素だが温かな食事を終えても、妖術にやられて精根尽き果てた者を除けば、眠りに就く者は一人もいなかった。

 誰もが車座の中心で赤々と燃え上がる焚き火に目を留めたまま、隣り合う者との戯れ言に興ずることもなく、口を閉ざし物思いに耽っていた。


 例えば姿なき狙撃手のこと。

 例えば未熟な剣術とは裏腹に、場慣れた戦い振りをみせる手強い敵兵のこと。

 あるいは敗戦を予感させたほどの、淫術を操る妖女の脅威も忘れることはあるまい。


 それぞれが先の戦いに思うところは多く、戦勝直後の部隊とは思えぬ沈み込んだ静けさを生み出していた。

 本降りを予兆させるように、ぽつぽつと滴が落ちてきて時折焚き火の炎をちらつかせはじめる。

 心なしか空気も湿り気を帯びたと感じるのは、何も雨のせいばかりではない。事実、その場の陰鬱な空気は別の理由によって生まれていたのだから。


「……斃れたのは六名か」


 誰かの呟きに「もっと多くなる可能性もあったと思えば、致し方ありません」と場違いにも朗らかに応じる者がいる。

 黒髪黒目の彼らからすれば異端というべき金髪碧眼の侍――鬼灯童蘭だ。


「現に生き残った者のうち四名までが、精を絞られ今後の戦いに参戦することも叶いません。それほどまでに、この世界の妖術は我らにとっていまだ未知のもの。“席付の温存”は策として間違っていないと言えるかと」

「左様。このことは皆が承知で望んだのだ」


 そう相づちを打つのは盲目の武人――谷河原月齊だ。露地だというに、ひとり正座で寛ぐ面差しには、死したる者への後ろめたさなど微塵も見られない。むしろ何かを思い込む隊頭を叱咤する。


「なのに隊を率いねばならぬ貴方が、そのように意気消沈されていては、皆の士気にも関わろうというもの」


 ここで臆せず申せるのは、元は文官らしい落ち着きぶりに、片桐よりも年長かと思わせる月齊ならばこそ。

 事実、焚き火を見据えて瞬きもせぬ片桐もさすがに無視はできず、取って付けた台詞ではあったが反応を示す。


「……腕が痛むだけだ」

「利き腕以外に愛刀も折られたのでしたな」


 見れば片桐の傍らには、亡くなった侍から勝手に譲り受けた刀が置かれている。抜刀術用の刀と違うため、戦力の低下は否めない。それでも「まだ戦える」との気概を隊員達に示すには十分であったろう。

 なのに不服を滲ませつつ、月齊の矛先は別の者にも向けられる。


「おぬしもだ、剛馬」

「……ん」


 酒袋を手にした巨漢がじろりと見つめ返す。およそ武の先達であり年配者へ向ける目力ではなかったが、口ぶりも太々しく言い放つ。


「儂は静かに酒を呑ってるだけだが……?」

「それがおかしいと云うておる」


 剛馬は人一倍壮健でありながら、酒も女も「剣の邪魔」と言い切り、手を出さぬ剣の気狂いだ。本人は無論「嗜むくらいはやる」と口にするものの、いまだそのような振る舞いを見た者はいない。

 それが他人の酒袋を奪ってちびちび舐めているのだから、何かあると怪しむのが当然であった。

 だが素直に認める剛馬ではない。


「……おかしいのは、副長殿の方であろう。隊を束ねる者がいらぬ傷を負い、あまつさえ、愛刀を折るなどらしくない・・・・・

「おい」

「それこそおぬしの弁とも思えぬな」


 窘める月齊の声に被せて、普段なら無視を決め込むはずの片桐が柄にもなく言い返す。


「久しぶりの実戦に血湧き肉躍るのが葛城剛馬。いつもなら興奮に火照る肉体が鎮まるのを、ひとり静かに堪能しているはず。それが焚き火で暖を取るばかりか酒に逃げるなど・・・・・・・、奇矯な振る舞いもいいところ」

「ほう。――儂が逃げていると?」

「なら“紛らせている”と云い換えてもいい」


 それこそ片桐らしくない挑発的な言動。

 喧嘩を売られたと都合良く解釈した剛馬が、双眸に危険な光を宿らせる。

 受けて片桐もまた然り。

 だがどちらの眼光にも本気の殺意などありはしない。むしろ、互いに同じわだかまりを抱えていると気付いたらしく、あまりにあっさりと剛馬から胸の内を晒けだしていた。


「……女を斬った」


 その告白に視線を向ける者は誰もいない。

 『抜刀隊』は老人や女子供など弱者を手にかけるのを何よりも嫌う者の集まりだ。それでも乱世という非日常が、時に意に反する行為を取らざるを得ない状況を突きつけてくる。そのことはこの場にいる全員が知っている。

 歯を軋らせる剛馬の荒れた胸中も。


「すべきことをしたまでだ。後悔はない」


 きっぱり言い放ち、だがしかし、と己の無骨な掌に視線を落とす。


「……馴れたくはない、感触だ」


 石を磨り潰すような声で呟き、剛馬はぐびりと酒を咽に流し込んだ。それで終いだと割り切るように手荒く口を拭い、剛馬が対面の片桐をしっかと見据える。

 「次はそちらの番だ」とでも云うかのように。


「儂は“理”によって剣を振るえるが、副長殿はそうもいくまい。例え相手がどれほどの性悪でも、女を斬ることに躊躇いを抱く」

「聞いていなかったか? 隊長格の女を斃したのは儂だ」

「ああ、辛うじてな・・・・・


 そう告げる剛馬の真摯な面差しに揶揄する素振りはない。豪相に似ぬ怜悧な視線を突きつけ、まるで脳裏に片桐の戦い振りでも再現しているかのような精確さで不審な点を拾い上げてゆく。


「その鼻先。腹の傷。戦いの間、幾度躊躇した? そして無意識に手ぇ抜いた結果がその始末・・・・――」


 脱臼した利き腕に剛馬の視線が注がれ、片桐が咄嗟に腕を庇う。その態度が剛馬の見立てが正しいことを裏付ける。

 対ヨーンティ戦において、片桐が一息に踏み込めなかった本当の理由。

 それを自覚し自責の念があるからこそ、片桐は今も精彩を欠いているのか。その様子に剛馬が自信を深めて付け加える。


「あんたのその甘さが、第一席次を取れぬ理由だと儂は思うがな」 

「別に構わぬ」


 今度こそ意図的に揶揄する剛馬の口調だが、嘲笑したいわけでないことは片桐にも分かっている。真摯に剣の道を説く同輩に片桐も己の信ずるところを述べるだけだ。


「儂は女子を斬るために剣を取ったわけではない。ただ、己が剣で“世の不条理を斬り伏せたい”と願ったまで。せめてこの剣が、届くところまではと」


 皆、そうだ。

 剣士として強さへの憧れはある。

 だが剣を手にする根本は、哀しみを断ち、力だけの世において“平穏”を手にしたいがため。その共通する念いが彼らを『抜刀隊』に集わせた。


「だから“敵”である女を救いたいと? お人好しにも程がある。敵は敵。そこまでは、儂らの知るところではない」


 無情にも切って捨てる剛馬に「敵とは言え、女子の無残な死に様は居たたまれぬものがある」と片桐は憮然と言い放つ。

 その女に“歪んだ背景”があると感じればなおのこと。それは乱世の渦中にある諏訪で、時折見聞きしてきた“背景”と重なると。

 それを聞いても剛馬の理が波打つことはない。


「もう一度云う。それは“剣の届く範疇”どころではあるまいよ。ここは――」

ここは・・・儂が守りたかった諏訪でもなければ日ノ本にも非ず。分かっておる。だが儂は――我らはエルネの姫様に会った。剣の道に葛藤を抱くエンセイ殿と汗を流し、愚直に警護の信念を貫くミケラン殿には公国のことをご教示頂いた。

 この地に生きる者達にも、我らのように苦悩し、懸命に生きる人々が暮らしていることを知ったのだ。ならば――」


 片桐の声に熱が籠もる。


「目の前の不義を見過ごして、どうして諏訪の平穏など守れようか。そのような弱さで・・・・・・・・、いずれ帰郷できたところで、何かを成し得るとは、儂は思えぬ――」


 珍しく饒舌に熱を込める片桐に、剛馬は「ふん」と鼻を鳴らす。


「もはや己を諫めるどころの話しではない。副長殿は何を考えておられる? いや――この地で何をしたいのだ?」

「何を――」


 そう問われて片桐は、初めて気付いたのかもしれない。起きたことをいくら思い悩んでも、そこから一歩も前に進めぬという当たり前の話しに。

 故に剛馬の言葉を切っ掛けとして、漫然と焚き火に向けられていた片桐の眼差しは、炎の先を貫こうと鋭く強められる。


「……“ぐれむりん”を討つ」


 やがて絞り出された片桐の念いに「あの女子が属していた部隊だな」と月齊が応じる。


「話しによれば、奴らは都で悪逆の限りを尽くしていたとか。偶然ぐどぅ殿が助け出した娘子もやつらに拐かされたのが原因であることは、もはや周知の事実。その狂気の根源があの女子にあれ、他にあれ、倒せば世直しの一助にはなるだろう。

 だが他所の地で、若に許しも得ず、我らが勝手に振る舞うわけにもいきますまい」


 月齊の冷静な意見に片桐が眉をしかめれば、剛馬が「勝手なものか」と異を放つ。


「このまま我らが勝ち進めば、奴らの主要な戦力とぶつからずにはおれぬ。つまり此度の一件を積極果敢に推し進めてゆけば、副長殿の為したいことが自ずと達成できることになる。――仮に、道から多少反れることがあったとしても、よくある話しだ」

「あくまで“策の一環”だと」


 唸る月齊が得心すれば「偉い坊主とて、筆を誤ることもあろう」と剛馬が悪い笑みを浮かべる。

 居並ぶ面々も不服はなさそうだ。

 だがひとり、困惑気味な声を上げるのは他ならぬ片桐だ。


「よいのか? 儂の勝手な念いに皆を巻き込むつもりはない」

「これは異な事を」


 心外だと鬼灯が大仰に首を振り振り、切れ長の目尻を下げる。


「今し方、我らは“策の内で動く”と確認し合ったはず。この場にいるのは命令を愚直に守る誠実なる兵のみ。されば副長殿は何も気にせず、これまで通り、我らに命じればよいのです。さすれば我らは、これまで以上に・・・・・・・勇んで義の刃を振るいましょう」


 それにまわりの侍達も呼応する。


「正直、“協力”という立ち位置に煮えきれぬところがあったのは否めない」

「帰還の法も分からぬ状況ではな。若を信じてはいるのだが」


 口にできぬ葛藤を彼らは呑み込んでいるのだと。


「それだけに、“外道退治”は実に明快で心が躍るというもの」

「これが正しき道であったのだと、実感できたのが重畳だ」

「うむ。この剣が、ただ命を奪うだけにあるのではないと信じたい」


 そうして己の剣を見つめる双眸に宿るのは、淡い希望の光であったろうか。

 戦による重だるい疲労感が、幾分和らいだように感じられる空気の中、片桐が静かなる闘志を瞳に宿して一堂を見回す。


「不甲斐ない姿を晒した。だが、おかげで見えたこともある。そうとも。ここが諏訪であろうとなかろうと、我らが一命を賭して為すべきは、諏訪の理念を貫くことにある。

 今ある道を迷わずゆこう。敵を討ち、策を為そう。

 そのためには各々、此度の一戦を咀嚼し、己の糧とせよ。明日は今日とは違う我らの姿を見せようぞ――」


 低いが力強い言葉に、誰からも声は上がらない。

 ただ深々と頷くのみ。

 車座になった侍達の輪から見えない熱気が立ち上っていた。


 ◇◇◇


「――降ってきましたね」


 掌を差し出す鬼灯が目線を上向けていた。

 シュンシュンと沸騰する茶釜のごとき音を立てて、雨滴を浴びせられる焚き火が激しく揺らめきはじめる。


「敵中を動くには理想だが、今宵は疲労を抜くのが先決だ。もう休め。身体だけは濡らすなよ」


 片桐の解散命令を機に各人が自身の簡素な寝床に入ってゆく。念入りに枝葉を選定し組み上げた大傘が雨露を凌ぐ唯一の天蓋となる。

 野営に長じた彼らでも、雨風を完全に防ぐことは叶わず、雨が歓迎すべからざる天候であることに変わりはない。それでも敵中で自分達の気配を消してくれる効能は、時に慈雨ともなるから憎めないのだが。

 雨脚が強くなり、焚き火の炎が打ち消される。

 侍達が闇に消える。

 寝息も雨音に消されて森に息づくモノ達からも気付かれることはなく。




 ――――――




 一斉に、それぞれの寝床で起き上がったことを各人は知る。同時に感じるのは明らかな戸惑い。


「……獣でしょうか?」


 自身も信じていない声音を洩らすのは鬼灯だ。はっきりと敵だと告げれぬ厄介さは、誰よりも見通せる・・・・はずの月齊の困惑にも表れていた。


「わからぬ。ぽつりぽつりと気配が消える。いや、薄れるのか・・・・・? なんだ、これは」

「雨に惑わされるな、月齊」


 そう叱咤するのは片桐の声。


「正体は後でも構わぬ。先に位置を報せろ。必要なら肉眼で捉えればよい」

「はっ。これは……仕掛けた“鳴子なるこ”の内側だ・・・


 その危機感に満ちる一声に、皆が緊張感を高めて空気を張り詰めさせる。

 思ったよりも近すぎた。

 雨が気配察知を遅らせたのか。

 だが原因などこの際どうでもよい。この位置からそれなりの人数で突撃されれば、危機的状況を招きかねない。

 誰もが顔色を変えたであろう中、月齊の実況は続けられている。


「動いている。ゆっくりと。間違いないっ――これは、我らに向かって近づいている」

「どうして、こんな間近まで」


 不審げな鬼灯の声に「考えるのは後にしろ」と片桐が注意を促す。


「月齊、そいつのことを感じるままに伝えろ」

「……」

「月齊っ」


 苛立ちを帯びる片桐に急かされて、盲目の武人は渇きで張り付いた唇を引き剥がすように口を開く。


「……人とは思えぬ。き、絹糸のようなか細い気配。まるで雨を避けるために身を細らせたがごとく……むう。なんて、面妖な。このような気配は……」

「しっかりしろ、月齊。それでは何も分からぬ」


 これまで見たことのない月齊の困惑ぶりに、片桐の声音にも焦りがまぎれる。そのような事態にあって、鬼月の茫洋たる態度は頼もしくもあった。


「これは『怪物もんすたー』とやらかもしれませんね」

「何か分かるのか、鬼灯」


 片桐の問いかけに「可能性のひとつです」と鬼灯が緊張感もなさげに前置きを入れる。


「この地には『危険生物』以外にも、本物の物の怪がいると教えられたではないですか」

「それが現れたと?」

「そんな推測もできるというだけです。しかしうっかりしてましたね。敵が辺境軍だけでないと知っていたはずなのに。どうです、月齊殿?」


 そうして鬼灯が話しを振っても月齊は己の責務を放棄する。


「すまぬ。もはや、その目で見ていただくのが一番だ」

「え?」


 月齊が何かを投げたのだろう。

 濃い闇向こうの地べたに淡い光が湧き上がり、そこに佇む何かの影をちらつかせた。

 

 頭から布地をすっぽりと被る人の影。


 辛うじて頭部と思われる形を為すところに、ふたつの蒼い燐光が灯っているのを誰もが目にしたはずだ。


「――あやつ・・・


 呻いたのは誰であったか。

 確かなことは、誰もがその人影を目にして同じ感慨を抱いたということ。

 最悪の追っ手が現れたのだと――。

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