第97話 VS.調教闘士

 ガフッ――


 荒い息を吐き出して、『絞り熊スクィーザ』の孤影が林奥に切り込む鋭さで消え去った。

 その異名に相応しく、皮下脂肪の厚い野性の熊を絞り込んだような細身で筋張った肉体は、熊科の膂力に猫科を思わせる俊敏さを併せ持つ。

 一度狙われれば逃げること叶わず、覚悟を決めて対峙するにしても、探索者ならレベル3の熟練パーティでなければ勝負にすらなるまい。無論、罠を張り巡らせる巧妙な策と精霊術士必須の体制が絶対条件なのは言うまでもない。

 シンプルに考えて、死角無しの強靱な身体能力ステータスに強いて欠点を挙げるなら、皮下脂肪の薄さが徒となり、防御力が低くなっていることくらいか。

 それも瞬く間に林奥へ消え去ったスピードと引き替えならば、惜しくもあるまいと思わせた。


「――よし、俺たちも前へ出るぞ」


 すぐさま骨笛を回し、『森大猫』フォレスト・キャット『吊り手猿』ストラッピング・モンキー』に指示を出すデネム。

 まるで戦術を解するかのように隊形を保持したまま素早く反応する使役獣たち。その後を“陰鬱”やシラトには目もくれず、デネムも慎重な足取りで続く。

 二人を戦力外と見なす行動は、“攻め手”として請け負ったプロ意識から。それにチームのリズムが狂わされることを嫌ったのもある。

 足手まといはゴメンだ。


いつもの手・・・・・でいくか――」


 群れを統率する高度な使役術を駆使しながらも、彼の脳裏にはすでに取るべき戦術が浮かび上がっていた。その前に、使役獣の位置を把握する必要がある。

 軽く顎を上向けスンスンと鼻を鳴らして。


「左に三。右に四――」


 周りはコナラやミズナラが林立し、足を取られるほどに下生えが鬱蒼と繁茂する。当然、鼻につくのは樹木の枝葉や樹皮、あるいは下から漂い上る腐葉土の匂いのみ。

 だが、そこに混じるごく微量の獣臭をデネムは鋭敏に嗅ぎ分け、怖ろしい精度で使役獣の位置取りを脳内マップに落とし込む。

 その秘密は技能スキル嗅ぎ分けスニッフィング』にある――。


 業界では職業技能と位置づけられているが、そもそも嗅覚の鋭い者を鍛え挙げた結果であることから、“半異能デミ・アビリティ”だと指摘する者もいる。

 さすがに犬ほど鋭くなく補足範囲も限定されるが、それでも人間離れした嗅覚は、視界不良な闇夜やこの木々に目隠しされた樹林帯で千里眼のごとき力を発揮する。

 獣を遠隔使役するのは勿論のこと、敵味方の配置まで俯瞰できるため、チーム戦術も思いのまま。

 当然、自ら“戦術調教師タクティカル・テイマー”とも呼称するくらい、“群れ”を使役するのに長けた一流の調教師にとって、『嗅ぎ分けスニッフィング』を活かした戦術的思考は必須の力であった。


(どれほど強いか知らねえが、あちらさんの不意討ちは使役獣ツレが潰してくれた。むしろ先手を取ったのはこっちの方。状況的には悪くねえ――)


 デネムは慎重に分析し、有利な流れにあると確信する。

 一番後ろに控えていた最凶の使役獣を“壁役”として使えるのも悪くない。こちらの強駒をぶつけ、敵が眼前の戦いに集中しているうちに包囲してしまえば、あとは猫か猿に隙を突かせて跳びかからせるだけ。


(――それで、しまいだ)


 戦術は単純なものほど効果がある。

 獣の反射神経を以てすれば、シンプルな陽動戦術で勝負が決してしまうことをデネムは経験的に知っていた。

 そして、この想定外のトラブルを迅速かつ損耗軽微で処理すれば、作戦遂行には何の支障もきたさない。


(むしろ、連携の確認に丁度いい)


 実戦すら演習にできると不敵に捉え、デネムは薄く笑みを浮かべた。

 その余裕が、林奥から放たれた苦鳴で崩れ去る。



 ――グゲェェッ



 咽を詰まらせたような、苦痛が混じる声。

 その次に放たれた短い咆哮には、激しい怒りに隠された明らかな“怯え”がはっきりと感じとれた。


「――おい、大丈夫なのか?」

「そうでなきゃ困る」


 いつの間にか近くに寄ってきていた“陰鬱”にデネムは苛立ちをぶつける。嗅ぎ分けの効果範囲外にいるのか、“敵の匂い”が分からないことが苛立ちを募らせる。


「あの『絞り熊スクィーザ』だぞ? たかが人間相手に真っ向勝負でやられてたまるかよっ」


 “匂い”は不明でも、敵が複数いる気配はない。それが短時間でレベル4に匹敵する使役獣を葬るなんて、よほどの高レベル探索者でもないかぎりあり得ない事態だ。

 そして探索者が正規ルートを通らず、わざわざ山越えしてまで樹林帯こんなところにやってくる理由などない。だとすれば浮かぶ答えはひとつ。

 知らずデネムの足取りは早くなる。


「まさか本当に……」


 “陰鬱”の指摘通り、自分が気づけなかった『怪物』に不運にも遭遇してしまったのか? 策の崩壊を予感しデネムの眉間に皺がきつく寄せられたとき、木々の向こうに佇む人影を今度こそはっきりと彼は目にしていた。


「「――」」


 “陰鬱”共々、息を呑む。

 目にした覚えのない異文化漂う装束に身を包むその者は、昼日中でありながら、どこか玲瓏たる月を思わせる美しき相貌をしていた。

 木立の合間に浮き立つ姿に、思わず森精族エルフを想起させたが「否」と首を振る。

 彼ら特有の銀髪や長い耳は目に付かず、肩まで伸ばした艶やかな黒髪はデネム達の知るどこぞの民族とも合致しない特徴だからだ。


「お前は――」


 己の常識においてはあまりに場違いで、しかしながら樹林によく馴染む実像に、デネムはただ困惑し、それ以上の言葉が続かなかった。

 それでも不思議な呪縛はすぐに解かれる。

 自身に向けられる――肌を刺す明らかな“殺気”で我に返されて。


「まさかと思うが――」


 その青年と思しき異人が口を開く。


「――あれ・・を操っていたのはお主か?」


 聞き慣れない言葉遣いに眉をひそめたのはデネムだけではあるまい。だがそんなことよりも、デネムの使役を初見で看破していることに畏怖を覚えてしまう。いや、青年の視線がデネムの持つ骨笛を一瞥したことにさえ気づけぬほど、彼が呑まれていたということだ。



 ヴルルル……

   グゥルル



 主人の気弱な態度を叱咤するように、『森大猫』が毛を逆立たせ狂気じみた唸り声で青年を威嚇し始めた。それが追い詰められたものの“怯え”からくるとデネムは気づき、同時に覚悟する。

 青年の殺意に交渉の余地はない。

 場慣れたはずのデネムをどうしようもなく緊張させるレベルの殺意に、冷や汗が浮かぶのを止められず。

 “狙った標的の大きさが、そのまま背負うリスクになる”――承知しているはずの業界真理を今さらながらに思い知らされる。


「――やるしかねえか」


 ただそれだけ。

 デネムの独白に悲愴感や切迫感はない。

 彼とて帝国でも指折りの『請負人』。元探索者でレベル5『片翼』を葬った経験もあれば、帝国の騎士長を単独で暗殺した実績もある。

 だからこそ、はじめの方こそ気圧されていたが、今や明らかな強敵との対立に、冷め切っていた闘志が燃え上がっていた。

 その昂揚を青年は感じ取ったのだろう。


「人知れぬ戦いとはいえ、死にゆく者の名くらい覚えておこう」


 名乗れと。

 一聞して傲慢なはずの物言いが、修道士が発する看取り・・・の言葉に聞こえる不思議さ。

 遅れて理解したデネムが反発するように挑発的な笑みを浮かべてみせる。


「へえ、もう勝ったつもりか? たかが使役獣一頭を倒したくらいでいい気になるなよ。お前は『調教闘士』の神髄を何も分かっちゃいねえんだ」

互いにな・・・・


 よほどこうした状況に慣れているのか、間髪置かずに青年も切り返す。

 口にすると同時に、無手に見えた青年の手にいつの間にか一本の棒が握られていた。

 一体どこから――?

 訝しげに眉をひそめるデネムの前で、青年は鮮やかに棒を回転させてぴたりと両手で構えてみせる。


「“出鼻を挫く”は兵道だ。初戦にこの私――月ノ丞が出陣するという意味――自慢の技を出し惜しむ余裕など、ないと知れ」


 片や請負業界切っての『調教闘士』。

 片や戦国時代切っての兵法者。

 異なる世界の腕自慢が、樹林を舞台に人知れず戦いの火蓋を切ろうとしていた。


         *****


刻を少し遡る

フィエンテ渓谷

  樹林帯の奥――



 カモシカのごとき軽やかさで危なげなく急斜面から降り立つ人の影。

 それが公都キルグスタンより、常に『送迎団』の影として付かず離れず別行動を取り続けてきた“魔境士族”の一人であると知る者はいない。

 その人影――『抜刀隊』が隊長支倉はせくら月ノ丞つきのじょうは、馴れぬ異界の林野に数日潜んでいたと思えぬほど疲れもみせず、涼やかな顔でひとりその場に佇む。

 そう。ただひとり――この樹林帯に仕掛けられるかもしれぬ敵の策謀を予見しながら、諏訪家が送り込んだ兵力は彼をおいて他にない。

 実質的な戦術指揮を任されているカストリックが知れば、「何を考えているっ」と額に青筋を浮かべる対応ぶりだが、諏訪家としてはしごく大まじめ。

 なぜなら『抜刀隊』でも歴代随一との呼び声高い月ノ丞は、常に単独行動を旨としながらも、一部隊が挙げる戦果相当を積み重ねてきた恐るべき戦歴を誇っている。

 当主弦矢からすれば、初戦の重要さを踏まえた上で“最強の手札”を切ったつもりであり、その意向や任務の重要さを月ノ丞本人も重々承知していた。

 

「――――」


 その目的地である樹林帯を前にして、月ノ丞は即座に身を隠すこともせずその場に立ち尽くし、大胆にも目を閉じた。

 どういうつもりなのか――?

 目を閉じる面差しさえ絵になる侍からは何も読み取ることは叶わない。

 そのまま永遠の眠りに就いたとも、あるいは彼にしか聞こえぬ天上のさざめきに耳をそばだてているとも感じられ。

 まるで新たな樹木が生えたがごとく足を根付かせ、微風に撫でられるまま、しばし刻の流れに身を任せて。


 一呼吸で周囲にある樹々の姿を捉え。

 二呼吸目でその合間を吹き抜ける風の流れを知り。

 三度目の呼吸を終える頃には、林内で息づく小鳥や小動物たちの気配を彼は感じ取っていた。


 その範囲は第三席次である月齊の感知力に及ぶべくもなかったが、そもそもこのような真似は武才に恵まれた月ノ丞であってもできなかったはずの芸当だ。それがなぜ――?


「……やはり感覚が鋭くなっている」


 不可解な能力向上に、薄く繊細な唇から不審の声が洩れる。

 思えばこの異界に迷ってから、周囲の者達も含めて同様の事象が起きていた。

 体力を含めた身体機能の向上。あるいは月ノ丞と同じ五感の鋭敏化。異形との戦いで瀕死にあった者が超常的な回復をみせた事例もある。


 これも無庵が唱える黄泉渡りの影響なのか――?


 原因やそうなる理屈が分からずとも、肝心の務めを果たすに支障どころか有利になると思えば、歓迎すべき事柄ではあるのだろう。ただそれでも。

 

 もらい物・・・・のようで好かぬ――


 月ノ丞らしい不満は、それを聞き咎めた老将万雷によって「糞真面目が」と豪快に笑い飛ばされていた。老将の言葉が彼の脳裏に浮かぶ。


くれる・・・というなら貰っておけ。案外これは……異界に飛ばす餞別に・・・、不動明王様から贈られた“力”かもしれんぞ?」


 神妙な面持ちで云う時ほど、万雷という老将は信用がおけない。現に今も目が笑っており、人となりを知る月ノ丞が「戯れ言を」と反発を覚えるのも当然だ。


「我らをそのような目に合わす御方ではない」

「だからよ。……不本意ならばこそ、せめて・・・とな」

「……」


 実に胡散臭い――そんな思いが怜悧な面差しに出てしまっていたのか。

 万雷は目元を引き締め、さらに言葉を重ねる。


「戯れ言というなら“黄泉渡り”こそ悪ふざけもいいところ――。いや、あのような奇っ怪な真似事を神仏以外の何者が為せようか。 

 月ノ丞よ、神仏なればこそ儂らごときに解せぬ深い理由があり、この地へ儂らを送るしかなかったと思わぬか?

 されば、これも恩寵と思うことに何の不思議がある。むしろ授かりし事に不満を抱き、感謝もせぬその態度に何の意味がある。

 お主がすべきは授かった“力”をどのように扱うか、ただその一点にのみを気にすべきではないのか――」


 異論反論ないでもない。

 それでも最後の一点こそが肝要であり、困ったことにそこだけは頷ける――思うがままに生きてるような男に正論で諭されて、月ノ丞が憮然となったのは云うまでもない。


 だから、磨くことにした。


 隊員達への剣の手解きや自身の型稽古とは別に、感覚を研ぎ澄ます鍛錬を自分なりに考え取り組んできた。

 それでも実戦以上の修練はない。

 もどかしさを胸に秘めたまま、煩悶していたところで此度の参戦である。内心嬉々として、月ノ丞が初戦での出陣に名乗りを上げたのは言うまでもなく、それは当主の思惑とも合致して今この時を迎えたわけである。

 そんな月ノ丞の表面上は涼しげに、その実、胸中で熱く昂ぶる念いが天に通じたのか。


「――」


 ふと、月ノ丞の歩みが止められた。

 葉ずれの音――いや、はっきりと聞こえるのは獣のような唸り声。

 事前に地図を確認した限りでは、危険視すべき獣が棲みつけるような適地ではない。


(――いたにしても。もし敵方が潜むなら、それを避けるのが獣の道理)


 ならば敵はおらず、月ノ丞の見込み違いで獰猛な獣が棲息しており、その縄張りに踏み込んでしまっただけなのか?

 不審感が拭えぬ状況は、すぐに別種の唸り声が重なり合うことで明らかとなる。こんな狭い樹林帯に複数の肉食獣が共存していることなどさすがにあり得ない。つまり獣の存在自体――


「――敵の仕掛けか」


 そう察した時には、何かの気配がすぐ近くまで接近していた。

 風切る速さに考える間もなく、月ノ丞は一歩、半身を樹影に潜ませる。

 ほぼ同時に、短い咆哮を挙げて切れ込んできた何かの影が、腕と思しきものを振るっていた。



 筋肉質な痩せ熊

 六尺 (約180センチ)

 三十貫(約110キログラム)

         ――――即死級の一撃



 それの倍する情報を刹那に読み取って。

 認識と同時に月ノ丞の身体は勝手に反応していた。



 ――――ゴッ



 猛撃の軌道上にあった細木だけが切り裂かれる光景と合致しない鈍い打突音。

 それを不思議と両者が感じることはなく。

 半歩の退きで難なく躱していた月ノ丞は、頭を仰・・・け反らせた・・・・・獣の様子を怜悧な眼差しで見つめる。

 彼だけが知る掌に残る感触は、石の硬さ。

 額は砕いた・・・・・と実感するが、それだけだ。戦いはまだ終わっておらず、その証拠に獣の頭が持ち直り、ギロリと睨み付けてくる。



 ダンッ



 負傷を感じさせぬ怒りに満ちた目付きに、怯むどころか月ノ丞は一歩踏み込んでいた。迎え討つ獣も空気を抉り抜く力強さで爪を振るう。


「グガァ!!」


 瞬時の左右攻撃。

 その右爪が勝手に上へ弾かれ・・・・・・・・、わずかに遅れた左爪の下を月ノ丞はかいくぐり脇に立つ。それを獣の反射神経が逃さず追認し。



 ――ズグッ

「?!」



 その瞬間、獣の瞳孔がきゅっとすぼめられる。

 獣の目にも何が起きたか分かるまい。いや、視認はできてもどうすることもできなかったろう。

 エサでしかない人間が自分のスピードについてくる――どころか、凌駕するなどと。

 獣が月ノ丞を正面で捉えた時には、何かで咽を突き込まれていた。

 激痛の紫電が獣の骨髄を刺し貫く。



 ――グゲェェッ



 強靱な筋肉で鎧われた獣の数少ない弱点。咽の中央部を丸く穿たれて獣が蹲り、そのまま痙攣し始めた。

 月ノ丞は何をしたのか?

 対戦相手にとって不明でも、傍から見れば明快だ。

 一見して持ち手が何もないようで、その実、彼の背には一本の棒――正確には鉄杖が隠されていた。それを手技の巧みさと尋常ならざる早業で、出所を相手に悟らせず攻撃していただけにすぎない。

 タネを知れば凡庸の技――しかし一瞬の判断が生死を分かつ戦いで、軽視できぬ効き目がある。故に。


 すべての一手を奇襲と為す――


 それは月ノ丞があらゆる流派と立ち合い、その理合いを吸収して自らまとめ上げた新刀流派生『力真りきしんりゅう・杖術』の初伝にあたる技法。

 獣の視点では、月ノ丞が無防備で立っているとしか見えず、反撃されるなど夢にも思わなかったろう。

 戦力を見誤らされていれば、敗北は必至。

 無警戒に襲い掛かった時点で獣の敗北は決まっていたと言えた。


「……介錯してやろう」


 襲撃が獣の意志であったとは思えない。異常な興奮状態にあったのを月ノ丞は気付いており、そうさせた何かがあったのは明らかだ。それでも敵対する以上、加減はできぬ。

 ただせめて。

 その瞳に憐れみを見せることなく、すでに死の痙攣にある獣の後頭部へ、月ノ丞は鉄杖を突き込んだ。

 本来、生半な打突など容易に跳ね返す強靱さが獣の肉体にはあったが、月ノ丞が手にする鉄杖は『星削り』と呼ばれる隕鉄製の代物だ。それを彼の技倆で振るえば威力は桁違い――あっけなく延髄を突き抜かれ、獣は息絶えた。


「これが先方なら――他の獣はもっと上か?」


 何ら手こずることもなく倒してのけながら、月ノ丞の表情は厳しく引き締められる。

 先ほど耳にした唸り声は数体分。一体と複数を相手取るのとでは雲泥の差がある。駆け引きが通じぬ獣相手がどれだけ厄介かを承知しているだけに、月ノ丞とて安堵できるはずもない。

 それでも林奥へ踏み込む足取りに躊躇いなどなかったが。

 陽射しの傾き加減から、『送迎団』の到着までに時間があるかは微妙なところ。それまでに敵戦力のすべてを沈黙させるべく、月ノ丞は油断なく着実に歩を進めるのだった。


 ◇◇◇


 こうして踏み入った林奥で、敵方と思しき者と月ノ丞は対峙することとなった。

 先ほどとは別種の獣が周囲を取り囲み、樹上では猿らしき甲高い鳴き声が響いている。もしやするとそれらも含めて、目の前にいる人物が操っているのでは?

 少なくとも、鎌を掛けた・・・・・反応ではそうとしか考えられない。


「……つくづく興味深い世界だな」


 まさか部隊は部隊でも“獣の部隊”が相手とは想定外にも程があるが、他人のことは言えまい。


 “一人きりの部隊”と――

 “獣だけで構成された部隊”。


 これほど異色で、ある意味対戦に相応しい組み合わせもあるまいと。そのように受け止められるのも短くも“魔境”での暮らしがあったればこそ。

 革製防具を着込み、人語を解する獣面人身・・・・の敵方との会話に応じながら、月ノ丞は努めて冷静に思考を巡らせていた。しばらくして。


「“出鼻を挫く”は兵道だ。初戦にこの私――月ノ丞が出陣するという意味――自慢の技を出し惜しむ余裕など、ないと知れ」


 鉄杖をあえて敵の目に晒し、代わりに全方位に素早く即応できる構えを取る。

 獣の大半が深い下生えや木々の影に隠れて見えないが、すでにその位置取りは把握している。注意すべきは男が振り回している楽器だ。あれを壊すか奪えば獣を操ることが阻止できるだろう。

 そこまでする必要はないだろうが。



 ブォン

   ブン

  ボォォォン――



 腹に響く、気持ちをざわつかせる音色。

 自身の奥底に眠る何かを叩き起こすような音律に、月ノ丞は獣たちの変化を感じとる。

 焚きつけている。

 彼らの闘争心を。

 次第に高鳴る音色にそろそろ・・・・だと知る。

 それだけに、まさか目の前の獣人自らが真っ先に突っ込んでくるとは夢にも思わなかった。



   トン、


     トン、


 トン――



 一体どんな足腰をしているのか、右に左に不規則に飛び跳ね、瞬く間に詰め寄る動きで翻弄し。

 最後の跳躍で一気に加速して月ノ丞の認識ごと振り払わんとする。

 勢いそのままに鋭い身の捻りで鎌剣コラムビを振るい。



 ――右撃

  ――左撃!!



 高低差を変えた瞬時の二連撃を月ノ丞は運足の妙で躱しきり、体が流れた獣人の側面へ片手殴りの一撃を見舞う。


「!」


 ――できずに・・・・上半身を反らす。

 鎌剣コラムビの間合い外なはずなのにっ。

 届かぬはずの刃が月ノ丞の喉元を掠め、瞬時に立て直そうとする彼の胸へさらなる追撃が迫り来る。



 ――ッキィン!!



 硬質の鋼が打ち合わされる音。

 防いだのは鉄の杖。受けると同時に、ひゅるりと回転したその先端が獣人の喉元へと突きつけられていた。

 その鈍色の凶器には目もくれず、月ノ丞を見据える獣人が苦々しげに低く声を洩らす。


「……初見でアレを躱すかよ」

「なに。曲芸好きな犬ころ・・・がいてな」

「?」

「何度も構ってやるうちに、奇をてらう戦術にすっかり馴れてしまっただけのこと」


 平然と言ってのける月ノ丞に相手を舐めてるつもりはない。

 ただ偽りなく、剣柄に括り付けた紐の長さを調整し攻撃範囲を自在に操る術なぞは、驚くに値しない戦法だったのだ。

 変則武器を信条とする『犬豪家』――向こう側・・・・の戦場で幾度となく相見えてきた特殊な戦闘経験が、月ノ丞の血肉となって刻まれていた。

 だがそれは獣人が知らぬ元の世界での事。

 月ノ丞の説明に訝しんでいるような獣人には構わず、突きつけた鉄杖の先端に容赦なく殺気を込める。


「――へっ」


 縦長の瞳孔を窄め、それでも引き攣ったような嗤いを口元に浮かべる獣人。まだ勝機があると信じる証が、月ノ丞の次なる動作で驚愕に強張った。



 ギャウッ?!



 背中越しに聞く苦鳴。

 音もなく、背後から跳びかかった獣へ月ノ丞の鉄杖が突き込まれ、間髪置かずに樹上から襲い掛かってきた二匹の猿を飛燕の突きで討ち落とす。

 それを顔色も変えず、獣人から目も離さずやってのける月ノ丞に、獣人の全身を覆う剛毛が一斉に逆立った。

 底知れぬ相手の実力を見せつけられて。



 止まるな、ここで攻め落とせ――!!!!



 死を予感した者の、恐怖に急き立てられる絶叫に獣たちも察したのか。いや、獣人が投げ上げた楽器・・の苦鳴・・・が彼らを刺激したのだろう。

 同士討ちも顧みぬ狂乱振りで数頭がまとめて跳びかかってくる。



 ギシャ――ァ!!

 キュギィッ



 異常な殺気を迸らせる獣たちの接近を感じつつ、月ノ丞は獣人が何かを口にするのをはっきりと目にした。


 唇が動く――“これで決める”と。


 その縦長の瞳孔が広がり、毛細血管が浮き立つのを月ノ丞は視認する。目に見えぬ圧力が細身の体躯より迸るのは口にしたもののせいか。だが前ばかりを気にしてはいられない。



 フンッ



 突きつけた杖先が消えたかに見えて、瞬きひとつで元に戻る。その一瞬で弧を描き、後方上空から襲い掛かる猿の腹を引き裂いた。

 続けて半歩下がったところを脇から走り抜ける猫の化け物。犬歯を剥き出しにしたその頭が鉄杖の一撃で地面に叩きつけられ、勢い止まらぬ体躯に引っ張られて猛烈な勢いで転がってゆく。

 それでも月ノ丞の視線は獣人を放さない。いや、異常に高まる気の圧力で目を反らすわけにはいかなかったのだ。

 確かに感じ取れる内なる高まり。



「ガァアアァウ!!」



 獣人が動いた。

 腸を直接叩かれるような咆哮と共に姿が消える。

 残るのは蹴散らされ舞い上がる腐葉土。その速さにさえ遅れを取らず月ノ丞は正確に追認する。



 ――左


     右上方っ



 「!!」


 動き掛けた鉄杖がぴたりと止まる。

 無防備を晒したはずの中空で、別方向から跳び上がった化け猫を踏み台に獣人がさらに・・・軌道を変えれば、さしもの月ノ丞も躊躇させられる。

 予測不能の立体軌道!!

 瞬時に宙を二転、三転し狙いが定められぬ侍の当惑。

 その一瞬こそが獣人の狙い。



 短剣技スキル『螺旋刃』――



 突き出した両腕で螺旋を描き、さらに身を捻る力を加えて瞬間的な刃の渦を為す。これぞ使役獣との連携で眩惑攻撃を仕掛ける『調教闘士』の真骨頂。


「!」


 初見殺しの剣筋が幻視させる金色の渦――それが頭頂へ降り落ちるのを月ノ丞は正面から迎撃せずに大股で一歩脇へ避けた。

 渦の弱点は中心か真横――瞬時に看破し反応してみせた月ノ丞を、だが獣人は会心の笑みで歓迎したに違いない。

 狙い澄ましたかのように渦が変化して。



 ――――『ジン散華サンゲ』!!



 黄金の渦より乱れ散るは、触れる者すべて千々に切り裂く銀刃の花びら。

 大ぶりの花弁を模した薄き鉄刃が、渦の速度で倍加され凄まじい勢いで月ノ丞に襲い掛かる。それは“線”でなく“面”で標的を圧する回避不能の乱刃攻撃!!


「――っ」


 それでも月ノ丞の玲瓏たる面差しは微も崩れず、咄嗟の対応力は驚異的であった。

 瞬時に持ち手を深めた両手が霞み、杖先が“ぶぶん”と蜂の羽音に似た低い唸りを発して。



 チュチュチュン

      チュチュ……



 雀の鳴き声をより甲高くしたような不可思議な音と共に無数の刃華が四散する。 

 地面を、枝葉を、樹の幹を。

 抉り、切り裂いて剣呑な華びらがその殺傷力を存分に発揮した。――ただ、殺意対象であったはずの月ノ丞を除いては。


 まさかの無傷。


 その遺憾なる結果に、地面へ軽やかに片膝着いた獣人が呆気にとられた様子で口を半開きにしていた。


「ふざ……けろよ」


 ようやくそれだけを獣人は口にする。

 対する月ノ丞は、白い頬に走る薄い朱線へ指を這わせるだけで平静そのもの。指についた自分の血に「ふむ」と洩らすのは、不満の表れかそうではなかったのか。


「……今のはさすがに危なかった」

「そうは見えねえがな」


 むしろ追い詰められたような声は獣人の方。それも当然だろう。


 相手を眩惑する仕掛けの妙。

 高速で変則的な剣筋の攻め。

 それを回避したと油断させたところに捌ききれぬ数の飛び道具による猛撃だ。


 おそらく大抵の敵を一手目で、それが躱されても次の手で確実に仕留めてきたはずだ。それだけ見事なコンビネーションであり、獣人は繰り出した時点で勝利を確信していたに違いない。

 その予感は正しかった――これまでは・・・・・。それを認めるからこそ、覚悟を決めたのだろう。 


「……デネムだ」

「?」

「名乗れと云ったのはあんただろ」


 獣人――デネムに心境の変化をもたらした理由は考えるまでもない。それが本気である証拠に手首に巻いていた何かの輪を月ノ丞に見せる。


「こんなこと頼めた義理じゃねーんだが。万一俺が負けたら、この毛網ラーナを族長に届けちゃくれねーか?」

「……」

「頼む――」


 それは初見の、それも敵に対して頼むことではない。しかし獣面で表情は読みにくいが、デネムの目も声音も真剣そのものと感じれる。

 「名乗れ」と促した月ノ丞に単なる敵対者とは違う何かを獣人なりに感じたのかもしれない。

 ともすれば酷薄さを感じる月ノ丞の白き表情に変化はなく、薄い唇が紡ぐのは拒否の言葉ではなかった。


「……地元を離れたのは此度が初めてだ。約束はできん」

「それでいい。期待はしてねえさ。ちなみに族長は俺たちの故郷『風揺れる牧場エントリノ・ファーム』にいる」

「えんとりの……」

「ほんとに世間知らずだな。誰でもいいから聞いてみろ。『調教師』の故郷だ。すぐに特定できる」

「……承知した」


 頷く月ノ丞にデネムは何かを待っている。おそらく“そちらも頼み事がないのか”というのだろう。


「自分にはない」

「負ける気はねーってか」

「そうではない。ただ何処で果てようとも――」


 それこそ答える義理はなかったが、月ノ丞はそう口にしていた。


「――諏訪の気概を示すのみ」


 その言葉に力みはない。

 息をするように吐かれた言葉は彼にとって当たり前のこと。

 集団に馴染めず単独行動をとる月ノ丞であったが、常に諏訪の侍として生き、死ぬ――その覚悟は皆と同じ。


「……そうかい」


 デネムにも何かは伝わったようだ。それ以上は聞くことをやめ、静かに立ち上がる。その脇に現れた化け猫が口にくわえていた塊を手にすると、高く掲げた。


「俺は用心深い方でな。“切り札”は戦闘用と逃走用のふたつを常に用意してある。秘薬を使ってダメなら――」


 ふいに、掲げられた塊が光り出す。それが魔力を透したせいだとは月ノ丞が知る由もなく。デネムは二度、投げつける勢いで塊を持つ手を振った。



 フィィィィン!!

   フィィィィン!!



 鈴音に似て異なる澄んだ音色が林内に響き渡る。それに呼応するかのように林外上方――すなわち月ノ丞が下りてきた崖の上で獣の咆哮が大気をビリビリと震わせた。



 ウォロロロロ――――……ン!!!!



 それは狼であったろうか。

 だとすれば、咆哮の太さ、声量、込められた意志は“森の支配者”を想像させるに相応しき別格の力があった。

 その支配者らしき他を圧する咆哮が振動波となって月ノ丞の肌を震わせ、そこに込められた得体の知れぬ力が骨髄を縛り上げるのを感じる。

 事実、指先すら動かせなくなり。


「ふっ」


 月ノ丞が鋭く呼気を発する。

 途端に見えない縛鎖が霧散し、彼は自由を取り戻していた。

 それを目にしたデネムの反応は劇的だ。

 目を大きく見開かせ、「何をしやがった……」と呟く。


「その『魂縛哮』は、レベル4の一流探索者でさえおいそれと抵抗レジストできないんだぞ?! どうやれば――」

「ただの呼吸だ」

「あ?」

「お前達の術にはいつも驚かされるが、我らもまた、この世に・・・・馴染みつつある・・・・・・・。この呼吸――『想練』には破邪の力があるとされてきた。その効能が体現できるほどに高まったのだろう」

「……」


 デネムが沈黙したのは聞かされても理解できなかったからだが、それだけではない。

 眼前の敵が“ただ強い”だけでなく、これまで相対した敵とは別格なのだ・・・・・ということをはっきりと理解したのだ。


「……ちっ。族長ジジイの云ってたとおりか」


 デネムが嘆息する。彼が何を思ったかは分からない。


「と云ったって、退くわけにいかねーしな。さすがに一人相手に逃げたんじゃ、今後の稼業に支障を来しちまう」

「こちらも逃がすつもりはない」

「だろうな」


 けどよ、とデネムはひっそりと嗤う。


やり方・・・がないじゃない」


 その声音は月ノ丞も知っている。

 死兵のそれだ。

 あるいは差し違える覚悟を決めた、者のそれ。

 故に相手の出方を待つべきではない。

 月ノ丞は一瞬で仕留めるべく歩をするりと滑らせた。


         *****


フィエンテ渓谷

  『送迎団』――



 そろそろ樹林帯に差し掛かろうとする頃。

 近衛騎士の一人が顔を出し、それまで彫像のごとく不動を保っていたバルデアが同乗者への挨拶もなく馬車から下りてゆく。その連れない・・・・背へカストリックが声を掛けた。


「樹林帯への対処は10名で。大公陛下の馬車だけは堅守していただきたい」

「分かっている」


 歩みを止めることなく、独特の嗄れ声を残してバルデアが去る。近衛団長の取っつきにくさは今に始まったことではない。カストリック含めて気にする者はいなかった。


「スワの実力を疑うわけではないが、護りを固める役目を怠るわけにはいかない」


 カストリックが弦矢を見やると「気遣い無用だ」と異人は応じる。そうした態度にカストリックは軽い疑念を抱く。

 いかに“魔境”で揉まれているとはいえ、策を仕掛け合うような対人戦闘は初めてのはず。なのに、こうした機微に馴れているかのように理解を示す弦矢を不思議に思わずにはいられなかった。


「まるで対人戦闘を知り尽くしているかのように見える」

「おかしいかな?」

「うむ。いや、“魔境”での戦いは“力と力のぶつかりあい”という勝手な印象を持っていただけだ」


 それでカストリックの引っ掛かりに気付いてくれたのか。


「……あそこには様々な化け物がおる」

「そうか」


 魔境ならば。

 それ以上の説得力はない。

 素直に納得し、「我らも備えよう」とカストリックは腰を上げた。辺境伯の狙いは送迎団の殲滅にあると予測している。座して待つなどあり得ず、戦える他の二人もカストリックに続く。

 外に出るなり谷風が頬を叩いた。

 一瞬で吹き止み、すぐに反対側から顔を撫でられる。ここの谷風はずいぶんと気紛れに吹き抜けるものらしい。

 カストリックは時折吹く風に目を細めながら、ひと振りの剣を手に下り立つ弦矢を視界の端に留める。

 その体躯は自分より一回りは小さく胸の厚みも少年のように細い。他の面々もそうであったから、種族的な特徴と思われる。

 だからと云って安んじれないのは、スワの誰もが内に秘めた何かが自分達と同等の体躯であるように錯覚させ、纏う空気も騎士を思わせる品格を漂わせていることだ。

 特に弦矢の纏う空気は大公家に似た品格すら感じさせる。

 ただし近づきがたいものではなく、言動の説得力や頼もしさ――そうしたところに“格別感”を感じさせるもの。

 “魔境”の二字が抱かせる野蛮なイメージとあまりに異なる感想であったが、その武力だけはイメージに違わぬ力がある。スワの当主であったとしても、カストリックは弦矢を車内に留めるつもりは毛頭無かった。


「弦矢殿。万一戦いが始まれば、モーフィアを術の行使に専念させたい。余力があれば、彼女に接敵する者の排除にご協力願いたい」

「彼女も術を?」

「我が軍の誇る召喚導士だ。導士長に次ぐ実力者でもある」


 どこの国でも召喚導士は柿色の貫頭衣に身を包む。それは軍が制服として支給するからだが、導士長や相当の腕を持つ者は報償の目玉として自由裁量を与えられていた。モーフィアが深緑衣を許されていることが、実力の証明でもあるわけだ。

 薄らと光沢さえ感じる深い緑色の不思議な色合い

に弦矢が興味深げに見ながら「承知した」と告げる。


「あまり気負う必要はございません」


 言葉は丁寧だが、やけに淡泊に応じるモーフィア。


「ゲンヤ様のお手を煩わせる事態を招かないことが私の役目ですから」

「モーフィア」


 カストリックが軽く窘め、小さく嘆息する。

 召喚導士は戦術的な有効性とは裏腹に、軍内部では疎まれ立場が弱くなる傾向にある。そんな状況で部外者がしゃしゃり出てこれば・・・・・・・・・・内心面白くないのは当然だ。

 彼女の心情を分かるだけにカストリックとしては頭の痛いところ。それでも不和を招く言動は許されるものではない。


「今は重要な任務の途上だ。まして、他者を疎外する真似をお前がするのか?」

「……」


 はっとした顔になりモーフィアは軽く俯く。それでも素直に謝罪できないのか、無言で弦矢へ目礼するのが精一杯のようであった。

 再びそっと嘆息を洩らしカストリックが弦矢に謝罪する。


「不快な思いをさせて申し訳ない」

「何も。むしろ術士としての矜持をみせてもらった。心強い限りだ」


 まっすぐな声。まっすぐな目。

 偽りない言動に“これがスワの当主なのだ”とカストリックはあらためて感じ入り、小さく頷く。

 

「もうすぐ最初のポイントだ。お前達は後方警戒を厳とせよ!!」


 カストリックは自身を引き締める意味も込めて、後続に指示を飛ばした。

 ネイアスには樹林帯で休憩せず素通りすることを告げている。下手に休憩をとり、辺境軍の30騎が十分に活躍できる場を与えるわけにいかないからだ。

 こちらの想像通り相手が策を巡らせているなら、ネイアス達は黙って通り過ぎ、渾身の一撃は伏兵に任せるはずだ。それは仕掛けられるカストリック達にとっても都合がいい話し。

 30騎を崖道で封じられるだけマシというもの。無論、そうなる前に“伏兵潰し”の策を講じているわけなのだが。果たして――

 前方が騒がしくなってきた。

 カストリック達の位置から、崖が途切れ樹林帯が見えてくる。それを横目にネイアス率いる30騎が通り過ぎていくところだ。

 その背に緊張感が漂って見えるのは穿ち過ぎか。

 何かを仕掛けるつもりでは、と。

 続けて送迎団の先方が樹林帯に差し掛かり、手筈通りにバルデア麾下10騎が樹林に向けて防陣を敷いた。

 バルデアが前に出て、その頼もしき背を騎士達に見せる。

 気持ちが引き締められ。

 過剰な緊張が霧散する。

 近衛騎士達が一斉に抜剣、背負っていた盾を構える。

 樹林帯は眠りに落ちたように静かなまま。

 小鳥のさえずりひとつ聞こえないことをバルデアはどう思っているのか。

 ほどなくして大公専用の馬車がゆっくりと通りかかる。心なしか全体の進行速度が落ちていると感じるのは気のせいか。

 ネイアス達と異なり、送迎団側全員が隠すことなく緊張感を高める。この場で警戒することは不自然でもない。それに元々が野暮な化かし合いだ。ヘンに気遣う必要はあるまい。

 大公専用の馬車に続き、伴連れの馬車が樹林帯に差し掛かる。


「いよいよだ――」


 近衛騎士の後ろにつきながら、カストリックは剣柄に手を掛け低く呟く。

 身構えぬ弦矢の表情は平静そのもの。己の放った矢に対する絶体の自信、あるいは信頼が為せる心情か。

 それに対し半信半疑のモーフィアは深緑衣ローブから翡翠を冠する短杖ワンドを取り出し、ひそひそと周囲の精霊達へ語りかけ始める。

 事前に共感性を高めておけば、術へ入るスピードも格段に早まる。実は信頼云々を別にして、術士としては当然の備えでもあった。

 大公専用馬車が中央に差し掛かった。

 それが出口へと移ってゆく。



「「「――きた」」」



 バルデアが、カストリックが、弦矢が同時に呟く。

 疑念の表情を浮かべる者はいない。少なくとも、バルデアとカストリックほどの実力者が云うならばそれは真実なのだ。


 音もなく、樹林の奥から人影が湧いた。


 ただひとつ・・・・・

 その状況をカストリックと弦矢が察したとき、二人の眉がひそめられた。


「――下手な真似はよせ」


 そうバルデアに警告したのは弦矢だ。

 切れるような殺気を人影に向かって叩きつけたのを察知したためだ。

 ただし、その殺気は人影に当たる直前で忽然と消え去ったのだが。それが同質の殺気により相殺された結果だと知るのはバルデア、カストリックと弦矢の三名のみ。


「すべては策の通りに進んでおる」

「悪いが初見の相手を盲信するわけにいかん」


 嗄れ声の尤もな考えに、弦矢もそれ以上の文句はない。ただいらぬ諍いを避けるべくバルデアよりさらに前へ進みでる。

 一見して手ぶらでやってくる侍は、返り血ひとつ浴びておらず、樹林の奥で戦いがあったかどうかは分からない。

 戦意漲らせる10人以上の騎士に出迎えられても、冷貌の侍は躊躇いなく平然と近づき、あるじの前で足を止めた。


「――月ノ丞、務めを果たしました故、合流させて頂きます」

「うむ、ご苦労」


 片膝着く侍に、弦矢は労い詳細を求める。


「まず、伏兵はおりましたがこれを即刻排除。当地に残存兵力の存在無きこと申し上げます。なお、敵方の数は三名以上。獣を使役する忍びのごとき術を使う者が一名。おそらく口封じに殺された者が一名。害した者については一名以上としか申せませぬ」

「そやつらは樹林帯におらぬのだな……?」


 樹林帯を囲む急斜面を弦矢は見やる。特殊な訓練を積んでいない者に脱出は不可能だ。とはいえ、それを見逃す月ノ丞とは思えぬ疑念。

 月ノ丞はやはり否と短く応じる。一人で索敵し得る広さではなく、いかに感知したのかとの疑問も残るが、弦矢が詰問することはない。


「なかなかの手練れのようで、すでに去りました。獣を使役する者も獣面人身でありながら人語を解する奇妙な者で。こちらも強者でありました」

「それって、『調教師テイマー』じゃ……」


 背後でモーフィアの呟き。“獣面人身”に“獣を使役する”のキーワードで察したのだろう。それを月ノ丞が否定する。


「“ばとる・ていまー”だと云っていた」

「ほう――」

「ご存じか?」


 弦矢に問われてバルデアが当然とばかりに答える。


「帝国が誇る『獣魔団』は三人の『調教闘士』が率いているので有名だ。魔獣を操るだけでなく、一人一人が一級の戦士――五倍の規模を誇る敵軍を破った“カルヤックの戦い”においては、開始早々に三将自らが敵将の首を取ったのが決め手になったと伝えられている」


 『調教師』の技を戦いの道具として用いることは昔からあった。だが数を揃えて部隊と成す――そんな規格外の発想をしたのは覇王ドルヴォイが初めてである。

 戦場での有効性はすぐに実証され、版図を広げる原動力のひとつとなった。当然ながら、諸外国による対抗戦術の研究が進められ、今では使役獣を抑え込み、早期に『調教師』を発見・排除する手法が確立されている。

 そうした対抗の対抗策が『調教闘士』を生んだとされるが、真実は定かではない。肝心なことは、個人戦力が高いという事実その一点。早期排除が不可能となったからこそ、『獣魔団』はいまだに脅威とされているのだ。

 その片鱗とも言える存在と月ノ丞は一人で相対したことになるのだが。誰もが抱く疑念を代表して問うのはただひとり。


「貴殿は『調教闘士バトル・テイマー』と戦ったというのか――?」


 口調は淡々と視線は鋭くバルデアが確認する。弦矢も目顔で問えば「間違いなく」との肯定が。

 騎士達の間に当惑した空気が広がる。

 只者でない空気はあるも、そこまでの強者たる圧は感じないと。

 誰もが不審を抱く中、バルデアが四人を指名して樹林帯へ走らせる。それでは時間の浪費と弦矢が月ノ丞を同行させることで二名に減らして。その甲斐あって、いかほども待つことなく答えが持ち帰られる。


「――確かに、咽を切られた死体がひとつ。さらに奥地で獣の死骸が複数ありました。おそらくは『調教闘士』と思われる者の死体も」


 若干、顔を強張らせた騎士により報告された内容で、今度こそ全員が慄然とした。証拠として持ち帰られた骨笛を知る者はいなかったが、それが使役に使われる『魔導具』であることは容易に気付ける。

 加えて『森大猫フォレスト・キャット』や名も知らぬ猿の死骸があったことから、複数種を使役する手練れの調教師であったことも皆を驚かせた要因でもあった。


「それを一人でか……」


 バルデアの呟きに、カストリックはあらためて月ノ丞を感慨深げに見やる。その隣では唖然としているモーフィアの姿が。


「初戦は我らの勝ち――」


 一人冷静に戦局を見つめる弦矢の声で皆が我に返る。


「されど見ようによっては、敵の戦力は温存されたまま。次こそが本命だと思い、身を引き締める必要があろう」

「その通りだ」


 カストリックも頷き、前方で待機しているネイアスの部隊を見やる。

 慌てた素振りもなく、まるでこちらの対処を冷静に分析するかのごとき佇まいが、弦矢の見立てが正しいことを立証する。

 やはり彼らには、樹林帯での奇襲作戦とは別に本命の策が控えているのだ。語らずとも、その心理的余裕が多くを口にしていると彼らは気付いていないらしい。

 いや、そんな彼らを叱責し慌てたように駆けてくるネイアス軍団長だけは別とみるべきだ。


「――何があった? 連絡に手間取り、遅参してしまい申し訳ない」


 軽く息を上げ、急いだことを匂わせつつ老将が詫びる。それでも探るような眼差しだけは隠すことができなかったが。

 カストリックは弦矢の助言を素直に受け入れ、身を引き締めて老将に相対するのであった。


         *****


フィエンテ渓谷

 樹林帯斜面の上――



 伝書鳩を放ち終えた後、眼下に去りゆく送迎団を見送りながら、目深に被ったローブの奥で人影は唇を歪めた。


「……あの技のキレ。間違いなくあいつ・・・の仲間だな」


 陰に籠もる声音は“陰鬱”のもの。

 デネムが最後の仕掛けを繰り出す頃合いで見切りをつけ、シラトを始末した時には勝負は決していた。

 デネムはただの請負人ではない。

 一対一で戦えば、以前の自分・・・・・なら互角と言えるだけの腕前だ。今回の仕掛けに最適な人材だったのは間違いない。それが。

 “陰鬱”の咽奥から自然とこみ上げてくるものがある。強者を知り、それでも対峙できるからこそ沸き上がる喜悦が・・・

 試したい気持ちがないでもなかったが、任務優先で動いたことを後悔することはない。万一が十分に起こり得る、それだけの相手ではあったのだから。

 自分にそう言い聞かせながら、彼は袖をまくり腕に刻まれた枝葉の模様に目を移した。

 それは彼の胸部から腹筋にかけて刻まれ、故あって、新たな気持ちで腕に刻み始めた大事な戦果トロフィ

 『五枝』と呼ばれる刺青を愛おしげに撫で、“陰鬱”――レシモンドは高ぶる気持ちを抑え付ける。


「お前の言葉が真実だったとしても……今度こそ、誰が相手でも負けはしない。俺もまた魔人の列席に名を連ねたのだからな」


 まるで昔の苦い記憶を思い出すように、レシモンドは独白する。『五枝』を撫でる指先が震えるのは怒りか喜びか彼にも分からぬまま。

 そっと頬に指先を這わせて誓う。


「今度こそ……」


 仲間がいるなら会えるだろう。

 会えねばお仲間に思いの丈をぶつけるだけだが。

 

ステマル・・・・――)


 復讐ではなく。

 ただ戦いへの滾る念いが、氷のように冷め切っているはずのレシモンドの胸奥を熱くさせていた。

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