第56話 路地裏の密謀

公都キルグスタン

 『協会ギルド』総括支部――



 対面に座した小男は風貌だけでなくその身なりもこれといった特徴はなかった。いや、たいがいの者が長剣を腰に佩いているのに対し、彼の剣は短く、獣皮らしきものをなめした鎧の装備から察するにトッドと同じ『斥候スカウト』とやらの職に就く者とは推測できる。

 だがそれだけだ。

 周囲にいる連中から感じられるギラツキというか覇気もなく、押し戸開きの出入口から外へ踏み出せば、そのまま通りの人混みに紛れて消えてしまいそうな薄い存在感。

 その凡庸な小男の口から出てくるのは、ただの野次馬根性剥き出しの愚にも付かない話しだった。


「『五翼かれら』が依頼クエストを受けた話しは聞かないのに、しばらく街で顔を見かけなくてな。どうしてたのかと思ってたんだが……」

「……」

戻ったのは一人・・・・・・・……いや、あんたらと一緒といえばいいか?」


 『協会ギルド』内で誰もが気になっている話題だけに、早速ネタを仕込みにきた――どうやらそういうことらしい。だが、旅の疲れもある中で無神経な小男の態度に扇間は軽い苛立ちを覚える。


「それはそれがしでなく本人に聞くのが一番だと思うけど?」


 扇間が興味なさげに突き放すと、「その動向が常に注目される人気者だぞ?」小男は両手を軽く広げてみせ、かすかに“羨望”あるいは“嫉妬”という感情をその瞳に表す。


「気軽に話しかけられるわけないだろ……あんたは別みたいだがな」

「別に“知り合い”ってわけじゃない」

「そうか……?」

「こっちは右も左も分からない田舎育ちでね。運良く旅の途中で一緒になっただけさ。おかげで道中は何かと助かったよ」


 用意していた台詞を扇間が口にすれば、小男は特段不審がることもなく納得してくれたようだ。


「田舎か……どの辺の出だ?」

「コダール。小さな集落だから、特に名前もないけど」

「そんなもの、気にする必要はない」


 あまり嬉しくない話題だけに、扇間の口調が微妙に歯切れ悪くなったのを、小男は“田舎育ちを恥じたため”と捉えたらしい。


「俺も東部のミトって村の出だ。初めてこの街に来たときはあまりの人混みと華やかさに気圧されもしたが、結局ここにいる連中の大半が“お上りさん”で、俺たちと同じ田舎もんだと気付けばそれまでだ。なにも臆することはない」


 似たもの同士と知って親近感でも湧いたのか、少し饒舌になった小男を意外に思いつつ、「そうなんだ」と扇間は気のない相づちを打つ。


「なら、積極的にみやこ見物しておかないと損ってもんか」

「それもいいが、肝心の“試験”を落とすなよ。そのためにここまで来たんだろ?」


 小男の視線が己の首下に向けられているのに気付いて、扇間はすっかり忘れていた役どころ・・・・を思い出す。

 首に提げているのは『協会ギルド』から渡された“鉄の板”――それは『探索者』を志す【見習い】の証であり、田舎出身の若き村人にとっては街に根ざせるかどうかを左右する希望の印でもある。

 だからこそ、これを持つ若者は閉塞した人生を切り拓かんとする並々ならぬ気概に満ち溢れているものなのだが。


「……正直、自信はないけどね」

「なんだ、そのヒヨッた・・・・台詞は」


 呆れたような小男の声に若干の苛立ちが紛れる。


「あんたは、あの・・トッドに師事したわけじゃないのか? どれくらいの間一緒だったか知らんが、旅の途中で、土下座でも何でもして教えを請い受けるチャンスはあっただろう」


 そんな風に責められて、正直虚を突かれた扇間だが、冷静に考えれば小男の云うことは実に尤もな話しである。とはいえ、今さら話しを変えるわけにもいかず、扇間の弁明は要領を得ないものになってしまう。


「いや、まったくそんなことは……道中もほとんどあの人とは話すこともなかったし」

「もったいないな」

「まあ、んー……でも、おかげで不便なく旅を過ごせたというか……道に迷うこともなかったし」


 頭を掻きながら扇間が弁明するほどに、はじめはわずかだった小男の眉間に寄った皺が、明らかに深くなってゆく。

 最後の台詞など『探索者』を目指す者としては論外な話しであり、それを抜きにしても、“駆け出し”ならば真っ先にとるべき行動をスルーした扇間に、小男でなくとも苦言を呈したくなろうというもの。


「相手はあの『五翼』だぞ? むしろトッドよりも“激震”のゼオールに“戦いの心得”くらい聞いてみたくなるだろ? あるいは公国唯一の『銀翼級』――班長のルルンと言葉を交わすだけでも、千の金貨に値する金言が、聞けるかもしれない」

「いや、まあそう云われてもね……そもそも、あの人のお仲間(?)にさえ会ってもいないんだし」

「なに? 『五翼』と旅をしたんだろ?」

「いや、一緒だったのはトッドさんだけで……」

「まさか、足手まとい・・・・・がいて何らかのトラブルでも起きたのか?」

「とらぶる? 悪いけど、細かい話しはあの人に聞いてくれない? こっちから言えるのは、トッドさん一人としか会ってない、て話しだけだよっ」


 たたみ掛けるような小男の追求に、たじたじとなりながら扇間が強い口調で言い返せば、そこでさすがに我に返ったらしい。


「……悪い。あの『五翼』に何かあれば一大事だからな。思わず興奮してしまった」


 少し前のめりになっていた上半身を元の位置に戻すと、小男が短く詫びを入れる。そのあっさりした感情の切り返しに、あるいは、“わざと煽ったのでは?”と疑念を抱きつつ、扇間は「別に」と冷静になるべくひと息入れる。


「某もトッドさんと“繋がり”ができただけで、満足してたところもあったから……」


 多少なりと“新人らしさ”を口にしたのがよかったか、「いや、確かに十分な戦果・・だな」と小男なりに理解を示してくる。


「俺たちみたいなのが“まともな暮らし”を手に入れるには、とにかく目の前にあるチャンスを掴んでいくしかない」

「名のある人物に見知ってもらうのも」


 扇間の補足に「そういうことだ」とばかり小男が大きく頷いた。


「特に街にやってきたばかりの他所もん・・・・は何かと不利だからな。仕事を手にするどころか“一晩の寝床”を確保するのにも苦労を強いられるし、『入街料』を考えれば、おちおち街の外へも出て行けん」


 居場所を築くだけでも相応の労力と金が必要になる現実――だが都へ辿り着くまでにそれなりの路銀を使っており、故郷へ戻るのもまた一苦労。

 だから貧民街へと落ちる者と“身売り”する者は後を絶たず、“労役商”なる商売が生まれることにもなったのだ。

 こうした実態を踏まえるからこそ、それを知らぬ扇間が聞いても小男の言葉に異様な重みを感じ取れるのであろう。 


「……仕事があふれてるのは、誰もやらない・・・・・・安くて過酷なゴミ仕事だけだ。まともな仕事は元々の住民が、おいしい・・・・仕事はそのうちの少数が。だから、這い上がれることもできねえゴミ仕事をやるしかないのか……? 事実上、選択の余地さえなく?」


 小男の問いは扇間に対してのものでさえない。自分自身にか、あるいはもっと別の誰かに向けられたもの。

 だから扇間の返事を待たずに彼は自らその答えを提示する。

 その誰かに挑むかのように。


「俺たちも選ぶのさ」

「選ぶ?」

「もちろん、チャンスになるもの・・・・・・・・・は、限られている」

「?」

「何でもいい、てわけじゃない。ゴミすぎず・・・・・旨す・・ぎても・・・ダメだ。旨すぎる話しには必ず落とし穴がある……“賭けられる命”がひとつきりしかないことを忘れちゃいけない」

「その判断はかなり難しいね」


 同感だと小男も頷く。


「それでも見極めるしかない。ただ、見極めるのに善悪の概念は不要だがな。考えるべきは――」

「金だろ」

「それと“危険度”とを推し量ることだ。それさえ問題なければ、多少の汚れ仕事も厭わずやるしかない。いや、その程度の覚悟もなければ、一生底辺から這い上がることなどできやしない」

「……」

「ふん。……お前さんは躊躇うか?」


 扇間の無言を「否定」と受け止めたか小男は試すように問いかける。


「いや。認めない・・・・わけじゃない」

「じゃあ、何だ?」

「それでも手を出したくない、というだけさ」


 その青臭い台詞も小男の想定通りなのだろう。侮蔑も見せずにすぐさま言葉が返される。


「“清廉”じゃ腹は膨れんぞ」

「まったく、ね」


 そう相づちを打ちながらも、己の意志を強く示す扇間の黒瞳を見て「まあいい」と小男は話を打ち切った。


「最初から折れてる・・・・よりは、マシってもんだ。……いずれここでの厳しさを知ることになるだろうが」

「そん時は、とっとと方針を変えてしまおう」


 それはさすがに想定外の反応であったか、一瞬戸惑いの表情を見せたような気がした小男が、憮然とした面持ちで感想を洩らす。


「……おかしな若造だ」


 その言葉で初めて、扇間は小男が若くないことに気付く。肌荒れはあってもシミ一つない面貌に若い印象を勝手に抱いていたが、よくよく見ればそれなりの年齢を重ねているようだ。

 それだけこの街で辛酸を舐めてきたとも言えようか。

 もしかすれば、“金言”とは高レベルの天上人からもたらされるものではなく、彼のように地を駆けずり回る者からこそ得られるのかもしれない。


「まあ、お前さんとも話しができてよかった」

「……これ・・は?」


 小男が立ち上がり、テーブルに残された金銭らしきものに気付いた扇間が目顔で差す。


田舎の後輩・・・・・を歓迎してやろうと思ってな。――ようこそ、公国が誇る都市キルグスタンへ」


 そうして外へと立ち去る小男を扇間は真剣な眼差しで見送った。

 結局、本当に世間話をして終わったのを特段不審がることもなく、だからといって、すぐに酒を舐めはじめるでもなく何かの考えに沈み込む。


「……そういえば、互いに名乗り合わなかったな」


 そんなことを扇間が気付いたところで、疲れた様子もみせぬ鬼灯がようやく戻ってきた。


「貴方も顔見知りができたようですね」

「鬼灯さんと違って“華やかさ”には欠けるけどね」


 扇間の軽い皮肉を微風と受け流した鬼灯が「それで?」と意味ありげに尋ねてくる。


どういう方・・・・・でした?」

「少なくとも身内・・ではなさそうだね」


 小男の首下に『協会ギルド』支給のプレートがなかったと扇間は指摘する。


仲間がいるのに・・・・・・・席へ戻らず、独りを装ったのもヘンだ」

後から・・・ついていった人達ですか」


 扇間もそれは承知していたが、驚くべきは女性陣を相手にしていたはずの鬼灯がそんなことまで把握していた事実だ。だが、それを当然とばかり扇間は自然に会話を続ける。


「確認できただけでも、連中に“板”を身に付けてる者はいなかった」

部外者・・・が何をしに、こんなところでたむろっていたか、というわけですね」

「“トッドの事”を聞きたがっていたのは間違いないよ」

「なら、“あの娘の叔父様”に通じる者かもしれません」


 鬼灯の言葉に「もっと声を低めて」とたしなめると共に、その推測に「早計では?」と扇間が疑念を示す。


「剣士の親父さんとの繋がりは判明しても、トッド達との繋がりは分からないんじゃなかった?」

「正しくは“分からないはず”ですよ。むしろ権力者がその気になれば、いくらでも調べはつくものだと思いますがね」


 それでも、相手としても「まだ怪しむ程度」と鬼灯は睨んでいるようだ。


「確信しているなら、あの警備の者から連絡が伝わって、今頃は大捕物になっていたはずです」

「なのに未だ大勢で押しかけてくることもなく、けれども直接問い質すこともしない……怪しいとは思ってるけど、とりあえず様子見という判断か」

「おそらく、ですが」


 ただ、確信の度合いはともかく目を付けられているのは間違いないようだ。


「トッドと距離を置いたのは、正しかったわけだ」

「ですが、我々も当分は慎重に・・・行動した方がよさそうです」

「うん、本当にね」


 意味深に鬼灯を見つめてから、扇間はさりげなく周囲へ目配せした。

 国を動かせる力となれば、『協会ギルド』に監視の目を忍ばせるのもひとつとは限らない。外に出ればなおさら、“通り”に“出店”、路地裏と金と人数さえ惜しまなければ配置に事欠くことはないだろう。

 そんないくつもの無遠慮な視線に身を晒しながら、普段通りに振る舞えというのか?

 これからの都での生活が、早くも息苦しいものになったかと彼はそっと嘆息を洩らすのであった。


         *****


 『協会ギルド』の建物を出てしばらく人の流れに身を任せた後、路地裏に入り人影が絶えたところで小男はふいに足を止めた。

 振り返れば表通りを行き交う人々を目にできる位置であり、耳に入る物音はそこから響いてくる喧噪のみ。

 目の前を横切った野良猫が、唯一周囲に感じる気配と確信したところで、小男は何気なさを装いつつ、さらに建物の影で暗がりとなるところへ身を滑り込ませた。


「――いいネタはあったか?」


 それが後から追いかけてきた仲間の声と小男はすぐに気付いたが、声がかけられたタイミングは、彼が周囲に気配のないことを確信してからの時間を考えれば、あまりに早すぎる・・・・・・・・ものだ。

 だが、小男はそれを不審がることもなく、さりとてすぐには仲間の問いに応じず、彼らがやってきた方角へしばらく目を凝らす。それが尾行の有無を気にしているのだと気付いて、仲間が「問題ない」と請け合った。


「もったいぶるな」

「何を云ってる? お前達こそ、事の重大さを認識しろ」


 慎重さに欠ける仲間を逆に叱責し、反論がないことを見てとった上で小男はようやく入手した情報を開示する。


「『五翼』が絡んでるのは間違いなさそうだ」

「じゃあ、あの話し・・・・は本当か? だとするなら、連中は『協会ギルド』の“極秘任務”で動いているのか……?」


 仲間が若干興奮気味に尋ねるのを「そうとは限らねえぜ」と別の仲間が異論を挟む。


連中こそが・・・・・、犯人かもしれん」

「「!!」」

「何を驚く? 事が事だけに、誰がどのように絡んできても別に不思議じゃないだろう」

「黒幕には事欠かない、てことか」


 皮肉げに応じる者に衝撃の異論を告げた者が補足を入れる。


「それにこの手の連中は、“自分こそが主人公”と思って突き進むし、実際、“何が正しいか”なんて立場によって変わるものだからな。白も黒もないって話しだ」


 感慨深げに口にする仲間達の話しを「与太話はそれくらいにしておけ」と小男は打ち切りにする。


「俺たちは命じられた任務をこなし、金を手にするだけだ。余計なことを考えてると、せっかくのチャンス諸共、命まで失うぞ」

「「「……」」」


 それは「誰かに殺されかねない」という話しだけでなく、雇い主から“不要”と判断された仲間の“抹殺命令”を受け、実行するハメになるかもしれないことを差している。

 “誰が誰を”など考えたくもない話しだ。

 小男の言葉の剣呑さを熟知するからこそ、仲間達は押し黙り、やがて反省の色をありありと声に含ませながら先を促した。


「……大金が絡んでるからか、浮かれていたようだ。それで、これからどうする?」

「そうだな……」


 仲間に促され、小男は即座に気持ちを切り替えて慎重に言葉を紡ぐ。


「トッドを泳がすのが得策だが、正直、腕の良い『斥候スカウト』を気付かれずに追うのは難しい。だから“搦め手”を使う」

「?」

「あの若いのだ。一緒に旅をしたと云ってるが、それだけじゃない気がする」


 本命を落とすのに、その近しい人物から仲良くなる策はよくある話しだが、その対象設定の方法が実に曖昧な理由であるのに、仲間があからさまに不審感を示す。


「そいつも“仲間”だと? 相棒の方もそうだが、ただの舞い上がってるだけの田舎もんだろう」

「いや本当に仲間なら、それはそれで楽できそうだ。とっ捕まえてちょいと締め上げれば、へらへら何でもしゃべってくれそうだぜ」

「そうはいくまいがな」


 楽観視する仲間を小男が当然のように否定する。


「どういうことだ?」

「おそらく、あの若いのは俺たちに気付いてる・・・・・・・・・

「「?」」


 訝しむ仲間に『影技シャドウ・スキル』を学ぶ者として小男なりに気付いた細かい点を挙げてやる。


「壁際のテーブルを選び、近づくままに座らず、わざわざテーブルを回って壁を背にして座った」

「それは好みの問題だろ?」

「俺がはじめに声を掛けたとき、返事をする前にわずかだが、視線を周囲へ向けていた」

「用心深いってか?」

「いや思慮深い・・・・ということだ」


 仲間達は何とも言えぬ表情で互いに視線を交わし合う。だが小男の話はまだ終わりではない。


「あいつに顔を見られてるときに、何だか全身を見られてるようなむず痒さ・・・・があってな」


 そうして懐から、仲間達にとっては見覚えのある『魔導具』を取り出してみせる。


これ・・を仕掛けるつもりでいたが、最後まで隙を見出すことができなかった」

お前がか・・・・……?」

「それに、次に繋がるように金でも渡してやろうと思ったが……気付かれてな・・・・・・

「「……」」


 今度こそ、仲間達が驚きで無言になる。

 小男が相手に奢る時、金銭をさりげなく・・・・・置いてくる・・・・・手法を好んで使うことを仲間達は知っていた。

 その注意の反らし方が絶妙で、必ず相手は小男が立ち去った後に気付かされ、その“粋な計らい”に少なからず心を動かされるのだ。次に会うときの関係が円滑になるのは言うまでもない。

 これまで高レベルの『探索者』を相手にしても同じように誘導してのけた小男の粋なテクニックであったが、それをその若者は容易に見破ったという。

 単なる“用心深い行動”よりもそのことの方が、仲間を真剣にさせ慎重にならざるを得なくさせたようだ。


「さすがに『五翼』の連れ……ということか?」

「あるいは偶然……辺境には驚異的な能力をみせる人間もたまにはいるからな」


 そう告げるのは小男だ。それへ仲間達が得心したように彼を見るのは、目の前にその特殊な実例がいるからこそ。


「何者だ、そいつ?」

「コダール地方の出自らしい」

「コダール? あんなところ……たいして村もないし、あっても“魔境”くらいだろう」

「その“魔境”を猟場とする村人とか……?」


 云った当人も冗談混じりのあまりに突拍子もない考えに「少しは真面目に考えろ」と別の仲間に注意される。


「念のため調べるにしても、コダールじゃ身元を洗うには時間がかかりすぎる。ここは一度指示を仰いだ方がいい」


 その意見に全員一致で賛同したところで、ふいに小男が後ろを振り返り、腰を落として身構えていた。

 突然の切迫した行動は、その背にかすかな殺気を感じたからであり、事実、振り返ったところで小男の頬が見えない何かに軽く抉られていた。


「がっ」


 素早く暗がりの奥へ向き合った小男の背後で呻き声が上がり、ドサリと仲間の一人が路地に倒れた音を耳にする。

 その物音から察するに、あまりに無防備な倒れ方であり、少なくとも完全に意識を刈り取られているのは間違いない。

 いや、小男は仲間が殺された・・・・のだと脳裏で断定し、その意識はすでに“速すぎて捉えきれなかった謎の凶器”へと向けられる。


 矢か風術か――。


 それよりも不意打ちとはいえ、手練れである仲間を一撃で仕留めるほどの凶撃に小男の警戒心が最大限に引き上げられる。しかも、明らかな殺意を乗せた攻撃に、少なからず“強者”を自負する仲間達も黙ってはいられなかった。


「なんだ、舐めたマネを――」

違う・・


 小男が素早く断じて軽率な行動に走らぬよう抑えこむ。

 いくら裏路地にひそむゴロツキでも、いきなり殺しをすることはないし、そんなことが起こり得るほど深い区域・・・・でもない。

 無論、裏社会の組織が縄張りに踏み入った程度で仕掛けてくることなど、もっとあり得ない話しだ。

 せいぜい愚かな越境者に対し、痛い思いをさせるだけであり、仮に殺人という傍若無人な振る舞いを“大公の膝元”たる公都で実行しようものなら、役人共の制裁に等しい強制捜査を受けることになるのは連中も十分に承知している。それほど治安に力を入れている街なのだ。

 だからこそ、仲間達が想像しているような状況でないと小男は告げるのだ。

 むしろもっと危険な状況・・・・・・・・なのだ・・・、と。


「これは、“敵”だ――」


 『殺意感知』の上級スキルは小男にはまだ扱えない領域のもの。だが、くぐり抜けてきた修羅場の数が彼に『危機察知』という相似の『異能アビリティ』をもたらし、今回もまた、その能力がわずかな殺気を感じさせ、偶然に近いが結果として凶撃を回避させていた。

 その小男の警告に仲間達が躊躇せず武器を手に取ったのが物音と気配で感じ取れる。

 だが、そこまでだ。

 

 相手の“気配を隠す力”に“一撃必殺の攻撃力”。


 それしか・・・・判明していない状況で、下手に仕掛けるのは得策でないことくらい、彼らも承知している。

 事実、小男は先ほどから暗がりの奥へ目を凝らしているのだが、そこに誰かがいるとまで分かるのに、なぜかその輪郭が判然としなかった。


 それは『魔導具』の効能か?

 いや『異能アビリティ』の性能でもいい。

 だが原因がそのどちらでもなく、自分と相手との単純な“地力の差”だとしたら――


 その一事だけでも、正体不明の人物に対する危機評価はすこぶる高く、しかも、その人物からはっきりと敵対の意思表示を受けている事を踏まえれば。


「戦るのか……?」

「いや、退く」


 殺気立つ反面、相手の恐るべき技倆を感じて緊張が含んだ声で仲間に問われれば、小男の決断は早かった。それへ待ったをかけるのは暗がりからかけられた男の声。


「泳がしてもいいですが、目障りといえば目障り」

「!」


 右の暗がりから、通りの中央へ人影が滑り出てくる。

 その顔にはぼろ切れが巻き付けられ容姿を隠されていたが、落ち着き払った声と足取りに強者故の絶体の自負が感じ取られた。

 小男の目が細められたのは、その両手に何も保持していないのに気付いたため。つまり相手の武器さえ判明せぬ状況に、小男の胸にはっきりとした不安が沸き上がる。


(この展開はマズイ……)


 敵が声を掛けてきたのも、わざわざ姿を見せたのも、自分達を足止めする目的であることは間違いない。

 それも絶対的な人数差があるにも関わらず。

 それだけ“この場を制する自信”があるということになる。

 その自信は己と相手との戦力比較を済ませ、必要な準備を終えているという証――それだけの情報をしっかり集めているというわけだ。

 ならば対する自分達は敵の何を知っている――?

 すでに窮地にあると気付いたからこそ、小男はただいつも通りに最善を尽くす。


「……逃がす気が無いなら、せめてお前が何者かを教えてくれないか?」

「はは。ずいぶんな交渉の仕方ですね」

「職業病というやつだ。何も情報を得ずに死にたくない」

「おい、お前何云って――」


 仲間の戸惑いを無視して、なおも小男が懇願すれば相手は笑いながら「ひとつだけ」と傲慢が招く油断なのかあっさりと応じてくれる。


「あなた方を邪魔だと思うこと――それはすでに“答え”なのでは?」

「ぎっ?!」


 返事と同時に再び小男の背後で呻き声が上がり、おそらくは二体目の死体が路地裏に転がる音がする。

 さすがに“ただでは教えない”ということか。

 だが仲間の命と引き換えに、得られたものは“問答のあやふやな答え”と“敵の攻撃の気配”。いずれも明瞭な打開策とならず小男は内心舌打ちする。


(散れば、逃げ切れる算段があったものを……)


 残る仲間はあとひとり。

 同時に散開して誰かひとりでも生き残れば、情報を伝える任務を遂行できたはずが、人数が減りすぎた今となっては、勝算が低すぎて策としての価値を失ったも同然だ。

 いや、そんな殊勝なことを小男はハナから考えていない。自分が生き残れる算段が立たなくなったことを純粋に嘆いていただけだ。


(それにしても何なんだ、あの凶器は?)


 小男は己が感じ取ったものを思い起こす。


(ヤツの手元から何かが飛んだ……指輪タイプの『魔道具』か? まさか無詠唱の精霊術?)


 だが、両手は自然に下げられたまま何かの道具を操ったようには見えなかったし、一般的な服装からして術を駆使する類いの人物にも見えない。

 その身が放つ危うい空気も“戦士”や『探索者』というよりは“人殺しの犯罪者”に近いものだ。

 やはり考えたところで答えは出ず、とにかく何でもいいから情報が欲しいところではある。


「……変わった技を使うな。裏ではさぞ名のある男なんだろう」

「残念ながらそっち方面・・・・・では、まだ売り出し中でね」

「? ……他国から来たのか?」


 だから腕が良くても初顔かと問えば、そうではないと相手は否定する。それへなおも問いかけながら、小男は後ろ手に仲間へサインを出していた。


 合図したら走れ――


 わずかながら、この短い間に小男は脱出の算段を見出していた。相手の見えない攻撃の速さを考慮すると、ちょっとした手順を踏む必要があり、正に薄氷を踏む挑戦だが、やらなければ待つのは“死”だ。

 その覚悟はすでに決めていた。


「俺にあんたの攻撃は見切れんが、それでも一人でも逃がせば俺たちの勝ちだ」

「ほう……あなた方がそんなタマですか・・・・・・・・? いえ、いずれにせよ逃げることなどできませんよ」


 嘲りを含んだ相手の声に、答える替わりに小男は渾身の笑みを浮かべる。

 覚悟を秘めた表情で。

 これから一世一代の賭けに打って出るのだから。


「俺たちに仲間意識がないと……?」

「違いますか?」


 それに対する答えとばかり、小男は笑みを深めて身体を右へと滑らせた。

 慌てず大股にならず、あくまでも自然に右足を横へ滑らせ背後の仲間を相手の視界から隠してしまう。間髪入れず――


「行けぇ!!」

「……っ」


 振り向くことなく腹の底から叫び、小男の行動意図を即座に察した仲間が、一瞬の躊躇いもなくきびすを返しながら地を蹴った。それを目にした相手が、ぼろ切れ越しなのに口元を綻ばせたと確信できたのはなぜなのか。


「ずぁああああっ」


 声を絞り上げながら猛然とダッシュする仲間が三歩目を踏み出し、小男は当然叩きつけられるであろう相手の凶撃に備えて身構える。

 だが、攻撃力に物を言わせるとばかり思った相手の選択は横へのステップ・・・・・・・。小男が先ほどまでいた線上に己の身をズラし、悠然と攻撃の射線を確保してのける。


「くそっ」


 気付いた小男が行動に移るも時既に遅し。

 その手元より飛んだ“何か”が懸命に走る小男の仲間の背へ撃ち込まれ、それが立て続けに二発、三発と続いてついに路上へと打ち倒した。


 だがそこで、相手の身に確かな激震が走る。


 それは身体を張って止めようと動き出していた小男が、実はまったく真逆の方向へ身を躍らせていたためだ。


「仲間を囮に――?!」


 さすがの相手も動揺を見せる中、小男が猛然と体当たりをかけるのは、暗がりで気づけなかった建物の裏口。

 それこそが小男が見出した唯一の脱出路。

 けれども、そこまでのわずかな距離の踏破には、“敵の攻撃速度”という大きな障害が立ちはだかっており、小男のこれまでの行動は、すべてそれを突破すべく積み重ねた小細工であったのだ。


 初手で「仲間意識」という言葉による暗示を掛け。

 二手目で“仲間をかばう動き”と見せて距離を稼ぎ。

 最後が“もう一度かばう動き”と思わせたからこそ、狙いを仲間に絞り込ませ、自身が脱出できるだけの時間を稼ぐことに成功したのだ。


 見事に仲間も敵も出し抜いて。


 裏口の戸をぶち破る勢いで、小男の身体が猛然と突っ込む。それを冷ややかな目で相手が見守っているのを知ることもなく。


「――ッグ?!」


 ど派手な音を立てただけで、木製戸は破られず、無情にも小柄な身体は跳ね返されていた。その衝撃を受けきれず、よろけた小男が地べたにへたりこむ。

 凡庸な顔に驚愕と明らかな戸惑いを複雑に混ぜ合わせて。


「……自分は小心者でね。“力”だけでは安心できないんですよ」


 さっさと殺さず、ぼろ切れ覆面が教えるのは、相手に与える傷心を愉しんでいるからなのかもしれない。


「……」

「何も言えませんか。仲間さえ贄に捧げた策が意味を為さなかったのです……当然でしょうね。ふふ」


 ぼろ切れ覆面がゆっくりと近づいてくる。

 地に着く足音をわずかでも立てるのは紛れもなくわざとだ。いや、そもそも近づく必要さえない。


「待て……」

「悪いけど」


 小男が懸命に打開策を考えるのを相手は無駄だと否定する。


「貴方が誰かは分からないけど、どこの手の者か・・・・・・・は分かっています」

「!」

「貴方は運がなかっただけですよ。暇つぶしに部下の様子を見に来ただけでしたから」


 それは裏を返せば、ぼろ切れ覆面が気紛れに顔を出さなければ、このような惨事もなかったということか?

 あまりに馬鹿馬鹿しい話しに、小男が憤りを孕んで睨むのを相手はただ愉快げに受け止める。


「そうですよ。実にくだらない理由で・・・・・・・・・・貴方は死ぬのです。ははっ」

「クズがっ」


 小男の罵倒をスパイスに、乾いた笑い声を上げて歪んだ愉悦に相手は浸る。

 気付けば細い路地裏に、ぼろ切れ覆面以外の人影が現れていた。

 こちらは全員顔を出しているが、裏稼業の人間であることは一目でわかる連中だ。そのうちの一人は、小男の運命を拒絶した戸口を開けて現れたのをさすがに気付いて、小男が憎々しげに視線を向けていた。


「……俺は金で動くだけだ。命を奪うより、何かの役に立ててくれないか?」

「ふっ。見上げた執着振りですね。まあ、だからこそ拒否しましょう」

「くっ」


 何としても生き抜かんとする小男の気概が、ますます相手を悦ばせ、逆に窮地に追いやるとは何とも皮肉な話しである。

 だが、それにようやく気付いてなお、小男の顔には諦めの二字は浮かばない。この危機的状況にあっては、あえて消し去る・・・・・・・小細工・・・すら考えることができず、身に染みついた“生への執着心”が露わになってしまう。


「いい顔ですね……とっておきましょうか・・・・・・・・・・


 いつの間にか、その手にナイフが握られているのを小男は気付かない。

 ただひたすらにぼろ切れに隠された相手の正体を探るかのように、唯一の手掛かりとなるその双眸を睨みつけるのみである。

 だが、まわりの空気は固化したように質を変えていた。ぼろ切れ覆面が何を意図しているのか承知しているからであり、しかもその内容が荒事に馴れた彼らですら異常に緊張させるものだったからである。

 だが、当然のように異論の声を上げる者などいない。嫌な緊張感が場を絞り上げる中――


「押さえつけろ」


 それまでと口調が変わって、低く放たれた命令に近くの男達が小男へ近づき一斉に躍りかかった。


「ぐおっ、この……」

「大人しくしろっ」

「しっかり足を抑えとけ!」


 小男には軽い脳震盪や油断もあったのは確かだ。しかしそれよりも、男達は随分と手慣れたように小男を制圧してのけ、糸も容易く仰向けに押さえつけてしまう。


「がああっ」

「おい、顎を掴めっ」

「殴って黙らせていい」


 首を振り歯を剥き出しに抗う小男の顔へぼろ切れ覆面が覆うように自分のそれを近づけてきた。やけにギラついて見えるナイフをちらつかせながら。


「動けば苦痛が長引くだけです。……なるべく早く終わらせますから、協力した方がいいですよ?」

「何の……真似、だ?」

「血ですかね……自分でも抑えられない、ただの趣味ですよ」


 そうしてなぜか、ぼろ切れ越しにその者がやけに真剣な面持ちになったのを小男だけは感じ取る。するりとナイフが近づいてきて、そこで――


「おい、待て――」

「なんだか、嫌な場面だね」


 今いる路地の端に、いつの間にか新たな人影が佇んでいた。

 この辺の者であれば、気付いても無視して素通りするものを、路地角に立つ見張り役から露骨に睨まれつつ、それでも平然と無視して首を突っ込んでくるとはイカレテいるにもほどがある。


「てめぇ、待てと――」


 役目も果たせず面子まで潰された見張り役が、怒り混じりにその者へ近づいたところで、唐突に膝から地にくずおれた。

 どうやったかはともかく、意図的に昏倒させられたのは間違いない。そしてその事実だけで、この場にいる連中が牙を剥くには十分であった。

 途端に、小男を取り押さえる数名を除き、周囲の者達が一斉に懐や腰脇から素早く得物を抜き放つ。

 同時にいくつもの切りつけるような殺意の刃が人影の全身へと叩きつけるように浴びせられる。

 その一般人なら失禁しかねぬ殺意の雨に打たれながら。


「少し殺気立ちすぎない? これじゃ喧嘩じゃなくて殺し合い・・・・になっちゃうよ……」


 困ったような言葉とは裏腹に、口元に浮かぶのは不敵な笑み。

 この場にいる全員から、“殺しの経験”を持つ者特有の底寒い座った目・・・・を向けられているにも関わらず、歪みのない自然な笑顔を見せるとは、こちらもまた尋常の者ではないらしい。

 だからこそ・・・・・、ぼろ切れ覆面も関心を持つのだろう。


「……貴方を絶望させた方が、愉しくなるようですね」

「怖いこというね」

「その割に、嬉しそうに見えますが?」


 ぼろ切れ覆面の唯一露わにする双眸が、得体の知れぬ闖入者ちんにゅうしゃを値踏みするように細められる。

 黒髪に黒目、少し平板な貌の造りはこの辺りどころか大陸西方でも目にしない民族だ。旅装の出で立ちから察するに遠き国の出自というところか。

 そう思えば、云ってることは理解できるのに妙に不明瞭な言葉を口にしていることに気が付く。

 普通なら、よそ者がこんなところへ迷い込むことはなく、その点を真っ先に突くべきものを、ぼろ切れ覆面の関心はあくまで“旅人の実力”にあるようだ。


「……口先だけだと、後悔することになりますよ」


 敵意を見せず、さりとて挑発もせず。

 ゆるりと立ち上がったぼろ切れ覆面が会話で探りを入れるのは、あらためて向き合った若き旅人から“強者特有の気配”というものを何も感じ取ることができなかったからだ。

 それは暴力に鋭敏な周囲の連中も同じであったらしい。

 はじめに見せられた手際の良さ・・・・・から想像できぬ“凡庸な空気”に、明らかな戸惑いを見せる者も散見される。

 実は正義感だけの小兎か?

 それとも一般人を装う暗殺者の如き手練れなのか。

 場が戸惑いや困惑に揺れる中、若き旅人がさらりと告げる。


「せっかくの忠告だけど、某にも事情というものがあってね」


 仕方ないから争う・・・・・・・・と。

 この状況と己の実力もわきまえぬ大胆すぎる発言に、ぼろ切れ覆面はどちらと判じたか、冷めかけていた声に確かな熱が戻った。


「それを聞いて、安心しました」

「?」

正義感などという・・・・・・・・イカレタ理由・・・・・・で介入されたのでは、興醒めもいいところですからね」


 心底ほっとしたようなその声に、若い旅人の眉根がみるからにきつく寄せられる。その目一杯の“怪訝”という意思表示を気付かぬげに。


「とっとと始めましょうか。……事が終われば・・・・・・、貴方に尋ねたいこともありますので」


 それは互いに思うところでもあっただろう。

 しかし、それが許されるのは戦いの勝者のみであり、二人とも同じ気持ちだからこそ、もはや議論の余地なく闘志を胸に対峙するのだ。

 こうして誰も来ぬ路地裏で、奇妙な異人とぼろ切れ覆面の一派による戦いが、静かに幕を開けるのであった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る