第6章 公都の暗躍者たち

第55話 公都到着

公都キルグスタン近郊――



 トッドを先導者として、諏訪侍の一行が羽倉城より南へと出立してから五日目の昼前。

 早朝から1本峠を越え深い山林を抜けたところで、一行は丘陵地を下った先に公国最大の都キルグスタンの姿をようやく目にすることができた。

 穏やかな陽射しに煌めく湖を西に据え、そのほとりに、意匠を凝らした尖塔が目立つ城館とそれを覆うように広がる市街地、そしてこの位置からでも気付く高い市壁から溢れた民家の群れが木の根のように伸びている様は、粗雑さよりも躍動感に溢れている。

 壁外だけでもそれなりの町並みがいくつも出来上がっており、その点について都市防衛の観点から難があることは否めないが、逆に言えばそれほどまでに、都市の発展に勢いがあるとも言えるだろう。

 それは今の公国の活力を如実に表しているのは間違いなく、鬼灯たちが知る『白山』の町と比べても、比較にならぬ規模と勢いを十分に感じられるものであった。


(下手に敵とせず、交流を試みるのは慧眼か――)


 諏訪侍三名が、胸に抱いた感慨は一致していたはずであり、この一望だけでも、秘められた任務のひとつが完遂したことになる。

 そんな彼らの事情を知ることもなく。


「――何だか、久しぶりに帰ってきた気がするな」


 いくぶん懐かしげに目を細めるトッドの独白を「それはそうでしょう」とあえて拾い上げるのは鬼灯だ。


「例え短い間でも、一度離れてからの再会には、郷愁を感じずにはいられないものです」

「それが“ふるさと”ってやつだね」


 鬼灯の言に扇間も分かった風に言葉を繋げる。ただ、彼らの隣に並んだグリュネは別の感慨を抱いたようだ。


「……少し思い出がありすぎるかも」


 眉をしかめる彼女に誰かがあえて声をかけることはない。しばし無言のまま、胸の空くような青空の下、新緑が映える里山に囲まれ、涼しげな湖に抱かれるキルグスタンの全景を、遠目に見守り続けるだけである。

 こうして眺める分には、とてもあの都市内で公国を揺るがす黒い策謀が今も進行中なのだとは思えず、“何かの勘違い”ではとさえ思えてくる。

 まあ、そうした疑念を抱かせるような不明瞭な部分もあるからこそ、闇に紛れる真実を少しでもつまびらかにすべく一行はここまで旅をしてきたのだ。


「さて、とっとと行こうか。このまま眺めてても、キルグスタンには辿り着けないからな」


 そうして先頭を切って丘を下りはじめるトッドに皆も後に続く。彼らの表情がいくぶん引き締まったものに変わっているのは、目的地を目にしたことで、課せられた任務をあらためて思い起こし、その始まりを嫌が応にも感じ取っていたからに他ならない。

 ただ、この面子で誰よりも緊張していたのが、実はトッドであることを知る者はいなかったであろうが。

 気ままに振る舞う諏訪の侍達にこちらの事情を何も知らぬ部外者のグリュネ。そしていまだ人となり・・・・が読めぬ秋水のことも考えれば、御しにくい彼らを公都で引率することにトッドが不安を抱くのは当然といえば当然のこと。


「……何だか、わくわくしてきましたね」


 無邪気に心躍らせている鬼灯の声を背に聞きながら、トッドの顔があからさまに歪められたのを、やはり気付く者は誰もいなかった。


         *****


「あれ、城じゃないんだよね……?」


 建物よりも天幕が多い壁外の町並みを半ばまで抜けてきたところで、いよいよ街壁の威容が嫌が応にも視界に入ってきた。

 物珍しげに通りを眺める扇間の声に呆れが混じるのは、首を左右に巡らしても必ず目につく常識外れな街壁の規模にあり、少なくとも『白山』でこれに比肩する城壁・・を目にした記憶がないからに違いない。それには同意とばかり感嘆の呻きを洩らす鬼灯も同じ思いであったらしい。


「いやぁ……東海道を旅した折に、いくつもの城を観て廻りましたが……これほどの規模を誇る城壁を観た覚えはありませんね」

「だから――」

「“城壁”じゃなくて“街壁”だ」


 すかさず指摘しようとした扇間の言葉をトッドがさりげなく奪いとる。邪魔された当の扇間が、口を開けたまま所在なげに空を見上げるのを、鬼灯があえて触れないのは彼なりの気遣いか、あるいは本当に気付かないだけかは微妙なところだ。


「十年前までは、これほどじゃなかったんだ。壁の高さももう少し低かったからな」

「何かあったのですか?」

「“大侵攻”――ガルハラン帝国による侵略戦争によってこの国が滅びかけたのよ」


 話しに入ってきたグリュネに鬼灯と扇間が思わずといった風に視線を向ける。


「なに? 両端でごちゃごちゃされたら、無視するわけにもいかないでしょ」


 相変わらずの隊列で歩む一行にささやかな意趣返しとばかりグリュネが鬼灯を見返すが、それを皮肉と気付かぬ当人は「お気遣いに感謝します」と素直に礼を述べるのみ。

 そんな反応も予想済だったのか、グリュネも軽くため息をつくに留める。


 “大侵攻”――帝国では“黄昏の収穫ハーベスト・オブ・フォーリン・デイ”と名付けられた大陸西方に対する一大侵攻計画の発令により、大国ならではの圧倒的物量を背景にした兵の津波が西方諸国に襲い掛かり、二年と保たずにふたつの小国を平らげ、ヨルグ・スタン公国も半ば食い入られてその命は風前の灯火となるほどの窮地に陥った歴史がある。

 それはたった十年ほど前の出来事にすぎず、帝国の軍靴に踏みにじられた公国東方地域では、今なお癒えぬ傷痕が残っているという。

 ちなみに当時、国内東部の有力者であったベルズ辺境伯の私設兵団を母体に辺境各地から選りすぐりの兵士を招聘し『俗物軍団グレムリン』が創設されることになったのもこの時である。

 所詮は寄せ集め・・・・――軍団の名もそこからあえて付けられたほどに周囲からの期待も薄かったが、しかし、急造と思えぬ獅子奮迅の活躍を為し、あの『双輪』を撃退した“大いなる衝撃”は、帝国に侵攻を断念させるだけでなく、近隣諸国の不穏な動きまで抑止させる影響を及ぼした。

 それほどに、戦略に精通している者からすれば公国の滅亡は確定的であったのだが、それをたった一度の戦術的勝利で瓦解させた『俗物軍団』の攻撃力には恐るべきものがあったということだ。

 無論、敵将の首を討ち取る頃には、軍団もまた壊滅状態になっていたのだが、それを“痛み分け”と捉える者など、当然のことながら一人もいない。


 「そんなことも知らないの?」というよりは「やっぱり知らないのね」的なグリュネの簡潔かつ丁寧な歴史講釈の後、トッドが最後を締めくくった。


「――もう少しで“公都決戦”になりそうだった事実を国では重く受け止めたんだろう。おかげで戦後賠償もろくに獲れなかった情勢でも、金を惜しまず街壁をさらに高く増築したってわけだ」

「確かに普段なら、金蔵かねぐらを管理する役人が良い顔するとは思えませんね」


 鬼灯もよく分かると深く頷き「これほどの規模なら、増築といっても相当お金がかかったでしょうから」と帳簿とにらっめこをする役人の心情をおもんぱかったように憂えてみせる。


「ほかにも“避難民の支援”という意味もあったみたいね」

「ああ、なるほど……」


 鬼灯が意外な関心の高さをみせるせいか、グリュネが商人からの受け売りだと前置きして、別の一面からの話しも語って聞かせてくれる。


「あの戦争で東部地域の民が公都にも避難してきたものの、人数が多すぎて彼らをどう受け入れるかが問題になったらしいの。実際、仕事もなく配給を受けるだけの彼らをいつまでも養えるはずもないのは明らかだった――」


 だから、都市長の命により“街壁の建造”という仕事を与えることで、短中期的に彼らの暮らしを支えることにした。

 ここには公城も構えているため、費用負担を含めて大公からの後押しがあったというのも専らの噂だ。

 

「建設作業の間に、彼らを養えるだけの穀物や物資の生産量が形作られ軌道に乗れば、問題は解消されると公都の首脳陣は考えたのね。そうなれば“余分な人口”も“人手が増えた”と良い意味で捉えることができると」

「そういや、郊外に大きな果樹園ができたりして耕作地域がずいぶんと広くなったな。人手が増えたから色々できているわけか……」


 トッドにも思い当たる節があるらしく、昨今の盛況ぶりが計画的に運営された結果であったのだと知り、妙に感心している。


「まあ、普通ならそう簡単にはいかないものですがね。人手があってもそれを上手く回せないのが、たいていの話しです」

「“回せない”って役人が、てこと?」


 扇間が自信なさげに尋ねれば鬼灯は軽く頷きつつ「もちろん、膨れ上がった人口を“街”がうまく呑み込めるなら別ですが」と断りを入れる。


「ただ今回で云えば、例え壁が仕上がったところで、その先には何もありません・・・・・・・。役人からすれば、税を注ぎ込んでも返ってくるものがない・・・・・・・・・・のは苦しいところです。けれども、増えた労働力で日々費やされる食べ物を生み出すとなればどうでしょう?」

「……みんなはお金がもらえるし、役人は食料が手に入る?」


 そんな単純な答えで良いのだろうかと扇間が遠慮がちに答えると、鬼灯は満面の笑みで首肯する。


「手に入れた食料を売れば金が戻ってきたことになりますし、それが注ぎ込んだ以上の実入りになれば、正に“富が富を生む”という“利益の連鎖”が生まれます」

「つまり? このキルグスタンでも、そんなイイ感じに金やら人やらが回ったということか?」


 トッドがしきりに顎をしごきながら唸ると、いつの間にか、まわりを歩く連中の視線がちらほらと向けられていることに気付く。


「ふーん、そんなこと考えもしなかったなあ」

「ばか、いいように云ってるだけだろ?」


 そんな周囲の会話から察するに、どうやら鬼灯の講釈を耳にして興味がそそられたらしい。

 中には真面目に受け止めて「うちのお偉いさんもやるじゃねえか」、「いや、商人が凄いんだろ」などと仲間同士で話し合っている者までいるのだが、鬼灯はそれを気にした風もなく気持ちよさげに話しを続ける。


「“壁造り”に頼り切っていたり、いつまでもだらだらと続けていたら違う結果になっていたでしょうがね。とにかく、金にしろ人にしろ淀み・・をつくらず回せるかどうかが問題です」

「淀みなく……“壁造り”みたいに行き止まり・・・・・があるとダメだね」

「うまく繋がる・・・ように考えろってことでしょ?」


 扇間の意見をグリュネがうまく言い換える。それを聞いた鬼灯が宝物を見つけたように目を輝かせて、ある言葉を拾い上げた。


「そう、“繋がり”ですよっ。世の中のありとあらゆるものは、互いに繋がっているのです。この場合は“人・金・物”というところですかね」

「心・技・体みたい」

「考えた方は同じです。“何を軸に捉えるか”というところが肝要なのです」


 できの良い弟子を持った師のごとく、愉しげに説く鬼灯に、グリュネと扇間が自然と顔を見合わせる。「鼻持ちならん」という前に「何だかまともそうなことを云ってる」という驚きの方が勝ったのは言うまでもない。

 実際、鬼灯がまつりごとに関する私見を披露するのを扇間も初めて耳にしたのは確かだ。これまで彼が口にすることといえば、剣よりも“伴天連の教え”が混ざったような“鬼灯教”とでも呼ぶべき持論・・の方が多かったくらいなだけに。

 ただ、今回彼が披露した考えの善し悪しはともかく、単なる“暇つぶしの戯れ言”と聞き流すのは、もはや一行の“お約束”である。

 そうしてすっかり皆の気が弛んでいたせいか。


「こうして見事に問題を解消し、街を衰えさせるどころか、逆に勢いに乗せているのです。……あの娘・・・の父親は・・・・よほど優れた方なのでしょうね」

「「「――っ」」」


 何気なく洩らした失言に、思わずトッドと扇間が身を強張らせるが、唯一空気が変わらぬ秋水の顔を振り返って見れば、むっつりと不機嫌に歪められているのに気付いただろう。


(なんで余計なこと云っちゃうかな……)


 グリュネの前でもあり、猛烈に鬼灯へ抗議したい胸中を懸命に押し留め、扇間は何とか違う話題へ振ろうと言葉を探す。


「それで、その……この行列はあれかい? 街に入るのに金を? いくらかな」


 すでに街壁をくり抜いた出入口がつぶさに観察できる位置にまで一行は近づいていた。

 大きく開け放たれた街門から、旅の者や商人らがさほど長くもない列をふたつにして並んでいる様子を扇間がグリュネに尋ねてみる。

 あまりに取って付けたような質問であり、正直なところソルドレイの街でも体験済の話題であったが、他にネタを思いつかなかったのだから仕方ない。

 咄嗟に何かを口にできただけ、この場合は扇間を褒めるべきであろう。

 果たして、某かの違和感を感じたはずのグリュネは、不審感を表すことなく扇間の素朴な問いかけ・・・・・・・にきちんと応えてくれた。


「警備兵が多いけど、別に取り調べをするわけではないわ。『入街料』は住人あるいは『通行証』がない者には銀貨一枚。どこも一緒よ」

「なら『探索者』は? というか、これからどちらへ?」


 支払いがあるというにも関わらず、のろのろと進む行列を横目にどんどん前へと歩いてゆくトッドの背へ疑念を向けると、グリュネは大したことなさそうに「これが『探索者』の特権よ」とだけ告げる。


「おお、これはトッドさん」

「お勤めご苦労さん」


 行列を捌く警備兵らに近づくと、偉そうに睨みを利かせていた兵長らしき者が先頭のトッドに気付いてピシリと姿勢を正す。

 わずかばかりの緊張と敬意のこもる眼差しでトッドと相対するのは、それだけ『探索者』としての彼の地位が確立されていることを表していた。

 事実、トッドの名を耳にしたらしい部下達も通行手続きを中断させて、手続き中だった商人共々驚きに目を見開き、次いで感嘆の声を洩らしてやはり敬意の籠もる眼差しを向けてきた。それがさざなみのように周囲へと広がり、皆の視線があまり脚光を浴びることのない斥候職の男へと集まる。


「おい、いま“トッド”と云ったか?」

「間違いねえ。ありゃ『銀の五翼』のトッドだ」


 顔を知る者もいれば、噂を耳にする者もいるらしい。反応はどれも、人気の有名人を目にしたような興奮振りだ。


「あいつか、『斥候スカウト』なのに凄腕の『荒事師』を一度に三人瞬殺したって……」

「大商人ソロトフの“開かずの家宝”を“鍵開けピッキング”した話しも有名だぜ」

「聞いたことあるな。確か十人以上の名のある『陰技シャドウ・スキル』の遣い手がさじを投げた曰く付きのお宝だろ?」


 一部“戦う斥候”みたいなノリの評価が聞こえてくるのもトッドが7レベルの『白羽』であることを考えれば、当然と云えば当然の話。下手な戦闘職を歯牙にもかけぬ“圧倒的な地力の差”が明確に存在しているということだ。

 それだからこそ、狭き門である『探索者』にあって、最高3レベルで引退するのが一般的なだけに、それらを遙かに超えた高みにいるトッドという存在は、人口の多い公都であっても希少価値がすこぶる高い。

 故に老若問わぬ男達が“憧れの存在”を見るような眼差しを向けるのは、それこそ当然の話であった。

 ただ、周囲の盛り上がる雰囲気とは裏腹に、鬼灯たちが怪訝そうに眉をひそめ、秋水が「こいつ、そんな大したヤツなのか?」という目で意外そうにトッドを見るのが対照的でもある。

 そうした相反する空気が入り交じるのを知ってか知らずか、トッドの方は馴れた様子で気さくに片手を挙げて兵長を労い、扇間達を指し示す。


「こいつらはまだヒヨッコだが、同じ『探索者』だ――通してもらうぜ?」

「ああ、“新人教育”ですか。独りでどうしたのかと思ったら――おや、そちらは」


 そこでグリュネへ視線を向けた兵長は明らかに何かに気付いた様子を見せる。


「ご苦労様です、ニルベッツさん」


 軽く会釈するグリュネに名を呼ばれた兵長は即座に破顔した。トッドほどでなくとも5レベルの『片翼』に達した別の有名人を知らぬはずがない。むしろ扇間達が知らないだけで、女性の中でも期待のホープとされている『水鳥』のメンバー達の方が、公都では人気があるくらいだ。

 事実、周囲の喧噪では早くもトッドの話題が消えて、現金にも『水鳥』のリーダーへと皆の注意がシフトしている。

 トッドが「あー、清々せいせいした」と棒読みしていたのはジェラシーではないはずだ。きっと。


「お帰りなさい、グリュネさん。……少しお疲れのようですね」

「ええ、まあ……」


 例え人の『支配地域コントロール・エリア』であったとしても、現在においても人が本当に安心して過ごせるのは市街地とその近郊までである。

 『探索者』が請け負う仕事の主戦場・・・が“外”であるという事実は、正に“命懸け”を示しており、そうした覚悟を秘めて街門をくぐる者達を警備兵らは見送り、または迎え入れてきた。

 これまでに何度も。何人も。

 ニルベッツのごとき熟練者ならばグリュネの表情や雰囲気で何となく察してしまえるのだろう。そしてだからこそ、特別な言葉をかけたりはしない。


「ゆっくり疲れを癒やして下さい」

「ありがとう」


 そのような一事に紛れてしまい、鬼灯たちは鉄のプレートを示すだけで特に触れられることもなく無難に街門を通り抜けることができた。

 鬼灯が物足りなさそうな顔をした途端、すかさず背中を押しやり、先へと促した扇間の影働きも人知れず光っていたこともありながら。


「それで、これからどうする――?」


 トッドが尋ねたのはグリュネに対してだ。

 独りでの旅を避け、しかしながら直近で都へ向かう行商もいなくて困っていた彼女と、偶然知り合い道連れとなったのが事の始まりだ。

 それももう、目的を遂げたことになる。


「ここで別れましょう」


 迷いなくしっかりした口調でグリュネが応じ、ただそこで伏し目がちになって小声で付け加える。


「何というか、その……うまく言えないけど、貴方たちのおかげで気が紛れたわ」

「何だそりゃ」


 トッドが怪訝そうに眉をしかめるのを「それは何よりです」と笑み崩れるのは鬼灯だ。おもむろに手を差し出しながらグリュネへ近づくと、ふいに顔を近づけその耳元に囁く。


「貴方が、何かの試練を受けているのは知っています」

「え?」

「お辛いでしょうが頑張って――影ながら応援してます」

「……」

 

 突然の意味深な台詞に戸惑いを浮かべるグリュネを置き去りにして、近づいたときと同様に、気付けば鬼灯が離れていた。


「ねえ、余計なこと云ったでしょ?」

「余計ではありません」

「……云ったんだ」


 苦笑した扇間が、今度はグリュネに声を掛ける。


「美人さんとは、もう少しお近づきになりたかったけどね。また縁があればどこかで」

「……ええ」


 どこまで本気か分からぬ扇間にグリュネは若干の困惑をみせながら頷く。そのくすんだ瞳が自然と皆より少しだけ離れた位置にいる秋水へと向けられた。


「……」

「……」


 互いに語らず、だがそれで十分であった。


「え、なにこの空気……?」

「じゃ、行こうか!」


 敏感に何かを察した扇間の声を掻き消すように、トッドがその背をドンと叩いて強引に歩き出す。


「わ、ちょっと」

「いいから、いいから!」

「早く行かないと宿が逃げますからね」


 鬼灯も一緒になって歩き出すのを扇間がすかさず指摘する。


「何で宿が先? まずは食事にしない?」

「おう、どっちでもいいとも。ここは俺の庭みたいなもんだ。いい女がいる宿も知ってるし、食べたいものを云ってくれれば、サイコーの店を紹介するぜっ」

「それなら寺社仏閣なぞを観覧したいですね。ここの人達がいったい何を信ずるのか、非常に――」

「いや、会話が成立してないから!」

「わはは! ホントに、お前の相棒は自由だなっ」


 賑やかに歩み去る三人を、ゆるりと追い始める長身の影へグリュネの声が掛けられる。


「用事が済んだら、必ず届けに行くから」

「それより、しっかり腕を磨いておけ」

「!」


 振り向かない秋水の言葉に、何を云わんとしているかを察してグリュネが思わず握り拳をつくる。それは交わした約束・・・・・・が本気なのだという彼からの意思表示。

 グリュネは言葉で返すこともなく、長身の消えた道先をしばし見続けていた。


         *****


街壁内街区

協会ギルド』キルグスタン総括支部――



「ふむ……この国では、“受付はむさ苦しい年配者・・・・・・・・であらねばならい”という定めでもあるのでしょうか?」

「……」


 無骨なカウンターの向こうで、まるで訪れる者の積み重ねたカルマを吟味する閻魔のごとき重圧を放っているガタイのいい中年を、しげしげと見つめていた鬼灯が腑に落ちぬとばかり疑念の声を上げる。

 ソルドレイ支部に続いて支部総括であるヨルグ・スタンの店舗でも、愛想のないいかつい中年男に出迎えられれば、鬼灯でなくとも何かの呪いかと天を仰ぎたくなるのも分からぬでもない。

 利用する『探索者』達だって、苦難を乗り越え依頼クエストをこなして帰還した時、あるいはこれから命懸けの依頼クエストに挑まんと意気込んできた時、ビジネスライクな笑顔や明るい挨拶であっても受付に接してほしいと思うはずである。

 だがそれも時と場合によるもの――例えば閑古鳥が鳴き、暇だれしている支部ならばともかく、受付が二人いても順番待ちが生まれる総括支部だからこその混雑振りの中、用件も告げずに時間をかけて眺め回した挙げ句の文句となれば、周囲の視線は冷たくなるし、奇人変人の手合いに馴れた受付の中年でさえ、眉間に青筋を浮かべようというものだ。


「……ほう。この俺に、面と向かって喧嘩を売ってくる度胸だけは褒めてやる」


 歓迎とは真逆の苛立ちを帯びた低い声。

 袖無し衣服から剥き出しになっている血管の浮き出た逞しい二の腕を、ドカリとカウンターに肘着けて受付中年が下から覗くように鬼灯の優面をめつける。

 それだけで難関をくぐり抜けたと自負する『探索者』の新人くらい、たじろがせる迫力があるのだが、それを意にも介さず「分かりませんか?」と場の空気を読まないのが鬼灯という男だ。


「未知への期待、あるいは“課されし責務”をやり遂げんと人知れず胸を燃え上がらせ、旅に出てから幾日か――」


 ふいに、謳うように告げながら、「それでも」と鬼灯はそっと左手を己の胸に当てがう。


「長旅での疲れというものは、私たちの心と身体に、おりのように溜まるもの」

「……」

「その“疲れ”は旅の仲間達に、いらぬいさかいをもたらしかねません・・・・・。そんなささくれた・・・・・雰囲気は、より私たちを疲弊させ、心を荒ませてしまいかねません・・・・・――」


 そこで大きく両手を広げてから、鬼灯はぐっと己を抱きしめる。「ああ、なんと辛いこと」と云わんばかりの心情を身振り手振りで訴えながら。

 その視線が受付中年へと向けられる。


「ここに来るまでに、旅の道連れと袂を分かつことにもなりました……。それでも私たちは、前に進まねばならぬのですっ。

 例え足が棒きれのごとく思うように動かせず、心が砂のように渇ききってはいても。

 そんな疲れ切った私たちが、ふと立ち寄った店に、“可憐な娘の笑顔”という美酒をつい求めたくなるのは、当然とは思えませんか――?」

「なら娼館にでもいけやっ」

「おや」


 無駄に時間をかけた迫真の演技を、受付中年の的を射たツッコミで受け流されて、想定外であったらしい鬼灯が口をつぐませる。

 まさか今ので賛同が得られると、本気で思っていたわけではあるまいが、当然のことながら、そんなことを指摘する勇気は誰にあるはずもなく。

 気まずい空気を一瞬でも漂わせる間を与えずに、ここが如何なる場・・・・・であるかと受付中年が凄みを利かせてくる。


「ここは“男の中の男”が集う場所。お前みたいなひょろいヤツが顔を出せる場所じゃねえんだよ。わかったか、姉ちゃん・・・・?」


 きれいに金髪を結う色白の鬼灯に、受付中年は声を荒げるよりも低く抑えて、最後の台詞をゆっくり噛んで含めるように発音する。当然、その脅し文句が鬼灯を怯えさすどころか、何の影響も与えることはないのだが。


「え、ですがあちらにいる方は娘さんでは? それにそちらにいる組の方達は男がひとりもいないように見受けられますが」

「分かってねーな」


 ひとかけらも嫌味を含めずに、フロアにいる女性を見つけては指し示してみせる鬼灯へ受付中年が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「あいつらの中には“歴とした男”が宿ってるんだよ」


 そう云って深みのある眼差しで己の胸をトントンと叩く受付中年に、“目から鱗”とばかりに衝撃を受けた鬼灯が身を震わせ、「……なるほど」と得心したように重々しく頷いた。

 そこには日頃の甘えたような笑みはなく、幾多の戦場で刃をくぐり抜けてきた『抜刀隊員』としての側面が滲み出る。


「それは確かに“男”というしかありませんね。失礼しました」

「なんだ、お前にもある・・んじゃねーか」


 鬼灯を“夢見る勘違い野郎”と断じていたのだろう。その意外な一面を垣間見て、即座に考えを改めたらしい受付中年と鬼灯が、二人で意味深に笑顔を向けあったところで、別口から遠慮のない罵声が叩きつけられた。


「俺たちは“女”だ、バカヤローが!!」

「勝手に盛り上がってんじゃねーよ?!」


 テーブルを荒々しく叩いた勢いで憤然と立ち上がったのは長身の偉丈夫――いや声の感じと貌の造りからして女性であろうとは思われる。

 ただ、重戦士に見られるしっかりした顎に太い首、その身を包むローブ越しに感じられる肩幅のがっちりした鍛え抜かれた上半身は鬼灯の女性像を見事に破壊するものであった。

 一緒に立ち上がった者達は、一目でそれと分かる女性らしいラインを描いているのが実に対照的である。


「オクスカルのおっさんよ、あたしら・・・・に喧嘩を売るたあ、いい度胸だねえ?」

「まったく、手の込んだ芝居まで仕込みやがって・・・・・・・……」

「計画的におちょくられたのは初めてだね?」

「ば、馬鹿野郎っ。なんでお前達全員になるんだよ?」


 思わずそう叫んだ受付中年が「あっ」と己の侵した失態に気付くも後の祭りである。


「……ほう? あたしだけ・・・・・ってか」

「いやっ――」

「「いや・・?」」

「――ていうか、なんつーか……はは」


 あちらを立てればこちらが立たず。

 二大勢力(?)に詰め寄られ、テンパった受付中年が「お前らには、“男の魂”があるって云いたいだけなんだよ」とフォローにならぬ本音を洩らしてそれがトドメとなってしまう。


 ガタガタッ――!!


 周囲にいた女性という女性が烈士として立ち上がり、受付中年を“女性蔑視の象徴”のごとく殺意の的にする。

 顔面蒼白となる受付中年。

 無論、男共の助けなどあるはずもなく、憐れ孤立無援となったおっさんは、ただ女性陣による断罪が下されるのを後悔の念で胸を満たしつつ静かに待つばかり。

 その思わぬ緊急事態に、おかしな横槍――いや助け船を出したのが、まさか当の火付け役である鬼灯だとは、運命の女神さえたばかる行為。


「ああ、こんなに“綺麗どころ”がおられたなんて……何と私の目は節穴だったのでしょう!!」


 さも驚いたように両手を広げて声を張り上げ、次いで自省の念で細眉を締め上げてから、ふいにその表情をゆるめ、鬼女のごとく仁王立ちする女性陣をひとりひとり優しく愛でていく。

 びっくりしたのは受付中年よりも女性達の方だ。


「お初にお目に掛かります、“ほおづき”です。田舎から遠路はるばる、この街へ物見遊山に参りました」

「…………はぁ」


 近くにいた頬に傷持つ女斥候に歩み寄り、鬼灯は軽く会釈する。相手が戸惑っているうちに「見事な刀をお持ちで」また別の女戦士へといつの間にか身を寄せる。


「“ほおづき”です。機会があれば貴女の武勇をお聞かせ下さい」

「お、おう」

「“ほおづき”です、同じ鉄の板・・・ですね。互いに頑張りましょう」

「……」

「“ほおづき”です――」


 そつなく女性陣の間を回る彼の姿を、受付中年が今度こそ、呆気にとられた感じで見守る。それは進まぬ受付に苛立っていた順番待ちの『探索者』達も同じであったようだ。


「……なんなんだ、あいつ?」

「オクスカルさん、関わらない方がいいんじゃねえか?」

「ああ、ああいう手合い・・・・・・・は放っておくのが一番だ」


 鬼灯の奇矯な振る舞いに、すっかり毒気が抜かれた女性陣を眺めながら、『探索者』達がかけてくれる助言を受付中年も素直に受け入れる。


「……そうだな」

「そうとも――あっと悪い」

「いや」


 肩をぶつけられた扇間が、怒るでもなく、むしろ先を譲って受付を離れる。その視線は賑やかに女性陣と話し込んでいる鬼灯の姿を捉え、そこで疲れたように彼は力なくため息を零した。

 思い出せば、前回も似た展開だった。きっと今後もそうなのだろう。


「――こっち来いよ」


 呼んだのは、すでに列を離れて別のカウンターで酒を注文していたトッドだ。付き合いの長い扇間より見切り・・・が早いのは彼も鬼灯という人物を理解してきた証拠だろう。


「“目立たないのも任務のうち”と思ってたんだが、どうやら俺の勘違いらしいな」

「彼を選んだのはそれがしじゃないよ」


 トッドの皮肉に扇間は苦笑いで返す。ちなみに秋水は、いつの間にか姿を消していた。こんな悪目立ちをしている段階で早期離脱を計ったのは懸命と云えば懸命だ。ただ、扇間からすれば「誘って欲しかった」であろうが。


「こうなりゃ、“ど田舎からのお上りさん”として振る舞った方がかえって自然かもしれねえな」

「好きにしていいって?」

「“縛る”のは無理だろ?」


 そう返されれば、確かに反論の余地はない。世間知らずだから“根掘り葉掘り聞きたがる”というていも悪くはないかと考えを改めながら。


「じゃあ、鬼灯さんはこのままで」

「ああ。……それとやはり、しばらくはあまり一緒の行動はとらないようする」


 トッドが組んでいる『銀の五翼』は公国でも有名なパーティだ。これのほぼ全滅という事実を隠し通せるはずもなく、素直に『協会ギルド』へ報告することははじめから考えていた行動である。ただ下手に目立って身動きがとれなくなるのもはばかられ、最終判断は現場のトッドに任されていた。

 その決断をトッドは告げたわけである。

 そうなれば今は、互いに“単なる旅の道連れ”という関係に留め、それが切っ掛けでつるむようになった――というシナリオの展開を念頭に行動することになる。


「ここは俺が奢ってやる」


 少し周囲にも聞こえるように声を上げ、トッドが席を立つ。遅れて扇間も立ち上がり、ちょっとぎこちない挨拶を振る。


「また、いつでも会えるよね?」

「もちろんだ。気兼ねなく声を掛けてくれや」


 そうしてトッドが幅広の階段を使って二階へと向かうのを扇間は見送った。そちらはレベル4の『百羽』以上の『探索者』が立ち入れるフロアになっている。

 だからこそ、羨望や時に嫉妬が混じる眼差しがトッドの背に向けられているが、気にした様子もなく彼はゆったりとした足取りで階上へと消えていった。


「……せっかく来たけど、出直した方がよさそうだね」


 相棒の活躍・・が一息つくまで、扇間は諦めて、ちびちびと飲めない酒を舐めてみる。


「――ちょっといいか?」


 独り掛けの寂しいテーブルに誰かが相席を求めてきたのは少し経ってからのことである。

 抑揚のない声に扇間が視線を上げれば、印象に残りにくい何の特徴も無い顔の小男が、同席の了承を待っていた。

 まわりにはまだ空いたテーブルがあるし、バーカウンターも大男が三人は肩を並べられるだけの余裕が十分にある。

 だが、いずれにも興味を示さぬ不審な小男に対して、扇間の答えはすでに決まっていた。


「――どうぞ」


 その表情は微も揺るがさず、扇間は小男に席を勧める。まるで退屈さから解放されたように、その大きな黒瞳に愉しげな光を湛えながら――。

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