第31話 羽倉城の狂宴(後編1)
「お主は――」
「『抜刀隊』の谷河原月齊にござります。遅ればせながら、先遣隊の任を終え、ただいま帰参した由、まずは報告いたします」
片膝着き、頭を垂れる盲目の侍に、弦矢は数刻前、月ノ丞から聞かされていた一件を思い出す。
「そうか、先陣を切っていた班の者だな? 無事で何より――大義であった」
「ははっ」
「だが赦せ。本来であれば“外”の様子がどうであったか、主らの話しを聞かせてほしいところじゃが――知っての通り、今は
そうして弦矢の視線が、思わせぶりに碓氷と影達にゆるりと向けられるのを、まさか気づいたわけでもあるまいが「正に、その事にござりますが――」と絶妙な間で、月齊が膝を進めてきた理由をあらためて切り出す。
「そもそも、こちらの仮面の者どもを城まで連れ参ったのは、実は碓氷殿に非ず、我ら先遣隊にございまして」
「ほう……?」
「子細は後ほど、あらためて報告させていただきますが……探索の折り、いかなる神仏の引き合いか、大きな
そうして月齊は仮面の者たちと出遭い、帰城するに至った経緯を、できるかぎり要領よく簡潔に、主へ語り聞かせた。
その不可思議な話はその場にいる者達の耳にも当然入ることとなり、諏訪の者たちばかりでなく、異人達にとっても興味がそそられる内容であったようだ。
自然と険しい顔つきになるシリスだけでなく、探索行為には無縁のエンセイまでもが、真剣な眼差しで盲目の剣士が語るちょっとした伝奇物語に耳を傾けていた。
特にグドゥ達が目指した根城が忽然と消えていた話しの下りでは、水を打ったような静けさがその場を占めることとなった。
「ふぅむ……何とも信じがたい話しだが、昨夜からの事を考えると、な」
思わず唸る弦矢に「同感ですな」と『慧眼』の初老も負けずに唸る。
「消えた根城も気になるが、そこに我らの城が……どう思う?」
本家に水を向けられて、禿頭の無庵も珍しく口を開くまでに間を空ける。
「いくつか想像できようが、根拠もないでは妄想にすぎぬ。むしろ――」
その後に何を紡ごうとしたのか、皺深い顔をいっそう皺くちゃにして、ついぞ、諏訪一番の古老がその思慮したことを言葉にすることはなかった。なぜならば――
「殿――」
思わぬところで皆の注目を集めてしまったことへの戸惑いといくばくかの焦りで、月齊が静寂を破ったからである。
「
そうして軽く言葉を切ったのは、主の反応をそれとなく窺うためであろうか。盲いた者ならではの鋭敏さで“良い手応え”を感じたか、月齊は論調を変えることなく話しを進める。
「先ほども申したとおり、我らがこうして無事に帰参できたのも、あの者らの協力あってこそ――ただ、まさか城近くで篠ノ女様の軍と鉢合わせすることになろうとは、思いませなんだ……」
そこで失態でも犯したように月齊が沈鬱な表情をみせるのは、「詳しく申せば、我が隊と出遭うたわけでありまして」そう碓氷が話を継いだことで何となく察せられようというものだ。
諏訪でも有名な問題児――あの万雷が手を焼くという話しは弦矢の耳にも届いていた。
「篠ノ
そう警戒したと述懐する割に碓氷隊が月齊達に仕掛けるようなこともなく、むしろ班長と隊長の会談は速やかに行われたようだ。そして碓氷の話を要約すれば、奇妙な面を被る者達を不審がるどころか、“敵対しない初めての存在”として、逆に好奇心が湧き上がり、ある感情で胸が一杯になったらしい。
この“はた迷惑な思い”を碓氷は抑えられず、「まずは報告を」と城外で待たせるべしと考えた月齊や守衛の意見(制止)に笑顔で応え(聞き流し)、影達をここまで連れてきたのだと、童顔を誇らしげに綻ばせて語った。
いかがです、この者達は――?
そんな調子で悪びれもせず、主の感想に期待を寄せる無垢な瞳に、弦矢が「どういう教えを施しておる?」と万雷へ批難のこもる視線を向ければ、「面白かろう?」と教育の放棄を表す満面の笑顔で応じられた。
“あの
まるでそれらの様子を
「碓氷殿を止められず、取次もなしにあの者らを通してしまった罰は受けまする。されど殿、あの者らが有する“森の知識”は得難いものであり、友好を図って損はありませぬ。今がどのような状況か分かりませぬが、何卒、殿のご恩情を賜りたく」
「何を?!」
「そんな――」
月齊の願いを耳にして、重臣達が目を剥き、一度は落ち着きを取り戻していたシリスまでもが再び気色ばむ。
影達の“闇墜ち疑惑”は完全に晴れたわけでなく、むしろ
特に“闇墜ち”の脅威を知るであろう異人達の拒否反応は著しく、「すわ、『精霊術』か」と騒ぎかけたところで、殺気すらこもる
「――我らが参ったのも、偶然ではありませぬ」
正直、どのように捉えても、今放り込むべき内容の話しではない。さすがに意図を図りかねる弦矢に、「繋がりあってのこと」と月ノ丞は理由を述べはじめる。
「先ほど、城の外に何やら“不穏な気配”が……それも何かの“群れ”のような大きな気配を感じまして。てっきり――」
“新手の脅威”が迫ったかと。昨夜の一件を思い起こせば、堀の外側で伐採に励んでいる斉藤達の身を案じたりもする。
「心中穏やかざる」と駆けつける際の気持ちを告げる月ノ丞に、弦矢もそこは納得できると深く頷く。
「しかし、以前からそのようなことが?」
「いえ、今回が初めてにございます。それ故になおのこと気になりまして……」
わずかに憂いを見せつつ、一度、月ノ丞は口調を改める。
「此度は拙者の杞憂に終わりましたが、常にそうとは限りませぬ」
「うむ。“外”にはいくら警戒しても十分と云うことはあるまい」
「されば――」
そこで語気強く、申し出る月ノ丞。
「されば、殿。
「つまり……月齊の願いを聞けと?」
弦矢が低頭したままの盲目の剣士をちらと見やれば、月ノ丞はゆるやかに目礼で「是」と告げる。
「諏訪にとって有用な知識を持つ者達が、この場に訪れたこと、そして、今こうして拙者が居合わせることとなった意義を考えるに――」
穏やかに、だがひとつひとつの言葉を丁寧に月ノ丞は紡いでいく。
「城の防備を強める好機――それを逃すなとの、これも不動明王尊の導きかと」
「ふんっ」
副長の片桐以下他の隊員達ならばいざ知らず。“願掛け”よりも己が力量の研磨のみを、その修練こそを信奉する男が「どの口で」と弦矢が思わず鼻で笑う。
だが、そこに嘲りはない。
月ノ丞が部下の判断を信じ、部下を援護すべく声を上げたということを理解できたが故に。
「……それだけか?」
「はい」
「仏尊の導きで、ここに参っただけであると?」
弦矢の視線が心なしか鋭くなったのは気のせいではない。
「詰め所に“犬より大きい鼠が現れた”とか“庭先の松がしゃべり出した”とか?」
「ありませぬ」
「物の怪でなく“軍”が来たと思ったのでは?」
「否」
「くどい」とばかりに目力が強められのを「ならばよし」と弦矢は重々しく頷いてみせる。
一見、ふざけたようにしか思えぬ問いかけも、これ以上、
だが、それとは別に
(“軍”の言葉に荒立つか。万雷の軍と思っていたのであれば、動揺はすまい)
ならば、冷貌の剣士は“大きな気配”の正体を何と推測していたのであろうか。
無論、物の怪の可能性を念頭に置いていたのは間違いあるまい。だが、それ以外に“本命”があったからこそ、“軍”の言葉に対し、いつも超然としている剣士の黒瞳に弦矢だからこそ気づいた“かすかな揺らぎ”を示したのだ。その“本命”は――
(“敵の侵攻軍”――であろうな)
常に、諏訪と共に“世渡り”した可能性が懸念されるだけに、武力を担う者達にとっては拭い去ることのできない大きな不安材料だ。
先ほどまで、城に残る最大戦力として重責を負っていたに違いない月ノ丞が、その事を想起しても何ら不思議はない。
そうして気づいてしまえば、どことなく違和感を感じていたことも無用の心配であったと、弦矢も安堵できる。
(敵が来たとなれば、それ即ち、万雷が敗北したということ)
城外布陣が“敗戦を覚悟”せねばならぬ策略であったとはいえ、敵が攻めてきたなどと、口にしたくないのは当然の心情だ。
まして、すべては杞憂であったとすれば、なおのこと。
無用に事を荒立てる必要はないと、わざと別のことを月ノ丞は告げたのだろう。
「さて――」
ひとつ肩の荷を降ろして、弦矢は軽く一息入れる。異人の狂騒を落ち着かせ、月ノ丞たちが参じた理由も理解できた今、あとは仮面の者達をいかように扱ったものか、決めるのみだ。
「月ノ丞」
「はっ」
「『
「異論ございませぬ」
ふいの無茶振りであったが、若き隊長は躊躇うことなく即答した。
主自身が問題とせず、他の者達への配慮として監視人を付けることで体裁を保つ――そうした意図に気づけば、もはや月ノ丞にできる返事はひとつきり。
肝心の“影達の信用性”については、席付たる月齊の判断をただ信じただけである。
弦矢の差配に月齊達が頬をゆるめるのは当然であり、警戒心を簡単に解けぬシリス達が顔を強張らせるのもまた当然であったが、さすがに異論を口にする者はいない。
「だが、このままでは皆の胸に
「皆で……?」
聞き咎めた弦之助が怒り眉を皺寄せたのは不満ではなく不安のためだ。それを察して弦矢は「案ずるな」とやわらかな視線を向ける。
「知らねば余計な邪推が生まれ、育まれることで大きな争いの元にもなりかねん。それならば、かえって一堂に会して思い思いに話しあったがよい」
「ならば、得物や道具は預からせてもらえますか」
「そうだな……悪いが荒事を生み出さぬための配慮だ。ご協力頂けるな?」
そうして弦矢がゆるりと周囲へ顔を向ける。窺うというよりは有無を言わせぬ語気が込められているが、先ほど同様、それこそ文句をつけて事を荒立てるような軽率な者はいない。
仮に暴れたとしても、現状で最大戦力が諏訪の侍達にあることは、一定のレベルにある強者にとっては自明の理であるがために。
ただシリスだけが、サッと手を挙げかけたのをトッドがすかさず後ろから赤髪を小突いて、人知れず黙らせてしまったのはご愛敬。
無論、弦矢が視線を向けぬよう懸命に堪えていた苦労を知る者はいなかった。
*****
(天下広しといえ、これほどの顔ぶれを揃えることなぞ、いかような“場”であっても、そうあるまいて)
今朝の評定とはまた違った趣で、二十畳はある広間が狭苦しく感じれる光景に弦矢はぼんやりと考える。
異人達側は先ほど不可思議な呪術を披露したシリスをはじめとした他三名を代表とし、仮面の者四名を預かる『抜刀隊』からは月ノ丞と副長片桐そして月齊の三名が帯同、そして戦の疲れを微塵も見せずに諏訪の有力者であり万雷の寄子となっている『雷四つ』のうち三名が寄親たる万雷を筆頭に、どちらかといえば好奇心も露わに参列し、異様な熱気を評定の間に充満させていた。
もちろん、いつもの重臣四名は最寄りの上座ですまし顔を作っている。
「――先ほどは
弦矢が軽く咳払いをすると、幾人からは
つい今し方、話を聞きつけた弦矢の妹が「是非に」と参加を請うて乱入せんとし、
ただ弦矢が気になるのは――
(
滞りなく話し合いの続きができるならば、弦矢とて無用な詮索をするつもりはない。頭の片隅にちらついて離れぬ好奇心を振り払い、努めて冷静な声を取り繕う。
「――それで、先ほどの続きであるが“闇墜ち”がいかなるものか、分からぬというのは真か?」
「ええ――はい。私の知る限り、近隣諸国を含めても……“闇墜ち”の、その正体を明言できる者はおりません」
こういう場には不慣れなのだろう。どこかぎこちない口調と表情で、赤髪の女――シリスは貫頭衣の裾をきゅっと握りしめる。
弦矢は彼女が
「“闇墜ち”は……文献や遺跡にある壁画などで、太古よりその存在を確認されていました。ですが資料は少なく、実際に目撃例さえ稀少である事実を踏まえれば、
「だが、“あまねく生きとし生ける者達にとって相容れぬ敵”というのは、どの神話や民間伝承でも共通して伝えられてるんだよな」
先ほどから居心地悪そうに
ちなみに、今は弦矢が“自由な発言の場であれ”と定めたことから、発言に関してはいちいち許しを得る必要はない。
それでも、早速、いの一番に口を開いたトッドに、重臣達が不快げに眉をひそめているが、無論、そんなことを気にする彼ではなかった。
「その“性質”を考えれば、間違ってはいないんじゃない? すべての情報を合わせれば、似た話にまとめられると思う」
「長い時の流れで、塵のような情報も積み重なれば……てか」
「あるいは『
「もはや夢物語だな」と笑い合う二人に、「ふうむ」と唸るのは“碩学の戦人”
「黒塗りの姿に“瘴気”をまき散らす……か。あまりに胡散臭すぎる話しだが、しかし――」
これまでに受けていた説明を
だからこそ、指揮官の立場で体験した彼の寄親も“新たな脅威”の存在を耳にして、問わずにはおれなかったのだろう。
「その“瘴気”とやらも何なのだ……?」
眉をひそめる万雷の影で、碓氷が眼を輝かせ興味津々で耳をそばだてているのは誤解に過ぎない。彼も武人として、諏訪の防衛を司る役目柄、万雷同様に“新たな脅威”に対するべく、関心が高まっているにすぎないのだ――たぶん。
「“瘴気”とは――」
「“光を呑み込むもの”――確か太陽神を奉じる司祭がそのようなことを云っていたな」
答えあぐねたシリスに代わり、そう記憶を手繰るのは、侍達が感心するほど正座が板についている剣士エンセイだ。
はじめ、真似をしたトッドがすぐに足が痺れて根を上げた姿勢を、初老の剣士は相変わらず涼しげな表情のまま、今も持続させている。
「光を呑み込む……?」
弦矢の疑念に「それ以上は知らぬ」とエンセイがシリスを見やれば、「言葉通りです」と彼女がすかさずフォローする。
「元は闇より生まれ落ちたモノを“祖”にするとも云われ、またこうも伝えられています――“彼らが呼吸するたびに、漆黒の靄はゆるやかに広がり、呑まれた周囲にある万物は、闇に融けてゆく”と」
「わからんな」
「そうでしょうね。でもこれは比喩でも何でもなく、ただ言葉通りに受け止めればいいだけです。それが
妙に力強く断じるシリスに誰もが訝しんだであろう。だが彼女はいたって真剣に、まるで真理を諭す説法師のごとく確信を抱いて言葉を紡ぐ。
「闇に呑まれれば、木々も、岩も、虫も、動物もすべてが例外なく闇色に染まり、その性質を闇に落としていく……例えば闇化した樹木の枝を折れば、中身も闇化しているのを知るでしょう」
「それが“闇墜ち”か」
月ノ丞の呟きにシリスは頷く。
「元は普通の木々であり、虫であり……動物であったもの。それが闇に呑まれ、恐らくは取り込まれることで、その本質を変じてしまうのです」
どう変じると? もしくは、それでいかなる支障があるのだと? そんな皆の疑念を承知しているとトッドがいくつか事例を挙げてゆく。
「木々は燃えなくなり、岩は砕け散ることなく」
虫や動物などの生き物は
そのいずれも、常識では考えられぬ事ばかり。まるで“世界を真っ向から否定する”ような変質ぶりに、感じるのは、ただ大きな違和感だ。
「
そう締めくくるトッドの声は泥水でも口に含んだような嫌悪にまみれていた。それを「歪だけならまだよかったのかもね」と補足するシリスも同様に。
「厄介なのは、それが使命であるかのように、世にあるすべてに対し“闇墜ち”がとても好戦的だということ。
その狂気が壮健の神が云うところの“肉体の潜在力”を引き出すのでしょうか……闇化によって身体能力が飛躍的に高まり、例え上級の『探索者』であっても手を焼く強さになるのです」
「ふん――」
思わずといった感じで鼻息を荒くしたのは万雷だ。彼の琴線に触れたのは“
大きく口の端を吊り上げ、鬼人を思わす恐ろしい嗤いを描いているのを本人さえも気づいていまい。無論、似たような鬼はその場に碓氷をはじめ、他にも数名いたのであるが。
「専門家の間では、魔獣などを筆頭に『深淵を這いずるモノ』の類いはすべて、
「ん、何だその……深淵?」
聞き咎める弦矢にシリスが一字一句を歯切れよく繰り返して聞かせる。
「『
遙か昔――『白の時代』よりは後の頃ではありますが――未だ人種が大陸の片隅で息を潜め、生物界では
「ほう……いや、お主の知識は深いのう」
「え? いえ……それほどでも」
突然の褒め言葉に、意表を突かれたシリスがごにょごにょと恥ずかしげに口ごもるのを「話しを止めるなよ」とトッドが肘で軽く突く。
「とにかく――」
そう火照る顔を振り払い、そばかす顔を凜々しく引き締めたところで。
「あながち専門家の仮説も嘘とは言い切れない、そう私は思っています。むしろ納得できませんか? 好戦的な“闇墜ち”と同種なら――
「…………」
正直、怪物なるものにさえ慣れ親しんでいるわけでもない以上、賛同を求められても、素直に相づちが打てるはずもない。ただそれでも、ここにいる諏訪の全員が、昨夜からの一晩で経験した怪事は、彼らの観念を打ち壊し、シリスの云わんとすることを柔軟に悟らせ、それなりに受け入れさせるに十分な影響を与えていた。
故に、困惑や拒絶とは違う空気を漂わせる侍達の沈黙をシリスは肯定的に受け止める。
「光が差せば影が生まれ落ちますが、光と影が
好戦的であるが故、古くから“闇落ち”と人種は相争い、ただ戦争にまで至らぬのは、山や森の奥深くにまで踏み入れないと彼らと遭うことがないその希少性のためだ。
出遭えばほとんどの者が殺されるか闇化してしまうがために、存在自体が怪しまれ、長く伝説のように語り継がれてきたところもある。(特に逃げてきた話はあっても、倒したという話しは耳にしたことがない!)。
今も大多数の『探索者』にとっては迷信か怪談話の類いであり、シリスのように真面目に論じる方が希なくらいであった。
だから調査や研究も
「“闇墜ち”について知られているのは、結局その程度のものです。その性質は、この世にあるすべてのものと
「前から思っていたのだが……」
おもむろにエンセイがこの際だからとシリスに尋ねる。
「『精霊界』には、いないのかね?」
「おりません。ご存じの通り、“世界の元”となった『四大』は地・水・火・風の四つ限り。それぞれの『
そう若干自信なさげに持論を付け加えたシリスに「どうだろうな」とトッドが軽く首を傾げる。
「物語で耳にする『冥界の使徒』とは何か違くねえか?」
「まあ、そうなんだけど……」
そう語尾を濁らすのはシリスもそれに気づいていたからだろう。思わず顔を背けたのも少しの間。すぐに碧い瞳に力を込めて、トッドに向かって拳をつくる。
「とにかく、奴らに関してひとつ云えるのは、私たちにとっては“とても危険な存在”ということよっ。幸い、そう簡単には人里に現れることはないけれど、もし、万一出遭ってしまった場合は……」
そうして言葉を途切らすシリスの碧い瞳は、異様な面を被る影達に向けられている。その瞳に“敵意”はさすがに見られないが“疑心”の色合いは強く濃い。
彼女らの話に出てきた“漆黒の靄”とやらが、彼らの身より流れ出るようなことは見られないが、その姿が明らかに人間でない以上、警戒するなという方に無理があろう。
何となく皆の視線も影達へ集まる中、弦矢が疑心を抱く彼女に念を押す。
「シリス殿はあの者らが“闇墜ち”の類いと思っているのだな?」
「少なくとも“近しい者”では、と」
素直に認める緑の貫頭衣に、「(そう思うのは当然だ)」とまさか影の一人が口を開くとは。
「?!」
「お主は――“ぐどぅ”殿であったか?」
すでに済ませていた紹介を思い起こし、弦矢が馴れぬ発音に苦慮しつつ確認する。だが、正直それよりも懸念されるのは、シリスと影とで直接言葉を交わし合う危うさだ。
珍しく妙な緊張を覚えながら、弦矢は影の参戦によって見えなくなった会話の将来をひどく憂鬱な気持ちで考えるのであった――。
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