第30話羽倉城の狂宴(中編)
皆殺しにされる――っ
切迫した女の警告を、一笑に伏す者は一人とておらず、即座にその立ち位置によって二つの行動に分かたれた。
即ち、異様な影達へ向き直り、腰を沈めて刀の鯉口を切る者と、唐突に感情を爆発させた女へ、困惑と不審が混じり合った視線を向ける者とに。
「無庵様、一体何事が……?」
「分からんっ」
不安げな丸顔に白髯の初老は眉間にしわ寄せ、唸るように吐き捨てる。
そもそも怪しげな面を被り、全身黒づくめの
前代未聞の醜態に、さすがの『慧眼』と称えられし無庵でも、何が起こっているかなど、答えられようはずがない。
それは他の者達も同様であったろう。
突然の展開に、戦いに備え、あるいは危機から逃れるなど、誰もが某かの対応を迫られる中、女だけは己がすべきことを心得てるかのように、毅然とした振る舞いで、さっと懐から何かを取り出した。
「あれは――」
それを目にした者達が思わず心奪われ、言葉を失ったのも無理はない。
彼女が手にするは煌びやかな蒼水晶を冠頂に戴き、外つ国発祥と思しき紋様を精緻な細工として施された神秘的な銀の短杖。
まるで短杖自身が己の価値を知るかのように気品を纏い、毅然と陽光をはね返す淡い輝きと相まって言い表せぬ幻想美を生み出している。
それが単なる値打ち物に非ず、『精霊術』を使役する者が、ここぞという時に術の増強を狙って頼りとする
そしてまた、その“切り札”と呼ぶべき秘具を
それでも彼女もまた、エルネ達と共に“魔境”を乗り越えてきた強者の一人――宙へ掲げた短杖でぐるりと弧を描く勢いで、頭をすっぽりと覆っていたフードが後ろに流れて露わになったその顔は、恐怖に呑まれた臆病者のそれではない。
むしろ、立ち向かう者の顔だ。
どんなに恐怖で頬を青ざめさせていても。
短杖を掲げる細腕を小刻みに震えさせていても。
「――っ」
歯を食い縛る女の視線はしっかと影達を捉えて反らすことはない。それどころか、勝てぬと承知で立ち向かう強い意志が、何かを守らんとする必死な思いが、その澄んだ碧い瞳に宿っていた。
先ほど、彼女が皆に「逃げろ」と促したのは
だからこそ、恐怖で霧散しそうな勇気をかき集め、皆に避難を訴えるのだ。自分が少しでも時間を稼ぐからと。
肌の色や文化がどうの、異人だ何だと云っているどころではない。
何しろ眼前に現れた者は――
「水精の子らよ――」
鈴鳴るような澄んだ声が高らかに響き渡った。それは届けるべき相手に向けた女からのメッセージ。
暖かく、されど無視できぬ力強さを込めて。
目に見えずとも、しかし、確かに
「水精の子らよ、しばし戯れて頂戴っ」
女の言葉か込められた思いにか、応えるように短杖の頂きを飾る蒼水晶が淡く輝きだし、風もないのにすぐそばの貫頭衣が、何かの力に押されるようにゆらりと波打ちはじめた。
「おいっ?!」
「何だ――?」
その異常な現象に目を
「「あっ?!」」
水面から不自然にするりと延びた水流が何かの姿を
ぴゅぴゅんっ
どれほどの力で水を押し出し、どれほどの速さで宙を飛ばせば、そのような音が生まれるのだろう。
帳面務めの無庵や丸顔はいざ知らず、他の武を嗜む者達は美しき水細工の行方をしっかと追い、それが離れた位置で佇む影達に凶器となって襲い掛かるのをはっきりと捉える。無論、そこに込められた力が、強靱な皮鎧を容易に貫くだけの威力を有するとまでは、分かるはずもなかったが。
――――ほう。
それを表現するなら、腕に覚えのある侍達の相貌を覆った感情は“驚愕”ではなく“感心”。そして皆の目が細まるのは、飛燕の速さで迫る“水の凶魚”を
それは何気ない一動作。
背に預けた得物を抜き様に、斬り伏せた動きは見事に尽きるが、それよりも、手にした得物が通常のものより分厚くて長い剣鉈という“重量物”であることに、細身の見た目以上にある膂力にこそ、警戒すべしと喝破する。
普通、あれほどの重量物を風切る速さで振り回せば、体軸が流れて大きな隙ができる。だが、影はその一刀に違和感を感じさせないほど、振り下ろし後の剣鉈をぴたりと止めてみせ、その立ち姿にわずかも隙はなかった。それを術理ではなく膂力によるものと侍達は見極める。
「……易々とっ」
影の実力に
打撃系ならいざ知らず、斬撃系の武器では斬っても斬れぬが水の
だが、彼女も伊達に“魔境”を生き抜いたわけではない。相手をどれほど怖れても恐怖に屈するどころか、むしろ術士としての
今度こそとばかり短杖を握り直したところで、
「お待ち願えませんか――?」
せっかくの緊迫した雰囲気を壊してくるのは童顔の若武者――碓氷であった。
今の明らかな命のやりとりをどう見ていたのか、すまし顔で割って入り、それどころか芝居気たっぷりと、何か困ったように眉をひそませる。
「非常に興がそそられる
「馬鹿なことをっ」
“客人”が誰を差すのか察したときには、咄嗟に罵倒した後であった。だが、女に髪の毛一本ほどの後悔はもちろん反省なぞするつもりはないようだ。むしろ若者に対する苛立ちが、普段は柔らかなはずの目付きを険しくさせていた。
その思わぬ反応に理解が追いつかなかったのか、きょとんとしている若者に「貴方も早く逃げなさいっ」もう一度避難するよう促して、女は再び術の行使にとりかかる。
(もっと――)
先の一手はあくまで相手の力試しに放った低レベルの術――結果は想像通りであり、手加減無用と知れれば、あとは全力の一撃を叩き込むのみ。
だから「もっと――」と深く、強く祈る。
蒼水晶に意識を向けて、囁くように、語りかけるように。
蒼水晶を通して、親しい水の精に、できるだけ多くの子らに願いが届くように――祈る。
(もっと――)
彼女ほどの術士であれば、瞬時に
そこに高次元の存在など――何者かの意志が関わっているか否かは別にして、“あらゆる可能性”をその身に宿しているのだけは紛れもない事実。
だからこそ、彼女がこれまで経験してきた“数えきれぬ反復練習”と“数えきれぬ実戦”が実を結び、こうして
それも並の術士が及ばぬほどの深みまで。
それこそが、高位術士の必須条件であり、同時に“証”でもあった。
(もっと――……)
女の表情からそれまで占めていた恐れや憤り、使命感などのあらゆる感情がするりと抜け落ち、ただ祈ることだけに没入する。そうして没入感が深まるほどに輝きを増していく
それは先ほどの現象の繰り返し――いや、今度は身に帯びる貫頭衣だけでなく癖のある赤毛までが、そよ風に遊ばれるように
それは彼女の
術士の言葉(=感覚)を借りるなら、蒼水晶を中心にたくさんの精霊達が集まっているがために、空間が波打ち、衣が、髪の毛がそよぐように反応しているのだ。
そして一度
(もっとたくさん――“魚の群れ”で遊ぶのよっ)
それは堰き止めていたものが一気に溢れ出すような気持ちのいい開放感。
放たれた力は奔流となって池に向かい、女が脳裏で描いたイメージが現実となって華麗な創造劇として展開される。
女の鼓舞に水面がより広い範囲で粟立ち、種から花咲くまでの成長を凝縮したような一瞬を垣間見たかと思いきや、単発だった先ほどとは違い、複数の“水の凶魚”がいつの間にか水上に姿を現していた。
『
生命を司る水の精霊術は、体力回復や飲み水の確保など暮らしに根付いた術が好んで使われ、そのため、およそ攻撃に向かない穏健な術として認識されている。
だが何事にも例外はあり、沿岸部を中心に攻撃系を得意とする術士の存在はその代表格と云ってよいだろう。
彼らは、子供時分から馴染んでいる海の生き物を模すことで確固たるイメージを手に入れ、それが術の造形スピードや攻撃力に反映されることで他の精霊術に比肩し得る攻撃力を生み出すことに成功した。
陸海空――いずれにも恐るべき生き物はおり、術士が抱いた恐怖のイメージを攻撃力へと容易に転化できるのは象形術の利点であり、だからこそ、ほとんどの精霊術が何かの生き物を象ったもので占められているのだろう。
そうした背景を踏まえると、鱗まで細やかに再現された水魚の姿は、女が沿岸部出身あるいは馴染みの深い者であることの証左であったろうか。
いや、今は彼女が行使した術がいかなるものかが肝心だ――それは、水の精霊術では中級攻撃に位置するもの。
一撃で皮鎧を貫く威力は、『火蜥蜴の舌槍』と共に戦場において『指揮官殺し』の異名を誇り、長き精霊術の歴史においては、全身装甲さえ貫いてみせた高名な術士も存在したという。
ちなみに、これを諏訪の侍達に分かり易く説くならば、「万雷が全力で投げる槍の一撃に等しい」――そう申せば事足りるだろう。
一般の術士ならば一匹が限度、熟練の術士ならば三、四匹まで扱えるが、『
「『
陽射しを水の鱗で七色にはね返す美しき魚たちの姿に、トッドが仲間の使った必殺の術名を口にする。その声が震えを帯びるのも無理はない――一撃必殺と云うべき強力な攻撃を七つ同時に叩き込む恐るべき術の展開だ、例え相手が魔獣であっても憐れまずにはいられない。それへ、さすがにただ事ではないと感じたか。
「いかんっ」
「待て――」
焦りを帯びた誰かの声が発せられるも止める術はない。
虹の軌跡を引いて、煌めく魚群が一斉に水上を離れ宙を走った後では。
その美しさとは裏腹に、抗うことを許さぬ数の暴力は、瞬きふたつの間に影の身体に七本の槍を突き立てる――誰もがそう予見した未来を、しかし、横からぶち壊す者がいた。
否――
美しくも死の軌跡に立ちはだかったのは碓氷という名の若武者ひとり。
笑みを口に含む若武者の手が、腰の
ふっ
と一瞬だけ両腕が霞み、二刀にて宙に描かれた銀線が若武者の眼前で美しく乱舞する。それが正確に、迫り来る七つの輝く
だが、結果は彼らでさえ予想を違えたものであった。
「ぷあっ!!」
ぱぱんと派手な音と水しぶきを上げて、弾き飛ばされた碓氷が仰向けできれいにひっくり返る。
誰かの短い驚声を聞いた気もしたが、定かではない。それよりも、碓氷の前面を覆う鎧に赤い血潮どころか傷ひとつ見当たらず、水に濡れただけで済んだことが分かれば十分であったろう。
当然、二刀を離さず大の字で倒れたまま、碓氷が動かぬ理由も深手を負ったり、それによる痛みがあるからではない。
「……おかしいな」
愛らしい唇から洩れる声に苦痛はない。
あるのはただ、釈然としない気持ちだけ。
確実に
海苔のように濡れた前髪を額に貼り付け、その齢に相応しく目を丸くする表情が、碓氷にとっても予期せぬことであったと告げていた。
今の一瞬、“影”が斬りつけた時と違い、碓氷の斬撃は
(
離れた位置で事の顛末を傍観していた月ノ丞ほか数名もまた、思わぬ結果に少なからず驚きを覚えていた。
“影の斬撃”と“碓氷の斬撃”。似た斬撃と見えるのに、何故異なる結果を生じさせたのか。
より詳細に比べれば、二刀を使ったとはいえ、速さならば碓氷であり、武器の厚みでいえば影の方が威力はありそうだ。
だが、
「――いや、単に“斬る”というのだけでは成せぬということか」
「隊長……?」
月ノ丞の独り言に、そばにいた者が怪訝な顔を見せるが答えは返らない。それは彼なりに何かを掴みかけていたからだ。
(見方を変えれば、“面の者”が成したのは“術を断つ”という行為……なればこそ、彼奴が断った水魚は力を失い、その場に落水した……?)
そこに“鍵”となるものがあるに違いない。
問われるのは「どうやって術を断ったのか」だ。
用いる得物が“霊験あらかた”なのか、あるいは彼奴もまた某かの術を使う者なのか。
今や騒然としているその場において、月ノ丞達が目を細めて疑念を抱いているのを知る者はいない。いや、「ごほっ、痛たた……」と鎧越しとはいえ衝撃が肉体に通っているのか、咳き込む碓氷も同じ疑念が脳裏に過ぎっているはずだ。
「……上手くやれると思ったのに」
どこか拗ねた感じで呟く若武者は、二刀を手にしたまま顔に滴る水を拭おうともしない。だが渋い顔で「おかしい」とごちる理由は、月ノ丞達とは別の物――口ぶりから察するに、どうやら「影に張り合えなかった」という何とも子供じみた優劣を憂えてのものであったらしい。
そんな、呑気すぎる碓氷とは違い、またしても試みをしくじった女の方はどれほどの心境で結果を目にしていたことか。
「――おや?」
むくりと上半身を起こして目にしたものに、碓氷は思わず眉をひそめるのだった。
*****
刻をほんの少し遡る――
皮鎧の男と万雷の争いをうまく抑えたと弦矢が安堵したのも束の間、どこぞ意地の悪い神仏の企みか、集うてはならぬ曲者達が鉢合わせとなり、そこからは、弦矢の許容を超えた出来事の連続であった。
やおら女が喚き出し、水魚を凶器として飛ばす呪術にも面食らったが、それを難なく退けた影の力量にも瞠目した。
――やりおるっ。
奇怪な面と異様な風体に目が行きがちだが、一個の戦力としては過大な力に一体誰の
(む――?)
振り返れば、先ほどより強い輝きを放つ女の短杖が真っ先に目に入った。
弦矢も耳にしたことのない拳大ほどの蒼き水晶の見事さよりも、すぐそばを取り囲む空気が
それも看過できぬほどの強烈な不安を。
――――拙いっ
“何が”かなど説明できない。だが警鐘を鳴らす己の直感を弦矢は「正しい」と無条件に確信する。それが証拠に、またしても池の水面に変化が起こる。
ぱちゃちゃちゃちゃ……
太鼓の面に砂をまぶし、叩くと微振動で無数の砂粒が跳ね飛びる様を見ることができる。今、水面で起きている現象はそれと似たものであり、事実、幾つもの波紋が次々と水面に生まれていき、干渉し、すぐに激しい水しぶきが皆の耳朶を打つ。
それもすべては一瞬の出来事。
ふいに迫り上がった幾筋もの水流が、七つの水魚を宙に生み出したとき、
「いかんっ」
すぐ傍らにあった
それは二人以外の者にとっては、一瞬の出来事。
その意図は認めるとばかり、弦矢が手指を閃かせて
(余計な――)
弦矢の投擲が女ではなく蒼水晶を狙ってのものと気づいたはずだ――値打ちものとはいえ、道具を守って争いを止めぬ剣士に弦矢は憤る。
その怒りをむしろ幸いとばかりに収めぬのは隣の巨漢だ。
「むあっ」
エンセイに向けて剛拳を振るう巨漢の動作を弦矢は感じ取り、同時に視界の端では池から生まれた光り輝く魚たちが彼の努力を尻目に飛び立っていた。
(くそっ)
間に合わなかったことに悔やむ暇もなく、すぐ隣では新たな火種が燃え上がろうとしている。
唸り飛ぶ剛拳。
鋭い両眼をわずかに細めて迎えるエンセイ。
次の瞬間にはいかなる結末が眼前に展開されるかと思われたその時――
「――手遅れだ、万雷」
弦矢の静かな声が、またしても巨漢の動きを抑制する。それだけでなく。
「お主もだ――
「――御意」
ふいに湧いた
そこにいつの間に近寄っていたのか、腰の剣を半ばまで抜いた状態で、鋭い視線を自身に向けてくる美貌の剣士の姿があった。
「――――っ」
声にならぬ悲鳴を挙げ、凍り付いたように硬直する貫頭衣。驚いた拍子で思わず手から離れた銀の短杖が、玉石砂利の上に静かに落ちる。
周囲を淡い青色に染めていた水晶の輝きが消え、庭はいつもの穏やかな景色に戻っていた。
それを目にして、事の終わりを感じ納得したのだろう。万雷がいまだ肩に置かれたままの意外に節太の手を一瞥し、再び、ようやく交じ合えると喜んだ強敵へと視線を戻す。
「――
「いや、恐ろしかったよ」
大きく凶悪な拳の影でその表情は分からぬが、淡々とした剣士の声に怯えはない。
実際には、面貌にあたっていたはずの拳風に瞬きもせぬ剣士――その眼前で止めた拳を万雷はようやくゆるりと引き戻す。
「いや……」
それが剣士の洩らした声であり、さらに別のことに気づいた万雷が訝しんだ。自分と同じ初老と思えぬ精気に満ちあふれた瞳が、自分を避けてその背後を見ていることに。
だが、次に紡がれた言葉で納得する。
「……恐ろしいのは、むしろそちらのご当主か」
「ふっ」
思わず洩らした万雷の口元に、今度は剣士が訝しんだ。
堪えきれぬ笑みを目にして――。
万雷だけが知っている。
先の瞬間、彼を止めたのは“当主の声”に非ず、彼自身も的確に説明できぬ“力”によるものであると。
少なくとも、その
残念なのは、その理を説けないことだ。
万雷には分からぬ。どうして、そうなるかを。
拳を振るった側とは反対の、岩のように盛り上がった巨漢の肩に
白山にて戦うこと幾数十――自慢でないが、膂力で己を止められる武辺者なぞ、数えるほどしかいない。
その戦歴に関東の雄、北条からも士官の誘いがあったほど。だがそんな己が、戦にもほとんど出陣の機会がなかった若殿にこうも軽く
(昔からそうだ。若には、儂らに見えぬ“力の流れ”が見えているようだ)
そう昔を想起したところで、後にすべきと万雷は思い直す。背後に湧いた気配に注意を引かれたがために。
「……もういいだろう、シリス?」
すっかり闘志を影に潜ませて、「その気なし」と万雷に首を振ってみせるトッドが、立ち尽くしたままの緑の貫頭衣に優しく問いかける。
「実際、ヘンだと思わねえか? 奴らが“闇墜ち”だと云うなら、なんで真っ先にお前が奴らの“瘴気”を感知できないんだ?」
「……」
「それに、反撃しないのもおかしいぜ」
その一言がいかなる意味を持っていたのか、そこでようやくシリスと呼ばれた貫頭衣が身動ぎする。言葉はなくとも注意を引けたのは間違いない。
「結果的に防がれたとはいえ、命を狙われて黙っていられるほど、奴らは寛容でなければ損得勘定もしやしない。敵対者はただ抹殺するのみ――それは“闇墜ち”にとっての不文律だ」
「……だから危険なのよ」
「
ようやく聞けたシリスの言葉を、トッドは容赦なく切り返す。「お前もそう思うだろ?」と。
「実際、先ほどから奴らが何もしてないのは事実だな」
そう話しに割って入るのは剣士エンセイ。小憎らしいほど冷静な物言いに、シリスがむっとしたように応じる。
「だからっ?」
「ほんとうに“闇墜ち”か、とな」
それは思わぬ言葉だったらしい。びくりと身体を震わした女が碧い瞳を思い切りよく剥き出しにして驚きを露わにする。
「何を――」
「いや、それで説明がつく」
「トッド、『探索者』の貴方がこの状況を理解できないの?!」
「お前こそ落ち着け、シリス。確かに全身黒づくめは怪しすぎるが、逆に云えば、“闇墜ち”と判断する材料はそれしかない。さっきも云ったように、奴ら特有の“瘴気”を感じたか? 目の前に現れるまで、お前自身、何も気づかなかったじゃねえか」
「それは……」
途端に口ごもる彼女の態度で答えは分かろうというもの。さらに「スワの人達と、あんな風に連れ立って歩いてるのをみて、お前は何とも思わねえのか?」そうトッドは影達と地べたに腰を落ち着けた若武者を顎で差し、すっかり勢いを失ったシリスに頭を冷やせと諭す。
「絶体に無関係とまでは思わねえが、正真正銘の“闇墜ち”とはさすがに違うだろ」
「けど……」
なおも納得しかねるシリスだが、だからといって、奴らのすべてを知っているわけではない。その真実からすれば、彼女が持つ情報も所詮はわずかな一部の事実のみ――そうであったとしても何の不思議もない。
もはや強行に否定する理由を失い、シリスが押し黙ってしまう。
「すまぬがこれ以上、城内で事を荒立てるのは控えてもらいたい」
シリスが激しい闘志をすっかり萎ませたところへ、機を窺っていたのだろう、弦矢の諫めるような声が投げかけられる。
「“勘違い”であればなおさらの事。客人とはいえ、度が過ぎれば腕尽くでも従ってもらうことになる。そのことを十分肝に命じられよ。――
続けて向けられた視線の先には影達の姿が。それへ「申し訳ありませぬっ」と影達の背後から前へ進み出た者がひとり。
そもそも、碓氷がかように
見覚えのあるその人物を目にして、弦矢は悟られぬよう軽い嘆息を吐くのであった――。
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