第3章 侍達の挑戦

第19話主の決意

【羽倉城】評定の間――


 晴れやかな蒼穹を望める早朝とは思えぬ重苦しい空気がその場を包んでいた。

 広さ二十畳はある評定の間が、城内に居る主立った役職の者でひしめきあっているが故の息苦しさもあったろうが、真の理由は他にある。

 今し方、『忌み子』の無庵を通してあらためて知らされた“己らが置かれた状況”に、信じられぬ思いと認めたくない思いが重なり合い、誰もが胃の腑に重石を呑み込んだように、苦渋に顔を歪めていた。


「この地が“黄泉の国”だと……?」

「それも“城ごと迷い込んだ”など……」


 あまりの荒唐無稽な話しに、ざわめきで場が揺らいだのは当然であったが、それもすぐに沈静化した。

 理由は明瞭。

 他人の語りのみを耳にするだけなら一笑に付すものを、この場にいる全員が否定できぬ体験・・・・・・・を我が身、我が目で実際に味わっているが為だ。

 その上、少し顔を横向ければ、中庭に敷かれたゴザの上に、昨夜退治した“黒き異形の骸”を目にすることもできる。


 紛う方なき“物の怪”の遺骸を。

 それも四体分。


 びっしりと生えた牙が見える“口”らしき穴蔵に、明らかな“人の腕”が無造作に転がっているのが見える。それを目にした若衆が堪えきれず吐いた一幕もあった。

 それでも安易に首肯など、できようはずもない。

 認めた後、「ならばどうすべきか」など、考えようもないからだ。

 その皆の思いを知るからこそ、主は叱咤する。


「信じるか否か――この際、儂らの思いなど問題ではない」


 力強い声に、うつむいていた数名が顔を上げる。


「どれほど奇っ怪であろうとも、これが事実として否定できぬ以上、受け入れ、対処するしかあるまい。皆も気づいていよう? 儂らに流れる先人達の血が、“目を反らさず、立ち向かえ”と鼓舞し続けているのを」


 投げかけられた言葉に、さらに数名がはっとして顔を上向ける。


「そうだ……儂らは立ち止まってはおれぬ。立ち止まり、諦めれば、二度と会えなくなるやもしれぬのだ……あちら・・・に残してきた友や愛する者達と」


 最後に付け加えられた言葉に、主の不安と恐れをはっきりと感じ取り、今度こそ全員が雷に打たれたように身体を強張らせた。

 嫁や子らと二度と会えぬ――それは自分たちにこそ、当て嵌まる話しなのではないのか?


「よいか――」


 静まり返った評定の間に、主の声だけが朗々と響き渡る。


「儂らはいかなる苦難があろうとも、“我らの世界”に“戻る算段”を見出さねばならぬ。こんな何処とも知れぬ地で、ただ泣き伏し、朽ち果てるのを待つつもりはないぞっ」


 決して声を荒げるでもないのに、しかし、皆の腹にずしりと響く声質で決意を露わにする主に、「それでも」と躊躇いがちに不安を口にする者がいる。


「それでも、もし……その算段が見出せぬ場合は?」

「控えろ、行之進」


 不敬だと『慧眼』が即座に叱責するのを、「構わぬ」と主はむしろ穏やかとも言える声で赦しを与え、それから男臭い笑みさえ浮かべて快活に答えた。


「それならそれで、主らと共にこの地で生きる」


 先の台詞とあまりに真逆――やけにあっさりと割り切った回答に、誰もが狐に摘ままれた顔をし、だがすぐに込められた真意を理解するや、居住まいを正し、唇を真一文字に引き結んだ。


「若――」


 全員が項垂れていた顔を上げ、若き当主の精悍な面差しを見やる。

 例え残してきた者達と会えずとも、自分にはお前達がいる――正しく主の意図を察すれば、家臣として、それ以上の言葉があろうか。


「――聞いたであろう皆の衆」


 『慧眼』と呼ばれる初老が背後を振り返る。


「“主の御覚悟”は“我らの覚悟”――それが定まった以上、背後に憂いはなく、我らはただ前に進めば良い。ただ、“我らの世界”へと」


 先ほどまでと違い、全員が迷いのない瞳で傾聴する姿を目にしながら『慧眼』は話を続ける。


「ここが如何なる地であろうとも、“来れた”のであれば、“戻る”ことも能うのが道理というもの。その道理を見出すには、各々が課された役目を誠実に全うし、かつ、皆の心をひとつにして立ち向かう必要がある。我らを惑わすこの妖異に狼狽えず、今一度、肝に命じようではないかっ」


 それはむしろ、湧き上がる高揚が己だけではないはずと、仲間に確認するかのような『慧眼』の訴えだった。そしてそれは、確かに錯覚ではなかったようだ。


「……言われるまもでない」

「拙者は始めから、そのつもりであったぞ」


 ぽつりぽつりと同意の声、あるいは首肯する姿が見え始め、やがてほぼ全員から気概に昂ぶる声が上げられたところで、主が何度も頷き返す。


「ならばこれよりは、我らの未来を語り合おうではないか。どうじゃ――これから我らがどう動くべきか、『慧眼』ならば何か“案”はあるか?」

「左様ですな……では三つほど具申させていただきたく」


 不意の投げかけはいつものこと。それでも答えに窮する本件においてさえ、ほぼ即答に近いのは、さすがは『慧眼』と言うべきか。老境に至ってなお衰えぬ構想力と、そしておそらくは“物の怪”騒ぎの報告を受けたときから、独り練り続けてもいたのであろう。

 「申せ」との許しを得た上で『慧眼』は皆にも聞こえるよう朗々と語り始めた。


「何よりもまず取り組むべき事は、やはり“城の護り”についてでございましょう。昨夜の一件を踏まえれば、周囲の樹木を今少し切り拓くべきかと存じます。城に近づく“物の怪”の脅威を早くに気づくことができ、なおかつ伐採した樹木を資材として“護りの強化”に活用すれば一石二鳥と相成ります。

 次に“糧食の確保”を考えねばなりませぬ。早急に目的を果たしたいのは山々なれど、正直、長期戦は避けられぬが実状でござりましょう。

 現状、蔵には米と味噌の十分な蓄えがございますが、いずれ底尽きてしまうもの。

 ならば城外での糧食となるものの採取のみならず、城内での作付けを真剣に検討すべきでございましょう」

「水はどうだ?」

「“炊き出し女”の話しでは水嵩に問題はないと」

「それは真か? 井戸の底など見えようはずもあるまい」

「然り。されど、女が言うには“音”で分かるのだとか」


 桶を落とした際に、着水によって響く音が渇水期とそうでない時期では違いが出るのだと女は言う。毎日の水汲みで幾度も聞き続けた者だからこそ、その違いに気づくのかもしれない。

 今朝の水汲みで耳にした音に、違和感はなかったとまだあどけなさを残す女は愛らしい唇を引き結んで明言した。


「信ずるに足ると判断いたしました」

「ほう。ならば水脈も我らと共に“黄泉比良坂よもつひらさか”を渡ったか……?」


 揶揄するような主の口調に『慧眼』は「分かりませぬ」と生真面目に首を振る。


「そもそも、ここが真に“黄泉の国”かも分かりませぬ」

あれ・・を見てもか?」


 主が中庭を指しているのだと承知した上で『慧眼』は頷く。


「さる文書には別の・・“異なる国”へ迷った者の話がございます」

「それは伽話であろう」

「されど、今の状況・・・・を考えた上で、儂には同じ言葉を口にはできませぬ」


 そう返されては主もぐうの音も出ない。だが、黄泉が異界であっても自分たちがすべきことに変わりはなく、大差あるとは思えない。故に「兎も角」と『慧眼』は速やかに話しの流れを修正する。


「最後の三つ目にございますが、周囲の地形を含めた状況を把握しておく必要がございます。我らは“地の利”を武器に常勝を重ねてきました。今また初心に返り、足下から地固めすべきと考えまする。併せて万雷殿と侵略軍の行方も、調べておくべきでごいましょう」

「昨夜出した“使い”はどうした?」


 怪事の連続で失念していたが、そもそも怪事の発端で真っ先に手を打っていたことを思い出し、主が問えば初老は沈鬱な表情で首を横に振った。


「いまだ戻りませぬ」


 「どういうことだ?」と主だけでなく不審を含むざわめきが場を揺らす。


「分かりませぬ。ただ昨夜、城の物見が森に響く争いの音を耳にしております。その後、“物の怪騒動”が大きくなったためにかき消えてしまい、騒動が収まる頃には森も静かになっていたとのことですが、刻を考えれば、彼らも伴に“世渡り”したと思って間違いありませぬ」

「“争い”か――ならば、奴らも一緒・・・・・と考えるべきだろうな」


 その感想は“ざわめき”とは別に皆の背筋を冷たくさせる力があった。


「……いずれ事実が分かるにせよ、今は警戒を厳にして行動すべきなのであろうよ」


 気持ちを切り替えるように主が述べる。


「だが、安易に城外をうろつけば、昨夜のような“物の怪”に襲われはしまいか? 今の状況では、兵も貴重な戦力だ、悪戯に消耗させるわけにはいかん」

「では『抜刀隊』に任せてみては。一騎当千の彼らに特別隊を編成させ、周辺の状況を把握させればよろしいでしょう。併せて伝者となる者も選び出し、一度、万雷殿を呼び戻せば、さらに有力な情報を得られるやもしれませぬ」


 『慧眼』の具申に皆も異論は無いようだ。口を開く様子もなく、じっと主が発言するのを見守っている。そのことを上座から見聞した主はゆっくりと首肯した。


「よかろう。では月ノ丞」

「はっ」

「城外への先遣隊を『抜刀隊』に任せる。万雷への伝者も含めてすぐに人選を始めろ」

「はっ」


 若くして臣下の中でも上座に位置する総髪の侍が軽やかに応じて低頭する。


「次に周囲の刈り払いだが……斉藤」

「はっ」


 『夜廻り衆』を率いる中年侍が下座より声を張り上げた。


「城の警備はお主の領分だ。刈り払いと城の護りをどう堅めるかはお主に任せる。叔父上の智恵を借りながら事に当たってくれ」

「ありがたく。『慧眼』殿に相談させていただき、城の護りをさらに高めてご覧に入れます」

「頼んだぞ。さて、最後に糧食の確保についてだが……先に周辺の安全を確認した上で、班を編制し事に当たらせる他あるまいな」


 これに自薦を告げる者がいる。総髪の若侍だ。


「その任、我らにお任せ願いたく。いずれ森に入るのであれば、我らが担えば一石二鳥――それに食せぬか否か、そうした知恵も林野戦に高じた『抜刀隊』なれば容易に判断もできまする」

「うむ。ならば始めは調査に専念し、安全を見定めた上で採取に取りかかれ。その際、『荷役』を同行させるのがよかろう」

「成る程。そうであれば、いざ戦いになっても敵に遅れはとりますまい」


 三つの事案に一定の方針を定めたところで、『忌み子』の無庵が進言する。


「ひとつ許し願いたき儀が」

「何だ?」

あれ・・を儂に譲っていただきたい」


 目線で中庭の“物の怪”を指す無庵に主が眉をひそませる。


「儂が“医”を嗜むのはご存じのはず。皆の使う薬には“蟲”から作れるものもあるのでな」

「“薬”か……確かに今後を考えれば、より貴重なものとなるのは間違いない」


 唸る主に無庵はさらに続ける。


「そればかりではなく。彼奴の“胃の腑”にあるもの、“体のつくり”――色々と知ることで、この地に対する見識も広まるかも知れぬ」

「さすがは……そこまで考えてのこととは」

「必ず成果が出るとまでは申せぬが、まあ、やってみて損はないかと」


 それでも『忌み子』の言葉に“本家”の無庵も感心したように頷いている。


「どのみち捨てるだけなのだ。あれ・・はお主の好きにするがいい」

「吉報を届けられるよう努めさせていただく」


 無庵が臣下の礼をとったところで、さらに発言を求める声が上がった。


「“夜廻り衆頭”斉藤恒仁にございます。実は昨夜の戦いで、相応の武具が損耗しておりまする。このまま争いを繰り返せば、いずれ使える得物がなくなるかと」

「何だと、鍛治師はどうした?」

「はっ。それが折悪しく、法事で数名が実家に戻っていたところで此度の一件が……人手も足りませぬが、材料も心許ないと耳にしております」

「何と……」


 思わず唸ったのは『慧眼』だ。糧食と同様、武具も損耗し消費するものだということをうっかり失念していたと顔をしかめるが、問題は、それに気づいたところで打開策が見出せないということだ。


「それは“種子島”も同じであるな……」


 主の呟きに『慧眼』の顔はますます渋くなる。

 “種子島”――今や戦国の世を席巻する強力無比な武器『鉄砲』の名を知らぬ者はいない。飛距離は弓を軽く凌駕し、当たり所によっては鉄製の『南蛮銅』さえぶちぬく威力は、すでに騎馬や槍を過去の兵器として退けている。

 敵が人や獣ならいざ知らず、庭先にあるような“物の怪”が相手ともなれば、場合によっては“種子島”の力も借りねばならぬ状況が起きても不思議ではない。その使用が限られるとあっては、湧き上がる不安を抑えようはずもなかった。


「城内で鍛冶の心得がある者はおらぬのか?」


 主の問いに『慧眼』がはっとする。

 『諏訪』の居心地を耳にして、遠くからやってきて棲みつく者は意外に多い。中には鉄砲衆の筒香のように、身に付けた“特技”を活かし職を得る例もある。

 身分よりも能力を重視する『諏訪』ならではだが、もしかすれば、いまだ見出されぬ“特技”を持つ者が城内にいないとも限らないのだ。

 今回で言えば“鍛冶師”としての技能を持つ者が。


「恐れながら」


 ふいに横から湧いた声に、主を含めた全員がぎょっとなって振り向いた。

 見れば、先ほどまで誰もいなかった縁側の廊下に、低頭したままの影がひとつ座していた。


「――心臓に悪いぞ、惣一郎」


 主が穏やかに咎めるのへ「以後気をつけまする」といつものごとく・・・・・・・返事をする。

「して、何用だ?」

「はっ。恐れながら、皆様方の御懸念される事に関しまして、我々に協力させていただきたく」

「協力?」

「はっ。我ら一族も多様な得物を用いるため、専門の鍛治師がおりまする。その者に一事は師事を仰ぎ、それなりに鍛冶をできるようになった者が、実は今城内におりまする」

「おお、それは真か!」


 思わぬところからの助け船に、主の顔がほころぶ。


「その者、途中で護衛の道に入ったがため、鎚を手放しましたが腕は確かと聞いておりまする。しかも、多少は“幽玄の秘術”と呼ぶべき鍛冶の業も伝授されているとか」

「それは……」

「良き成果が望めると思います故、ぜひ、その者をお使いいただきたい」


 そこまで推さずとも、すでに主の思いは決していた。渡りに船とはこの事――いや『幽玄の一族』が秘術とまで呼ぶ鍛冶の業を使えるともなれば、これ以上の候補などどこにも望めまい。


「その者の名は?」

円谷冶刀持つぶらや やとうじ――代々一族の鍛冶師を担っている家の次男にございます」 


「よかろう。むしろ、こちらこそよろしく頼む」

「勿体なきお言葉」

「だがよいのか? お前達一族は、お前以外表には出ぬのが“しきたり”であったはずだが」

「そうも申しておれぬ状況となりました。その事は皆も承知しておりまする。“影”であるからこその利もありますれば、乱りに顔は出しませぬが、今後は必要とあれば躊躇わぬと心置きくだされ」

「ふっ。主らが積極的に動くのであれば、これほど頼もしいことはない。これからも、『諏訪』に力を貸してくれ」

「勿論でございます。我々は『諏訪の信念』と伴に生き、果てる存在でありますれば」


 最後まで低頭したままの惣一郎に、軽く頷いてみせ、主は皆に視線を戻した。


「他に意見はないか? なければこれにて評定を締める。まずは陽が中天に差し掛かるまで、各々の勤めに励んでくれ」

「「「ははっ」」」


 場にいる全員が低頭し、気概に満ちた声が評定の間を揺らす。

 己が目的が簡潔で明瞭であるほどに、人は迷わず動きやすくなるもの。皆の声には自信が漲り、散開した後の歩みも毅然として、評定の間を中心に、一気に城内へ熱が広がっていくようだ。

 活気づいた城内を肌で感じながら主は笑み崩れる。


「――儂も少し身体を動かしたいな」

「何を仰るのやら」


 のび・・をする主に『慧眼』が苦笑する。


「あまり腕を鈍らせては、いざという時“陣頭”に立てぬであろう」

「立たなくてよいのです、そもそもが」


 呆れ混じりに窘める『慧眼』。


「我らの主戦場が林野であると存じておりましょう。颯爽と騎馬で駆けることもなく、薄暗い樹林を縫い、時には猿のように枝上を跳んで敵に襲い掛かる――陣頭に立っても格好良く・・・・ありませぬぞ・・・・・・

「そんなものは期待しておらぬ」


 不機嫌に吐き捨てる主に『慧眼』は嘆息を洩らす。


「幼少の頃は蟲も殺せぬ童であったのに……」

「今も蟲は好かぬ」


 肩を押さえ腕をぐるぐる回す主に、『慧眼』は諦観を湛えた瞳を向ける。


「せめて、城外周辺の状況を把握するまでお待ちくだされ」

「それでは面白みがない・・・・・・

「“腕の鈍り”が気になっていたのでは?」

「……」


 叔父がもうひとつ大きな嘆息を洩らすのを主は聞こえないふりをしていたのだった。

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