第17話評定(一)~篠ノ女軍~

 異形の鎧武者軍団との死闘を終えて一刻後。

 深手の身を押して軍議を開いたが為か、大木に力なく背を預ける篠ノ女万雷を中心にして、三つの影が車座で座していた。

 並びが少し左へ偏っているのは、ちょうど一人分、そこに居るべき者が現れぬせいだが、まるで当然のように問題視する者は誰もいない。

 同様に、大将である万雷の傍が空いていることに対して咎める者もなく、代わりに酒を満たした杯が置かれているのを目にして、誰もが一時、哀惜を浮かべていた。


「――榊のやつ、粋なことをしてくれる」


 憮然たる声とは裏腹に、口元をゆるめる影のひとりが、地に置かれた杯を一瞥する。


「あやつもあれで中々……“万雷様のために、万雷様のために”と気負ってるところがあったからな」

「なればこそ、本望・・だったでございましょう」

「儂とて、おやじを守って死ぬるなら本望ぞ」

「馬鹿ものが」


 影達の軽口に万雷がわずかに渋面をつくる。


「ぬしらの心意気は嬉しいが、死なれて儂が喜ぶと思うてか」

「いやしかし――」

「五月蠅いっ」


 万雷の軽い一喝に、弁明しかけた影――暮林忠助が押し黙る。

 軍団の一番槍として、常に死と隣り合わせの最前線に身を置いてきた暮林にとって、大将である万雷より先に逝くのは当然の流れであり、定めでもあった。

 それ故に、役目上決して負うことのない“護り逝く散り方”に、戦人として惹かれるものがあるのかもしれない。

 その心情を察すればこそであろう、まなじりを決して万雷は言い放つ。


「よいか、死なずに守れ――これは厳命だ」

「まあまあ、そういきり・・・立たずとも」


 総大将の下知に影二人が畏まるところを、即座に緊張感の欠如した声が三人目から掛けられて、折角引き締まった場の空気がほどよく弛緩する。


「なんだ、碓氷うすい――お主が口を出すと場が締まらぬではないか」


 途端に嫌そうな素振りを隠しもせずに、万雷がまだ少年の面影を残す若武者を睨めつけた。


「またそのような。つれない・・・・ですなあ、親父殿は」

「それ。ぬしのその口ぶりが……」

「されど三年前の“柏谷の戦”では、あれほど感謝してくださったではございませぬか」

「おい」

「あの『軍神』が、声を潤ませ・・・――」

「えーい、分かった分かった」

「“おぬしの、その”――」

「だから分かったと言うておろうがっ」


 万雷の大喝が突風のように面貌を叩くも若武者の柔和なほほえみが崩れることはない。むしろ、「またか」とどこか呆れたような表情を他の二人は浮かべているが、口を挟むつもりはないらしい。


「まったく、まだケツも青いくせに過去ばかり振り返りおって。ぬしはもっと“先”を見い」

「そのお言葉があるからこそ、私は“先”を見るために、まず、己の“足下”を改めることとしております」

「――何が言いたい?」


 最後の言葉が自身に向けられたものと察した万雷が半眼で若武者を睨み付ける。

 苦々しい顔つきはすでに次の言葉を承知しているかのようだ。無論、悪気のない碓氷は、請われるがまま自身が思うところを素直に口にする。


「つまりですね」

「うむ」

「思うに」

「うむ」

「忠臣の思いを汲むのが、主ではないかと」

「…………」


 普通にまともなことを言われて、万雷が思わず言葉に詰まる。

 思いを汲めというなら、こちらの思いも考えろと言いたいが、なぜか口にしたら負けのような気がして万雷は口ごもってしまう。

 碓氷は無垢な瞳で不思議そうにこちらを見ている。

 歯を噛みしめる万雷。

 笑顔の碓氷。

 めきり、と万雷の膝上で握る拳が音を立てるのを耳にして、暮林の隣に座している、ひょろりと背の高い影――丹生是永にう これながが慌てたように、「よろしいか」と申し出た。


「何じゃ?」

が居らぬはいつものこと。さればそろそろ、評定を始めては如何でしょう」


 丹生の申し出に「でかした」との目線を暮林が向けているのを見なかったものとして、万雷は「よかろう」と慇懃に首肯し、わざとらしく咳払いをする。


招集もせぬのに・・・・・・・、ぬしらが刻を同じくして顔を出した――その理由を儂も質したかったところだ」


 大将から出た思わぬ言葉に、三人の視線が素早く交錯する。その視線にこもる感情は「ぬしらも?」という“怪訝”であり、「いや、やはりか」という“得心”でもあった。

 内容は分からずとも、互いに“大将に伝えるべき事案”が発生したことは間違いなく、“同時にそれが起きた”ということは何らかの関係性があると考えた方が筋が通る。

 ならば――

 評定の行方に一縷の期待を寄せて、三人の視線が再び万雷へと向けられる。

 第一声はやはりというべきか、篠ノ女軍先手衆の暮林が発した。


「まずは某から」

「申せ」

「……」

「どうした?」

「はっ…………万雷様の槍が、見つかりませぬ」


 万雷の眉がぴくりと動く。

 真っ先に手を挙げながら、何を躊躇しているのかと思えば朗報どころか最悪の知らせだったとは。

 先の戦いの最中、追い詰められていたとはいえ、思わず得物を手放してしまったのは己の不徳以外の何物でもないのだが、まさか無くなっているとは思わなかったのである。

 ただ捜索を命じられただけの暮林に落ち度はないのだが、当の本人は弾劾を覚悟しているかのようにひどく恐縮して顔を伏せている。


「知らせを聞いた後、人数を倍に増やして捜させましたが、“狩り場”の広さ程度では見逃すはずもなく、察するに……」

「持って行かれたか」

「おそらく」


 重々しく答える暮林は顔を伏せたまま、身動ぎもしない。

 万雷の得物である“二つ俵”がどれほどの名槍かは誰も知らぬが、どれほど重く頑強であるかは誰もが承知している。それは振るえば折れる普通の槍とは違い、先の戦いで実証されたように、万雷の剛力をいかんなく発揮するのに不可欠な無二の武器であった。

 “二つ俵”あっての『軍神』であり、『軍神』あっての“二つ俵”なのだ。それをあろうことか、失ってしまうなど――。

 戦場跡を漁る者達は確かにいるが、人知れぬ林内の戦いで、時間もさほど経っていないことを勘案すれば、持ち出す者がいたとは到底思えない。

 おそらく運搬の苦労を考えても、それだけの力を持っているのはあの軍団であることは間違いない。


「念のため、“狩り場”以外も範囲を広げて捜させておりますが……」

「無駄であろうな」


 予備というか代わりの武器がないでもないが、それには一度城に戻るか取り寄せる必要がある。だが正直、失うのはあまりにも惜しい。

 平常にしか見えぬ大将の様子に何を見取ったか、暮林はつと・・顔を上げた。


「元はと言えば、儂が援軍としての役目をしっかりと果たしておれば、万雷様自らが戦場に立つこともなく、かようなことには――。何卒、“二つ俵”奪還の任をこの忠助めにお与えくだされっ」

「戯けたことを。今がどういう状況か分かっておるのか」

「なればこそ。今や『犬豪』よりもあの鎧武者軍団こそが真の強敵。そして奴らを倒すには万雷様の剛力なくして成し得ず、剛力を発するには“二つ俵”がどうしても必要にございます」

「だが、あの鎧武者をどうする? まさか、奴らが群れをなす陣構えに吶喊するなどと申すまいな」


 うろんげに視線を向ければ、図星だったのか、暮林はわずかな狼狽えを見せつつ、口ごもる。


「必要とあらば。無論、戦ばかりが唯一の術とは思うておりませぬ故、策を考えたいと……」

「“我攻め自慢”のお主がか? 人知れず奴らの巣窟に潜り込み、運ぶのにも苦慮する我が槍を見事奪い返す策を弄してみせると?」


 心意気は嬉しかったろうが、万雷の声に明らかな懸念が含まれるのは無理もない。それへ、慌てて暮林が申し添えるも当然ながら懸念を払拭するには至らない。


「儂だけでなく、皆の智恵を合すれば能うかと」

「だが、戦馬鹿のぬしらが乗り込めば、安置された槍を見つけ出す前に潜入が露見するとも限らぬ。いや、結果的に騒動となって無事に帰れる見込みの方が薄い」

「元より、命など惜しみませぬ」

「この――」


 思わず口からついて出た暮林の軽率な言葉に、万雷が喝っと大口を開けたところで、すかさず碓氷が言葉を滑り込ませてきた。


「――という気概でもって“奪還の策”を考えると申したいのでございます」

「…………」

「…………」


 万雷と暮林の身が硬直する。

 いくら何でも強引すぎる横やりであったが、ある意味、“万雷の激情”から暮林の一命を救ったのは間違いなかったろう。

 代わりに、軋み音が聞こえるように、ゆっくりと万雷の双眸が碓氷へと移り変わるのを暮林が強張った顔で注視している。その顔いっぱいに「すまぬ」との感謝を込めながら。


「…………」


 無言には圧力が込められるらしい。

 行き場を失った怒りが渦を巻き、大将の巨体を膨れ上がらせたかのような錯覚を居並ぶ三名は感じたに違いない。

 とても深手を負ってるとは思えぬ気迫に、さすがに碓氷の笑顔も若干引き攣っているようだが、無策で口を挟んだわけではないようだ。 


「ここは秋水殿に任せるべきかと」

「…………ふむ」


 それはでまかせ・・・・に非ず、熟考に値する進言だったのか、秋水の名を耳にして万雷の怒気が霞のようにかき消える。その千載一遇の機会をみすみす逃す碓氷ではなかった。


「天下広しと言えど、忍びのごとき業を持つ武将はあの御仁を置いて他にはありませぬ。いえ、本物よりも本物・・・・・・・ではありませぬか?」

「だろうとも」


 妙に含意のある万雷の言葉に眉根を寄せつつも、碓氷の舌は滑らかになっていく。


「我ら“雷人衆”の中でも屈指の武辺者――秋水殿に策も何もすべて任せれば自ずと問題は解決しましょう」

「いや、そこまで都合良くはなるまいが……なぜか真にそうなりそうで、逆に怖いくらいだな」

「お顔が綻んでおりまする」

「これは“怖い笑い”だ」

「ありませんから。そのようなもの」


 よほど碓氷の案がお気に召したらしい。悪戯を思いついたような悪い笑みを浮かべる大将に「いずれにせよ」と碓氷が微かに安堵の息を漏らす。


「秋水殿以外にこの役目を果たせる者がおらぬ以上、あのお人に託せるならば、“二つ目の問題”と合わせて何とか光明が見えて参ります」

「二つ目? どういうことだ?」

「私がここに参った理由でございます」


 ここでそもそも、招集もないのに隊頭自らが参上した理由を碓氷は話し始める。


「先頃、親父殿の下知に従い、敵方の搦め手を警戒すべく森の外へ物見をやっておりました」

「うむ。奴らと一戦交える前に何かの知らせがあるかと思うておったが」

「期待に添えず申し訳ございません。なにぶん、すぐに物見が帰ってきたものですから」

「……ぁん?」


 万雷の顔に軽く剣呑さが表れる。またからかっているのではと疑念を抱いてのことだろうが、そうではなかった。


「あまりに早く戻ってきた物見が、しきりに首を傾げているのを見て気づきました。戻りたくて戻ってきたのではない・・・・・・・・・・・・・・・のだと。勿論、すぐにまた外へ向かったのですが、しばらくして、また戻ってきたのです」


 都合、七度。

 五度目のときは汗にまみれた顔が異様に歪んで目付きもおかしくなっていたが、七度目でついには力尽きて倒れ込んだ。その目に恐怖さえ焼き付けて。


「“外に出られない”と言っておりました」


 気まずい沈黙が場を包んでいた。

 碓氷の報告をどう捉えていいのか分からない、というのが皆の正直な気持ちだったろう。

 城外周辺の森は、伐採と植林で意図的に植生を変えており、元の原生林が大幅に減少しているため迷子になるような環境にはなっていない。

 幼子でも体力さえあれば半日で抜けられる程度なのだ。それが――?


「狐狸に化かされた、と手下の間で囁かれております」

「馬鹿馬鹿しい」


 隣で暮林が吐き捨てるのを碓氷が大仰に頷く。


「まことに。されど、他に物見を放ちましたが結果は同じ――」


 そこで他の隊頭を窺うが同意を示す者は現れず、碓氷は僅かに落胆を示して話を続ける。


「怪事が事実であり、さりとて物の怪の仕業でないとすれば、いかなる力の働きで起こり得るのか……

私にはひとつ思い当たることがあります」


 勿体ぶる碓氷の笑顔に万雷は憮然と腕を組んだまま耳を傾けている。


「――忍びの術ならばあたうかと」


 「あっ」という軽い驚きが全員を包み込む。それが“幻術”を差しているのだと、その術者の名前さえ『諏訪』の者ならばすぐに思い当たる。


 即ち、“飛び加藤”の名を――


 以前、諏訪当主の命を狙い、守護者たる“幽玄の一族”に撃退された日ノ本忍者を代表する“七忍”の一人。

 彼の忍びが再び現れたというのか。

 痛いほどの沈黙こそが皆の同意を表していた。これまで、仲間の死があってもなお軽妙な空気が漂っていたその場に、初めて息苦しさが加わる。

 当時、撃退が容易でなかったことは、人知れぬ影の戦いが起きていたことを万雷を始め最後まで誰も気づかなかったことで推して知るべし。

 妖人同士の戦いに刃を滑り込ませる隙も無いなど武人にとっては屈辱であり、しかしながら一方で、やはり護れぬ恐怖がわき上がるのは無理もない。


「なればこその秋水か」


 得心顔で万雷が呟くのへ、丹生も「なるほど」と尖った顎を撫でさする。


「確かに“飛び加藤”が相手ならば、相応しき者をぶつけるしかありませんな」

「それもうまくすれば一挙両得――いや、三つになりましょうや?」


 何かを期待するように碓氷の視線が、頭二つ高い丹生の顔に向けられた。それを感じた哲学者のごとき風貌を丹生は神妙に頷かせる。


「ならば、そろそろ儂の話をさせてもらおう」


 そう前置きして、静かに語り出した。 

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