第17話:少女の傷跡を知る


「もう一度、俺にチャンスをくれないか?」


 千秋が優那に告白する。

 こんな場面で告られるなんて思いもしなくて。

 戸惑う優那は心臓をドキッとさせながら、


「ば、バカか? お前、もうちょっと場所と場面を選べ!?」

「……だから、学校で話そうって言ったじゃん。俺なりにカッコつけて告白しようと色々と計画してたのに。あのな、優那。俺、本気だから」

「本気って……あの桜岡と別れたのも本当なのか?」


 あれだけの好意を持つ相手をフッたという事実。

 優那には信じられない。


「怒られて、泣かれて……散々相手を傷つけたことには猛省してる」

「……今度会ったら、私は刺されるかもしれない。お前のせいだ」

「そんな修羅場になったら本当にすみません」

「あの妬みっぽい女とはもう会いたくないぞ」


 優那は軽く両腕を組みながら寒気を覚えた。


――ホントに勘弁してくれよ。私はああいう直情的な女は苦手なんだ。


 亜沙美ならばやりかねないという不安である。


「なんで断った?」

「だから、本気なんだってば。本気で口説く時に違う女と付き合うような真似をするか」

「……千秋。私は恋愛が苦手だと前にも言ったはずだ」


 逃げ道をふさぐ、その意味では不退転ともいえる。

 ここに来て、また優那に告白するような真似をされるなんて。


「ここ数日、お前と離れてたろ。朝、起こしてやれなくて……でも、久しぶりにお前の寝顔を見たら、愛しさがこみあげてきた。あぁ、俺はやっぱり優那が好きだって」

「……短絡的思考だ。それはただの思い込みだ」

「失いかけて初めて気づくこともある。大切なモノってそういうものだろ?」


 千秋の存在を失いたくない。

 優那も似たような気持ちを抱いたのは事実だ。


「でも、私は……」

「答えは、明後日の日曜日でいい。俺とデートしてくれ。そこで決めてくれよ」

「デート? 私とお前が?」

「いいじゃん。思い出づくりくらいしたい。初恋なんだよ。俺は優那が好きだ。最後になるか、始まりになるか。俺の運命を変えてくれ」


 普段は軽い発言ばかりの千秋から真面目な言葉が飛び出す。

 優那は「分かった」と小さく頷くことしかできなかった。





 愛の告白に揺れる心。


「はぁ、私の睡眠妨害も良い所じゃないか」


 一夜明け、優那はうなだれていた。

 千秋に今さら告白されるなんて晴天の霹靂すぎる。

 

『ちーちゃんが好き』


 そんな甘い言葉を口にすることが出来たのは過去だ。

 今の優那にはその台詞をすら言えない。

 優那の時間が何年もの月日を経ても止まり続けている間、千秋には恋人ができた。


『千秋は誰にも譲らない。アレは私だけの男だからな』


 その度に幼馴染と言う関係を強調して、優那は千秋を手放さなかった。


――私はどうしたい、私の想いはどこにある?


 そんな悩みを抱えて、優那は眠れずに朝を迎えたのだった。


「ゆーお姉ちゃんっ♪」


 その日は土曜日、江梨が家に来ていた。

 優那に抱き付いてくるのは彼女の娘、悠姫(ゆうき)。

とても懐いてくれる可愛い女の子だ。

 姉は時折、優那の様子を確認するためにこの家に帰ってくる。


「悠姫、また来てくれたのか」

「うんっ。お姉ちゃんに会いにきたよ。あれ? キャラちゃんはどこ?」

「キャラウェイならそのソファーの所にいる」

「キャラちゃん、あそぼ~っ」


 小さな身体で飼い猫のキャラウェイを抱き上げる悠姫。

 とはいえ、抱き上げられて暴れるような真似や抵抗もしない。


「ホント、悠姫は優那とキャラウェイが好きなのね。今日も私がここに来るっていったら自分からついていきたいって言ったのよ」

「可愛い姪に会えるのは私も楽しみだ。ゆっくりしていってくれ」

「えぇ。それじゃ、紅茶でも入れるわ」


 猫と戯れる姪を眺めるのは飽きない。


「ふにゃー」

「キャラちゃん、ふわふわっ。にゃー、にゃー、にゃー?」


 キャラウェイは悠姫のオモチャ代わりに適当に遊ばれている。

 見てるだけでも可愛らしい、ほのぼのとする光景だ。

 その様子を眺めていると、すぐにお姉ちゃんが紅茶を持ってきてくれた。


「朝の早起きは継続できているみたいで何より。千秋君とはヨリを戻したのね」

「初めから喧嘩してたわけじゃない。ただ、千秋離れに失敗しただけだ」

「失敗ね? 無理にするからそうなるのよ。自分に嘘ついちゃダメよ、優那?」


 江梨はくすっと微笑みながらティーカップに口をつける。


「嘘なんてついてないさ。幼馴染の関係はいつまでも続くものじゃない」

「そうね。いつかは終わりが来る。次の関係に進展する可能性もあるわ」

「……進展って。恋人になるってこと?」

「私はお似合いだと思うわ。昔から優那は千秋君が大好きだったでしょ?」


 江梨お姉ちゃんの言葉に優那は否定しなければならない。

 

「幼馴染の仲良さは恋人とは関係ない」

「……優那?」

「私達の関係が進展なんてするわけがないんだ」


 優那にその気がないのだから進展しようがない。

 淡々と語る優那の瞳をジッと江梨は見つめてくる。

 昔から姉には甘えてばかりいたこともあり、優那は彼女には弱い。

 すぐに心を見透かされてしまう。


「な、何か言いたい事でも? そんなに見つめられると照れる」

「前から聞こうと思っていたの。どうして、優那は千秋君と付き合わないの?」

「それは私が彼を好きだという事が前提での話のはず。私は……」

「……優那。貴方の初恋相手でしょ。過去形で話すのはどうしてなの?」

「今は好きではない。それだけの話だ。江梨お姉ちゃん、この話はしたくない」


 江梨には話したくない話題だ。

 それは勘のいい彼女にある事を気づかせてしまう。


「……もしかして、それは私のせいなの?」


 小さな声で辛そうに言うので、優那は「違う」とすぐさま答える。

 その反応は決めてだった。


「そうよね。傷ついていないはずがなかった。ごめんなさい。優那、私はどうして今頃になって気づいたのかしら。もう何年も経つのに……」


 あることに気づき、その顔を青ざめさせていく。

 過去の傷跡、それは未だに癒えない深い傷を彼女にも残しているのか。


「江梨お姉ちゃんに謝られる事なんてない」

「あるわよ。まだ子供だった優那の心を私の我が侭で傷つけてしまったもの」


 彼女が高校生ながらも妊娠し、結婚をした事が優那の家族の絆を壊した。

 その結末は優那の心から千秋への恋心を失わせた。


「あの頃の私は両親のこと、悠姫のことで精一杯だったわ。優那が泣いていたのは覚えていているけど、それが貴方たちの恋愛関係にまで影響を与えるなんて思ってもいなくて。いいえ、これはただの言い訳。本当になんていえばいいのか……」


 優那に対して申し訳なさそうに頭を下げる。

 そんな姉を優那は見たくなった。

 幼い頃から姉に憧れてきた優那にとって理想となる人間だったからだ。


「や、やめてくれ。お姉ちゃん。この事はお姉ちゃんとは関係ない」

「関係あるわよ。それで優那と千秋君が上手くいかなかったなら責任は感じるもの」

「責任なんて何もない」

「そういえば、あの頃から優那の性格も変わりだしたわね。私、なんてバカなんだろう。妹の変化もただの思春期程度にしか思っていなかった。変えたのは私なんだ」


 自分の行いが妹の人生を捻じ曲げてしまっている。

 歪ませてしまった後悔と罪悪感。

 ショックを受けている彼女に優那はひたすら否定することしかできなかった。


「違うんだ。お姉ちゃんのせいじゃない」

「違わないでしょ?」

「これは千秋と私の個人的な問題だ。あれは時期があっただけ。本当にお姉ちゃんは関わりになっていない。何も気にしないで欲しい」


 確かにあの件で優那は失うことを恐れて、恋愛を封じた。

 しかし、それを姉に謝罪してほしかったわけではない。


「優那。誤魔化さないで。私は貴方の姉なのよ。妹の心を傷つけた、その痛みを与えた責任はあるもの。自分勝手な真似をしたその裏で、妹の笑顔を奪っていたと今さらながらに気づいてしまったもの」


 真実を知り、江梨は自分を責めざるを得なかった――。

 

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