第8話:私の傍にいて欲しい


 エゴイストだな、と自分で思うことがある。

 千秋が好意を向ける対象は優那であって欲しい。

 恋人になる事を拒絶しておきながらも、千秋を自分の手元に置いておきたいと思うのは優那の我がままだろうか。


「ゆ~な~ちゃん? 起きてよぅ、もう放課後だよ」


 優那の身体を揺する彩華の声に目を覚ます。

 どうやら、6時間目の授業中に寝てしまっていたようだ。

 

「んっ、放課後か。ふわぁ」


 優那は欠伸をしながら周囲を見渡すと皆は帰り支度を始めている。

 授業も終わりHRすらも終了している様子。


「で、本日で連続10度目の遅刻なわけですが?」


 彩華がむすっとした表情で尋ねる。


「もうそんなになるのか。よく数えてるね」

「当の本人が自覚ないってどうなの。明日も更新?」

「その前に……ついに本日、放課後に親のお呼び出しがかかりました」

「ダメじゃんっ!?」


 優那は頭を抱えて「ダメです、ダメな子です」とうなだれる。

 大変なことになってしまったと、後悔している。


――自分がここまでダメな子だとは。さすがに予想外だ。


 あれから一週間と少しが過ぎて、現状はさらに悪化の一途をたどる。

 ほぼ毎日の遅刻、それも3時間目くらいまで遅刻の時間も遅れ始めた。


「昨日はついに学校も休んだよね?」

「あれは深い理由があるんだよ」

「理由?」


 優那は昨日の事を思い出しながら、


「朝起きられないなら、寝なければいい。私はそう考えたわけだ」

「……はぁ。で、夜ふかししたわけ?」

「その結果、朝の6時頃にノックダウン。気が付けば夕方の4時だった」

「もう残念すぎて言葉もないや」


 さすがに夕方だった時にはドキッとさせられた。

 遅刻連発の果てに無断欠席。

 それではまずいと思い、昨日は夜の8時に寝たのだが、二度寝、三度寝を繰り返して、本日も遅刻であった。


「というかお呼び出しってよっぽどじゃん」

「……アレだよ。私の家庭事情も相まって、一度、両親に話をしたいと担任教師が言いはじめてな。うん、非常にまずいことになってる」


 この事態をまるで想像していなかった。


「というか、両親の代わりに来てくれるのはお姉ちゃんなんだけどね」

「優那ちゃんの両親って、確か?」

「製薬会社の研究職。今じゃ、県外の方に生活拠点があるから、私は親元を離れて暮らしてるワケ。実質の一人暮らし。そこを担任につつかれて炎上中」


 げんなりとする理由を彩華も理解してくれた。


「あらら。これまで問題視されなかったのは?」

「千秋がちゃんとお世話をしてくれたおかげだね。まったく、自分に呆れるよ」


 ここ最近、急に遅刻が多くなったことを気にした担任からお呼び出し。

 

「夜遊びをしだしたんじゃないのか、悪い仲間と付き合い始めたのじゃないのか。こちらの心配をしてくれるのは良いんだが、親を呼び出すとは困った事態だ」


 さすがにすぐに来られないと事情を説明し、近場で暮らしている姉を呼ぶことに。

 真実は家族の呼び出しなど恥ずかしくて、両親には言えなかった。

 姉に相談すると、苦笑いをしながらも来てくれることになった。


「この際、担任に言うべきか迷ったよ。『お世話をしてくれてた幼馴染と距離を置き始めたら、案の定、このざまですよ。あはは』と……どうだろうか?」

「全然笑いごとじゃなーい! 優那ちゃん、ダメすぎ」

「言うほど、自堕落な生活をしてるわけじゃないんだけどな。朝が弱い人間には本当に困ったものだ。誰にでも得手不得手はあるものだろう」


 彼女の場合は問題がそれだけに留まらない。

 今の乱れた生活はどうにかしなければいけない課題でもある。


「……どうして、千秋君と距離を置こうと思ったの?」

「現状維持はお互いのためにはならない。そう思ったからさ」


 信頼できる友人である彩華だからこそ言えること。

 彼女は優那の悩みをいつも真剣に聞いてくれる。


「私は恋愛嫌いだけど、今になって思うんだ。私はただ、失うのが怖いだけなんだ」


 彩華には最近、優那の恋愛嫌いの詳細を教えた。

 親友くらいには素直に弱音もはく。

 事情を知ってくれた彼女なりに気にしてくれているようだ。


「優那ちゃんが自分で千秋君の想いに向き合おうとするのはいい事だよ」

「私のただいまの悩みは放課後をどう乗り切るかどうかだけどね」

「それは自業自得です」

「返す言葉もありません」


 手厳しい友人の言葉に「どーしよ」としょぼくれた。


「優那ちゃん、いい加減に気づいているでしょう。そんな風に自分の気持ちを確認しようとしているのは千秋君が好きだってことに。まだ自分の気持ちが消えてないって」


 あの日からすべてがおかしくなってしまった。


『うるさいんだよ、お前っ。私とちーちゃんの関係に口出しするなっ!』


 胸をモヤモヤとさせているもの。

 千秋を取られたかのような嫉妬心――。

 これまでそれを感じなかったのは、あの子ほどに真っ直ぐぶつかってくる相手がいなかったせいなんだろう。

 これまで、千秋の過去の恋人たちには嫉妬なんてしなかった。

 真っ直ぐで純粋で強い想いを抱く亜沙美はちょっと違う。

 彼女の気持ちを知ったせいで、優那の中の何かが変わり始めた。


「さぁね。……私はずるい女だからな。口では恋人など好きにすればいいと言っておきながら、実際にされると何とも言えない気持ちを抱いてしまう」

「そりゃ、優那ちゃんは自分の気持ちを隠しているだけでホントは千秋君のことが好きなんだもん。しょーがないって」


 彩華にからかわれながら、優那は苦笑いを浮かべることしかできない。


「何だろう、この焦燥感は……」


 優那は自分の心が分からないでいる。


「どうしたいんだ、私は?」


 その心の整理ができないまま、放課後のお呼び出しの時を迎えた。





 お説教タイム。

 憂鬱で気が重い時間はあっという間に過ぎた。

 生徒指導室を出る頃には姉妹そろって互いに疲れた顔を見せ合う。


「……本当にごめんなさい。お姉ちゃんに恥をかかせてしまった」


 優那は学校に来てくれた姉にただ謝ることしかできなかった。

 担任にはこれ以上の遅刻はしないようにと釘を刺された。

 それと同時に家庭環境について両親とも話し合った方がいいとも言われた。

 

――とはいえ、今さらあの人たちと一緒に暮らせるわけもない。


自分たちの家族はもうダメなんだ、と諦めてさえいる。

 

「気にしないで。優那の現状を放置していたのは家族の責任だもの」

「……今後、遅刻はしないようにする。約束します」

「ふふっ。無理しなくてもいいって。ああいうお呼び出しなんて、私の時はもっとひどかったよ。事情が事情だけにねぇ。気にしない、気にしない」


 江梨が優那を励ますようにそっと頭を撫でる。

 小さな娘と一緒にされても困る。

 

「それにしても高校って懐かしい。私も同じところに通ってたから」

「そうだっけ」

「何年も前のことだけどねぇ。懐かしい先生とかいてびっくりしたよ。そして、相手も私を覚えてたことにまたびっくり」

「……高校を中退したことを後悔してる?」

「青春の謳歌。私はちゃんとしてしてたから。大丈夫だよ」


 満足気に微笑む江梨に優那はそれ以上何も言えなかった。

 姉の江梨は高校を2年の時に中退している。

 理由は“子供”ができたから。

 学生中に交際相手の子供を妊娠した江梨は学校を途中でやめてしまった。


「さっき、学年主任の先生に声をかけられてたでしょ。彼、私の当時の担任だったの。あの時はものすごく怒られて、泣かされて……でも、両親が敵になった時には私の味方にもなってくれた。良い先生だったよ」

「……お姉ちゃん」

「さっきも子供の事を聞かれた。元気にしてるかって。心のどこかで心配してくれてたんだ。それが嬉しくて……ホント、あの頃の私は子供だったからなぁ」


 人の想いを知るにはある程度の時間が必要になる。


「私自身は後悔はしてない。ただ、周囲には大きく迷惑をかけた。そのことだけは決して忘れちゃいけないことだから」


 自分の決断の重みを彼女はしっかりと受け止めていた。

 波乱の過去を乗り越えている。


「そんな風に考えられたのは子供を生んでからだけどね。当時は好きな人の子供を妊娠したのがそんなに悪いのかぁって反抗的な悪い子でした。ダメだなぁ、私」


 江梨はそんな風に自分を自虐するが、そんなことはない。

 真面目で、成績もよくて、先生からの信頼も厚かった。

 ただ、交際相手にのめり込んでしまった。

 好きな人を想う気持ちを前に何もかもを犠牲にしてしまった。

 恋は盲目、彼女は恋をして変わってしまったのだ。


「お姉ちゃんに手を出した義兄さんが一番悪い」

「あー、まぁ、うん。私も悪いけど」

「だって、お姉ちゃんと交際したのは学校の先生じゃん」

「それは言わないでってば」

「……もうね、生徒に手を出すとかひどい教師としか言えない。お互いの恋心があっても、そこは我慢しておけと今でも思う」


 当時、教師をしていた彼に江梨は本気の恋をした。

 お互いの立場など考えず、恋愛関係に発展した結果。

 江梨は妊娠し、子供を身ごもった。

 それは彼らの家族関係を壊すきっかけにもなった。


「……でも、あの人は最後まで私を見捨てなかった。社会から後ろ指をさされても、私との関係を守ってくれた。それは評価して欲しいな」

「――ロリコン教師」

「や、やめて!?」

「教師でありながら、生徒とみだらな関係を続けていた変態さん」

「それ、本人に言ったら今でも泣くから!?」


 江梨が「これ以上、旦那を嫌わないで」と拗ねる。


――まぁ、惚れこむ理由は分かるけどね。素敵な人ではあるわけだし。


 ただ、当時を思えば立場を考えて行動してほしかった。

 それが優那の本心だった。

 姉には今日の事で迷惑をかけたのでこれくらいにしておく。

 

「高校時代なんてあっというまよ。今と言う時間を大切にしなさい。学校生活は大事な青春だもの。今しか体験できない素敵な時間なのよ」


 彼女は久しぶりの校舎を眺めながら、過去を懐かしんでいる。


「……私の青春の想い出もちゃんとここにあるんだよ」


 廊下を歩きながら過去に思いを馳せる姉の後ろ姿を優那は見つめていた。

 

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