第7話:その優しさは無くしたらあかんで?

 

 弘樹には一つ年上の姉がいる。

 小さな頃から姉には逆らえない立場を強いられてきていた。

 

「……ただいま」

 

 弘樹が家に帰るると、既に凛花は帰宅していた。

 キッチンに顔をのぞかせると夕食の準備をしている。

 エプロン姿のショートカットの少女がこちらに気付いた。

 

「おかえり、弘樹。夕飯はまだやからもうちょい待ってな」

「今日の夕食は何?」

「お肉が安かったら、ビーフシチューでも作ろうと思ってるわぁ」

「ビーフシチューですか? やったぜ」

「弘樹も好きやろ? うちがメニューを決めるんやから弘樹に拒否権はない」

 

 相も変わらず、姉>弟の構図である。

 大阪弁が特徴的なこの女の子こそ、弘樹の姉にして、おっかない存在である。

 岡部凛花(おかべ りんか)。

 両親が不在気味な家で夕食当番をしてくれている。

 

「弘樹、テレビで好きな推理ドラマの再放送やってるよ」

「一度見た推理ドラマって、そんなに楽しめないよな」

「あははっ。オチを忘れてたら楽しめるけど、流れを覚えてる推理ドラマほどオモロないものはないもんな。気持ちは分かるわぁ。犯人、あの人やで」

 

 そう言って、犯人を指さしてネタばれする。

 ケラケラと笑う姉は大阪のおばちゃんを彷彿とさせる。

 姉の大阪弁について補足するならば、別にキャラ作りのためでもない。

 そもそも弘樹達は大阪出身なのだ。

 弘樹が小学5年の頃に父の仕事の都合で大阪から東京の方へやってきた。

 

「まったく、大阪から東京に出てきたときはどうなるかと思ったぜ」

「言葉、生活習慣、価値観とか全然違うもんなぁ」

「逆に言えば子供時代でよかったかもしれん」


 その仕事も、父が2年後に退職して、今では夫婦で花屋なんて経営してる。

 駅前の立地の良い条件もあり、わりと人気だったりする。

 父も花が好きな顔じゃあるまいし、と思いながらも「人生を好きに生きて何が悪い」と言われたら、養ってもらってる弘樹としては何も反論することはない。

 そんな家庭環境があり、東京に越してきて6年。

 すっかりと標準語に馴染んだ弘樹と違い、未だに言葉を含めた大阪愛を捨てずにいるのが姉である。

 

「姉ちゃん、その言葉づかいは直さないのか?」

「弘樹の方が気持ち悪いわぁ。無理に直す必要はあらへんやん。これはこれで個性や。うちの友達も今さら気にせえへんし、今さら直すんは無理やもん」

「そうやけどさ……やけど、言うてもたし」


 姉と話してるとつい、昔の言葉づかいに戻りかける。


「いけない、東京に馴染むと決めたのだ」

「大体、弘樹みたいに無理に直すと田舎者が頑張って標準語しゃべってる感あるわ。無理するとだっさいで?」

「ちくしょー!」

 

――それだけは言われたくなかったのにな。頑張ってるんですよ、それなりに。


 方言や言葉遣いというのものは中々に直らないものである。

 話をしていたら、いい匂いがリビングにも香ってくる。

 

「おー、ビーフシチューの匂いがする」

「ほんまは赤ワインで煮込むんがいいんやけど、今日はルーを使ってもうたわ」

「何が違うんだよ。そんなに違いとかある?」

「やっぱり、風味とか味が変わるよ。本格的に作ろうと思ったら、手間もかかるし。ええもんを作るには手間と暇と材料を惜しんだらあかんなぁ」

「奥が深いんやな」

「当然やん。洋食の王道メニューやからこそ、作り甲斐もあるんや」

 

 性格はキツイが料理が上手な姉である。

 

――この年齢でこれだけ料理ができたら、どこにでも嫁にはいける気がする。


 気が強い姉を嫁にもらってくれる男がいればの話だけども。

 それを本人に言ったら私刑にされるので言わない。

 弘樹はソファーに座りながら漫画雑誌を読みはじめる。

 そのうちに姉もエプロンを外して、リビングの方へとやってきた。

 

「ふぅ、後は煮込むだけやからうちも休憩しよ。アンタもお茶飲む?」

「んー。もらう」

「うちと同じのでええな。今日はダージリンにしとこか」

 

 手慣れた手つきで紅茶を淹れ始めた。

 弘樹も凛花の事はそれなりに美人な方だと思う。

 常にジャージ姿じゃなければ。


――家での普段着がジャージとか、女の子に抱く幻想をぶち壊しすぎだろ。


 姉にいうと「女の子はみんなそうやで」と聞きたくない事を言われるのだ。

 弘樹は淹れてくれた紅茶のカップに口づける。

 

「……うん、文句のつけどころのないくらい美味しい」

「当然やん。そういや、最近の弘樹はなんや楽しそうやな。彼女でもできたん?」

「ぐふっ。姉ちゃん、いきなり何を言い出すんだ」

 

 思わず紅茶を噴き出しそうになり、弘樹は口元を拭いた。

 

「それ、友達にも言われたけどさ。そう見えるか?」

「自分じゃ気付かんもんやろうけど、雰囲気が変わった気がするわぁ」

「雰囲気?」

「リア充の雰囲気って奴やな。恋人でもできたんちゃうんか? そうやろ?」

 

 綺羅と出会ってから楽しい毎日が続いてるのは確かだ。

 全然、素直じゃないけども、その対応にも慣れてきた。

 

「やっぱりなぁ。そうやと思ったわ」

「女の子と仲良くなっただけ。恋人じゃないけど気になる存在って言うか」

「いつも通り、弘樹らしいなぁ。それでフラれるいつものパターンやん」

 

 グサッ、と平気で弟の心を言葉の暴力で傷つけてくる。

 この姉はもう少し、弟に気づかいってものをしてもらいたい。

 

――俺の心はガラスのように繊細なんです。

 

「い、いつも、フラれてませんけど?」

「気になる女の子とデートまでいって喜んだら、実は財布代わりに使われてたり。告白やと思って会いに行ったら、他の好きな男に告白する手伝いさせられたり。今までどれだけ女の子に都合よく使われてきたか、忘れたん?」

「ぎゃー。さらっと人の過去の傷をえぐるのはやめてくれ」

 

――ええねん、どうせ女子達にとって都合のいい男なんや。


 心の中で泣きながら拗ねたくなるほどに、弘樹の女運の悪さはよろしくない。

 女の怖さは姉を含めて思い知っている。

 

「あの子は今までのタイプとはまた違うからさ」

「今度の子はええ子なんか? さすがに前と似たタイプやと同情するわ」

「さすがに同じ過ちはしません。性格は素直じゃないけど根は悪い子じゃない」

「弘樹の彼女、一回くらい見ておきたいわぁ。今度紹介してよ」

「嫌だと言っても、無理やり紹介させられるんだろう」


 拒否権など、この姉弟の間には存在していない。

 弘樹は「はぁ」とため息をつきながら、

 

「分かった。今度、昼飯の時に屋上に来てくれ。いつもそこにいるから」

「なんや、ふたりして一緒にご飯を食べる仲? えらい進んでるやん」

「それだけの関係とも言えるけどなぁ。どうにも進展具合が遅すぎるんや」

 

 弘樹と綺羅の接点って言えばそれくらいだ。

 放課後に一緒に帰るのも偶然に会えば程度のものである。

 

「そういう姉ちゃんはどうなんだ。浮いた話のひとつも聞かないが」

「余計なお世話やわ」

「いてっ」

 

 弘樹はいきなり姉に背中に乗られてソファーにうつぶせるなる。

 乱暴な所は昔からホントに変ってない。

 

「ちょっと自分が女の子と仲良くなってるからって調子にのるな」

「すみません。でも、俺の上に乗らないでくれ」

 

 弘樹の背に馬乗りになる姉。

 身長156センチと小柄な方なので重くはないのだが、昔と違って恥ずかしい。

 

――何がと言われたら、背中に当たる柔らかいお尻とか。


 女子らしさもあるのが、困るのだ。

 せめて女子力皆無なら姉相手に意識もせずに済むのに。 


「……うちにだって、気になる子はおるんよ」

「そうなのか?」

「この年で初恋もまだとか、そんな純情とちゃうわ」

 

 弘樹の知る限り、彼氏らしい人がいた事はない。

 モテないわけじゃないが、自分から率先して彼氏を作るタイプでもない。

 

――忘れてはいけない、この姉はBL好きなだけでなく、美少年好きだと言う事を。


 余計な突っ込みは身を滅ぼすので口をチャックする。

 

「気になる相手は年下やから、ちょっと気が引けるんよ」

「何歳? 小学生とか言うなよ?」

「違うわ、アホ。今年で中3の子や」

「どちらにしても犯罪やんっ。いたっ、痛い、すみません。背中の上で暴れないでっ。失言でした、訂正します」

 

 中学生と高校生、年齢差がたった3つでも、この年代だと大きい物がある。

 弘樹は背中に乗ったまま暴れる姉をなだめながら、

 

「どこで知りあったんだよ?」

「通ってる料理教室の子やねん」

 

 凛花は週に1回程度、学生向けの料理教室に通っている。

 自分の腕前を上げるのと同時に、年の近い相手との交流を望んでいるのだ。

 

「そこで出会ったと言う事は……相手は女か!? ついに姉ちゃんは百合にも手を出したのか。マジかよ。俺、ついていけねぇ」

「いつ女の子を好きになったって言うた!? このアホが!」

「ぐぼぉ!? こ、腰が痛い……」


 腰の上で暴れられて彼は「参りました」と降参ポーズ。


「お、男の子が料理の教室に通ってるの? ありえねぇ」

「失礼やな。将来、料理人を目指してる子や。夢があるの、夢が!」

「い、いたい。すみません、ごめんなさい。俺の上で暴れないで」

「写真もあるで。見せたろか?」


 姉は「めっちゃイケメンさんやろ」と楽しそうに話している。

 お互いに気になる相手がいるのは良い事だ。

 恋に落ちるかは分からなくとも、日常を充実させてくれるものである。


「……ところで、そろそろ俺の背中から降りてもらえないでしょうか?」

「主従関係を身体で示したろうかと思って」

「やめてくれ」

「アンタ、生意気やもん。もうちょい、立場というものをやなぁ」

「思い知ってるっての。姉上には逆らいませぬ」


 背中に押し当てられたお尻の感触に反応してしまう自分が情けない。


――くっ。こんな姉に女を感じるとは……まだまだ俺も甘いな。


 人しきり弟いじりで満足したのか、凛花はようやく弘樹から離れる。

 シチューの方が出来上がったようである。


「そろそろ、夕飯やな。今日の自信あるから、期待してくれていいわぁ」

「いつも、美味しいからな。期待してます」

「ははっ。素直でいいわ。アンタは、いつもそうなら可愛い弟やのにな」

 

 姉はそう言ってキッチンに向かおうとする去り際に、


「なぁ、弘樹。アンタ、女の子にいっつも無駄なほどに気を使いすぎなんよ」

「はい?」

「弘樹は女の子に優しすぎるから、都合のいいように利用されるんや」

「返す言葉が見つからねぇ」

「けど、その優しさは無くしたらあかんで? アンタの優しさに似合ういい子を見つけて今度こそ、ちゃんとした恋愛ができたらいいのになぁ」

 

 そんな事、笑って言う姉に弘樹は照れくさくなって顔をそむけた。


「言いたいことはそれだけや。ほな、飯にしようか」

「おぅ。ビーフシチューだ、シチュー! 俺の好物だぜ」

「あはは、子供か」


 大阪弁のキツイ物言いや乱暴なふるまいで、いつも怖いと思う姉ではあるが。

 ちゃんと姉らしく弟を心配してくれる、良い姉である。

 その日の夕食のビーフシチューも弘樹が満足できるものであった。

 立場関係こそ絶対的に覆せなくとも。

 これはこれでいい姉弟関係なのである――。

 

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