出会い *

 ──自由気ままに空を飛ぶのは楽しい。

 独りで飛ぶのも勿論好きだが、今はそれ以上に大切で愛しい存在が背中に乗っている。


 楽しくないわけがない、ニールは彼女に自分が知る楽しいことを全部知ってほしい。

 最初は恐る恐るで、掴まるのに必死だった彼女も今は随分と余裕そうだ。



「綺麗ですね、ニール!」

「ああ、そうだな」


 朝焼けに向かって勢い良く飛べば、彼女は歓声を上げて喜んでくれた。

 ──独りで見るしかなかった美しい景色も、これからはふたりで見れるのだと。

 そう思ったら年甲斐もなく、彼ははしゃいで少年のようにエルフィと笑った。




 ***



 やっと家が飛んでるのにも慣れてきた、エルフィは勢いよく広げたシーツを伸ばして、木から木に結びつけたロープに干す。


 足の裏からは靴越しに、大地の中で植物が蠢く微かな気配が感じられた。

 エルフィは手際良く全部のシーツを干し終わって、額の汗を拭いながら輝く太陽を眺め呟く。


「眩しい……」


 空がとにかく近い、風も強い。

 もし洗濯物が飛ばされても聖域のはしっこで引っ掛かるから平気だよ、と教えてくれたリリとミミの声を思い出しながら、エルフィは伸びをした。

 大事なのは慣れだ、慣れ。


 


 朝、飛ぶ練習も兼ねてニールと空の散歩をしたらはしゃぎすぎて、ちょっと眠い。

 きっとエルフィだけじゃなくニールも眠いのだと思う、だけど今日は買い出しの日だ。


 シャーナと話したウェルドコロに着くまでには三日掛かった、地図と実際の距離の関係は難しい。

 そういえばあの後、シャーナに目指している終着は地図で言うなら何処なのか聞いたら、「地図には載ってない」と言われて戦慄した、一体何処を目指しているのだろう。


 しかし今のエルフィが思っていることは、シャーナが行けるというのだから行けるんだろうなーである。

 とんでもない超常現象を数々引き起こした彼女の言葉は、妙な納得感があるのだ。


 ニールに相談してみたら、百年経っても着かなかったら文句を言おうとのことで。

 細かいことがどうでも良くなったエルフィは考えるのを辞めにした、竜士になった影響なのかやたらと結論を出すのが早くなった。




 エルフィは軽く体操をして体をほぐし、よしっと気合いを入れる。

 買い出しにはエルフィも行くことになっている、街中は未だに苦手だ。

 人々が口々に出す王国の話が、思い出させてくるから。



「あの後、どうなったんだろう」


 エルフィは燃え上がる城の光景を思い出し呟いた、もしあの場で全員が死んだのなら王家は滅んだことになる。


 十数年前、前王カルドバーンが崩御した後、統一王国は荒れに荒れた。

 ただでさえ異文化や宗教が戦争によって統治され出来た国なのだ、前王は有能な指導者であったが、この百年が築いた圧政の事実は消えはしない。

 

 崩御自体、突然のことだったのだ。

 十数年前という曖昧な数え方をして申し訳なくなるくらいには、鮮烈な死だった。


 エルフィが本当に幼い頃に起きたことだけれど、呆然としていた両親の姿を今でも良く覚えている。

 前王の跡を継いだのは、唯一の子であり王子である男。


 ロイズという名の彼の異常さは、エルフィが一番良く知っている。

 それ故、実質的に政権は「七賢者」の采配で進められていたはずである。


 細かいところは、当時の精神状態もあってエルフィは把握していない。

 だから王家に嫁いだ事実はあっても、実際のところは何も知らないのだ。


 過去、何度かシャーナと共に街へ降りた時、何処に行っても王国が滅びを迎えた気配どころか、城が襲われた噂さえなかった。

 それは七賢者が手を回しているからなのか、それとも。


 生きているかだ、あの人が。



「──わああああっ!」


 エルフィは気持ちを切り替えるべく、腹から大きな声を出した。

 気持ち良い風が吹く、伸びて重たい髪の毛を抑え、エルフィは俯くのを止める。


 いつ向き合うことになったとしても、大丈夫になれば良いのだ。

 難しいことは何もない。


 エルフィはこれから先「自由」に生きると決めている、それを教えてくれたニールと一緒に。

 そう思ったら何だかへっちゃらになって、エルフィは己の単純さに感謝した。






「じゃあウェルドコロの中には、ニールも一緒に入るんですね?」

「ああ、きみが犬にでも手を噛まれたら困るからな」


 本当にそう思っていそうなニールの口調に、エルフィは思わず吹き出した。

 どれだけ鈍臭くたってさすがのエルフィも犬には負けない。

 ニールは喉を鳴らしながら言った。


「せっかく人の姿を作れるようになったんだ、乗せていくだけなんてつまらない」

「そうですね、ニール。

 わたしも貴方と街を歩けるなんて、夢のようです」


 降りてきた顎に額を擦り付けて、エルフィは嬉しさを全身で表現した。

 横でヴァンに鞍をつけていたシャーナがエルフィに言う。


「エルフィもニールにちゃんと鞍を付けてね、ニールも嫌いだからって嫌がらないの」

 

 ご機嫌だったのにナナメになっちゃった、そんなニールにエルフィはお願いします、と鞍を持ち上げた。

 渋々ではあるが伏せってくれたので、背中に取り付けていく。


 そして、勢いをつけてニールの背中に飛び乗る。

 何も付けずに乗っていたころより安定した乗り心地を、エルフィは無事に手に入れた。


 鐙に足をかけて、背を叩いて合図を出せばニールが起き上がる。

 あとは全部、彼任せだ。


 シャーナとヴァンが先に行く、それに合わせてニールも駆ける。

 空中に浮かぶ大地から、大空へ飛んだ。





 ***




 ──ウェルドコロは活気のある街だ。

 人も多い、子も多い、物も行き交う。


 煉瓦造りの素晴らしい街並みは歴史を感じさせ、至る所に「炎」が灯った燭台がある。

 街の中心部にある聖堂では、今もなお眠る火の巫女がいて、民から信仰を受けていた。



 街並みの中を、幼い少女が走っていく。

 赤い髪と瞳、炎の如きその色を見た人々は、口々に縁起が良いねぇと笑い合う。


 ──ありゃ、巫女様の色だ。

 気高く慈しみ深い、人の色だ。



 駆けていく少女は、視界に入る気になるものを見付けては近付いていく。

 身に宿す色を見て、街の人々は笑顔を浮かべてすぐに少女を歓迎した。


 ──まるで、巫女様みたいね。

 壁面に描かれたお姿にそっくりよ。


 少女はすぐに、この街の形を覚える。

 少女はすぐに、親切にしてくれた人の名前を覚える。


 その中で一人の老人に、少女は話し掛けた。


「あの、すみません、聞いていいですか?」


「ん? おお、これは縁起の良い、赤色の子が来たのぅ、これでウチも繁盛するわい!」

 

 街に店を構えた商人である老人は、さてとしゃがんで少女に目線を合わせた。

 祈るように手を組み、聖句を唱えてから老人は言う。


「して、何が聞きたいのかの?」

「はい、あの……変に思われるかもしれないんだけど」


 少女はおずおずと、手を後ろで組んで、老人に問いかけた。



「──今は、何年ですか?」




 ***



「わぁ凄い、硝子細工がいっぱい」


 目の前に並ぶ幾つもの色硝子に目を奪われて、エルフィが言った。

 その横顔を見守っていたニールは、活気ある街の様子を見渡して呟く。


「……あんまり変わらないな」

「ニールが昔いたのは王都でしょう、ここと同じくらい活気があったに決まってるわ」


 ──っていうか何年前の話をしているの、という言葉はすんでの所で飲み込んで、シャーナは誤魔化すように笑いながらエルフィの隣に立ち、店主に話しかける。


「わあ、本当に綺麗ね〜……ひとつお幾らかしら?」

「今、熱心に見てくれてるお嬢ちゃんの目の前に並んでるのだったら、300ガルだよ」


「がる……」


 店主に言われた金額を聞いて、正確にはその通貨単位を聞いてシャーナは、素早くニールの元へと後退した。

 ちなみにヴァンは人混みが嫌いなので、今は街の外だ。


「どこのお金だっけガルって……!!

 セリマン、アイルーク、ヴェック?」

「三つとも既に滅んだ都市だろう。

 ……ガル、は確か聖火商団の……」


 ニールの答えを最後まで聞かず、シャーナは店先へと舞い戻って、店主に言った。


「私達、この街に来たのは初めてなの。

 宝石の換金って何処かで出来るかしら」

「宝石だって? ちょうど良い、息子が鑑定士なんだ、なんならウチでやってやろうか。

 何かひとつ買ってくれるって言うなら」


「もちろん、そのつもり。

 ほらエルフィ、好きなの選んでいいわよ、買ってあげるから」


 シャーナに肩を軽く叩かれて、エルフィはびっくりした顔で彼女を見た。

 すぐに困り顔になってニールの方を見上げてくる、その「欲しいけど食べ物じゃないし申し訳ない」という心情を把握した上で、ニールは頷く。


「良いんじゃないか。

 誕生祝いもまともにしたことがないんだ」

「そうよ、たまには何かねだっても良いのよ?」


 ニールとシャーナにそう言われて、エルフィはちらっと硝子細工に目を戻す。

 店主が驚いた顔で言った。


「ええっ、お兄さんそれ本当かい?

 だったらちょっと安くしてあげるからさ、よーく選びな、お嬢ちゃん」

「……あっ、はい。

 ありがとう、ございます」


 エルフィは街中の雑踏に消えないように、一生懸命になって店主にお礼を言う。

 彼女の瞳は硝子細工の列を映し、横でシャーナが懐から取り出した宝石を店主に渡し始めた。





「ふう、ニールがいて良かったぁ、聖火商団って言ったら珍しい宝石探し回ってるで有名よね、大昔の収集癖が役にたった〜」

「今はどうだか知らないけどな。

 ……買えて良かったじゃないか」


 シャーナとニールに挟まれる形で街を歩くエルフィは、硝子細工の入った袋を大切に抱えていた。

 彼女が選んだのは、青色と銀色が混じった一輪挿し。

 光に透けた時の輝きが気に入って、殺風景な部屋に初めての仲間が出来た。


 エルフィはさっきの買い物で思ったことを口に出す。


「他の街に行ったときシャーナさんから聞いていましたし、知識としても知っていますけど本当に、街によって使われているお金が違うんですね」


「そうねぇ、これはもう大昔から変わらないわね、統一当時は王国も、共通貨幣を作ったは作ったんだけど、宗教が強い場所には全く受け入れて貰えなかったのよね」


「街や都市、地帯が変われば物の価値も大きく変わってお金の概念自体まだない場所もあるはず……よ、百年前の知識だけど」


 最後の部分だけ小声で言ったあと、シャーナはエルフィに笑顔を向けた。


「細かいことは置いておいて。

 エルフィが欲しいなんて言うもの、滅多にないから買っちゃった、良い気分だわ〜」

「嬉しいです。

 ありがとうございます、シャーナさん」


 エルフィも笑みを返す、その嬉しそうな顔を見て、ニールはそっかと呟く。


「こんなに喜ぶなら、俺が買ってやれば良かった」

「何にも言って来ないなと思ったら、あんたその発想がまずなかったのね……」



 聖竜の鱗は最上級の魔除けの品であり、鍛治の分野では最優の鋼と同等の代物だ。


 生え変わりのたびに適当にむしっているアレは何処に行っても何時の時代も、とんでもない額で売れる。


 エルフィが可笑しそうに笑い声をあげた──ニールの今の思考がそのまま伝達されたらしい。


「大金持ちも夢じゃないぞ」


「あはは、お金に困らなくなったら、やることすぐに無くなっちゃいそうです」

「退屈は天敵よ、寝るしかなくなるもの」


 顔を見合わせて笑い声を上げる二人と、それを見守るニール。

 周囲からは兄妹か、歳の近い友人の集まりか、そんな風に見えている。




 人混みの中に溶け込んで、悪目立ちすることなく街を歩いていた彼女らの元へ。

 ──赤い髪の少女は現れた。




 少女は人混みを縫って歩き、ただ近付いてきただけ、だというのに。

 エルフィとシャーナはおろか、ニールですらその接近に気付けなかった。


「わぁっ……」


 突然現れた子どもに気付けず、シャーナが少女とぶつかる。

 少女は尻もちをついて、慌ててシャーナはしゃがみ込んだ。


「ごめんなさい、大丈夫だったかしら?」

「……うん、わたしもごめんなさい」


 少女の赤い瞳が、シャーナの緑眼と合わさった瞬間。

 シャーナは猛烈な既視感に襲われて、その場で動けなくなった。

 ──この子、同じだ。


 この子、「私と同じ」だ。


 肩までの赤い髪を揺らして、少女は立ち上がる、まるで炎のように。

 シャーナは少女を見つめて、呟いた。


 「──巫女?」


 赤い瞳は答えず、シャーナから逸らされる。

 人の行き交う往来で、其処だけ時が止まったみたいに静かだった。


 逸らされた視線は、傍に立つ存在へと向かって。


 「……え?」


 赤髪の少女は、信じられないものを見る目で、エルフィのことを見上げた。


 ──周囲の音が勢い良く戻って来る。

 シャーナは立ち上がって、エルフィに寄り添った。

 少女は変わらずエルフィを見上げて立ち尽くし、エルフィはといえば、ぼんやりとした顔で見返している。


 藍色の瞳が、赤色の瞳を見つめていた。

 少女は射抜かれたように、エルフィの瞳だけを見ている。


 ニールが動かないエルフィの背中に手を添えた、ぼんやりと立っていた彼女は、彼の気配に瞬きをする、我に返るように。

 少女の方も同じように瞬きをして、ニールのことも視界に移し、何事か呟いた。


 「────?」



 少女が呟いた「名前」を、ニールは聞き取ることが出来なかった。

 雑踏の中で確かに耳に届いた言葉を、頭が処理するのを拒んだからだ。


 ニールは自分の額に手を当て、今のは何だ、と自身を精査する。

 エルフィも目を見開いて少女を見た、ニールが受けた感覚が伝わったのだろう。


 誰かが何かを言う前に、赤髪の少女は動く。


 「また会おうね」


 ──言葉は、はっきりとエルフィに対して告げられていた。

 エルフィは何も答えることなく、不思議そうな顔で走り去る背中を見送った。





 少女の後ろ姿が見えなくなって、最初に口を開いたのはエルフィだった。


「誰でしょうね、今の子」

「……知り合いじゃないの?」


 いつもと変わらぬ表情でそう言う彼女に、呆気に取られていたシャーナが口を開く。

 エルフィはきょとんとして、首を横に振った。


「全く、見たことない子ですよ」

「……どういうことなのかしら」


 シャーナは少女が立ち去った方を見る。

 あの気配は、確実に同類だった。


 神の加護を受け異能を持って生まれた人間の中で、より神秘に縁深いのが巫女。

 大抵が──聖竜に対する生贄として育てられる存在だ。


「……今の時代珍しいけど、いてもおかしくはないか。

 でもこの街であの「赤」はねぇ」


 シャーナの呟きは街中へと消えて行く、考え込んでいたニールが口を開いた。


「エルフィ、さっきの聞こえたか?」

「ごめんなさい、ニールと同じで聞き取れませんでした、でも名前……でしたよね」


 エルフィの返答にニールはそうかと頷いた、やはりあれは名前だったか。

 聞き取ることは出来なかったが、あの少女はニールに対して呼び掛けていたのだ。

 見たこともない、炎のような子ども。


 視線の先にあるのは人混みだけで、あの目立つ赤髪を見つけることは出来ない。

 シャーナが気を取り直すように声を出す。



があるみたいだから、いつか何処かで出会うでしょう。

 今日はさっさと買い出し終わらせて帰らない? リリとミミが退屈で暴れ出す前にね」


 切り替えられた空気にエルフィは頷き、ニールも一度、続く思考をやめることにした。

 エルフィは一度だけ、少女が走り去った方を振り返る。


「あの子、わたしの目を見てた」


 エルフィの呟きには誰も答えられない、今はまだ、誰にも。

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