引越し *

 自分の部屋で目覚めたエルフィは起き上がって、寝台の上から部屋全体を眺めていた。


 物に執着があまり無いから殺風景だけども、三年間過ごした場所である。


 この部屋ともお別れか、とエルフィは膝を抱えて考えていた、仕方がないことではあるし、物も少ないから荷物も無くて良い。

 良いのだけれども。


「寂しいなぁ……」


 思わず呟いて、エルフィは膝に顔を埋めて唸った。






 部屋から出て居間に行くと皆が勢揃いしていた、いつもエルフィが起こしに行くのに。


 台所の方でシャーナがヴァンと何かしている、椅子ではルドーが半分眠りながら座っていて、リリとミミは人型になって窓際で何かを見ていた。


 庭にいたらしいニールが丁度、窓から居間に入ってくる、銀髪の青年はとても眠そうにしながら、ルドーの向かい側の長椅子に座った。

 

 その様子を立ったままぼんやり眺めて、エルフィは慌てて頭を横に振る。



 ──何だか今日は眠気が思考を止めてくる、おかしい、早起きは得意な方なはず。

 そんなことを思ったエルフィは、ニールが欠伸をしているのを見てすぐに納得した。


 引っ張られるってこういう感覚なのか。

 朝に弱い彼に気分が持って行かれているようだ。


「おはよ、お姉ちゃん」

「おはよう、ミミ」


 ミミが窓際から振り返って挨拶して来たので、エルフィは微笑みを返す。

 リリと並んで空の植木鉢を眺めていたようだ、何か育てようと思っていたのに結局、そのままだった。


 エルフィは居間を横断してニールの横に座り、気の抜けた挨拶を交わし合う。

 眠い眼をこすっていると、台所から出てきたシャーナがエルフィを見つけた。


「おはよう、エルフィ。

 あらあら、ふたり揃って眠そうね?」

「ニール、起きてください。

 あなたが二度寝したらわたしも寝ちゃいますから……」


 エルフィは一生懸命、肩にもたれかかって来るニールを揺すって起こす。

 ちょっとでも良いから起きててほしい、だって今日は。


「引越しする場所、探しに行くんだから……」

「そうだけど、別に寝てたっていいわよ?」

 

 シャーナの言葉の意味が一瞬では理解出来ず、エルフィの口から思ったままの言葉が滑り出た。


「はい?」

「うん、だから寝てて良いって」


 笑みを浮かべてそう言ってくるシャーナを見上げて、エルフィはぼーっとしながら考えたが、思考が繋がらなくて埒が明かない。

 だから横で寝掛かっている旦那の腕を引っ掴んで全力で揺する。


「お願い、起きてください。

 おーきーてー、ニール」


「うん……?」


 目を開いたニールは眠たげにエルフィを見つめて、にこっと笑った。

 普段なら絶対に見られない、ニールの油断しきった笑顔を真正面から見たエルフィは、一瞬目を見開いた後、口を開いて。


「何ですかこの、かわいいなこのやろぉ」

「エルフィ、口調まで引っ張られてるわよ」


 思わず口走ったことを、シャーナに指摘されてからエルフィは我に返った。







「はい、シャーナ。

 クッキーと色々と、ジャムがたくさん」

「ありがとう、ヴァン。

 これで暫くは頑張れるわ」


 シャーナがにこにこ笑って少年体のヴァンを撫でる。

 ヴァンはお菓子とジャムが詰まった籠を抱えて満面の笑みを浮かべていた。


 どうやらふたりは朝からそれを作っていたらしい、エルフィはやっと起きてくれたニールに感謝しながらふたりに話しかける。


「あの、シャーナさん。 

 寝てて良いというのは?」

「そのまんまの意味だよ?

 別に歩いて探しに行くわけじゃないし」


 きょとんとした顔のシャーナに見つめられて、エルフィはますます混乱した。

 歩いて探さない、とはどういう意味だ、竜に乗るからか、それにしたって寝てたら危険だろう、昨日少し乗っただけで死ぬかと思ったのに。


 エルフィが何と言ったものかと口をもごもごさせていると、その様子を見た隣のニールがシャーナに言った。


「シャーナ、また説明を忘れているんじゃないか?」

「えっ、なんの……?」

「お前の異能のこと、エルフィには森と話せるとしか言ってないだろう」

「ああ、なるほど!!」


 シャーナが手を叩いて納得した顔になった、何が何だか不明だがニールがどうにかしてくれたらしい。

 エルフィの疑問を解消すべく、シャーナは楽しげに人差し指を立てた。


「歩いて探しにいかなくても大丈夫なのよ、家が動くからねっ、エルフィ」

「……ええ?」


 言われている意味が、全く分からないというか、意味が分かっても現実に繋がらない。


 実はまだ寝てるのかな、と思ってエルフィはニールの方を見る。

 目が合った彼は完全に覚醒していて、寝ぼけているようには見えなかった。


「説明するより、見せた方が早いんじゃない?」


 ぽかんとしているエルフィを見て、ヴァンが冷静な意見を述べる。

 それもそうね、と返事をしたシャーナは、妙に元気いっぱいで楽しそうだった。




 ***



「……なんですか、これは!!」



 ──背中に乗ったエルフィが、珍しく大声を上げている。

 こんな驚いている彼女は新鮮だなぁ、と考えながらニールはその場で滞空していた。


 薄曇りな空は、もう少しで雨が降りそうである、呑気に天気を確認している彼とは対照的に、エルフィが再び声を上げる。




「どうして、家が浮いてるんですか!?」




 その言葉の通り、眼下では人智を超えた現象が次から次へ巻き起こっていた。


 皆で暮らしている家と、庭を含む周囲の土地が円状に切り取られ。


 大地丸ごと、浮いているのだ。


 絡み合った植物の根が、こぼれそうになる土を絡めとって土台にし。

 激震が轟く中で、家が壊れないように、木々がその基礎を支えている。

 汚染された森を境に、無事な部分だけが切り取られて浮いているのだ。


 この現象を引き起こしている張本人が、ニールの横で飛ぶヴァンの背中に乗っていた。



「あれ、私どこまでエルフィに説明してないんだっけ、ヴァン」

「全部だよシャーナ、殆どね」


 ヴァンから得た解答に、シャーナはそっかと笑って、口にお菓子を詰め込んだ。






「えーとね、私って昔は神様から加護を得た巫女だったんだけど、まあそれはいいや」


「良くないですけど……えーと、それで?」


 エルフィはおっかなびっくりではあるものの、慣れてきたニールの背中から、少し上の方で滞空しているヴァンとシャーナの方を見上げて会話していた。

 眼下では変わらず「家」が土地ごと上昇中だ。


「私の異能は植物と対話できるのと、仲良くなったら言うことを聞いてくれるっていう二つなの」


「つまりそれは……あの植物たちは皆、シャーナさんが操っている、と?」

「そういうこと〜。

 はい、説明おわり、簡単なことでしょ?」


 シャーナに言い切られてしまったので、エルフィはそれ以上何も言えなくなった。

 目の前で起きている現象そのものが、エルフィに人智を超えた「異能」を理解させる。

 何をどうしたらこうなるのか、というのは重要ではないのだ、あるのはシャーナがやったら「こうなる」という事実だけ。


 理解をしたというよりも、目の前で起きている事をそのまま認識することにしたエルフィは、そろりと下へ目を向ける。


 高度があるから結構怖い、その気持ちが伝わったのかニールが言った。


「降りようか?」

「……ああ、大丈夫です。

 ありがとうございます、ニール」


 お礼の気持ちと一緒に鱗を撫でれば、彼は上機嫌だ、そういうのも今は分かる。

 態度や雰囲気で察していた部分が明確に、「線」を伝ってくるから不思議だ。


 それは彼も一緒なのだろうから──考えてる事がどれくらい伝わっているのだろう。

 何だかちょっと恥ずかしくなってきたエルフィに対してニールが言う。


「細かく全部は分からない」

「わぁっ!?……そ、そうなんですね」


 一字一句間違いなく伝わっている気がするのはわたしだけですか。

 心中の問いは届いたのか、流されたのかは謎だが、ニールは答えずいつもの調子だ。


「ああ、だから。

 考えを言葉にすることは辞めないでほしい、対話にはきちんと意味があるから」

「はい、分かりました」


 頷きを返せば、彼は翼をはためかせて前進する、その緩やかな動きに追いていかれないようエルフィは必死で掴まった。







「高さはこれくらいか……あ、今って魔女の子たちまだいるのかしら。

 また飛んでるとこ邪魔されたって文句言いに来られたら面倒臭いなぁ」


「さあねぇ、俺たちってほぼ引きこもってたから、今どうなってるのかさっぱりだ」


 庭に舞い降りたヴァンの背中からシャーナに問い掛けられて、ルドーは首を傾げて返した。


 リリとミミの背に乗るわけにも行かないので、土地が上昇している間ずっと、家の屋根の上で空を見上げて逃げて行く鳥を数えていた彼である。

 

 今は揺れも止まって、家は空中に静止していた。

 ニールと共に庭に降りてきたエルフィが、どういう原理で浮いているんだろうとか言ってる声がしてくる。


「聞かれてるよシャーナ、教えてあげなくていいの?」

「そうねぇ、説明してあげたいけど、伝わる言葉がないのよねぇ、森語だから」

「森語って……」


 ヴァンに言われて困り顔で返すシャーナの言葉に、ルドーは思わず呟いた。

 実を言うとルドーはエルフィの次に、皆の人外的発想に振り回されがちな人である。

 シャーナが呆れ顔で振り返った。


「あんた百年生きてる癖に、まだこんな細かいこと気になるの?」

「数万年生きてる人と同じ考えが出来るとは思わないでほしいなぁ」


 ルドーが苦笑いで返すと、シャーナは本気で理解が出来ないという顔をした。

 シャーナがヴァンから受けている「自由さ」の影響は、時折彼女の言動を周囲からズラしてしまう、といっても。


「まあ俺もズレてるだろうけど。

 ……こらリリ、根っこ齧ろうとしない」


 中々出さないルドーの叱り声にびくっと身を竦めて大口を閉じる娘、シャーナが微笑を浮かべてリリに言った。


「私のお友達なんだから食べちゃダメよ?」

「ひっ……ごめんなさい、なの」


 聖竜の背筋も凍らせる笑顔ってなんだ、とルドーは思ったが言わないでおく。

 ミミは姉の横で、だから言ったのにという顔をしていた。




 ***




「私はね、森呼びって言われてるんだ」

「人間からも、ですか?」



 居間に戻って、シャーナが淹れてくれた紅茶に口をつけたエルフィは、昔話に付き合っていた。


 家は緩やかな速度で、東に移動し始めたらしい──今まさに、竜が飛ぶような高さを移動しているということだが、エルフィは怖いので考えるのを辞めた。


 聖竜たちは皆、空に上がって新しく展開し直した聖域に不備がないか点検しに行っている、ルドーは端から端まで歩いて、土地が崩れすぎている場所が無いか見回りに行った。


 やる事がないエルフィは半ば逃避気味に、いつも通り家事をしようとしたが、シャーナがお茶に誘ってくれたのである。


 彼女は朝からずっと、ヴァンと作ったお菓子とジャムを食べ続けていた。

 植物に言うことを聞いてもらっている間は、とんでもなくお腹が減るのだそうだ。


「そうよ、森が自ら私のことを守ってくれるから守り呼び、転じて森呼び」


「昔は怒って身の回りを樹海にしちゃったり、大変だったわ。

 ……百年前の、統一戦争に出てくれないかって言われてね、それが嫌だったから皆で引きこもったのよ」


 今はそういう気分なのか、昔話をしながらけらけら笑っているシャーナに、エルフィは問い掛けてみる。


「統一戦争は、今の王国が出来たきっかけですよね」

「正確には、代々続いてきた王家が世界を統べる権利をもぎ取った戦いね。

 ……別にそれはどうでも良いんだけど、兵器扱いは気分悪いじゃない?」


 真顔で頷くと、シャーナはそうよねぇと笑顔で続けた。


「流石に買い出しとかで街には行ってたけど、外では名乗らなかったしね。

 すぐに私のことを知ってる人なんて、皆いなくなっちゃった」


「百年なんてすぐよ、もうあっという間。

 あれ、この人あの子の血縁かしらって思う人間を見かけ始めたあたりで、もう結構経ったんだって気づくの」


「それで、街の人に今は何年ですかって聞いて、うっそだーってなるのがお約束」

「ふふっ」


 シャーナにつられて笑うと、彼女はすごく嬉しそうにしてエルフィのことを見た。

 瞳まで新緑の色をしている彼女は、でもねと内緒話をするように囁く。


「元々は此処まで凄い力じゃなかったのよ、髪の色も違ったし。

 ヴァンと契約してから、力も強くなって髪の色も変わって、私の中に宿ってたものが全部目覚めた感じがしたの、だからね」


「エルフィにも不思議な力が目覚めるかも。

 もしそうなったら……誰かの為だけじゃなくて、自分の為にいっぱい使ってね」


 慈しむような笑みを浮かべたまま、シャーナはエルフィの為にそう言ってくれた。

 きっと今まで沢山の苦労があって、悩んだり傷ついたりしてきたんだろうけれど。

 シャーナはいつも楽しそうだ、彼女はエルフィが選んだ道の先達の一人。


 わたしが至る未来が、目の前の彼女だ。




「エルフィは、王家にいたんだよね」



 シャーナに問われて、エルフィは己が強く動揺するのを感じた。

 自分では過去にできたと思っていても、心はついて来れていないところがあるらしい。

 眉を寄せて俯いたエルフィに向かって、シャーナは良いのよと言った。


「聞き出そうってわけじゃない、嫌なことは言わなくて良い、話したければ聞くけどね。

 エルフィにとっては思い出したくないくらい辛い場所だったのでしょう」


「でもね、忘れないで。

 必ず向き合わなくちゃならない日は来る、運命って意地悪に出来てるものでしょ?」


 ──それは、良く知ってる。

 両親が死んだ時も、引き取らた時も、王家に嫁いだ時も、そうだった、身をもって味わってきた「意地悪」だ。


 だけど同時にもうひとつ、知っている。

 エルフィは壊れやすいものを扱うみたいに、その言葉をそっと口にした。


「でも運命は時々、泣いちゃうくらい優しいから……超えられないようには出来てないと、思うんです」


 恋する少女は夢見がち、最近読んだ本に書いてあった言葉だ。

 それの何が悪いのかエルフィには理解できない、夢を全部叶えれば良いだけなのに。

 シャーナは深く頷き、懐かしそうに呟く。


「ほんとう、エルフィって昔の私みたい」


 その言葉に返事は求められていなくて、それが分かったからエルフィは、笑みを浮かべて紅茶をもう一口、飲んだ。

 一先ずはそう、あの植木鉢で何を育てるか、考えないと。






 シャーナは話したいことを話し終えたらしく、眠たそうに欠伸をした。

 やっぱり、力を使っている間は疲れるのだろう、エルフィはシャーナに問い掛ける。


「あとどれくらい飛び続けるんですか?」


「さあねー、行くあてはあるんだけど。

 ……彼処まで行くのどれだけの距離があったかしら、場所しか覚えてないのよね」


 舵をとっている人からとんでもなく不穏な言葉が飛び出して、エルフィは唖然とする。

 シャーナは大丈夫、と自身ありげに胸を張った。


「私、方向音痴じゃないから!

 それに空の上なら道が変わってるとか陸が無くなってるとかないし、真っ直ぐだし!」


「シャーナさん、信じていますっ!

 でも終点が遠いなら何処かで街に寄らないと、ですよね」


 エルフィは備蓄を数えて指を折る、余裕はあるけれど、いつかはなくなるものだ。

 シャーナは机に頬をつけて、寝溶けながら答えた。


「竜士も聖竜も食べなくたって死なないけど、荒むからねぇ」

「普通にお腹は減りますものね……」


 じゃあ、とシャーナは右腕を伸ばして、机の上に置きっぱなしの地図を広げる。

 古い地図は所々、エルフィが知らない地名があった、が知っているものもある。


「ウェルドコロ。

 火の巫女を祀るこの街は、きっと今でもあるはずよ、滅んでたら世界の終わりだもの」

「世界の……どうしてですか?」


 エルフィは幼い頃、父に習った地理を必死に思い返しながらシャーナに問う。

 ウェルドコロと言えば、街道と森を繋ぐ商業が盛んな街で……あと何か習ったような。


 エルフィが思い出す前に、シャーナは彼女の問いに答えた。


「だってあの街に祀られている巫女は、初代竜士だもの。

 一番初めに現れた聖竜の庇護を受け、その転生を待ちながら眠り続けている存在がいる街が滅ぶなんて。

 神罰でも落ちなきゃあり得ないわよ」



 

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