竜士になること *



「シャーナさん、聞きたいことがあります」

「どうしたの? エルフィ、急に改まって」


 夜、シャーナの部屋を訪れたエルフィは、真剣な顔で言った。

 エルフィを部屋へと招き入れたシャーナは、何となくニール絡みで何かあったのだろうと察しをつけてエルフィを見る。

 いつだったか、恋がどうのと騒ぎがあった、あれももう二年前か。


 エルフィは今にも泣きそうな顔で、だけれど強い意志を感じさせる瞳をしていた。


(またあいつが何かしでかしたな)


 シャーナは内心でやれやれと呟く。

 人の気を察するのに長けすぎているからか、ニールはたまにエルフィの地雷を踏む。


 勝手に察するだけ察してちゃんと会話しないせいだ、そういう所は人外というか。


 エルフィみたいに繋がりを大切にする子にとって、話してくれないというのは酷な事である、しかも惚れた男が。

 とはいえ、シャーナも他人の事は言えないのだけど。


 シャーナはエルフィと横並びになって寝台に腰掛けた。

 可愛い妹分がどうやったら笑ってくれるのか、シャーナは妹を笑顔にする為の労力を惜しむつもりはない。


 何もかも諦めていた子が、何かの為に必死になれるようになったのだ。

 その過程を見てきたのはニールだけではない、シャーナだってルドーだって同じ。


 悩み挫けても前に進みたいと言うなら背中を押してあげたい。

 シャーナにとってエルフィは心底からそう思える子だ。


 それがエルフィにとって大きな救いになっている事までは意識していなかったけれど。


「竜士になるにはどうしたらいいんですか」

「どうしたらって、どうして?」


 シャーナはエルフィが放った問いを聞いて、笑みを浮かべたまま問い返す。


 状況を整理する所から始めようと思ったが、何となく今のエルフィの問いから色々察しがついた部分もあった。


 エルフィは素直に、シャーナに向かって答える。


「ニールの竜士になりたいからです」

「なんでなりたいの?」


 問いは問いを呼び、その度にエルフィは真っ直ぐに答えた。

 こういう時、この子の藍色は強く輝く、その様がシャーナは好きだ。


「竜士になればニールの役に立てるようになって、もっと近くで何か出来ますよね」


 エルフィは半ばそうであってくれと願う様に言う。

 シャーナはああ、と小さく息を吐いた。


 原石のように自然なままの輝きを持つ少女を前に、先達として考える。


 いつかこの子が触れるだろうと、思っていたことではあったのだ。

 この子がニールに恋をして、心を通わせることに成功したあの日、シャーナはそれがいつ来るのか、少しだけ怖かった。


 積み重なった四万年以上の生の一端。

 ニールが人に憧れ、愛することができる故に選び続けてしまった孤独に、エルフィはとうとう気付いてしまったのだ。


「そうねぇ――ま、とりあえず、そもそも竜士ってのが何なのかから説明しましょうか」


 シャーナは若葉色の髪をくるりと指先に絡め、笑う。

 どう伝えるのが一番良いだろうか、どう言うのが一番、怖くないか。

 竜士という存在を何となくしか知らないこの子に真実を伝えるのは、勇気が要る。


 だって今から言うことは、自分達が人ではない存在であることの証明だから。


 エルフィだってシャーナ達が長い時を生きていることは分かっているだろう。

 だがその永遠が、どうやって齎されたかは何となくしか知らないはずだ。


 怖がられるのは慣れているけど、エルフィに怯えられたら流石に堪える。

 もしそうなったらヴァンに暫く空に連れていってもらうしかないだろう。


 けれど怖いからといって、適当に誤魔化して話さない、という選択肢は無かった。


 なぜなら、シャーナより余程不安そうで、寂しそうな女の子が目の前にいるのだから。

 何とかしてやれなくてどうする。


「言葉を選ばずに言えば竜士は、人間であることを捨てた者達のことを言うわ」


 シャーナの言葉に、エルフィは一瞬身を固めた。

 その反応はちょっと怖い、だけど言うと決めた以上、シャーナは止まる女では無い。


「どういうことですか?」

「そもそも竜士の始まりはね。

 ――人間が、聖竜に捧げた生贄なのよ」


 驚くエルフィを前にシャーナは、考えて言葉を選びながら喋る。


「当時の人間たちは神に等しい万能である竜種が、ただで自分達を助けてくれるなんておかしいって考えたのね。

 だから見返りを求められる前に、捧げることにした」


「だけど聖竜はそれを望んでいなくて、でも追い返すわけにもいかないから。

 ……共に暮らすようになった」


「人間たちは新たな聖竜が現れる度に生贄を捧げたわ、その数はどんどん増えて、やがて生贄たちは社会を作った。

 国と表現してもいいかもしれない」


 シャーナは過去を懐かしんで、笑みを浮かべた、いつかはエルフィにも聞かせたい、今はもう無いあの場所の話を。

 長い昔話が退屈でなければの話だが。


「聖竜と共存し守られて生きていく中で、

一番最初の生贄が恩返しをしようとした。

 その申し出を受けて、最古の聖竜が編み出した方法が契約と呼ばれている。

 ……後の世に生まれてくる聖竜は皆、そのやり方を知っているわ」


「聖竜と契約を交わした生贄は、竜士と呼ばれ、竜士は聖竜と深く心を通わせた。

 考えていることも、欲しいと思っているものも全て分かるくらいにね」


 シャーナは一度息を吐いて、自分の中の緊張を落ちつける。


「だけど竜と心を通わせるというのは、互いに影響を強く受け合うということでもある」

「……前、ルドーさんが言ってました、引っ張られるんだって」


「そういうこと、思考と感覚、そして身に宿す能力を聖竜と竜士は分け合うの」


 シャーナは頷きを返してエルフィを見る。

 揺れる若葉色の髪は、交わした契約の証だ──竜士は何も知らない少女に言う。


「契約した竜士の体は、人間から外れた存在となる、それは私やルドーを見てれば分かることよね?」


 シャーナは自らの心臓の位置に手を触れさせた、この鼓動は脈打ち続けるものだ。

 終わる事なく、永遠に。


「竜士は不老で不死である。

 そして契約した聖竜が死ぬのを看取り、再び生まれて来る度に、巡り逢い続ける存在」


「一度の生で何千年を生き、転生を繰り返す聖竜の隣にあり続ける生き物になるのよ。

 終わりは来ないわ、何万年過ぎてもね」


「それを全部知った上で竜士になるのなら、人間であることを捨てるのと同じこと」


 シャーナは最後、慎重に紡いだ言葉の終わりに、エルフィに対して問い掛けた。


「それでも、エルフィは竜士になりたい?

 永遠に続くに等しい聖竜の転生に、付き合い続ける覚悟はあるの?」


 問い掛ける側も中々、辛いものがある。

 だけどこれは竜士が──シャーナやルドーが超えて来た覚悟の道だ。


 エルフィは、シャーナの言葉にひとつ息を吐いて噛み締める様に言った。


「それが、竜士になることなんですね。

 お母さんが言っていたよりも、すごいお話です」


 エルフィはそう言って微笑を浮かべる。

 その反応が思っていたのと違って、シャーナは目を見開いた、驚いて怖がると思っていたから。

 実際、何人もの人間がシャーナを見て怖がってきた、だからこそ竜士は人里に留まって暮らしてはいけない。


 だって言うのに、そんな労りと尊敬を含んだ眼差しを向けられてしまったら何も言えないではないか。

 エルフィは無自覚に誰かを救う才能があるのかもしれない。




「契約は竜士が、聖竜へ送る恩返しですか」

「そうだね、私たち人間が彼らに出来る、唯一の返礼よ」


 シャーナの言葉を噛み砕きながら、エルフィは丁寧に自らの心を紐解いていく。


 知った真実と擦り合わせ、どうしたいかを考えた、今の自分がだ。

 昔なら出来なかったことを、当たり前みたいにやってのけながら、エルフィはニールのことを考える。


 はじまりの夜に、ニールはエルフィを救ってくれた。

 初めて触れた優しさに、魅せられてしまったのは事実かもしれない。

 けれど、共に過ごす一年の間に、淡く不確かな思いは確かな恋心に変わり三年経つ今は、ニールへの愛がエルフィを動かしている。


 ニールに救われ、守られ、愛されて自分は、どれだけのものを返せているのだろう。


 死ぬ時まで隣で生きていられたら幸せだと、そう言ったとき彼がどんな顔をしていたか思い出す。

 エルフィが悲しそうにしたのを見て、不思議そうだったあの顔を。


 ──あの時悲しかったのは、自分が死んだ後も彼の生は続いていくのだと思ったから。

 エルフィが隣にいることを望んでくれたニールは、エルフィを看取った後でまた独りに戻る、それを当然だと考えている。


 あんまり考えたくは無いことだけど、エルフィの死後、同じように心を通わせられる存在にもう一度出会ったとしても。

 きっと彼は同じことを繰り返すのだろう。


 人と同じように愛を抱ける心を持つ者が、人に憧れ続けたまま決して触れることなく、死んで生まれてを繰り返すなんて。


 戦いの中に身を置き続ける彼の孤独に、終わりはあるのだろうか。


 その寂しさの中に彼を置き去りにして、自分は死んで逝けるだろうか。


「シャーナさん、契約ってどうすればいいんですか?」


 熟考の後、エルフィが放った言葉にシャーナは苦笑を深めた。

 言うと思った、という顔だ。


 初めてした恋を、永遠にしてやろうというのである。

 同じような無茶を通した少女をシャーナは知っているから、こうなる事は分かっていた。


「契約はその聖竜、つまりニールの願いを知って叶えることで成立するわ」

「願い、ですか」

「ただの願いじゃない、心の底から……聖竜の魂そのものが望んでいる願い。

 命を懸けてでも叶えたいと思うこと」


 ニールがあの時答えてくれなかったのは、「願い」をエルフィが聞いてしまったら契約が成立してしまうかもしれないからか。

 シャーナの答えに納得を得たエルフィは、力強く顔を上げた。


「やっぱり、ニールから聞かなくちゃいけないんですね」

「そうよ、あいつ死んでも嫌だって言いそうだけど」

「頑固ですものね……分かります」


 シャーナの言葉に返事をしながら、エルフィはニールの言葉を思い出していた。

 彼が竜士との契約を拒む理由。


「巻き込みたくなかったんだ、俺の願いに」


 あれは優しい聖竜が、悲しそうな顔で、触れ合う手を震わせながら話してくれた本音だった。

 あんな顔されたら放っておけない、当たり前だ、わたしが誰に恋していると思っているのか。


「……こうなったら何があっても聞き出してやります」

「珍しいわね、エルフィが怒るなんて、面白いからそのままぶつけちゃいなさい」


 シャーナは笑いながらエルフィの背中を撫でてやる、元気が出たようで何より。

 恋は盲目、盲目的な愛は己の身を滅ぼすというが、彼女はどうなのだろうか。


 シャーナは何処か楽しげに、エルフィを見つめる。

 戦いと孤独を積み上げた旧友に、やっと真の理解者が現れてくれたかもしれないと、そう思いながら。





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