近い距離 *
家の天井も直り、シャーナからようやく許しをもらった頃。
秋が深まり、そろそろ冬支度が必要だろうかとエルフィは考える。
視線の先は森で、小動物が駆けて行った、あれはリスだろうか、もう少しすれば彼らもすっかり森から姿を消して、冬が来る。
「この世の外、異界と呼ばれる場所にも四季があり、それを神が真似てこうしたらしい」
「へえ、ニールは物知りですねぇ」
「昔、神に会ったことがあるんだ。
他にも何か言われた気がするんだけど、良く覚えてない」
紅葉深まる秋の森を、庭から眺めていたエルフィとニールは、他愛もない話をして顔を見合わせ笑い合う。
ニールは、人間の姿でいることが上手になっていた。
竜の姿の方が開放的らしいが口調は完全に素であり、エルフィと触れ合う頻度も高い、今や気分で人型か竜かを選ぶくらいである。
そんなニールに触発されたか、リリとミミ、そしてヴァンも人の姿でいる所を見るようになった。
ヴァンいわく。
「シャーナと同じ視界で一緒にいろんなところに行けて楽しい」
リリとミミいわく。
「パパやお姉ちゃんに抱っこしてもらえてうれしい!」
らしい。
家の中からルドーは、庭にいるニールとエルフィの後ろ姿を見て呟く。
「人型になって更に仲良し度が増したなぁ……そんな事よりリリミミ、お前達は天使か何かなのかい?」
「リリとミミは聖竜だよー?」
「だよー?」
「ええ、俺の娘たちが可愛すぎる……」
白のポンチョと橙色のワンピースをお揃いに着た双子。
竜の姿なら絶対に入って来れない家の中を、双子は楽しそうに駆け回っていた。
あまり騒ぎすぎるとシャーナに怒られるから、控えめにだが。
姉であるリリの髪は太陽の色で腰まで長いが、妹のミミは色は同じで肩までの長さだ。
「リリ長いのが好きなの!」
「ミミみじかいほうがいいの」
聖竜が持つ神秘の力は、殆ど万能と言っても良いものである。
力の使う「方向」の向き不向きはあるらしいが、基本的に不可能はない生き物が竜だ。
特にリリとミミは人型の見た目を思う通りに変えられるらしい。
可愛いを連呼して最早それしか言っていないルドーを見たシャーナは、ため息を吐いた。
「ルドーが結婚出来ないのって親バカすぎるからだとおもうんだけど」
「ねえねえシャーナ見て、僕のこと!」
シャーナはソファに座ったまま、ヴァンの声に振り返る。
そこには童顔の若い青年。
「シャーナの趣味にあわせてみたんだ!」
「こら、私が年下大好きみたいになるでしょう。ちがうから」
まったくと、シャーナは苦笑いしながら、ヴァンに隣へ座るよう手招きする。
嬉しそうにソファに座ったヴァンは、僕お利口でしょと胸を張った。
シャーナは自分と同じ若葉色をしているヴァンの髪を撫でる。
「でもまあ、こっちの姿だとちょっとお姉ちゃんになれた気がするわ」
「何言ってるの、シャーナは最初から僕のお姉ちゃんだったでしょ?」
撫でられて嬉しそうなヴァン。
微笑みを浮かべて、自分より少し小さいヴァンの体を、シャーナは両腕で抱き込んだ。
「一緒に生きてきて、もう何年経ったのかしらね、数千年か、もしかして数万年かしら。
あなたはほんとに変わらないわね、何度転生しても」
「シャーナがいるから僕は僕でいられるんだよ、それに変わらないっていうならそっちも同じさ、僕の竜士」
シャーナの言葉に、ヴァンは笑う。
竜と人であり、仲の良い姉と弟であり、同時に想い合うふたりの姿であった。
***
「あぁ、疲れてきたから戻ろうかな」
ニールが欠伸をしながらそう言う。
エルフィとニールはあれから少し森に入って、木陰で並んで座り、ずっと他愛もない話をしていた。
この森は彼らにとって思い出深い場所だから、少しエルフィは感傷的になる。
ニールの銀髪と黒い瞳は本来の姿を良く想起させた。
ニールは人の姿を取れるようになってから特に、自分の時間をエルフィの為に使ってくれる。
少し前ならエルフィが昼寝をするニールに近付いて行ったり、話しかけたりして共にいる時間を作ったものだが、今はニールの方から歩いてきてくれるのだ。
それが嬉しい反面、少し申し訳なくて、エルフィはニールの方に身を寄せた。
本来竜である彼が、人の自分に合わせてくれるというのは幸福だけれど、なんだか──。
「俺が好きでしている事だ」
エルフィが何か言う前に、ニールの穏やかな言葉が降った。
思わず彼の方を見れば、落ち着いた笑みがある、数万年の中、数え切れない程の人間を見てきた瞳が、今はエルフィの事だけを見ている。
「触れたいから、同じものを見たいから、俺はこの姿でいる。
それに竜の体じゃ分からない繊細な事をこの体は感じ取れる。……本当に楽しい」
だから良いんだ、と。
ニールはエルフィの、言外にある我儘を全て許した。
触れて欲しいと願う事も、近くにいたいと想う事も全部、彼は許してくれる。
身勝手な人間の願い事を、叶えてくれる。
エルフィは今にも泣きだしそうなのを必死に我慢した。
聖竜である彼の事が好きで、けどそれ以上に彼が持つ「心」がエルフィは愛しい。
人と同じでなくとも、竜の中で変わっていても、エルフィはそれが一番欲しい。
(ニールには……わたしが欲しいと思うものが分かるんだ)
堪え切れずエルフィは溢れるに任せて涙を流した。
嬉しくて何よりも彼が愛しくて、泣いた。
ニールは少し困ったようで、戸惑いながらも頭を撫でてくれる。
「きみの瞳は夜空のようだな。
……毎日違う輝き方をする」
指で涙を拭われながら、エルフィは彼の胸に手を置いてだってと呟く。
だけど言葉が続いて来ない、こんなに泣いたのはいつぶりか分からないくらいだ。
ニールはエルフィの全部を、包むように胸に抱いた。
「心配しなくとも俺は、きみの空を飛ぶ竜でいるよ、最後の時まで」
「……ならわたしは、貴方の心を守ります。命が続く限り、ずっと」
掛けられた言葉にエルフィが泣き笑いで返すと、ニールは少し驚いてから微笑んだ。
***
「……もう夕方ですね」
エルフィは日の傾き始めた空を見る。
泣き止むまで時間が掛かってしまった、腫れた目元に手を当てる、家に帰って冷やした方が良いだろう。
「そうだな。黄昏の良い時だ」
低い、威厳ある声に振り向けば、ニールが竜の姿に戻っていた。
銀色の鱗に、エルフィは手を滑らせる。
その下で脈打つ心臓を、今は感じることは出来ないけれど。
──彼の心音を確かに知っている。
エルフィの為にわざわざ作ってくれた人型は、彼女にそれを知らせる為にある。
「戻ろう」
「はい」
エルフィは微笑みとともにニールの後ろを追いかけた。
竜でも人でもどっちの姿だって、エルフィはニールを追いかけている。
死ぬまでそうしていられる自信があった、そう思える自分が、結構好きだ、
好きになれたのだ、やっと。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます