選択の向こう側~如月美月編~
第261話・蘇るあの日の思い
そして俺はその件に関してしばらく考える時間をもらい、色々と考えた結果その制作研究部へと入る事に決め、俺以外にも集まった数人の仲間で制作研究部は始動を開始し、ゲーム制作をする事に決まった。
この制作研究部の最終目的は、男性向け恋愛シュミレーションゲームを冬のコミックマーケットまでに完成させて売り出す事。その目的の為にやる事は非常に多く、手探りの中で俺達は制作を開始した。そしてみんなで考えた事が本当に少しずつ形になって行く中、最初の難関である夏のコミックマーケット開催の日が訪れた。
「今日も暑いねぇ……」
「本当ですね、昨日も最高気温の記録を更新したらしいですから、今日も同じくらいになるかもしれませんね」
「それは勘弁願いたいね……」
前日も準備の為に訪れたコミケ会場前は、まだ朝の七時前だというのに既に沢山の人が会場付近に訪れている。
俺達はそんな集団を見ながら進み、会場の方へと進んで行く。そして俺達が歩いている間もその集団は大きくなり続け、それと共に周辺の熱気も上がり、吹き出す汗の量を増やしていく。
「龍之介さん、タオル使いますか?」
「あっ、ごめんね、ありがとう」
小さなハンカチで汗を拭っていた俺を見た美月さんが、持っていた鞄から空色のタオルを取り出して手渡してくれた。この気遣いがいつもの事ながら嬉しい。
俺は手渡された柔らかなタオルをありがたく使わせてもらう事にし、少しだけ広げたタオルを顔全体に押し付ける様にして当てた。すると柔らかなタオルからフローラル系の爽やかで優しい香りがし、少し気分が清々しくなった。
そしてサークル参加枠で中へと入った俺達は両隣に居るサークル参加者達に挨拶をしてから準備を進め、開会の十五分くらい前に一斉点検があった後でいよいよコミケの開催となった。
「よっし! 頑張ろう!」
「はい!」
俺はコミケ参加初参加という事もあり、異様にテンションが上がっていた。
今回のコミケ参加で俺達は残念ながら参加抽選に漏れてしまったわけだが、渡の友達でサークル参加の抽選に当たった桜井さんとコンタクトを取れた事により、俺と美月さんは委託販売という形で参加をする事ができたわけだ。もちろんその代わりにちゃんと手伝いをしなければいけないけど、それは委託販売をさせてもらう事を考えれば当然の事だ。むしろ俺としては、ゲーム屋で短期バイトをしていた頃を思い出してちょっとワクワクしている。
「来ましたよ、龍之介さん」
「おおっ、凄いな……」
開場時間と同時に一般参加者達が出入口から大波の様に押し寄せて来る。その様は圧巻の一言で、どことなく恐ろしくも見えた。そしてその人波は決して走りはしないものの、早歩きのスピードでどんどん会場の中へと入って来る。みんなコミケにおける暗黙のルールに従って行動をしているわけだ。
一定の温度を保っていた会場内は外で待っていた一般参加者達の入場によって急激に上昇を始め、十分も経つ頃には凄まじい熱気と蒸し暑さが会場を覆っていた。
「これはたまらん……」
人の体温から放たれた汗などの湿気はとても気持ち悪く、俺は思わず本音を呟いた。
「確かに凄いですね……」
俺の呟きに対し、美月さんが珍しく顔をしかめつつ同意の反応をする。
そして美月さんと共にコミケの凄さの一つを体感していると、俺達が居るサークルの商品が並べられたすぐ前に一人の男性参加者がやって来た。するとその人はおもむろに机の上に置かれた同人誌を手に取り、パラパラと内容を見始めた。
「……一冊ください」
「は、はい! 一冊五百円です!」
流し読みをしていた男性は内容が気に入ったのか、すぐさま購入を決めてくれた。美月さんはその男性の声に一瞬驚いた様子だったけど、すぐさまいつもの優しい笑顔を浮かべながら対応を始めた。
「ありがとうございました」
男性は美月さんに五百円を手渡すと、買った同人誌を素早く持っていた大きな鞄に入れ、別のサークルがある場所へと向かって行った。
「さっそく売れたね!」
「はい! でも凄く緊張しちゃいました」
売れた本を作った桜井さんは俺達に売り場を任せて他を回ってるんだけど、その本が売れた事に対して俺は柄にもなく興奮をしていた。俺達が作った恋愛シュミレーションゲームの体験版には見向きもされなかったというのに。
でも俺は嬉しかった、一生懸命に作った物を手に取って買ってもらえる――それがこうして目の前で行われる事に対し、異様なくらいに興奮をしていた。
そんな風にして美月さんと一緒に喜んでいると、次々に出していた本を来場者が見に来た。そして本を手に取って試し読みをしてくれる参加者に対し、俺は思わず息を飲んでその様子を見つめてしまう。
「三冊ください」
「あっ、はい! 一冊五百円です!」
二番目に来てくれた人も流し読みの末に本を買ってくれた。しかも同じ本を三冊もだ、これが世に言う、自分用・観賞用・布教用みたいな事だろうか。
それからしばらくの間は売り子をしっかりと続け、お昼頃に戻って来た桜井さんと売り場を交代したあと、美月さんと一緒に会場を見学して回った。
「さすがはコミケだね、俺が想像してたよりもずっと凄いよ」
「そうですね、私も色々と調べてはいましたけど、皆さん想像以上の熱気ですね。好きなものに対する愛情や情熱を感じます」
「確かにね」
混み合っている場所はなるべく避け、比較的空いている場所を巡っていた俺達は、初参加のコミケを自分達なりに楽しんでいた。
それぞれ出している物の違いやジャンルの違いこそあれど、溢れんばかりの情熱を注いでいる事に違いはない。それはゲームを製作している俺達も同じだから。
「……そういえば龍之介さん、今更だとは思いますけど、本当に茜さんの方へ行かなくて良かったんですか?」
色々なサークルを回っている最中、美月さんは手にした二次創作作品を見てそんな事を聞いてきた。美月さんが茜の事を気にしている理由、それは茜が所属しているバスケットボール部のインターハイ出場をかけた予選が今日から始まるからだ。
本当なら茜の応援に行くところだけど、今回は制作研究部の活動を優先させた。それはまひろや杏子、るーちゃんや愛紗に用事があり、今日は誰も参加できなかったからだ。そしてそんな中で俺が茜の応援に行くと、美月さんが一人で売り子をする事になる。それはさすがに気が引けたので、俺は美月さんについて行く事に決めたわけだ。まあ単純にコミケに強い興味があったからというのもあるけど。
「茜なら大丈夫だよ、事情はちゃんと説明したし、茜だって『しっかり宣伝して来るよーに!』って言ってたしね」
「そうですか、それならいいんですけど」
そう言って微笑みはするものの、その微笑みはどこかぎこちない。口ではああ言ってたけど、やっぱり茜の事が気になるんだろう。
「ここは頑張ってゲームの宣伝をしておこうよ、ゲームは冬コミに間に合う様に完成させないといけないし、それまでに改善や修正も加えなきゃいけないんだからさ」
「そうですよね、しっかり頑張らなきゃですよね、私は部長なんですから」
「そうそう、その意気だよ」
ようやくいつものにこやかな笑顔を見せてくれた美月さんに対し、俺も自然と笑顔になる。
そして今日一日、俺は美月さんと一緒に売り子として頑張りつつ、制作研究部が作っているゲームの体験版の宣伝販売も頑張った。
× × × ×
「ふうっ、ようやく終わったって感じだね」
「そうですね、でも楽しかったです」
「そうだね、新鮮な体験が多くて面白かったよ。でも一般参加で来るのはちょっと嫌かも」
「夏場に外で並び続けるのは大変ですからね、できれば私も遠慮したいです」
「ははっ、だよね」
コミックマーケットが終了し、後片付けをして桜井さんにしっかりとお礼を言って別れたあと、俺達は今日の出来事について話をしながら帰っていた。
結果として大成功だったとは言えないけど、俺達の用意したゲームの体験版は用意した二百枚の内、四十七枚が売れた。用意した内の四分の一も売れなかったけど、桜井さんからすれば初参加でそれなら上等だとの事だった。
そしてそれを聞いた時、冬コミではもっと売れる様にしたい――と、そう強く思う意識も生まれていた。
――そういえば杏子に電話するのを忘れてたな。
「美月さん、ちょっと電話をかけるね」
「はい、どうぞ」
杏子に『コミケが終わったら連絡して』と言われていた事を思い出した俺は、胸ポケットから携帯を取り出して電話をかけようとしたが、取り出した携帯の画面は真っ暗なままで、いくら電源スイッチを押しても電源はつかなかった。
「まいったな……」
「どうかしたんですか?」
「いや、杏子からコミケが終わったら連絡してって言われてたんだけど、携帯の充電が切れてるみだいでさ」
「あ、そうだったんですね、それなら私の携帯を使って下さい」
「いいの?」
「大丈夫ですよ、すぐ杏子ちゃんにかけますね」
「ありがとう、助かるよ」
電話をかけ始めた美月さんから携帯を受け取り、耳に当てる。
そして数回のコール音がしたところで杏子が出ると、俺はコミケが終わって帰っている途中である事を端的に伝えてから通話を切った。
――あっ……。
杏子との通話を終えて電話を切ったあと、俺は元に戻った携帯の待ち受け画面が一瞬目に映り、あの時の事を思い出してしまった。
「どうかしましたか?」
「えっ!? ああ、いや、何でもないよ。貸してくれてありがとう」
「いえ、どういたしまして」
こうしてドキドキとワクワクに満ちたコミケ初参加は無事に終わった。これからは更にゲームの質を上げながら完成を目指さなければいけない。
だけど俺は美月さんの携帯を借りた事でゴールデンウイークの事を思い出してしまい、また美月さんについて色々と考え込む様になってしまった。
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