第257話・小さな後輩の大きな勇気

 自分が着るコスプレ衣装が出来上がった翌日も、俺は愛紗の家へとやって来ていた。そしていつもの様に愛紗が部屋で作業をする中、俺は愛紗の邪魔だけはしない様にと、学園の図書館で借りた裁縫の本を見ながらちょっとした小物作りに勤しんでいる。


「ここをこうして、次はこーなって……」


 俺の身体二つ分くらい離れた位置に居る愛紗は、作業を始めた時からこんな風に言いながら作業を進めている。何かをしている時についその過程を口にする人は居るけど、どうやら愛紗もそのタイプの様だ。

 それにしても、コスプレコンテスト自体には相変らず乗り気ではないみたいだけど、こうして衣装を作っている時の愛紗はとても楽しそうに見える。多分こんな風に何かを作る事は好きなんだろう。普段から家庭的だと思っていた愛紗の更に家庭的で女性的な部分を目の当たりにし、俺の愛紗に対する恋心は尚一層に高まる。

 しかしその恋心を口にする事はできない。なぜなら愛紗には既に好きな人が居るのだから。

 それにもし愛紗に対してこの気持ちを明らかにしてしまえば、今の関係は崩れ去ってしまうだろう。俺はそれが堪らなく怖い、だからこそ今の状況に甘んじているとも言える。少なくとも俺が愛紗に対して本心を口にしなければ、仲の良い先輩後輩という関係性は保たれる。

 他人が聞けばどこまでも逃げの発想と思われそうだけど、恋心を持った人にとってこれはとても重要な事だ。大切だからこそ、大好きだからこそ失いたくない関係、それが恋をした人を臆病にさせるんだと思う。


「先輩、そろそろお昼の買出しに行きませんか?」

「あっ、もうそんな時間か?」

「はい、今日は何を食べたいですか?」

「そうだな……パスタなんてどうだ?」

「いいですね、それじゃあ買出しに行きましょう」

「そうだな」


 愛紗の家に来る様になってから、こんな風に昼食や夕食の食材を一緒に買いに行くのが当たり前の様になっていた。どうも愛紗には外食をするとかお弁当を買うといった考えはあまり無いらしく、基本的には食材を買って手作りをする。俺としては一緒に料理を作れるし、愛紗の手作り料理も食べられるから嬉しい限りだけど、同時にそれが辛く感じる時もあった。

 だってこれはコスプレ衣装が出来上がるまでの間の事で、ずっとこんな事が続くわけじゃないし、いずれは愛紗の彼氏になる奴が今の俺と同じ様な状況を独占し続ける事になるだろう。それが俺にはどうしようもなく辛い。だけど俺にはそれをどうこうする事はできない。どこまでも現実の厳しさを感じながら、俺は出掛ける準備を進めた。

 そして着替えを済ませてから愛紗の家を出ること約十五分、俺と愛紗はいつも買い出しに使っているスーパーへと辿り着いた。


「先輩、パスタの味付けは何がいいですか?」


 店内へ入りカートにカゴを乗せるとほぼ同時に、愛紗がそんな質問をしてきた。

 愛紗の料理の腕は確かだから、どんな料理を作ってもらってもどれも美味しい。だから俺としては特にどれがいいと言った要望の様なものは無かった。


「あー、別に何でもいいよ?」

「もう、その『何でもいい』って言う答えは一番困る答えなんですよ? 先輩の好きな味付けにしたいから聞いてるんですし、はっきりと言ってもらった方が助かります」

「そ、そっか、わりぃ。それじゃあえっと……ナポリタンで頼むよ」

「分かりました、それじゃあ行きましょう」


 その答えに笑顔を見せると、愛紗は慣れた様子でカートを扱いながら迷い無く方向を定めて売り場へと向かう。そんな愛紗の迷いの無さはとても頼もしく、俺は先輩である事も忘れてそのあとに続いて行く。


「先輩、パスタの太さは何ミリがいいですか?」

「そうだな……いつも食べてるパスタは太目だから、1.8ミリかな」

「本当に結構太めですね」

「ラーメンとかは細麺派だけど、パスタは太目のモチモチした食感が好きなんだよ」

「ああー、確かにモチモチしてますよね、太目のパスタは」


 俺の言葉に相槌を打つと、愛紗は売り場にある多種多様な乾燥パスタ麺の中から指定した大きさの麺が入った袋を手に取り、それをカートへ優しく入れた。

 最近はパスタ麺も1.4ミリか1.6ミリが主流の様で、1.8ミリサイズはあまり店頭では見かけなくなってきているから残念でならない。それにしても、たった0.4ミリか0.2ミリ違うだけで食感が全く違うんだから、人間の舌というのは本当に敏感なものだと思う。


「――よし、これでいいかな」


 店内を回ること約三十分、色々と悩んだ愛紗はようやく集めた素材に納得がいった様子だった。


「愛紗ってさ、いつもこんなに拘って買い物をしてるのか?」

「いいえ、普段は今よりずっと大雑把ですよ」

「へえー」


 その言葉を自分に都合良く解釈すると、先輩が一緒だから拘ってるんです――と取れなくもないけど、流石にそれが俺の考え過ぎなのは分かっている。むしろお客として来ている俺に気を遣ってくれている――と考える方が自然だろう。

 しかし心の中では、その都合の良い解釈の方であってほしいと思っている自分が居るのは事実だ。だけどそんな考えをすんなりと受け入れられる要素が無いのでそれもできない。現実は本当にどこまでも厳しい。

 それから買い物を済ませて愛紗の家へ戻ったあと、俺は愛紗と一緒にパスタ作りに勤しんだ。


「「――いただきます」」


 二人で作ったパスタを前に両手を合わせ、さっそくそれを食べ始める。ここ数日の間で当たり前になった光景だ。


「うん! やっぱり美味しいな!」

「そうですか? それなら良かったです」


 今回は麺を茹でたのが俺で、ソースを作って和えてくれたのが愛紗だ。

 愛紗の作る料理は食べる度に美味しさを増している様に感じる。いや、この場合は美味しさを増していると言うより、俺好みの味になってきている――と言った方がいいかもしれない。


「愛紗って本当に料理上手だよな。ここへ来る様になってから、ますます料理が美味しくなってるし」

「本当ですか? それなら良かったです。先輩ならこういう味付けが好みなのかなーって考えて作っているので」

「えっ? わざわざ俺の好みを考えて味付けをしてくれてたのか?」

「あ、いや、その……先輩がわざわざこうして家に来てくれてるんですから、せめて美味しい料理くらいは出したいと思って……べ、別にそれ以上の理由は無いですよ?」

「そ、そっか、ありがとな、愛紗」

「い、いえ……どういたしまして……」


 愛紗はそう言うと、顔を横へと逸らしてしまった。

 俺はと言えばそんな愛紗の態度と言葉を見聞きして、落胆する気持ちを抑えきれずにいた。分かっていた事とは言え、直接本人の口からそんな言葉を聞くと、ガッカリせずにはいられない。

 それから昼食の後片付けをし、俺達はいつもの様に衣装作りを再開したけど、なぜかちょっと気まずい雰囲気を感じていた。それはもしかしたら、俺だけがそう感じていただけかもしれないけど、なんとなく愛紗も俺に対して遠慮をしている様な雰囲気を感じた。

 そして結局、この日はずっと気まずい雰囲気を感じながら衣装作りは進み、今日の作業が終わるまでの間で会話を交わす事はほとんど無かった。


「――それじゃあまた明日」

「はい……気を付けて帰って下さいね?」

「ああ、それじゃあな」


 今日の作業もとりあえず終わり、俺は愛紗の家から自宅へ帰る為に帰路を歩き始める。いつも愛紗の家から帰る時には異様な寂しさの様なものを感じていたけど、今日のそれは特別大きく感じ、俺は小さな溜息を何度も吐きながら駅への道を歩いた。


「――龍之介先輩!」


 そして帰路を歩き始めてからしばらくして駅前に着いた頃、唐突に後ろから名前を呼ばれて振り返った。


「どうしたんだ? 何か忘れ物でもしてたか?」

「いやその、違うんです……先輩に一つお願いがあって来たんです」

「お願い? 俺に出来る事なら聞くけど、何?」

「えっとあの……文化祭の事なんですけど、一日目のコスプレコンテストが終わった後と最終日なんですが、私と一緒に文化祭を回ってもらえませんか?」

「えっ!?」

「あの、駄目だったら別にいいんですけど……」


 愛紗はなにやら深刻な様子でそんな事を言ってくる。内容自体は深刻なものではないけど、もしかしたら文化祭の最中にやりたい事でもあるのかもしれない。


「えっと、愛紗の方は大丈夫なのか?」

「えっ? どうしてですか?」

「だってほら、文化祭って言ったら好きな人を誘うとか定番じゃないか。それなのに俺と一緒に回っていいのかなって」

「そ、そんな事は先輩が気にしなくても大丈夫です! どうなんですか? 一緒に回ってくれるんですか!?」


 俺の言葉を聞いて愛紗はいきなり物凄い勢いで迫って来た。そして俺はそんな愛紗の勢いに、思わず気圧される様に半歩下がってしまった。


「あ、ああ、一緒に回るよ」

「本当ですか!?」

「もちろん」

「約束しましたからね? あとでやっぱり無しは駄目ですよ?」

「ああ、約束だ」

「あ、ありがとうございます。それじゃあ私は帰りますね」

「気を付けて帰るんだぞ?」

「はい、気を付けます」


 愛紗はそう言ってペコリと頭を下げると、足早にその場から走り去って行った。

 俺はそんな後ろ姿を見ながら、愛紗がいったい何を考えているのか分からず、ただ戸惑っていた。

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