第255話・二人で過ごす穏やかな午後

 コスプレ衣装作りを愛紗の家でやる事に決まった翌日のお昼過ぎ、文化祭準備期間で午前中授業の俺達は予定通りに愛紗の家へと向かっていた。

 一定のリズムで揺れる電車内、空いている座席のちょうど真ん中辺りに愛紗と座り、いつもと変わらない談笑を交わしていると、突然愛紗が表情を曇らせた。


「あの……先輩、本当にごめんなさい、突然こんな事になっちゃって」

「何度も謝らなくていいって、だいたいコスプレ衣装を手作りしようって最初に言ってたのは俺なんだしさ。それに俺んちにはミシンとか無いし、裁縫が出来る愛紗や由梨ちゃんが傍に居るのは正直助かるんだよ、色々教えてもらえるしさ。それよりも衣装が出来上がるまでここに来る方が迷惑なんじゃないかって、そっちの方が心配なくらいだよ」

「そんな事は絶対にありませんっ! あっ……」


 愛紗は力強く大きな声で俺の言葉を否定したが、その声にまばらとは言え乗っていた乗客が視線を向けてきた。するとその様子を見た愛紗は慌ててスッと立ち上がり、『ごめんなさい』と言いながらあちこちに頭を下げ、座席へ座ると恥ずかしそうに顔を深く俯かせた。


「ふふっ」

「な、何で笑ってるんですか?」

「あ、いや悪い、恥ずかしそうにしてる愛紗が可愛く見えてさ、思わず笑っちゃったんだよ」

「何ですかそれは? そんな事を言われても嬉しくありませんよ……」

「わりいわりい」

「もう……」


 俯かせていた顔を俺が居る方とは逆側に向け、表情を見せない様にする愛紗。そんな仕草の一つ一つが、俺にとってはとても可愛らしく見える。愛紗と再会した頃はその態度にビビる事も多かったけど、今ではそれにもすっかり慣れ、逆に可愛く見える様になったんだから不思議なもんだ。

 顔を逸らしている愛紗の表情を想像しながら一人微笑み、リズム良く揺れる電車の振動を全身で感じながら目的の駅へと運ばれる。その間ずっと愛紗は黙って顔を逸らしていたけど、それは俺にとって嫌な沈黙ではなかった。


「――先輩、少し買い物をして行ってもいいですか?」

「いいよ、ちょうど俺も買いたい物があったし」

「良かったです、それじゃあ行きましょう」


 顔を逸らして沈黙していた愛紗も、電車から降りて改札をくぐる頃にはいつも通りの様子に戻っていた。俺はそんな愛紗の歩幅に合わせて横に並び、見知らぬ街を歩いて行く。

 こうしてじっくりとここの街並みを見ながら歩くのは初めてだけど、街中は昼間と言う事もあってかとても静かで、時折買物袋を抱えた主婦とすれ違うくらいだ。


「先輩、夕ご飯は食べて行ってくれますよね?」

「えっ? いいのか? 親御さんもそのうち帰って来るだろうし、迷惑じゃないか?」

「いいえ、お父さんもお母さんも結構忙しくて、職場で泊まる事も多いんですよ。それにもし帰って来たとしても、深夜な事がほとんどなので」

「そうなの? ご両親て何の仕事をしてるの?」

「二人揃って獣医をやってるんですよ。だから預かってる動物の面倒を看たりで忙しくて、滅多に家族全員が揃う事は無いんです」

「なるほどね、俺んちも家族全員が揃う事は少ないけど、愛紗のとこもそうだったんだな」


 愛紗と高校で再会してからだいぶ経つけど、お互いの家族について話すのはこれが初めてだった。前に忙しい両親の代わりに愛紗が家事全般をこなしているとは聞いていたけど、これなら愛紗の家事スキルが高いのは納得がいく。


「でもさ、両親が居ないと寂しかったりしないか?」

「小さな頃はそう思ってましたけど、中学生くらいからは両親の仕事に対してある程度理解もしてましたし、何より由梨が居るからしっかりしないと――って思ってましたから」

「そっか、俺も愛紗と同じ感じかな、杏子が居るから俺がしっかりしないと――って感じはあったから。ははっ、そう考えると俺達って、結構似た者同士なのかもな」

「そうかもしれませんね」


 愛紗はそう言いながら少し照れた様にして微笑む。そんな愛紗の可愛らしい表情を見ていると、最近は胸がドキドキする様になっていた。

 再会した頃には無かったこの感情、それは俺にとって懐かしくも苦しいもの。そして俺は自分の抱えるこの気持ちが何なのかは気付いていた、それが自分にとって経験のある感情だったからだ。

 そう、俺はいつの間にか愛紗に恋をしていた。いつからこの感情を自分の中に芽生えさせていたのかは分からないけど、少なくとも愛紗の笑顔や拗ねている時の顔、色々な表情を見ている内にこの感情を抱いたのは間違いない。


「どうしたんですか先輩? ぼーっとして」

「えっ? ああいや、何でもないよ」

「そうですか? それならいいんですけど」


 自分が考えていた事を思って思わず顔が熱くなり、俺はこんな表情を愛紗に見られたくないと顔を空の方へと向けた。そして一緒に駅の近くにあるスーパーで買い物をしたあと、俺達は愛紗の自宅へとやって来た。


「お邪魔します」

「あっ、先輩、荷物持ってもらってありがとうございました。あとは自分で運ぶので、私の部屋で待ってて下さい」

「いいよいいよ、台所まで運べばいいんだろ? 任せとけって」


 昨日来た時になんとなく家の間取りを予想していた俺は、自分の予想に従って台所があるだろう方へと荷物を持って歩いた。そして予想通りに台所へと辿り着いた俺は、そこにあったテーブルに荷物を置いて中身を取り出し始めた。


「先に冷蔵品とか出していくから、愛紗はそれを冷蔵庫に仕舞ってくれ」

「あ、はい、分かりました」


 二人で行うささやかな共同作業。やってる事は大した事じゃないけど、俺にとってはそんな些細な事も嬉しく感じてしまう。

 そして買って来た物全てを適切な所に収めた愛紗と一緒に部屋へ向かい、俺達は持っていた鞄を床に置いた。


「手伝ってもらってありがとうございました。私は昼食の準備をするので、先輩は部屋で待ってて下さい」

「俺も手伝おっか?」

「いえ、先輩は昼食後の衣装作りの準備をしてて下さい」


 俺としては一緒に料理作りを楽しみたかったんだけど、こればっかりは仕方がない。ちょっと寂しい気持ちを感じつつも、俺は愛紗の部屋で衣装作りの準備を始めた。

 それから愛紗が作ってくれた昼食を一緒に食べ終えたあと、俺は愛紗に手取り足取り教えてもらいながら衣装を作り始めた。しかし裁縫なんてやるのは小学校の家庭科以来だった俺は、針の使い方一つ取っても上手くいかずに苦戦を強いられるはめになった。


「いてっ!」

「大丈夫ですか!?」

「ああ、大丈夫大丈夫、ちょっとチクッとしただけだから」


 針先が刺さって痛みの走った指からは、じわりと血がにじんでいる。小学校以来の裁縫とはいえ、恋心を抱く異性の前でこれはカッコ悪い。


「血が出てるじゃないですか!? ちょっと待ってて下さい、確か引き出しの中に絆創膏があったはずですから」

「いいよいいよ、大した傷じゃないし」

「駄目です! 小さくても傷は傷なんですから、ちゃんとしておかないと」


 いさめる様にそう言うと、愛紗は自分の机から可愛らしいうさうさの絵が描かれた絆創膏を取り出し、怪我をした指先に巻いてくれた。


「ありがとな。それにしても、流石はお姉ちゃんをやってるだけはあるよな、俺に姉ちゃんは居ないけど、もしも居たらこんな感じだったのかもな」

「止めて下さいよ、私は歳下ですよ?」

「あはは、わりいわりい。でもさ、今まで知らなかった愛紗の一面を見れたのは嬉しかったかな」

「そうなんですか?」

「お姉さんぽい愛紗とか、学園では見られないからな」

「それって普段の私が子供っぽいって事ですか?」

「いやいや、子供っぽいと言うよりは、普段は可愛い妹みたいな感じだからさ」

「もう……私は先輩の妹じゃないんですからね?」

「ははっ、すまんすまん」


 小さく口を尖らせながら、むくれた表情を見せる愛紗。そんな愛紗がとても愛らしく見え、やっぱり微笑んでしまう。

 そしてそんな俺を見て頬を膨らませる愛紗にポカポカと身体を叩かれつつ、俺と愛紗の衣装作り一日目は穏やかに過ぎて行った。

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