三年生編・ラストエピソード

第234話・選択の末

「龍ちゃん、早く行こうよ。みんなもう行っちゃったよ?」

「分かってるよ。でも、もうちょっとだけ時間をくれないか? 今日が最後だからさ」

「……分かった、それじゃあみんなと校門前で待ってるから、早く来てね?」

「ああ、わりいな」


 高校生活最後のホームルームが終わってから、十分ほどが経った。まだ教室の中にクラスメイト達が残る中、茜は俺の気持ちを察してか、先に出て行ったまひろ達を追って教室を出て行く。

 教室内では別れを惜しむクラスメイト達が、高校生として最後の会話を友人達と交わしている。その中には涙を流している者さえ居るくらいだ。しかしその気持ちもよく分かる。だって今日、俺達三年生は卒業式を迎え、この花嵐恋からんこえ学園から旅立って行くのだから。

 教室内の寂しげな雰囲気に耐えられなくなった俺は、荷物を机の上に置いたまま廊下へ出て校内を歩き始めた。こうしてこの学園の制服を着て校内を散策できるのも、今日が最後かと思うと感慨深いものがある。


「本当に色々な事があったよな……」


 廊下の窓から青空が広がる外を見つつ、これまでの三年間を振り返る。

 一生懸命に勉強し、入学したこの花嵐恋からんこえ学園。入学した翌日にあった珍妙なレクリエーション、凄まじい権限を持った謎の取材部、イベントが大好きな先生達が思いつきのままに何かをやる修学旅行、ウエディングドレスのモデルを決める為に行った花嫁選抜コンテスト、思い返せば切りが無いくらいに沢山のイベントがあった。

 三年生になってからは、美月さんが発足した制作研究部で恋愛シュミレーションゲームを作ったりもした。夏コミでは試作品を配って反応を窺い、集められた意見から改良を重ねて冬コミで完成版を発売した。その結果はなかなか上出来で、『初めての販売にしてはなかなか良かった思うよ』と、仲良くなったコミケの常連参加者は言っていたし、売り出した完成版の反応も結構良かったので満足だった。

 他にも茜の所属するバスケ部が全国で三位になった事とか、冬の選抜でも頑張っていた事とか、本当に思い出が盛り沢山な高校生活だったと思う。

 そして柄にもなくセンチメンタルな気分で校内を回ってから教室へ戻ると、教室内には誰の姿も無かった。そんな教室内の机の上にポツンと置かれた俺の鞄が、なんだか酷く寂しげな気持ちを誘う。


「ここからの景色もこれで見納めか」


 窓の外に見える中庭を見ながら、三年間見続けて来た景色に感極まって涙が出そうになった。


「扉が開いているから誰が居るのかと思ったら、君だったのか」

「あっ、宮下先生、すみません」

「いや、別に謝る事はない、なんでも終わる瞬間というのは、寂しく辛いものだからな」

「そうですね、よく分かります」


 そう答えると宮下先生は教室の中へと足を踏み入れ、こちらへと近付いて来た。


「この学園での三年間はどうだった?」

「キツイ事も色々ありましたけど、凄く楽しい三年間だったと思います」

「そうか、楽しいばかりが人生ではないが、それでも楽しいと思える事が多かったのは幸せな事だ」

「はい、そうだと思います」

「人は数多くの選択を毎日の中で行っている、それはとても些細なものから、大きなものまでを含めてだ。人は毎日の選択によって見えざる道を進んでいる、そしてその先にあるものは、決して良いものだけではないだろう。あの時にああしていればと悔やむ事もあるかもしれない、いや、悔やむ事はきっとあるだろう。しかしどんな時でも、自分や他人がより良くれるだろう選択を選び取れる様な人間でいてほしいものだ」

「なんだか深い言葉ですね」

「そんな事はないさ、要は自分や大切な人達が幸せで居られる様な選択を考えていけという事なのだから」

「それができれば苦労はないと思いますけどね?」

「確かにその通りだが、その道も考える事を止めたら絶対に辿り着けない道だという事も忘れては駄目だぞ?」

「そうですね、肝に銘じておきます」

「そうしてくれ、ほんの些細で小さな選択が、良くも悪くもその後の自分を大きく変える事になるかもしれないのだから」


 ほんの些細で小さな選択が、良くも悪くもその後の自分を大きく変えるかもしれない――確かにそれはあると思う。俺だってこの三年間に、色々な選択をして来た。もしかしたらどこかで別の選択をしていれば、違う未来があったのかもしれないのだから。

 でも、それは今更考えても仕方がない事だ。だって過ぎ去った過去に対し、もしもを考える事ほど虚しいものはないのだから。


「それじゃあ俺は行きますね、三年間、ありがとうございました。宮下先生」

「うむ、これから君達が進む道に、幸多き事を願っているよ」

「ありがとうございます」


 感謝の意味を込めて大きく頭を下げる。すると宮下先生はそっと頭に手を乗せ、優しく撫で始めた。俺は初めて宮下先生にそんな事をされてちょっと驚いたけど、その感触はとても心地良かった。


「これからも選択の末に自分が傷付く事もあるだろうし、他人を傷付けてしまう事もあるだろう。そしてその時に自分を責め、その場で立ち止まってしまう事もあるかもしれない。だが、いつまでもそこで立ち止まっていてはいけないぞ? 人は誰しも、いつかは前を向いて進まなければいけないのだから」


 そう言い終わると、頭を撫でていた手がそっと離れた。その事に多少の名残惜しさを感じつつ、下げていた頭を上げる。


「はい」

「うむ、それでは気を付けて行きたまえ」


 宮下先生はそう言うと、背中を向けて教室の外へと歩き始めた。俺はその背中に向かってもう一度だけ頭を下げ、その姿を見送った。


× × × ×


「あっ! 龍ちゃんおっそーい!」

「わりいわりい、ちょっと教室で宮下先生と話してたからさ」

「とか何とか言って~、実は教室で泣いてたんじゃないの~?」

「ば、馬鹿っ! そんな事あるわけないだろ!」

「でも、頬に涙が流れた様な跡があるよ?」

「えっ!? マジか?」


 茜の言葉に動揺し、つい目元から頬の間を袖で拭う動作をしてしまった。


「ほーら! やっぱり龍ちゃん泣いてたんだー!」

「ち、違うって言ってるだろっ!」

「恥ずかしがる事ないじゃない、誰だってこういう時は寂しいものだもん」

「まひろ、茜の言葉に惑わされるな、俺は泣いてないから」

「たっくんは案外ロマンチストなところがあるから、一人で泣いててもおかしくはないかな」

「案外ってところが引っかかるけど、俺は泣いてないからね?」

「そうやって否定するところは龍之介さんらしいですね」

「美月さん、さっきから言ってるけど、俺は本当に泣いてないからね?」

「お兄ちゃんは素直じゃないからね~」

「馬鹿言ってんじゃないよ。俺はいつでも素直100%、素直の塊だっつーの」

「せ、先輩、卒業、おめでとうございます……」

「おう、愛紗、わざわざ来てくれてありがとな」

「いえ……先輩の卒業式には絶対に来ようと思ってましたから……」


 そう言うと愛紗は突然ぽろぽろと涙を零し始めた。


「お、おいおい!? 何で愛紗が泣いてるんだよ!?」

「ご、ごめんなさい、先輩達が居なくなると思うと、なんだか寂しくて……」

「そっか、別に謝らなくていいさ、俺だって寂しい気持ちはあるんだからさ。だからほら、そんなに泣くなよ」


 ポケットからハンカチを取り出して愛紗に手渡すと、それを手に取った瞬間、愛紗は更に激しく泣き始めてしまった。


「ありゃりゃ!?」

「傍から見ると、お兄ちゃんがいたいけな後輩を泣かせてるって感じだね」

「おいおい杏子ちゃんよ、最後の最後で俺に対する妙なイメージを植え付ける様な発言をしないでくれないか? ほら、これからみんなで打ち上げなんだから、愛紗もそろそろ泣き止んでくれよ」

「は、はい……ごめん……なさい」

「よしよし、ところで渡と秋野さんは?」

「あっ、渡君と鈴音ちゃんなら、龍ちゃんが来るのが遅いから先にファミレスに行って席を取っとくって言ってたよ」

「そっか、そんじゃ急いで行かないとな」

「うん、それじゃあ行こう! みんな!」


 茜の言葉にそれぞれが頷くと、みんなは打ち上げ会場であるファミレスへと向かい始めた。

 ファミレスでの打ち上げには真柴や他の友達も合流するから、盛大で楽しい打ち上げになるだろう。そのあとは我が家で泊り込みのパーティーも予定してるし、その時には陽子さんも来るからとても楽しみだ。

 楽しげに会話をしながら歩くみんなを後ろから見ながら、そんな事を考える。

 これからはそれぞれが違う道を歩むから、今までの様に顔を合わせる事も少なくなるだろう。でもきっと、俺達は仲良くやっていけると思う。

 それに高校生活はとても楽しかったから、後悔は一つもない――と言いたいところだけど、一つだけ心残りはある。それは高校でもラブコメ生活を送れなかった事だ。まあラブコメ生活なんてのは非現実的なのは重々承知だけど、それでも残念な気持ちは拭えない。


 ――せめて彼女が居れば、もっと実のある高校生活を送れてたのかもな。


 そしてそんな事を考えた時、宮下先生が言っていた選択の話がふと頭の中をぎった。


 ――もしも俺がどこかで別の選択をしていたら、前を歩いている誰かと恋人になっていた世界もあったのかな。


「……ははっ、まさかな」


 一瞬そんな事を考えてしまったが、すぐに頭を左右に振ってその考えを打ち払った。そんな事を考えたって虚しいだけだから。それにこれから進む道でも、まだまだラブコメ展開は期待できるんだ、全てはこれからさ。


「よーしっ! 次こそはラブコメ生活するぞーっ!」


 新たな気合を入れ、歩く速度を速めてみんなの輪の中へと入って行く。

 俺が選択しなかった世界の話は、その選択をした世界の俺に任せればいい。俺はこの世界で十分幸せなんだから。

 大切な仲間達の輪に加わりながら、俺は今ある幸せをひしひしと噛み締めていた。





三年生編~fin~

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