第167話・偶然の遭遇

 十二月二十五日。

 今日は人によって良くも悪くも特別な日だ。


「お兄ちゃん。そろそろ起きて下さい」

「う~ん……あと五分……」

「またですか? もう五回目ですよ?」

「これで最後にするから……」

「その言葉は三回目です。朝御飯も出来上がりましたから、もう起きて下さい」


 そんな言葉が聞こえたかと思うと、布団の温もりを逃がさない様にしていた掛け布団が俺の上から消え失せた。


「ううーっ。杏子、あと五分くらい寝かせてくれよ」

「もう……まだ寝ぼけてるんですか?」

「へっ?」


 今更ながら杏子とは違う声に気付き、俺はそむけていた身体を声がした方へと向けた。


「えっ!? な、何でまひるちゃんがここに居るの!?」


 振り向いた先には、杏子がいつも使っている仔猫のイラストが描かれた黄色のエプロンを身にまとい、ちょっと困った感じの表情を浮かべているまひるちゃんの姿があった。


「やっぱりまだ寝ぼけてますね? 昨日お兄ちゃんが私に泊まっていく様に言ってくれたんじゃないですか」

「俺が?」

「はい。覚えてないんですか?」


 そう言われて俺は昨晩の事を思い出した。

 昨日るーちゃんを自宅へ送ってからしばらく経った頃にまひるちゃんが我が家にやって来て、それで『こんな時間にどうしたの?』って聞いたら、『まひろお兄ちゃんと喧嘩をしちゃって、それで話を聞いてほしくて来ました』と言った。それを聞いた俺は、まひろと喧嘩なんてするんだな――とか思いつつ、とりあえず家に上がってもらってリビングで話を聞いた。

 そして色々と話をしている内にあっという間に時間が経ち、いつの間にか終電の時間を過ぎていたので、『とりあえず今日は客間に泊まっていきなよ』と言ったんだった。


「いや、覚えてるよ。確かに俺が泊まっていく様に言った」

「良かったです。ちゃんと覚えてくれてて。それじゃあ私はリビングに戻りますから、着替えたらすぐに下りて来て下さいね?」


 まひるちゃんはにこっと笑顔でそう言うと、とても楽しそうに部屋を出て行った。


「はあっ……もったいない事をしたな……」


 俺は幼妻おさなづまの様な格好をしていたまひるちゃんに何度も起こされていたというのに、それに気付かずグダグダと寝入っていた事を後悔しながら、大きな溜息を吐き出してから着替えを始めた。


「――待たせてごめんね。まひるちゃん」

「いえ、大丈夫です。それより、台所と冷蔵庫の中身を勝手に使ってごめんなさい」

「いやいや、謝る事はないよ。むしろこんなしっかりとした朝食を作ってくれたんだから、ありがたいくらいだよ」

「本当ですか? 良かった……」


 まひるちゃんは心底ほっとした様な感じで小さく息を漏らした。きっと泊めてくれたお礼なんだろうとは思うけど、逆に気を遣わせてしまったみたいで申し訳ない。

 でもまあ、それはそれとして、こうして朝食を用意してくれたのは本当にありがたい。いつも朝食の準備はかったるくて面倒だから。特に冬場は寒くて起きるのが嫌だから。


「それじゃあ、いただきます!」


 俺は湯気が立ちのぼる味噌汁が入った椀を取り、中の汁をすすり上げる。

 ほど良い感じのいりこ出汁だしと、味噌の豊かな風味が鼻を通り抜け、温かなスープが冷えた身体を温めていく。


 ――この味噌汁、前に花嫁選抜コンテストでまひろが作った味噌汁と味付けが似てるな。


 確かまひろは『お母さんに料理を習った』と言ってたから、まひるちゃんもお母さんに料理を習っていたのかもしれない。だとすれば、まひろとまひるちゃんの味付けなどが似た感じになるのは当然なんだろう。


「どうですか?」

「凄く美味しいよ。いい塩梅あんばいだし、味噌の濃さもちょうどいいよ」

「それなら良かったです」


 まひるちゃんは小さく微笑みながらそう言うと、『いただきます』と言って手を合わせ、味噌汁の入ったお椀を持ってからそれを口にした。

 そしてそれからしばらくの間、俺はまひるちゃんと一緒に穏やかな朝食タイムを楽しんだ。


× × × ×


「やっぱり今日は人が多いね」

「そうですね。カップルが多いのは、やっぱりクリスマスだからですかね?」

「そうだろうねえ……」


 まひるちゃんの言葉を聞いた俺は、苦々しい表情で周りに居るカップル達を見た。

 朝食を済ませてから後片付けをしたあと、俺はまひるちゃんと一緒に最寄り駅から二駅先にある大型デパートへと訪れていた。

 それにしても、今日がクリスマスという事もあるからか、まひるちゃんが言っていた通りにカップルが多く感じる。


「お兄ちゃん。まずはどこから見て回りますか?」

「そうだねえ……プレゼントはどんな系統にする予定なの?」

「私としては、可愛い小物をプレゼントしたいなって思ってます」

「小物か……だとしたら、四階のフロアを見て回ればいいかな」

「分かりました。それじゃあ行きましょう。お兄ちゃん」


 目的の場所が決まった俺達は、一緒にエスカレーターへ乗って四階へと向かった。


「――わあー! 可愛い物が沢山ありますね♪」

「そうだね。流石は専門店が多いフロアだけはあるね」


 四階へとやって来た俺達は、まずどの店に入ろうかと通路を歩きながら店構えを見ていた。辺りは専門店フロアらしく、インテリア小物を取り扱うお店から、ファンシーな小物を扱うお店まで、多種多様なお店が立ち並んでいる。

 お店が取り扱う商品のラインナップにもよるだろうけど、女性向けのファンシーな商品を取り扱うお店は、男一人で入るにはハードルが高い。だから俺にとってこのフロアは、物珍しい商品で埋め尽くされた場所だと言えるだろう。


「お兄ちゃん。あのお店に行ってみませんか?」


 まひるちゃんが指差す先に視線を向けると、今まで見て来たお店の中でも、特に男が入り辛そうな感じのファンシーな雰囲気を醸し出しているお店が目に映った。


「あの店に入るの? ちょっと恥ずかしいなあ……」

「えっ? どうしてですか?」

「いや、あのいかにも『女の子向けですよ』って雰囲気が苦手でね」

「そうなんですか?」


 俺がまひるちゃんの提案に難色を示すと、まひるちゃんは口元に指を当て、そのまま何かを考え込むかの様にして黙ってしまった。


「どうかしたの?」

「おにーいちゃん♪」

「えっ!? ちょ、ちょっと!?」


 そう問い掛けた途端、まひるちゃんはそう言いながら俺の左腕を両手で抱き包んだ。

 まひるちゃんは大胆な所もあるけど、さすがにこんな事をされるとビックリしてしまう。


「これならお店に入っても恥ずかしくありませんよね?」

「えっ? どういう事?」

「だって、女の子以外ではカップルしか居ませんから、こうしてたらお兄ちゃんも恥ずかしくないでしょ?」


 名案だと言わんばかりにそう言うまひるちゃんだが、抱き付かれている俺の精神状態が大変な事になってしまうとは思わないのだろうか。とはいえ、今日はまひるちゃんのお願いを聞いてデパートへ来たんだから、いくら恥ずかしくてもまひるちゃんのお願いを聞かないわけにはいかないだろう。まひるちゃんもこうして気を遣ってくれてるわけだし。


「そうだね。それじゃあ行こっか」

「うん♪」


 満面の笑顔を浮かべて返事をしたまひるちゃんと一緒に店内へ入ると、そのあまりにファンシーな雰囲気に思わず圧倒されてしまった。こういうお店には一人では絶対に入れないと確信しつつ、俺の貴重なファンシーショップ体験は始まった。

 そして二人で入店してからしばらく店内を見て回ったあと、まひるちゃんは目的だった家族用のクリスマスプレゼントを買い、俺は満足げな笑顔を見せるまひるちゃんと一緒にお店を出た。


「あれっ? お兄ちゃん?」

「おう、杏子。どうしたんだこんな所で?」

「それはこっちのセリフだよ」


 買い物を済ませてお店を出た所で、偶然にも杏子と遭遇した。

 そして杏子は俺の腕を抱き包んでいるまひるちゃんを見ながら、もの凄く怪訝そうな表情を浮かべて再び口を開いた。


「まひろさん? でも、スカート履いてるし……誰?」

「あっ、私、涼風まひるって言います。今日はお兄ちゃんに買い物に付き合ってもらってたんです」

「お兄ちゃん?」


 まひるちゃんがそう言うと、杏子はあからさまに機嫌の悪い表情を見せた。

 そして俺は、そんな杏子の見せる表情に言い知れない不安を感じ始めていた。

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