第164話・見えない先のお話

「では各人、割り当てられた場所に向かい作業を開始してくれたまえ」


 二学期の終業式も無事に済み、ホームルームもとどこおりなく終わった午後十二時頃。

 グラウンドの一角に集められた俺を含む三十人は、いつもの白衣姿をした宮下先生にそう言われて担当の場所へと散って行く。

 もはや言うまでもないとは思うが、先日行われたマラソン大会のペナルティが今日実行されるわけだ。本当は冬休みを使っての校内美化活動になるはずだったんだけど、そこは先生達の温情により回避された。

 集められた俺を含む三十人はみんなそれぞれにジャージを着用しているんだけど、その中に青色のジャージを着た者は居ない。つまり、一年生は居ないという事だ。きっと一年生達が真面目にマラソン大会に挑んでいた証拠なんだろう。

 あとは赤色のジャージを着た三年生が九人居て、残りは全て緑色のジャージを着た二年生ばかりだ。こうして見ると、俺を含めた二年生がいかにたるんでいたのかがよく分かる。


「さてと。それじゃあ俺達も行きますか」

「はい」

「うん。それじゃあ僕は、残りの道具を取って来るね」

「サンキュー。俺と美月さんは所定の場所に行って先に始めてるから」

「うん」


 残りの道具を取りに行ってくれたまひろにお礼を言いつつ、俺は美月さんと一緒に割り当てられた場所へと向かい始めた。


「うう~っ。今日も寒いねえ~」

「ごめんなさい、龍之介さん。私のせいでこんな事になってしまって。結局まひろさんも巻き込んでしまいましたし……」

「美月さん。前にも言ったけど、俺もまひろも今回の件が美月さんの責任だなんて思ってないから。だから謝らないでよ。俺もまひろも自分の考えでやった事なんだからさ」

「はい……」


 俺の言葉に頷きつつも、美月さんの曇った表情は晴れなかった。やっぱりこの前の事をかなり気にしているんだと思う。

 でも、その気持ちは分からないでもない。俺も美月さんに対してああは言ったけど、まひろに対しては申し訳ないと思う気持ちがあったから。

 あのマラソン大会があった日。足をくじいていた美月さんに肩を貸してゴールへと向かった俺は、案の定、美月さんと一緒にビリになった。

 別にビリになった事はどうでもいいんだけど、途中で俺と美月さんの事を心配したまひろが戻って来たのは俺の誤算だった。

 あの時、戻って来たまひろは『先に行ってくれ』と言う俺の言葉に対し、『二人が心配で先に進めないんだよね』と、にこやかにそう言いながら俺と同じ様に美月さんに肩を貸してくれた。こうしてまひろも俺達と同様にビリになっていしまい、今に至るというわけだ。

 俺としてはまひろに心配をさせた挙句あげく、美化活動に巻き込んでしまった事に申し訳なさを感じていたから、美月さんの気持ちもよく分かるつもりではいる。

 でもこうなった以上、いつまでもそれを気にしていても仕方ない。思い悩むよりも、やる事をちゃっちゃと終わらせて、一刻も早くこの寒空の下から解放される様にする方が健全だろう。

 幸いにも今回の美化活動は、三人一組での作業だ。俺達が担当する場所は一番敷地が広くて大変な場所になるけど、三人で集中してやれば、それほど時間はかからないと思っている。


「――お待たせ」


 俺と美月さんが本校舎の中庭に来てから五分くらいが経った頃。まひろが残りの道具を台車に乗せてやって来た。


「サンキュー。そんじゃまあ、頑張りますか!」


 まひろにお礼を言ってから再び気合を入れ、俺は早いところこのかったるい美化活動を終わらせる為に作業を再開した。


「うーん。結構難しいな……」


 俺はまひろが持って来てくれた道具から剪定せんていばさみ持ち出し、中庭にある木の剪定を始めた。

 小さな頃は造園屋さんがご近所の庭にある木などを剪定しているのを見かける事が多々あったけど、今ではそんな姿をあまり見なくなった。あの頃は、木を切るだけの仕事って楽そうだな――とか、造園屋さんが聞いたら激怒しそうな事を思っていたけど、それは子供の単純な考えから来るものだと思って許してもらいたい。

 まあ、それはさて置き、植木などの剪定には専用のはさみを使うんだけど、これを使って形を整えるというのが思っていたよりも難しい。元々こういった道具を使った事が無い俺には、使い方が合っているのかすらも不明だ。


「――ふうっ……こんなんでいいかな?」


 一つの植木を剪定するのに時間はかかったけど、その仕上がりが良いのか悪いのかさえも俺には分からない。良いと言えば良い様にも見えるし、悪いと言えば悪い様にも見える。


「まあいっか」


 結果の良し悪しが分からないなら、このまま迷っていても時間の無駄になるだけ。俺は初めて剪定した植木の仕上がりを大して気にする事なく、次の植木へと移動を始めた。

 そして次の植木へと移動をする際、まひろが作業している場所へと視線を向けた。まひろは中庭の一角にしゃがみ込み、軍手を着けた手で一生懸命に地面から出ている草を抜き取っている。

 夏とは違って冬場の草丈くさたけはそれほど長くない。手で掴んで引き抜くには苦労をするだろう。実際こうして見ている間も、まひろは引き抜こうとしている草が途中で切れて地面に尻餅を着いたりしている。

 そんな短い草を一生懸命に手で引き抜こうと奮闘しているまひろの様子を見ていると、そのあまりの可愛らしさについ手伝ってやりたい気持ちになるけど、草を相手に奮闘しているまひろを見ていたい気持ちもあるから、そのままにしておこうと思う自分も居たりする。実に複雑な心境だ。

 地面に尻餅を着いたまひろがお尻に付いた土埃を払うのを見つつ、今度は美月さんへと視線をシフトさせた。

 美月さんは俺から約二メートルくらい離れた場所で、先ほど剪定した植木の下に落ちている葉っぱなどを竹製の熊手を使って集めている。掃除を始める前はとても申し訳なさそうな浮かない表情を見せていた美月さんだったけど、今はとても楽しそうにハミングをしているのが聞こえる。

 それぞれに可愛らしい二人の行動にちょっとした癒しを感じつつ、俺は二つ目の植木の剪定を開始した。

 そして俺達が美化活動を開始してから二時間ほどが経った頃。

 植木の剪定作業にもだいぶ慣れてきていた俺は、中庭にある植木の約半分の剪定作業を終わらせていた。美月さんは俺が剪定で落とした葉っぱや、まひろが取った草を一生懸命に集めつつ、それをゴミ袋にせっせと詰め込んでいる。


 ――あの袋もだいぶ膨れてきたな。


 集められたゴミが詰め込まれた袋は二袋を突破し、現在進行形で美月さんが詰め込んでいる分を合わせると三袋になる。その様子を見た俺は持っていた剪定ばさみを地面に置き、ゴミを袋に詰め込んでいる美月さんのもとへと向かった。


「美月さん。一度ゴミを所定の場所に持って行かない?」

「そうですね。台車に乗せて運んじゃいますね」


 美月さんはそう言うと持っていたほうきちり取りを地面に置き、少し離れた場所にある台車を取りに向かった。

 俺は美月さんが置いて行った箒と塵取りを持ってから残っていたゴミを集め、それをいそいそとゴミ袋に詰め込んでから袋の口をギュッときつく結んだ。


「あっ、すみません。ありがとうございます。うんしょっと」


 台車を押して戻って来た美月さんは、ゴミ袋の口を結んでいた俺にお礼を言い、大きく膨らんだゴミ袋を抱えて台車へと乗せ始めた。


「あっ、俺も手伝うよ」

「大丈夫ですよ、これくらい平気です。よいしょっと」


 手伝おうとした俺にそう言いながら、美月さんは二つ目のゴミ袋を抱えて台車へと乗せ、更に三つ目の袋をその上に乗せ始めた。


「ちょ、ちょっと美月さん。大丈夫?」

「だ、大丈夫です」


 美月さんはそう言うけど、どこをどう見てもバランスが悪い。


「バランスが悪くなるから、上の一つは俺が持って行こうか?」

「だ、大丈夫です。私、頑張ります! 任せて下さい!」

「……分かったよ。でも、気を付けて運んでね?」

「はい。では、行って来ますね」


 にこやかな笑顔でそう返事をした美月さんは、上に積んでいる三つ目のゴミ袋を左手で押さえながらゆっくりと台車を前へ進め始めた。

 見ているだけでも不安定な進み方をしているから心配でしょうがないけど、本人が張り切ってああ言っている以上は任せるしかないだろう。


「あっ!」


 不安な気持ちで美月さんが台車を押して行く様を見ていたその時、台車の車輪が何かに引っかかったらしく、体勢を崩した美月さんがよろけた瞬間に積んでいた三つ目のゴミ袋が地面へと落ちてしまった。

 美月さんは慌てて落ちたゴミ袋を抱えると、急いで台車の上へと乗せ直してから再び進み始める。しかしその動きは相変わらずよろよろとしていて、とても頼りない。


「美月さん。やっぱり手伝うよ」


 そんな美月さんの姿を見かねた俺は、よろよろと進んで行く美月さんに近寄ってから一番上に積んでいるゴミ袋を手に取って抱え込んだ。


「で、でも……」

「協力し合った方が早く終わるでしょ? それに、美月さんに怪我をされたりしたら嫌だしね」

「あ、ありがとうございます……」

「いいんだよ。それじゃあ行こっか」

「はい」


 膨れ上がったゴミ袋を両手でしっかりと抱えながら、俺は美月さんと一緒にゴミを集める場所へと向かい始めた。


「龍之介さん。龍之介さんは将来、何をしたいとか、何になりたいとかありますか?」


 二人でゆっくりと進んでいる最中、美月さんは唐突にそんな質問をしてきた。

 美月さんが言っている将来とは、平たく言うと進路の事だろう。俺達も来年には高校三年生になるし、そろそろしっかりと進路を決めておかないといけない頃合だ。

 しかし改めてこう聞かれると、自分はいったい何をやりたいのだろうか――と悩んでしまう。これと言った特技や目標があるわけでもなく、特にこれをやりたいと言った希望があるわけでもないから。


「うーん……正直よく分からないんだよね」


 小さな頃の俺なら、迷いなくお菓子屋さんと答えていただろう。その理由は簡単だ。お菓子屋さんになれば、毎日お菓子が食べ放題だと思っていたからだ。


「そうなんですね」

「美月さんはどうなの? もう進路とか決めてたりする?」

「私ですか? 色々とやりたい事はあるんですけど、一番は沢山の人が楽しめるようなゲームを作りたい――って事ですかね」

「あー、なるほどね。うん、美月さんらしい気がする」

「そうですか?」

「うん。ゲームをしている時も作っている時も、美月さんは凄く楽しそうだからね。きっと沢山の人が楽しめるゲームを作れると思うよ」

「ありがとうございます」


 俺の言葉にお礼を言う美月さんの表情はほころんでいて、そんな彼女の微笑を見ていると、こっちまで嬉しくなってくる。

 それにしても、こうして将来にやりたい事があって、それを目標にできる彼女が羨ましく思えると同時に、何の目標もやりたい事も思いつかない自分が虚しくなってしまう。


「龍之介さん。もしもこの先やりたい事が思いつかないなら、私と一緒にゲーム作りをしてみませんか?」

「えっ? 美月さんとゲーム作りを?」

「はい。どうでしょうか?」

「うーん……面白そうだとは思うけど、ゲーム制作に関する知識とか何もないし、多分、美月さんの足を引っ張っちゃうだけだと思うよ?」


 俺は美月さんの話に苦笑いを浮かべながら素直にそう答えた。

 申し出はとても嬉しいし、面白そうだと思う。沢山の人が楽しめるゲーム作りにも興味はかれる。しかし、現実はそう甘くはない。

 美月さんの様に色々な事ができる才女ならまだしも、俺みたいに凡庸ぼんような高校生が見るには少し大き過ぎる夢だ。


「そんな事はないですよ。龍之介さんはゲームを一生懸命に楽しむ事ができるんですから」

「一生懸命に楽しむ事ができる?」

「はい。ゲーム作りにはもちろん専門的な知識とか技術は必要でしょうけど、それだけじゃないんです。遊んでくれる人が楽しめるものを作れるかどうかは、また別の話なんですから」

「どういう事?」

「そうですね……例えば龍之介さんが、とあるゲームを買ったとします。そして一通りゲームをやり終えた龍之介さんの感想が、『システムは凄く良かったのに、シナリオがいまいちだった』――とします。龍之介さんはこのゲームに対してどんな風に思いますか?」

「うーん……多分、勿体ない――って思うかな。せっかくシステムが良かったんだから、シナリオも良ければもっと満足できただろうしね」

「では逆に、システムは良くなかったけど、シナリオが素晴らしかった場合はどうでしょうか?」

「それも同じ様に勿体ないと思うかな」

「ですよね。つまりゲームは、プログラミングとかの技術だけでは面白くできないんです。色々な要素が詰め合わさって、それが上手に調和した時に面白いゲームは生まれるんですよ」


 にこやかにそう語る美月さんの話を聞いていると、確かにその通りかもしれないとうなずかされる。


「つまり、俺がコンピューターとかの技術を持ってなくても、他にやれる事があるって事かな?」

「そう言う事です。だからどうですか? 一緒に色々とやってみませんか?」


 美月さんからそんな話を聞いた俺は、なんだかそういう事もできそうな気がした。

 単純だと言われればそうかもしれないけど、自分からその可能性を否定するのも変な話だとは思う。やった事がない――というのは、やれない――という意味ではないのだから。


「……そうだね。正直すぐに返答はできないけど、もしもその気になった時はよろしくお願いするよ」

「はい。その時は私、張り切って色々と教えますね」


 俺の返答に明るくそう答える美月さん。

 彼女と一緒に仕事をするなら、きっときつくても楽しく仕事ができるだろう。


「はははっ。まあ、お手柔らかに頼むよ、美月さん」


 未だはっきりとは見えてこない将来のビジョン。

 そんな見えない将来へ繋がるかもしれない一つの可能性を垣間見れたみたいで、俺は少し嬉しかった。

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