第147話・数年越しの和解
こうして飛行機に乗るのは初めてだけど、はっきり言って私は飛行機に乗るのが嫌だった。未だにこんな鉄の塊が空を飛ぶのは不思議に思うし、離陸する時に身体にかかる重力はジェットコースターなんかとは比べ物にならないくらいの恐怖を感じさせたから。
それに飛行機が落ちたりしないかとずっと不安で仕方なかったけど、それでも小さな窓の外に見える綺麗なエメラルドグリーンの海を見た瞬間、私のそんな不安はどこかへと吹き飛んだ。
それから間もなくして那覇空港へと到着した私達は、空港ロビーで先生からの諸注意を受けたあとでバスに乗り込み、沖縄の滞在中にお世話になるホテルへと向かい始めた。そしてバスの車内では同じ班になったクラスメイトのたっくんに、日比野渡君、涼風まひろ君、如月美月さん、水沢茜さんとババ抜きなどのトランプ遊びをした。
雰囲気だけで言うなら、私は平和な学園生活を送っていると言えるのかもしれない。実際にクラスメイトのみんなとは良好な関係を築けていると思うし、みんなも私と仲良くしてくれていると思う。
だけど、私にはどうしても上手く話せない人が一人だけ居た。それはたっくんの幼馴染である水沢茜さんだ。
学園に転入してからずっと、私は水沢さんとお話をする機会を
それなら水沢さんに声を掛けて二人っきりになればいいんだろうけど、残念ながらそこまでの勇気は私には無かった。
でも、今回の修学旅行はある意味でチャンスだと私は考えていた。
基本的に各班での行動が主軸になるこの修学旅行では、他の班が別の班に混ざって行動する事はほぼ無いと聞いたからだ。だから私は、この修学旅行中に水沢さんと二人でお話をできる機会は十分にあると考えていた。
こうしてバスの中で楽しいひと時を過ごした私達は、お昼頃に宿泊するホテルへと到着した。そしてホテルで昼食を終えたあと、私達は今日の見学先である首里城へと向かった。
「――暑いなあ」
もう十月だというのに、沖縄の気温はまだ真夏の様に高く暑かった。
私はそんな暑い陽射しを避ける様に日傘を差しながら、首里城の中をたっくん達と一緒に歩いて見学して行く。
沖縄といえばここ――って言われるくらいに定番の観光スポットである首里城は、その定番の名に相応しく沢山の観光客で賑わっている。
そして今、私の目の前ではたっくんと日比野君が涼風君の日傘を巡ってコントの様な争いを繰り広げていた。
「この馬鹿者がっ! 俺の目が黒い内はまひろとの相合傘なんて認めん! 絶対に認めんぞっ!!」
「お前は娘を
「お前が隣に居るとまひろが汚染されるんだよっ!」
「俺ってどんだけ酷い汚染物質なの!?」
涼風君の日傘に入ろうとした日比野君を止めたたっくんが、まるで溺愛する娘を守るかの様にそう言った。そんなお笑い芸人の様な二人のやり取りを見ていると、思わずくすくすと笑いが込み上げてくる。
それにしても、転入して来てからずっと思っていたけど、涼風君は本当に男の子なのかなと思ってしまう。
あの柔らかな物腰、保護欲を駆り立てる可愛らしい雰囲気と仕草。どこをどう見ても男の子とは思えない。それにこう言ったら悪いとは思うけど、どんな女の子よりも可愛らしく思えるから、あれで男の子だというのはとても信じられない。
私はたっくん達のそんなやり取りを見たり、涼風君の事を考えたりしながら、約一時間四十分の首里城見学を楽しんだ。
× × × ×
沖縄へ来てから三日目の朝。
私は目覚めて布団から出たあと、窓の外に見える海を眺めていた。
昨日はみんなで私が提案した
でも、そんな楽しい思い出ができたのと同時に、私は昨日行った水族館の途中から少し気になる事があった。それは、水沢さんがちょくちょく私の方を見ていた事だ。
こう言うと聞こえが悪いかもしれないけど、実は私が転入して来てから、水沢さんが私に対して視線を向けている事は多々あった。なぜそんな事が分かるかと言えば、小学生の時の辛い経験があったせいか、私は他人の視線に対してかなり敏感になってしまっていたからだ。
そして私はその視線や表情から、なんとなく相手の感情の様なものが読み取れるようになっていた。
この学園に転入して来た頃の水沢さんは、私に対して怒りや嫌悪にも似た視線や表情を見せていた。でも、それは仕方ないと思う。私は水沢さんにとって大事な幼馴染であるたっくんを傷付けてしまったのだから。
けれどその視線や表情から読み取れる感情は、転入してから二週間ほどを境にして徐々に変化の様相を見せていた。そして最初の頃は
そして昨日の水族館見学の中盤以降、水沢さんの視線から感じる雰囲気は明らかに変化した。それは簡単に言うなら、戸惑いとか後悔とか申し訳なさとか、そんな事を感じさせる表情と視線だ。
でも、はっきり言って私が水沢さんからそんな視線を向けられる理由は何も思いつかないので、今回ばかりは私の勘違いだろうなと思っていた。
「――朝陽さん。少しお話をしたいんだけど、いいかな?」
今日はホテルの近くにあるビーチへ行き、みんなで思い思いに楽しんでいたんだけど、私が浜辺で遥か彼方に見える水平線を眺めていた時、不意に後ろから水沢さんがそう声を掛けてきた。
「う、うん。大丈夫だよ」
私は突然の事にビックリしながらも、水沢さんの言葉に頷いた。
「ありがとう。少し散歩でもしながら話したいんだけど、いいかな?」
「うん。分かった」
水沢さんは小さく『ありがとう』と言うと、ゆっくりと波打ち際を歩き始めた。私はそんな水沢さんに続く様にしてそのあとをついて行く。
「あ、あの……学園生活にはもう慣れたかな?」
「えっ? あ、うん。やっと慣れてきた感じがするかな」
「そっか」
――どうしたんだろう?
普段ははっきりとした物言いをする感じの水沢さんが、なぜか妙に歯切れの悪い話し方をするのが気になった。
「……あの、朝陽さん。私ね、聞きたい事があるんだけど、いいかな?」
少しだけ静かに二人で浜辺を歩いていた時、水沢さんは突然ピタリと足を止めてこちらへ振り向き、意を決したかの様な表情でそう聞いてきた。
「う、うん。何かな?」
「あの時の事だけど、本当の事を話してほしいの」
小さくふうっと息を吐き出すと、水沢さんは私に向かってそう聞いてきた。
水沢さんが言う『あの時の事』といえば、どう考えても小学生の時のあの出来事以外に無い。でも、どうしてその事を水沢さんがそんな風に聞いてくるのか、それが私には分からなかった。
「……どうしてその事を?」
「最近の事だけど、噂で聞いたの。実はあの出来事は、朝陽さんが仕向けた事じゃないって」
この学園に転入して水沢さんの存在を知った時、私にはもう一つの目的ができた。それは、水沢さんにあの時の事をちゃんと話して謝る――という目的だ。
そしてその目的を果たす事ができる絶好の機会が訪れたというのに、私はこの期に及んで真実を話す事に
なぜなら本当の事を話すとなれば、あの頃たっくんに抱いていた私の気持ちも話さなければならなくなる。そうなると、たっくんの事を好きであろう水沢さんに、新たな
「それは……」
「お願い。本当の事を話して。そうじゃないと私、自分の事も朝陽さんの事も許せなくなる……」
その言葉を聞いた私は、その言葉にちょっとした疑問を感じた。
私の事を許せないのは分かるけど、自分も許せなくなるというのはどういう事だろうかと。しかしいくら考えを巡らせても、私の中にその答えは出てこない。
そしてそんな事を考えている間も、水沢さんは真剣な表情で私を見つめていた。
「……分かった。全部話すね」
水沢さんの真剣さが伝わった私は、包み隠さずに全てを話した。
当時の家庭環境から男性に対して嫌悪感を抱いていた事、それが原因で男子からの告白を無下に断っていた事や、それが元で同じ学年の女子からイジメを受けていた事など。そしてそんな中で知り合ったたっくんに心惹かれ、本当はたっくんの事が好きだったのに自分のせいで酷い目に遭わせたくないと告白を断り、その告白をクラスメイトだった相沢さんに目撃された事であんな事が起こってしまったと。
そしてあの時、水沢さんから引っ叩かれた時に言った言葉は、相沢さんから脅しのように言われて強要された言葉であった事も話した。
「そっか……そういう事だったんだね……」
私の話を聞き終えた水沢さんは、瞳を閉じてから静かにそう言った。
「うん。本当はあの時にたっくんにも水沢さんにもちゃんと話しておくべきだったのに、ごめんなさい。あっ……」
そう謝った瞬間、心地良い温かみが私の身体を包んだ。
「ううん。私こそごめんなさい。噂だけを
涙声でそう言う水沢さんは、私を更に強く優しく抱き包んだ。
「私の話、信じてくれるの?」
「信じるよ。だって、龍ちゃんを見ている時の朝陽さんの目、とっても優しいもん」
私は水沢さんの背中に両手を回し、その両手で水沢さんを同じ様に抱き包んだ。
「ありがとう。信じてくれて……」
私は水沢さんを抱き締めながらお礼を言った。
そしてそれからしばらく時間が経ち、私は水沢さんと一緒に波打ち際を歩きながらみんなが居る場所へと戻り始めた。
「水沢さん。一つ聞いていいかな?」
「何?」
「水沢さんて、たっくんの事が好きなんだよね?」
「なななな何を言ってるのっ!? そんなわけないじゃない!」
私がした質問に対し、水沢さんはこれでもかと言うくらいに分かりやすいリアクションを見せた。
「やっぱりそっか」
「ち、違うって言ってるでしょ!?」
「誤魔化さなくてもいいよ。私には分かるから」
「ううっ……そうよ、私は龍ちゃんの事が好き」
私がにこやかにそう言うと、水沢さんは諦めた様な表情を浮かべてそう言った。なんだかそんな水沢さんを見ていると、物凄く微笑ましく思えてくる。
「でも、そう言う朝陽さんだって、まだ龍ちゃんの事が好きなんでしょ?」
「えっ!?」
「ほーら。私も正直に答えたんだから、朝陽さんもちゃんと白状しなきゃ」
ニヤリと笑みを浮かべて私に迫る水沢さん。そんな水沢さんを見ていると、このまま答えずに逃げるのは無理そうだった。
「うん。私もたっくんの事が好き。あの時からずっと」
「やっぱりね。あーあ。また手強いライバルが現れちゃったなあー」
水沢さんは大きく伸びをしながら、水平線の方を向いてそう言った。
「またって……たっくんってそんなにモテてるの?」
「まあ、本人はまるで気付いてないみたいだけどね。でも、あの鈍感さは酷いもんだよ。時々あまりの察しの悪さに、本気で殴り飛ばしたくなるくらいだもん」
大きく背伸びをした水沢さんは、その腕を下ろしてからこちらを向いて呆れ顔でそんな事を言った。
確かに小学生の時も、ちょっと鈍感なのかな――と思った事はあったけど、まさか幼馴染にここまで言われるほど酷いとは思っていなかった。
「そ、そうなんだ」
「お互いに面倒な人を好きになっちゃったね」
「ふふっ。そうかもしれないね」
そう言ってお互いに小さく笑い合う。
まさか水沢さんとたっくんの事でこんなお話をできる日が来るなんて、想像すらしていなかった。だから私はこの瞬間がとても嬉しかった。
「あっ! 龍ちゃんてばパラソルの下で寝てるみたい。ねえ、朝陽さん。みんなで一緒に龍ちゃんを砂に埋めちゃおうよ!」
たっくんと日比野君が設置してくれたパラソルの方を見た水沢さんが、目を輝かせながらそんな事を言った。
「ええっ!? そんな事して大丈夫なの?」
「いいのいいの。みんなで遊びに来てるのに、一人で寝ちゃう龍ちゃんが悪いんだから。さあ、行こう!」
「う、うん!」
私が返事をすると、水沢さんは私の手を握ってから走り始めた。
そして楽しそうに走る水沢さんの明るい声を聞きながら、私は心の中にあった重い
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