第146話・Restart

 目まぐるしく動き回っていた夏休みも終わり、私はいよいよ今日から花嵐恋からんこえ学園の生徒としての一歩を踏み出そうとしていた。

 何事も最初が肝心という事で、私は玄関に備え付けていた新しい全身鏡に自分の姿を写し、服装や髪型に乱れがないかを細かくチェックしていく。


「よしっ! チェック完了♪」


 身嗜みだしなみの最終確認を済ませた私は、意気揚々と家を出て登校初日の通学路を歩き始めた。

 初日の今日は『八時には学園に来てほしい』と言われていたので、私は少し早めの七時二十分に家を出た。新しい我が家から学園までの通学時間は、ゆっくり歩いても約十五分と言ったところ。だから指定された時間には十分に間に合う。


「――はあっ。やっぱり緊張するなあ……」


 最初はそうでもなかったけど、通学路を歩いて学園へと向かう途中で私はどんどん緊張してきていた。

 そんな私の不安要素であり緊張している理由は、クラスメイトと上手くやっていけるだろうか――というところだけど、やっぱり一番の不安要素はたっくんの事だった。

 夏休みに偶然たっくんと再会し、少しの間ではあったけどお話をする事もできた。やり取り自体はぎこちない所も多かったし、気まずいと思った場面もあったけど、それでも私はたっくんとお話ができて本当に嬉しかった。

 でも、それはあくまでも私の思いであって、たっくんが本当はどう思っていたのかなんて分からない。

 もしかしたらあの時は、一時いっときの事だと私に合わせてくれていただけなのかもしれない。そんな風に考えてしまうと、私は怖くて仕方がなかった。


 ――ダメダメ! しっかりしないとダメだぞ! 朝陽瑠奈あさひるな


 心の中を覆い尽くしそうになる暗い考えを無理やり振り落とす。

 こうしてかなりの余裕を持って学園へと辿り着いた私は、そのまま職員室へと向かった。

 そして職員室に着いた私は二年C組の担任である鷲崎わしざき先生と一緒に隣の談話室へと移動をし、そこで学園生活における諸注意などの説明を受けた。

 そして先生から一通りのお話を聞き終えた私は、いよいよクラスメイトが待つ教室へと向かう事になった。


「では朝陽さん。行きましょうか」

「はい」


 学園に訪れた時とは違い、誰も居ない静かな廊下を先生と一緒に歩く。


「緊張する?」

「は、はい」

「そうよね。私も親が転勤族だったから、朝陽さんが緊張するのもよく分かるわ。でも、みんな良い子達だから安心していいわよ」

「ありがとうございます」


 緊張で顔を強張らせていたであろう私に対し、先生は柔らかな笑みを浮かべながらそう言ってくれた。

 そして会話を進めながらしばらく廊下を歩くと、これから私が所属する二年C組の教室が見えてきた。


 ――C組って、たっくんが居るクラスだ。


 たっくんに学園へ連れて来てもらった時、私はクラス番号までは確認していなかった。だからここで初めてその事に気付き、私は再び大きな不安に包まれてしまった。


「それじゃあ、ここで少し待っててね」

「はい」


 先生はそう言うと先に教室へ入り、室内に居るみんなに軽く転校生が来たという話を始めた。


「――では、転校生を紹介します」


 先生のそう言う声が聞こえたあとで目の前の引き戸が開き、私は教室の中へと入る様に促された。そして私が教室内へと入ると、にわかに教室内がざわつくのを感じた。


「それじゃあ、自己紹介をお願いね」

「はい。みなさん初めまして、私は朝陽瑠奈あさひるなと言います。親の転勤でこちらに引っ越して来ましたが、小学校四年生の最初の頃まではこちらに住んでいました。久しぶりにこちらに帰って来れて嬉しいですが、色々と様変わりしていて戸惑う事もあると思いますので、色々と教えて下さい。よろしくお願いします」


 私が簡単な自己紹介をして頭を下げると、パチパチと拍手をしてくれる音が聞こえてきた。その音に頭を上げると、歓迎ムードでにこやかにしてくれているクラスメイト達の姿が目に映り、私は少しほっとした。

 そしてチラリと窓際の後ろの席を見ると、そこにはとても驚いた表情をしているたっくんの姿があった。その驚きの表情がどういった意味での驚きなのかは分からないけど、私はようやくここまで来たんだという思いを感じていた。

 でも、すぐにまだスタート地点に立ったに過ぎないんだと自分に言い聞かせ、再び気を引き締めた。


「では朝陽さん、窓際の一番後ろの席に座って」

「はい」


 たっくんの後ろにある空席を見て自分の席を確認すると、こちらを見ていたたっくんと視線が合った。私は一瞬だけたっくんに向かって微笑み、スタスタと自分の席へと向かって歩き始めた。

 そして言われた席へと座った私は、持って来ていた荷物を鞄から取り出して机の中へと入れた。


「よろしくね。たっくん」


 そして先生がホームルームの続きを進め始めたのを見た私は、たっくんにしか聞こえない様な本当に小さな声でそう言った。するとたっくんはこちらを振り向く事なく、小さく頭を縦に振って応えてくれた。


「――朝陽さん。前の学校ってどこだったの?」

「朝陽さん凄く綺麗だけど、モデルでもしてるの?」


 ホームルーム終了後。

 私は数人のクラスメイトに囲まれて色々な質問を受けていた。転校生というのはどこでも物珍しいみたいで、転校初日はどこでもこんな感じになる。だからここでもこんな感じになるのは予想できていたけど、毎回大変なのは確かだった。

 でも、クラスメイトと上手くやっていくなら、こういうコミュニケーションは必要不可欠。それは小学校の時に嫌というほど経験をしたから、十分骨身に染みている。

 そして私がクラスメイトの質問に一つ一つ丁寧に答えながら話をしていると、たっくんの右斜め前の席に座っていた女の子が、たっくんの腕を掴んで廊下へと引っ張って行く姿が見えた。

 それからホームルーム後の小休憩を挟んだあと、私がこの花嵐恋学園へと転入してから初めての授業が始まった。


「ごめんね。邪魔にならないかな?」


 まだ教科書の全てが揃っていなかった私は前の席に居るたっくんの隣へと机を動かし、生物の教科書を見せてもらっていた。


「いや。大丈夫だよ」


 勉強の邪魔になってはいけないと思って小さくそう問い掛けると、たっくんは短くそう答えた。そんなたっくんの様子を見ていると、やっぱり私がこの学園に来た事に戸惑っているのかなと思ってしまう。


 ――たっくんの事は気になるけど、今は授業に集中しないとね。


 私は雑念を振り払う様にして小さく頭を左右に振り、先生が黒板に書いていく文字をノートに書き写していく。

 そして先生の説明している内容と教科書の内容を見比べていた時、ふと視線を感じて横を向くと、たっくんと思いっきり視線がぶつかった。


「ん? どうかした? たっくん」

「えっ? ああ、いや、何でもないよ」」


 私が小声でそう尋ねると、たっくんは少し慌てた様にして黒板の方へと視線を向けた。


「そお? 授業はちゃんと聞かないと駄目だよ?」

「う、うん」


 そんなたっくんを見た時、私は思わずくすくすと小さく笑いが出てしまった。


 ――そういえばたっくん。小学生の時は結構忘れ物をしてたなあ。あの時は今と違って、私が教科書を見せてたけど。


 懐かしい昔の事を思い出しながら、私はノートにペンを走らせた。


× × × ×


 目まぐるしく過ぎて行った転校初日の放課後。

 私は先に教室を出て行ったたっくんを急いで追いかけて学園を出た。

 放課後もクラスメイトに囲まれて少しお話をしていたけど、たっくんに聞きたい事があったので、私は申し訳なく思いながらも用事があるという事で帰らせてもらった。


「待ってー!」


 学園を出てしばらくした所で歩いているたっくんを発見し、私は大きな声でその後姿に向かって声を掛けた。するとその声に気付いたたっくんがこちらを振り返り、その場で立ち止まって私が来るのを待ってくれた。


「はあ~、やっと追い着いた。ねえ、たっくん。一緒に帰らない?」

「うん。いいよ」

「ありがとう」


 私が息を整えながらそう尋ねると、たっくんは快く私のお願いを聞いてくれた。

 本当は少しくらい戸惑われたりするかもしれないと思っていたから、ちょっとだけ安心した。でも、たっくんが私の誘いを受けたあとで、辺りを気にする様に視線を泳がせていたのが気になった。けれど私は本来の目的を果たすのを優先し、その事はあまり気にしない様にした。

 そして少し荒れていた息を整えたあと、私はたっくんの横に並んで帰路を歩き始めた。またこうしてたっくんと並んで帰れる日が来るなんて、あの日からは想像もできなかった。お母さんには申し訳ないけど、こっちへ転勤になってくれて良かったと思う。


「ねえ、たっくん。私が転校して来て驚いた?」

「そりゃあ驚いたよ。まさかるーちゃんが転校して来るなんて、夢にも思ってなかったから」

「そっか。ごめんね、驚かせちゃって。本当は前に会った時に言っておくべきだったと思うけど、ちょっとたっくんを驚かせてみたくなっちゃったから」

「もう驚き過ぎて心臓が止まるかと思ったよ」

「ええっ!? そんなに?」

「いや、さすがにそれは嘘だけどね」

「もうっ! たっくんの意地悪」

「あはは。ごめんごめん」


 そんな冗談を半ば本気にしてしまった私を見ながら、たっくんは楽しそうに笑っている。私は簡単に騙された事が恥ずかしくなり、その恥ずかしさを誤魔化す様にしてたっくんの背中を何度もポンポンと叩いた。

 でも、恥ずかしさを感じてたっくんの背中を叩きながら、私はなんだか仲良くしていたあの頃に戻ったみたいでつい嬉しくなってしまった。

 そんな懐かしい感覚に胸を高鳴らせながら、私はたっくんと学園の話や世間話をしながら歩いた。


「そういえばさ、親の転勤でこっちに戻って来たって言ってたけど、こっちにはどれくらい居られるの?」

「うーん……正直どれくらい居られるかは分からないけど、少なくとも、花嵐恋からんこえ学園花を卒業するまでは居られると思うよ」

「そっか。それじゃあ、改めてよろしくね」

「うん。こちらこそ、よろしくお願いします」


 そう言って私とたっくんはお互いにペコリと頭を下げる。

 こんな調子で楽しく喋りながら、もう少しで自宅への分岐路へさしかかろうとしていた時、私は大切な事を聞く為に心を落ち着かせようとしていた。


「……あの、たっくん。ちょっと聞いてもいいかな?」

「ん? 何?」

「朝のホームルームのあと、一緒に教室の外へ出て行った女の子が居たでしょ? もしかして、あの時の子?」


 実は今日、担任の先生からクラスみんなの席と名前が書かれた紙を受け取っていたんだけど、昼休みのちょっとした合間にそれを見ていた時、私はその中に覚えのある名前を見つけ、その人が私の知っている人と同じなのかがずっと気になっていた。

 そしてもしもその名前の人物が私の知っている人なら、私はその人にも謝りたかった。


「えっ!? それは…………」


 私からの質問を聞いたたっくんは、答え辛そうにして黙ってしまった。そしてそんなたっくんの様子を見た私は、やっぱり予想が当たっていたんだと確信する事ができた。

 実を言うと、私にはあの女の子があの時の子だろうという確信めいた思いがあった。なぜならたっくんの事を『龍ちゃん』と呼んでいる人物といえば、たっくんの幼馴染である水沢茜さんしか私は知らないからだ。

 そして水沢さんがたっくんを廊下へ連れて行こうとしていた時に彼女が一瞬私を見たんだけど、その時に見た怒りにも似た表情が、あの時の水沢さんを思い出させたからというのもあった。


「あっ、ごめんねたっくん、変な事を聞いて。今の話は忘れて」

「えっ? でも」

「いいの、ちょっと気になっただけだから。あっ、それからこれ」


 たっくんの態度からその答えを悟った私は、その話を打ち切る様にして鞄から借りていたハンカチを取り出し、それをたっくんに手渡した。


「あの時はありがとう」

「こちらこそ、わざわざありがとう」

「ううん。ちゃんと約束を守れて良かったよ」


 借りていたハンカチをちゃんと返せた事で、私の約束はちゃんと守られた。これで私の転入してからの目的が一つ果たされた事になる。


「それじゃあ、私はこっちだから」

「あっ、うん。気を付けて帰ってね」

「ありがとね、たっくん。バイバイ」

「バイバイ、るーちゃん」


 十字路を右方向へと曲がり、私は自宅への帰路をとぼとぼと歩き始める。

 私はたっくんと再び同じ教室で学べるという嬉しさを感じるのと共に、あの時に傷付けてしまったもう一人の人物との再会で心の中が複雑にかき乱れていた。

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