番外エピソード・朝陽瑠奈編

第143話・初めての気持ち

 高校生になって最初の夏休みを目前に控えていた放課後。

 私は普段から人気の少ない校舎裏へと向かっていた。机の中に入っていた手紙で呼び出されたからだ。


「ここでいいのかな……」


 辿り着いた校舎裏の周辺を見回しながら、私は手紙を出した人物が居ないかを確認する。でも、どこを見回してもそれらしき人物の姿は無い。

 手紙には詳しい場所の指定はされておらず、『大切なお話があります。放課後、校舎裏に来て下さい。お願いします』としか書かれていなかったから、私はここでいいのかと少し不安になっていた。

 学校を囲む様に植えられている木からは、せみ達の騒がしい鳴き声が聞こえてくる。そんな蝉達の幾重にも重なる鳴き声を聞きながら、私は憂鬱な気分を取り払おうと深呼吸をした。

 私がこの呼び出しに対して憂鬱な気分になっているのには、もちろん理由がある。それはほぼ間違い無く、この手紙を出した人から告白をされると思っているからだ。

 こんな事を言うと自惚うぬぼれてると思われそうだけど、こんな事が初めてじゃない私にとっては、そう思うなと言われる方が酷な話だ。

 それに普段はそう見えない様に頑張ってるけど、正直言って男子にはまだ苦手意識もある。多分、そんな風に男子を苦手に思う様になってしまったのは、お母さんが今までお付き合いをしてきた男性達の影響が強いんだと思う。

 私にはお父さんが居ない。物心がついてしばらくした頃に病気で亡くなったから。お父さんは私の少ない記憶の中ではとても優しい人だった。そしてお母さんは、そんなお父さんをとても愛していた。

 高校生になった今の私が、お父さんが生きていた時のお母さんの愛し方を一言で表すと、溺愛――と言う言葉が相応しいと思う。そんなお母さんがお父さんをうしなった時、一緒に行った病院で激しく取り乱していたのを今でもよく覚えている。

 お母さんはお父さんが亡くなってからしばらくの間はとても塞ぎ込んでいたけど、私が小学生になる頃にはだいぶ元気を取り戻し、お父さんが居た頃と変わらない明るさを見せる様になった。けれどその頃から、徐々にお母さんは沢山の男性と恋愛をするようになった。

 でも沢山とは言っても、二股をかけてるとかそういう意味じゃない。ちゃんと一人の男性とお付き合いをしているんだけど、あまり長続きしなかっただけだ。

 もちろん長続きしなかったのはお母さんにも問題があったからだろうけど、それでもお母さんと付き合った男性全てが酷い裏切りをするのを見聞きしてきた私は、いつからか『男』という存在に対して激しい嫌悪感を抱く様になっていた。

 まあ、今では見る目がなかったお母さんもいけないとは思うけど、当時の幼かった私には、お母さんを泣かせる男の存在は絶対に許せないものだった。

 そういった出来事が影響していたからか、私は小学生の頃から男子に告白をされる度に容赦なくそれを断っていた。その当時の事を思い出すと、とても冷たくてキツイ断り方をしてしまったなと思うから、その事についてはかなり反省している。

 そしてそんな態度をとっていたからだとは思うけど、私は陰で『選り好みが激しい』とか『理想が高いんだ』とか、あらぬレッテルを貼られ続ける事になり、小学校三年生になる頃には『生意気だ』とか『何様のつもりだ』などと、同級生の女子にイジメを受ける様にまでなってしまった。

 そんな女子によるイジメの数々は凄く辛かったけど、当時の私にはその心を支えてくれた大切な人が居た。

 私は手紙を出した人物がやって来るのを待ちながら、小学校三年生のあの日々の事を思い返し始めた。


× × × ×


「あの……俺、朝陽さんの事がずっと好きでした」


 小学校三年生になって最初の放課後。

 日直の仕事で帰りが遅くなってしまった私は、誰も居なくなった教室内で見知らぬ男子から告白を受けていた。


「何で私の事が好きなの?」


 顔を真っ赤にして告白をした男子に向かい、私は冷淡にそう言い放った。

 すると私の質問に対し、その男子は明らかな焦りの表情を見せた。


「えっと……あの……朝陽さんが可愛いから……」


 その言葉を聞いた私は、またか――と言った感じで溜息を吐きそうになった。


「私より可愛い子は沢山居るんだから、その可愛い子を好きになった方がいいよ」


 私はそう言ってから自分の席に置いてあるランドセルを手に持ち、教室を出て行こうと廊下の方へ向かい始めた。


「あ、あの――」


 後から告白をした男子の声が聞こえてきたけど、私はそれを無視して下駄箱へと向かった。


「はあっ……男子なんてみんな同じ」


 小学生になってからは男子に告白をされる事が多くなった。

 告白は今みたいに直接言ってくるパターンとラブレターを渡されるパターンの二つが多い。ラブレターは貰っても無視すればいいけど、直接告白をしてくる場合はそうもいかないから困る。

 それにしても、まともに話した事もないのに私の事が好きだと言ってくる男子には、いつも本当に呆れてしまう。

 沢山の告白を受ける様になってから、私は相手に対して『何で私の事が好きなの?』と必ず聞くようになった。

 最初は単純に好きになった理由が気になったから聞いてたんだけど、告白してきた男子達から出る返答はいつもほぼ同じ。それは、朝陽さんが可愛いから――という理由だ。

 私も女の子なんだから、可愛いと言われる事は嬉しいと思う。だけど、私を好きになった理由としては納得がいかないと、毎回そう思っていた。

 だってそれは『私を好きになった』と言うより、『可愛い女の子だから好きになった』と言われてる様にしか聞こえないし、そこには私である必要性を全く感じないから。

 私はそんな事を思いつつ、夕暮れに染まった道をトボトボと歩いて帰った。


 ――当時の私はこんな感じで男子に素っ気ない態度を取っていたけど、三年生になって最初の告白を受けてから一週間後。私は彼と知り合った。


「ごめんね、朝陽さん」

「別にいいよ」


 私は隣の席に居た男子と机を合わせ、その男子に教科書を見ていた。

 本当なら別の人にそうしてもらいたかったけど、その男子の席は校庭側の一番後ろの席だったので、位置的に教科書を見せられるのは隣の私しか居なかった。


「――教科書、見せてくれてありがとう」

「うん」


 授業が終わってすぐ、その男子はお礼を言ってきた。それに対して私が短く返事をすると、その男子はもう一度だけ『ありがとう』と言ってから机を元の位置へ戻して椅子に座った。


 ――この頃の私は、クラスメイトの男子の名前を覚えていなかった。特に興味が無かったからだけど、今考えれば酷い話だと思う。そしてこれが、私の心を支えてくれた鳴沢龍之介なるさわりゅうのすけ君と初めて会話を交わした出来事だった。


「朝陽さん。ちょっといい?」


 三年生になってから三週間くらいが経った頃の放課後。

 ランドセルを背負って帰ろうとしていた私の背後から名前を呼ばれて振り返ると、そこには同じクラスの女子の相沢あいざわさんの姿があった。


「何かな?」

「ちょっと話があるの。一緒に来てくれない?」


 一瞬表情を険しくすると、相沢さんは小さく息を吐いてからそんな事を言った。


「……別にいいけど、どこに行くの?」

「ついてくれば分かるわ」


 私がそう質問をすると、相沢さんはまともに答える事なく廊下の方へと向かい始めた。

 それを見た私は持っていたランドセルを机の上に置き直し、そのあとについて行く事にした。

 こうしてどんどん先へと進んで行く相沢さんのあとについて行くと、今は使われていない焼却炉とゴミ捨て場がある校舎裏へと辿り着いた。


「相沢さん。どうしてこんな所に――えっ!?」


 なぜこんな人気の無い所に来たんだろうと思った途端、近くにある焼却炉の陰から三人の女子が現れ、私は相沢さんを含めた四人に一瞬にして取り囲まれてから焼却炉の陰に押し込まれてしまった。


「な、何!?」


 まさかこんな事になると思っていなかった私は、この状況に驚きながら相沢さんにそう尋ねた。


「朝陽さん。この前の金曜日、藤田君の告白を断ったでしょ? その時に藤田君に何て言ったの?」

「えっ……何って……あなたに興味は無いって」

「何でそんな酷い事を言ったの!? 朝陽さん。あなた自分が可愛いからって、何をしてもいいとか思ってるんじゃないの?」


 突然大きな声でそんな事を言う相沢さんの言葉を聞き、周りに居た三人が頭を頷かせた。


「べ、別にそんな事は思ってないけど……」

「嘘よっ!!」


 目の前に居た相沢さんは、そう言って私の左肩に向けて思いっきり右手を突き出してきた。


「いたっ!!」


 相沢さんに突き飛ばされた私は足がもつれてバランスを崩してしまい、思いっきり地面に左膝を打ちつけてしまった。

 私は膝の傷みに顔を歪ませながら、打ちつけてしまった左膝を両手で覆った。


「誰か居るの?」


 私が膝の痛みで顔を歪めていると、ゴミ捨て場のある方から男子の声が聞こえてきた。


「あんまり調子に乗ってると、もっと酷い目に遭うからね。行こうみんな」


 相沢さんはそう言うと、他の三人と一緒に急いでその場から走り去って行った。

 するとその四人と入れ替わる様にして、今度はゴミ箱を持ったクラスメイトの男子が姿を見せた。


「あれ? 朝陽さん? どうしたのこんな所で?」

「……別に何もないよ」


 私は今にも泣き出してしまいそうなくらいの痛みを我慢し、両手で膝を覆ったまま現れた男子に素っ気なくそう言い放った。


「いたっ!」


 そして何事も無かった様にして立ち上がろうとしたその時、凄まじい激痛が左膝に走り、私はまた地面に尻もちをついた。


「ちょっ、大丈夫!? あっ、膝から血が出てる! 急いで保健室に行かないと!」

「だ、大丈夫だから放っておいて……」

「大丈夫って、そんなに血が出てるじゃないか」

「しばらくしたら痛みも治まるから。だから私に構わないで」

「…………」


 再び冷淡にそう言い放つと、彼は黙ってゴミ箱を持ち直してからその場を離れ始めた。私は膝の激痛で本当に泣きそうだったけど、その様子を見て少しほっとしていた。

 だけど彼は途中でゴミ箱を地面に置くと、そのまま私が居る方へ戻って来た。


「何?」

「ごめん、朝陽さん。やっぱり放っておけない」

「えっ? きゃっ!?」


 戻って来た彼はそう言うと、ヒョイッと私をお姫様抱っこで抱え上げてから早歩きで移動を始めた。


「な、何するの!? 下ろしてよっ!」

「ごめんね、朝陽さん。でもその怪我じゃ、どのみちまともに歩けないでしょ? 今なら残ってる人も少ないだろうし、保健室に着くまで我慢して」


 確かに彼の言う通り、立ち上がろうとしただけであの激痛だったんだから、普通に歩くなんて不可能だったと思う。

 男子にこんな形で保健室まで運んでもらうなんて不本意ではあったけど、今の自分の状況を考えれば仕方ないと冷静になり、この場は黙って耐える事にした。


「――失礼します」


 彼は保健室前に着くと足で扉をゆっくりと開け、静かにそう言いながら中へと入った。


「誰も居ないか」


 室内を見た彼はそう言うと椅子のある所まで進み、そこに私を座らせてくれた。


「大丈夫?」

「う、うん。ありがとう……」

「気にしなくていいよ。それより、傷の手当をしないと」


 そう言うと彼は手馴れた様子で部屋の中の道具を持ち出し、傷の手当てを始めてくれた。


 ――確か隣の席の男子だったと思うけど、名前は何だったかな?


 そう思って彼の名札を見ようと思ったけど、どうしてか彼の服には名札が付いていなかった。


「――よしっ。とりあえずこんなところかな。応急処置はしたけど、念の為にちゃんと病院で見てもらった方がいいよ?」

「あ、ありがとう……」

「どういたしまして」


 彼はお礼を言った私に向けてにこっと柔らかな笑顔を浮かべた。

 今まで男子に優しくされた事は多かったけど、こんな風に裏を感じさせないにこやかな笑顔を見たのは初めてかもしれない。


「……手馴れてるね」

「うん。俺には元気のいい幼馴染が居てさ、小さな頃はよく怪我をしてその世話をしてたし、ずっと保健係もやってたからね」

「そうだったんだ」

「うん。それより、足は大丈夫?」

「まだちょっと痛いけど、さっきよりは大丈夫」

「そっか。良かった」

「……ねえ。何で私を助けてくれたの?」

「えっ? 何でって、怪我をしてる人を助けるのに理由がいるの?」


 彼は私の質問に対し、不思議そうに小首を傾げながらそう聞き返してきた。


「う、ううん。ごめんね、変な事を聞いて」

「いや、別にいいけど」


 私は彼の言葉を聞いて少し嬉しくなっていた。

 彼は私だから助けた訳じゃなくて、誰であってもそうしたんだと思う。ただそれだけの事が嬉しかった。私だからと特別扱いをされなかった事が。


「あれっ? 鳴沢君と朝陽さんじゃない。どうしたの?」


 いきなり出入口の扉が開き、そこから保健の先生である梶園かじその先生が入って来た。


「あっ、ちょっと朝陽さんが怪我をしてたから手当てをしてたんです」

「そうだったの? 朝陽さん、大丈夫?」

「は、はい。なるさわ君が丁寧に手当てをしてくれたので」


 梶園先生が彼の名前を口にしてくれたおかげで、なんとか名前を知る事ができた。


「足を怪我したのね。大丈夫? 車で送って行こうか?」

「えっ、でも……」

「そうしてもらいなよ、朝陽さん。ちゃんと歩くのはまだ無理そうだしさ」

「う、うん。それじゃあ、お願いします」

「分かった。それじゃあ私は車の準備をして来るわね。朝陽さん、ランドセルは?」

「教室に置いたままです」

「あっ、僕、ゴミ箱を取って教室に戻るから、ついでに取って来るよ」


 なるさわ君はそう言うと、足早に保健室を出て行った。

 そして私は戻って来たなるさわ君と梶園先生に支えられながら車へと移動をし、その助手席へと乗り込んだ。


「足の怪我、ちゃんと病院でてもらってね?」

「うん。ありがとう」

「それじゃあ、また明日ね。朝陽さん」

「うん」


 そう言って軽く手を振るなるさわ君に手を振り返すと、車がゆっくりと前に進み始めた。

 そして車の横にある鏡に映るなるさわ君を横目に見ながら、男子に対して初めて柔和にゅうわな気持ちを感じていた自分に、酷い違和感をいだき始めていた。

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