第129話・眠れない夜の予感
勘違いや思い違いというのは、生きていれば誰でも経験するだろう。
そしてどんな類の勘違いや思い違いであれ、それに気付いた時の恥ずかしさと言ったら例え様もない。
「はあっ……」
俺は大きな溜息を吐きながら、美月さんの家のリビングに布団をせっせと敷いていた。そして美月さんの部屋では今、桐生さんが美月さんの身体を温かいタオルで丁寧に拭いている事だろう。
「よしっ。こんなところかな」
リビングに敷いた三つの布団。その布団の一つをできるだけ残りの二つから離し、俺はソファーへと座った。
そしてソファーに座った俺はテーブルに置いてある少し冷め始めたコーヒーの入ったカップに口をつけながら、先ほどの出来事を思い返していた。
最初に美月さんの部屋へと来た時、彼女から『お願いします。独りにしないで下さい』と言われた俺は、柄にもなくその言葉にときめいてドキドキしてしまったわけだが、そのあとで『皆さんと一緒に居たいです』と言われ、俺は自分の勘違いを自覚して恥ずかしくなった。
そりゃあ病気で弱っている女の子からあんな事を言われたら、普通の男子なら自分に居てほしいんだって思うだろう。つまりは俺がそういう勘違いをしたって、それは別に恥ずかしい事ではないはず。
などとあの時は自分へ必死に言い聞かせていたけど、心の中で感じていた恥ずかしさはとんでもないものだった。
しかもその時、廊下からの物音に気付いて扉を開けると、タイミング悪く様子を見に来た桐生さんがそこに居て、『あはは。邪魔しちゃったかな?』などと苦笑いを浮かべられた。そしてそんな桐生さんの苦笑いを見た俺は、『俺に居てほしいの?』などと美月さんに口走らなくて本当に良かったと思った。
そこからは桐生さんの誤解を解く為に色々なやり取りがあったわけだが、最終的になぜか、俺と桐生さんが美月さんの家に泊まるという流れになってしまった。
「鳴沢君。お疲れ様」
カップの中の冷め始めたコーヒーを飲み終わったちょうどその時、美月さんの部屋へと行っていた桐生さんがリビングへと戻って来た。
「桐生さんもお疲れ様。美月さんの様子はどうだった?」
「熱も平熱まで下がってたし、顔色もかなり良くなってたよ。さすが現代医療の薬は効果抜群だね。あっ、それとも鳴沢君の献身的看護のおかげなのかな?」
桐生さんはそう言いながら顔をニヤつかせ、俺に近寄って顔を覗き込む。
「いやー、薬の効果が凄いんだろうねー。凄いよねー、現代医療は」
俺は思いっきり棒読み加減でそう返答をした。
陽子さんの先輩である
「むう~。そこは少しくらい照れてくれないと面白くないよ? 鳴沢君」
「俺は面白さは求めてないよ」
「もう、ノリが悪いな~」
そう言って桐生さんは、餌を口に詰め込んだハムスターの様にぷくっと頬を膨らませる。そして俺の思ったとおりに桐生さんは俺をからかう事を止め、敷いてある布団の方へと向かい始めた。
「あれ? どうしてこの布団だけこんなに離してるの?」
「どうしてって、それは俺が使う布団だからだよ」
「ええー!? もっと近くに寄せればいいのに」
「いやいや。それはどう考えてもマズイでしょ?」
「マズイって、私の事は気にしなくていいよ?」
「いやいや、桐生さんが気にしないとかそう言う事じゃなくて、年頃の男女が一緒の部屋で隣り合って寝るとか、色々と問題があると思わない?」
俺は至極正論であろう事を言って聞かせるが、桐生さんは一向に納得する様な表情を見せない。
「うーん。鳴沢君はちょっと考え過ぎなんじゃないかな~」
「とりあえず俺はその離れた布団に寝るよ。それから俺は一度家に戻ってお風呂に入って来るから、その間は美月さんの事をお願いしてもいいかな?」
「うん。それは任せておいて」
俺はにこやかな笑顔でお願いを了承してくれた桐生さんを残し、そのまま自宅へと戻った。
そして自宅へと戻った時、ちょうどリビングでは杏子と愛紗がドライヤーで髪の毛を乾かしている最中で、俺はお風呂へ入る前に杏子達三人に先ほど美月さんの家で決まってしまったお泊りの件を話してからお風呂へと入った。
× × × ×
「あれっ?」
入浴してしばらくしてからお風呂を出た俺は、台所で冷えた麦茶を飲んでからリビングへと入った。するとそこに杏子達の姿は無く、誰も居ない静まり返った部屋が存在するだけだった。
俺は美月さんの家へ行く前に一言言ってから行こうと思っていたんだけど、杏子達も小さな子供じゃないんだからいいかと、準備を済ませてからそのまま美月さんの家へと向かう事にした。
「――あっ、お兄ちゃん遅かったね」
「……どうして君達がここに居るんだい?」
家をあとにして美月さん宅のリビングへ入ると、そこには敷かれた布団にマスクをつけて横になっている美月さんと、ソファーに座ってテレビドラマを見ている杏子達の姿があった。
「どうしてって、私達もお泊りに来たからだよ?」
「いや、そういう事を聞きたいんじゃなくてさ、どうして三人揃ってこっちへお泊りに来たのかって事を聞いてるんだよ」
「だって、みんなで一緒に居た方が楽しいじゃない。そうでしょ?」
杏子はにこやかな笑顔を浮かべ、さも当然と言った感じでそう言った。
「いやいや。美月さんは風邪なんだぞ? ここでみんなに風邪が移ったらどうするんだよ?」
「あっ、その問題については既に解決してるから大丈夫。だからお兄ちゃんは、なーんにも心配しなくていいから」
我が妹はそんな事をのたまうが、何がどう心配が要らないのかがまったく分からない。
とりあえず杏子にこの話題を続けていても仕方がないと思った俺は、その矛先を愛紗へと変えてみた。
「愛紗。無理に杏子に付き合わなくていいんだぞ? もしも風邪が移ったりしたら大変だろ?」
「そ、それはそうですけど、私も美月先輩の事は気になりますし、もしも風邪をひいてもその……」
愛紗は上目遣いで俺を見ながら、もじもじと両手の指先を合わせて動かしている。そんな愛紗は何やら期待に満ちた感じの瞳で俺を見ているんだけど、その瞳に込められているであろう意味は、俺に分かりようもない。
「まあ、美月さんを心配する気持ちは分かるけど、もしも由梨ちゃんが風邪をひいたりしたら、それこそ愛紗が大変じゃないか?」
「それはそうですけど……」
「龍之介さん。私は皆さんとお話をしたいので、是非このままお泊りをしたいです。それにご迷惑はかけませんので、許可していただけませんか?」
一番味方に引き込めそうだった由梨ちゃんにもそんな事を言われてしまい、俺はいよいよ杏子達のお泊りを止めさせる術を失ってしまった。
「鳴沢君。物事には諦めが肝心って事もあるんだよ?」
「すみません。龍之介さん。私が我がままを言ったばっかりに……」
布団で横になっている美月さんが、申し訳なさそうに弱々しく謝る。
はっきり言って、美月さんが我がままを言う事なんてほとんどない。そんな美月さんがそう言うと、俺もそのお願いを無下にはできなくなってしまう。
「……分かったよ。それじゃあ俺は、みんなの分の布団を運んで来るから」
「さっすが鳴沢君! 話が分かるね!」
「やっぱりお兄ちゃんは最高だよ♪」
俺は桐生さんや杏子の称賛する声を浴びながら、美月さん宅の二階の一室に置いてある布団セットをリビングへと運ぶ為に階段を上り始めた。
そして俺はせっせと二階から布団セットを運びながら、杏子達と一緒にリビングの床へ布団を並べていった。
――これはちょっと無理だな……。
俺達は美月さんが寝ている布団を中心に運んで来た布団セットを並べていたんだけど、このリビングの広さでは五人分の布団を並べるのが精一杯だった。
「しょうがない。俺は自宅に戻って寝る事にするよ」
「そ、それは駄目ですよ先輩!」
状況を見てそう言った俺に対し、予想外にも愛紗が慌てた様子でそんな事を言った。
「いや、駄目って言ってもさ、もう布団を敷けるスペースも無いし、仕方ないだろ?」
「で、でも、それだと先輩が独りになっちゃいますし……」
「俺の事なら心配しなくていいさ。寝る時はいつも独りなわけだし」
「お兄ちゃん!」
そう言って自宅へと戻ろうと踵を返した俺の右手を、杏子がガッチリと両手で掴んだ。
「お、おい。離せよ杏子」
「お兄ちゃんは女の子を置いて戻って心配じゃないの?」
杏子は俺の情に訴え掛ける感じでそう言いながら、寂しそうな表情を浮かべる。
なんだか前にもこんな事があった様な――と、デジャビュを感じずにはいられない。
「いや、別に俺一人が帰るだけだし、これだけ人数が居れば大丈夫だろ?」
「そんな事は無いよ? 鳴沢君。もしも夜中に強盗が来たらどうするの? 可愛い妹さんや後輩ちゃん、美月ちゃんが怖い目に遭っちゃうかもしれないんだよ?」
そんな事を真剣に俺へ言う桐生さんだが、仮に俺が居たとしても、強盗なんかが来たら太刀打ちなんてできないと思う。それに強盗へ太刀打ちする事を前提に考えるなら、合気道ができる桐生さんの方が俺なんかより遥かに役立つだろう。
だからと言って、女の子を矢面に立たせようとは思わないけど。
「はあっ……分かったよ。その代わり、俺はそこのソファーに寝るからね?」
「うん! ありがとね、鳴沢君」
とりあえず俺が妥協した事に安心したのか、杏子に愛紗に美月さんはほっとした感じの表情を見せていた。そしてなぜかは分からないけど、桐生さんは美月さんを、由梨ちゃんは愛紗を見ながら嬉しそうに微笑んでいた。
こうして半ば脅しにも似た引き止めを受けた俺は、不本意ながらも――いや、決して不本意ではないんだけど、女子高生五人と一夜を共にする事になった。
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