第119話・思わぬ過去との再会

 陽子さんのお願いで演劇の手伝いに行ったり、まひろと一緒に夏休みの宿題をしたり、まひろの頼みで妹のまひるちゃんと海へ行ったりと、夏休みが始まってから今日でまだ八日目だと言うのに、俺にしてはかなり濃密な日々を過ごしている。

 しかしそんなイベントはゲームや漫画じゃないんだから、そうそう続くものではない。


「ふあ~」


 チュンチュンと雀のさえずりが外から聞こえてくる朝のリビング。そのさえずりに混じって部屋に小さく響く欠伸あくび声。

 俺はリビングにあるソファーにドンッと勢い良く座って目の前のテーブル上にあるテレビリモコンへと手を伸ばし、テレビのスイッチを入れてあちこちとチャンネルを変えていた。そして一通りチャンネルを一周させたあと、適当なところでチャンネルボタンから指を離して映し出された映像に目を向けた。

 止めたテレビ画面の左上には九時二十六分と表示が出ていて、スピーカーからはグルメレポートをしている女性レポーターの明るい声が聞こえてきている。


「美味そうだな……」


 その女性グルメレポーターはラーメン屋に来ていて、そこで出されているとんこつラーメンを美味しそうに食べている。

 それにしても、こういうグルメ系番組って本当に目の毒だと思う。ご飯を食べたあとでさえ、こういうものを見ると美味しそうに見えて食べたくなってくるから。

 俺はその映像をぼーっと見つめつつ、なんとなくラーメンを食べたいなーと考え始めていた。そして完全にテレビの映像に洗脳されているなと思いつつ、俺は部屋へと戻って着替えを始めた。


「――杏子。一緒にラーメンでも食べに行かないかー?」


 着替えを終えた俺は、ついでだから杏子も連れて行こうと部屋の前でそう問い掛けた。しかし何度扉をノックして呼び掛けても、中から杏子の返答は無い。

 その事に少し心配になった俺は、そっと扉を開けて中を覗き見た。


「あれま」


 覗き見た部屋の中にでは、毛布もかけずにぐっすりとベッドで眠っている杏子の姿があった。しかも、三泊四日の勉強合宿から帰って来た時のままの服装で。

 そういえば昨日は帰って来た時間も結構遅かったし、出迎えた時も相当疲れた顔をしていた。


「しょうがないな」


 無理やり起こすのも可哀想だったので、俺は杏子をそのまま寝かせて一人でラーメン屋へ向かう事を決め、寝ている杏子の横にある毛布を手に取ってそれをそっと身体に被せてから部屋を出た。


「――くあーっ! やっぱり暑いなあ!」


 外は眩しく輝く太陽がギラギラと地上を照らしていて、既に路地からは陽炎が立ちのぼっている。そんな様子を見た俺は、まだ家から出て五分と経っていないというのに、もう涼しいエアコンがある我が家が恋しくなっていた。

 しかしここで帰っても、冷蔵庫にはろくな食べ物が入っていない。ここは根性を出してラーメン屋へと向かうしかないのだ。

 そして照り付ける太陽の熱線に疲弊しながらも駅前にあるラーメン屋へと辿り着いた俺は、エアコンが適度に効いた店内で熱々のとんこつラーメンに舌鼓を打った。


「――ふうっ……美味かったなあ」


 思わず声に出してしまうくらいにラーメンが美味かった。

 やっぱりとんこつラーメンは細麺ストレートの固麺だよなと、個人的な好みを自分の心の中で呟き、パンパンに膨れたお腹をさすりながら店を出た。さすがに替え玉四杯は食べ過ぎだったかもしれないけど、美味しくいただいたのだから良しとしよう。

 とりあえずお腹いっぱいで満足した俺は、途中で杏子のお弁当でも買って帰ってからそのまま家で怠惰たいだな一日を過ごそうと考えていた。


「あの、もしかして、鳴沢龍之介君じゃないですか?」


 ラーメン屋を出てゆったりと歩きながら帰路を進み始めていた俺の背後から、唐突に声が掛けられた。

 俺がその声に身体をひねり、声がした方向へ顔を向けると、そこには薄いブラウンに軽いウエーブのかかったヘアスタイルの、アイドル級に可愛らしい女の子が立っていた。身長は俺が見た限り、155センチくらいと言ったところだろうか。ジーパン風のホットパンツに、白のキャミソールが良く似合っている。

 そしてその顔はとても可愛らしいが、微笑んでいるその表情はどこかぎこちなさを感じさせた。


「あの……すみませんが、どちら様ですか?」


 俺の名前を知っているという事は、以前に会った事がある可能性は高い。

 しかし俺にはその女の子はちょっと見覚えがなかった。だから失礼だとは思いつつもそう尋ね返した。


「そっか。分からないよね。こうして話すのは小学校三年生の時以来だもん……」


 その女の子はそう言って苦笑いを浮かべた。そしてそんな女の子の表情には、ちょっとしたうれいの様なものを感じる。

 それにしても、小学校三年生の時と言えばかなり昔の事だけど、こんなに可愛らしい女の子の知り合いなんて俺に居ただろうか。


「ごめんなさい。ちゃんと覚えてなくて。失礼ついでと言ったらなんですけど、お名前を伺ってもいいですか?」


 俺がそう尋ねると、その女の子は少し躊躇ちゅうちょする様にこちらをチラチラと見ながら、申し訳なさそうに小さく口を開いた。


「あ、あの……私、朝陽瑠奈あさひるなです……」

「えっ? 朝陽瑠奈って……も、もしかして、るーちゃん!?」

「うん……」


 その言葉に小さく頷くと、彼女はそのまま顔を伏せてしまった。

 彼女のそんな反応を見て、俺も不自然なまでに視線を横にらしてしまう。まさにこういった状況の事を、気まずい――と言うのだろう。

 るーちゃんこと朝陽瑠奈。彼女は俺が小学校三年生の時に告白した事がある女の子だ。

 俺にとって一番仲が良く、一番付き合いの長い女の子と言えば間違い無く茜だけど、あの時は俺も周囲の変化とか色々な事があったせいで茜を避けたりしていた。

 だから小学校三年生になってから彼女に告白をするまでの期間だけで言うなら、今目の前に居る朝陽瑠奈が一番仲良くしていた女の子だと思う。もしも俺が彼女に告白をしなかったら、茜と同様にずっと仲良くできていたかもしれない女の子だ。

 しかし俺は彼女に告白をし、その恋は残念ながら実らなかった。この出来事がそれだけで終わっていたならまだ良かったのかもしれないけど、どこからその話しが流れたのか、翌日にはその話がクラス中に知れ渡っていて、その事で俺は酷いはずかしめを受けた。

 噂では朝陽瑠奈が意図的に俺が告白した事を他人に話したとの事だったけど、俺はその噂には今でも疑問を感じている。まあ何にしても、あの一件は俺の恋愛に対する考え方を劇的に変えた出来事だったのは間違い無い。

 それにあの時は彼女と茜の間でも一騒動あったから更に気まずくなってしまい、俺はそれから一言も彼女と言葉を交わす事は無かった。

 そして俺達はそのまま四年生になり、しばらく経ったある日、俺は彼女が転校した事を知った。そんな彼女と約七年ぶりに何の前触れも無く再会。

 俺と彼女は陽炎が立ち上る駅前でお互いに視線を逸らしたまま、気まずい雰囲気の中で立ち尽くしていた。

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