第102話・困った先輩

 劇場がある施設内の休憩所で雪村さんとお弁当を食べたあと、俺は施設内に持ち込まれた荷物を更に指定された場所へと運び、音響機材などの設置を手伝っていた。

 こういった事をするのはもちろん初めての経験だけど、個人的には一年生の時の文化祭を思い起させる感じで楽しい。

 しかし俺のこんな思いを軽々しく口にするのは、なんとなくはばかられる。なぜなら周りに居る役者さんや他のスタッフを含め、みんなの表情は真剣そのものだから。

 もちろん俺も真剣に手伝いをしているけど、楽しいという感情を表立って見せてしまうのは悪い気がしてしまう。

 そんな事を思いながら搬入荷物の設置の手伝いを終えた俺は、ロビーにある自動販売機で冷えた飲み物を買ってそれをゆっくりと飲み干し、再び劇場へと向かった。

 戻った劇場の舞台上ではさっそく役者達の練習が始まっていて、俺はその邪魔にならない様にと舞台から離れた客席に腰掛け、その練習風景をじっと見つめる。

 そんな舞台下には演出家の先生らしき人が居て、舞台上で演技をしている役者を厳しい眼差しで黙って見ていた。その風景は演劇素人である俺にさえ、言い知れぬ緊張感をひしひしと伝えてきている。


「やっぱりプロを目指そうとする人達は違うよな……」


 そんなピリピリとした空気を感じるからか、俺の口からは自然とそんな言葉が出てきた。


「君、鳴沢龍之介君――だよね?」


 しばらく舞台の練習風景を見ていると、後ろの席から明るく弾む声で名を呼ばれ、俺は後ろを振り向いた。するとそこには綺麗な栗色のミディアムヘアをした一目で年上だと分かるお姉さんタイプの女性が、好奇心に満ちた感じの視線を俺に向けていた。


「は、はい。そうですけど……」

「なるほどなるほど。やっぱりそうだったんだね」


 その女性は一人で何かを納得した様にウンウンと何度か頷きながら、ニヤニヤした表情で尚もこちらを見ている。


「あ、あの……」

「あっ、ごめんね、自己紹介もしないで。私の名前は金森憂かねもりゆう。雪村陽子の中学時代からの先輩なの、よろしくね」


 金森憂と名乗ったその人は、そう言ってにこやかに右手を差し出してきた。

 俺はその無駄に明るい声音に釣られ、差し出された手に自分の右手を差し出して軽く握った。


「は、はい。よろしくお願いします」

「うんうん。よろしくね!」


 そう言って握った手を上下に振る金森さん。

 元気と言うか明るいと言うか、掴みどころがなさそうな人――というのが、彼女に対する俺の第一印象だ。

 握っていた手を何度か上下に振ったあと、満足した感じで握っていた手を離した金森さんはそのままスッと立ち上がり、座席を軽やかに飛び越えてから俺の左隣の席へと座った。


「君とは一度会ってみたかったんだよね」

「えっ? どうしてですか?」

「私ね、陽子と同じ下宿先に住んでるんだけど、去年あの子が入学してバイトを始めてしばらく経った頃だったかな、急に陽子の様子が変わり始めたから、ちょっと心配してたんだ」


 バイトを始めてしばらくって事は、ちょうど俺が短期のバイトとして居た時期も含まれてるんだろう。


「心配していたとは?」

「んー、なんて言うか……急に女の子っぽくなったって言うのかなあ」


 その言葉を聞いた俺は、いったいどういう事だと思った。

 雪村さんと知り合ってから一年ちょっとになるけど、彼女は最初に会った時から十分に女の子らしかったから。


「こっちに来る前の雪村さんの事はよく知りませんけど、少なくとも、僕が出会った時には既に可愛らしい女性でしたよ?」

「わーおっ! 陽子が聞いたら卒倒しちゃいそうなセリフだね」


 そんな事をニヤニヤしながら言う金森さん。

 そりゃあ、可愛いと言われれば喜びはするかもしれないけど、いくら何でも卒倒するほど喜びはしないだろう。だが、そんな事を言っていたなんて本人に知られるのは恥ずかしいので、口止めはしておくべきかもしれない。


「あの、今言った事を知られると恥ずかしいんで、雪村さんには内緒にして下さいね?」

「えー!? 内緒にしないといけないの? んー、しょうがないなあ。それじゃあ、内緒にしておいてと言われた事を忘れるまでは内緒にしておくね」


 ――それってつまり、喋っちゃいますよ――って言ってるのと同じじゃないか。


「そんなに不安そうな顔をしなくても大丈夫だから。私、こう見えても寡黙かもくで口が堅いんだよ?」


 俺が不安な表情を浮かべたからか、金森さんはそう言いながら俺の背中をバンバンと右手で叩く。

 はっきり言ってしまえば、彼女の言葉はまったく信用できなかった。こんなに喋る人が寡黙には見えないし、口が堅そうになんてもっと見えないからだ。


「は、はい。分かりました」


 だが俺は、心の内とは裏腹にそう答えた。誰でも本音と建前は使い分けるものだから。

 まあ、金森さんがどんな人かはまだよく分からないけど、雪村さんが親しくしている人らしいから、とりあえず信用してみるとしよう。


「あっ! もうこんな時間なんだ。龍之介君、一緒に買い物に行かない?」


 チラリと腕時計を見た金森さんが、少し慌てた様子でそう聞いてきた。


 ――てか、ナチュラルに名前呼びされてるけど……まあいっか。


「いいですよ」

「よしっ! それじゃあさっそく行こう。あっ、それから私の事は、憂さんかお姉ちゃん――って呼んでいいからね?」


 本気なのか冗談なのか分からないそんな事を言われた俺は左手を掴まれ、そのまま劇場の外へと連れ出された。

 そして建物の外へと出た俺達は、歩いて五分程の位置にあるコンビニエンスストアへと向かい、そこでみんなが休憩中に食べるおやつや飲み物を選び始めた。


「……あの、憂さん。ちょっと聞きたい事があるんですが」

「なーに? 龍之介君。年齢と体重とスリーサイズ以外の事なら答えちゃうよ? あっ、でも、エッチな質問は程々にね?」


 艶っぽくそんな事を言う憂さん。

 年齢は聞くまでもなく想像がつくし、体重はともかくとして、スリーサイズはそのスレンダーボディを見ると気にはなるけど、聞かなくても特に問題は無い。いや、本当は聞いてみたいんだけど、流石にそれを聞くわけにはいかないだろう。

 それにしても、憂さんが最後に言った言葉は非常に魅力的だ。


 ――少しならエッチな質問に答えてくれるのかな?


 女性の発言を真に受け、そんな事を少しでも考えてしまうのが男という生き物だが、なんと悲しいさがだろうか。


「そ、そんな事は聞きませんよ!」

「ホントにぃー? 少しくらいはエッチな事を聞こうかな――とか考えちゃったんじゃないのぉ?」


 そう言ってニヤニヤしながら俺に身体をすり寄せて来る憂さん。

 俺はこの時、憂さんに完全におちょくられている事を確信した。


「本当ですよ! 俺が聞きたかったのは雪村さんの事です」

「陽子? 陽子の何が聞きたいの?」


 俺に身体をすり寄せたまま、小首を傾げてそう聞く憂さん。


 ――こんな時にどうかとは思うけど、憂さん可愛いです。


「あの……何で雪村さんのご両親は、雪村さんが演劇をする事に反対なんでしょうか?」

「……陽子がそれを君に話したの?」


 そう尋ねた途端、憂さんは俺からスッと距離を取ってそう聞き返してきた。それを見た俺は、その問い掛けにコクンと頷いて答えた。

 すると憂さんは曲げた人差し指の間接部分を口元に当て、何やら考えている様子を見せ始めた。


「……龍之介君は何でそれを私に聞こうと思ったの?」

「それは……単純に雪村さん本人に聞き辛いってのもありますし、舞台を前にして余計な事を考えてほしくなかったからってのもあります。それに憶測ですけど、多分、憂さんにならその事についての話もしてると思ったので」

「どうしてそう思ったの?」

「……雪村さんて、俺からすると男の理想を体現した様な人なんですよ。可愛らしくて優しくて、とても気が利いて、真面目でしっかりしている様で、たまにドジもして、堂々としている様で恥ずかしがり屋。最近、そんな彼女が少しずつ弱さを見せる様になった気がするんですよ。雪村さんてあれで結構強がるところがあるんですけど、そんな人が弱さを見せる相手って結構少ないと思うんですよね。だからきっと、憂さんみたいな先輩にならそういう話もしてたと思ったんです。だから聞いてみようと思ったんですよ」


 話を続ける間、憂さんは静かに俺を見ながら真剣な顔でその話に耳を傾けてくれていた。


「……なるほど。あの子が変わった理由、少しだけ分かったかも。分かったよ、龍之介君。それじゃあ、今日の二十二時頃に宿泊施設のロビーに来て」

「二十二時頃ですか? 分かりました」

「よろしい。それじゃあ、早く差し入れを買って戻らなきゃね! みんな待ってるよ!」


 それから憂さんは手当たり次第に俺が持つカゴへ食べ物や飲み物を突っ込んでいき、最終的に俺は大きな袋四つを抱えてコンビニを出る事になった。

 そしてみんなが俺と憂さんの買って来た差し入れでちょっとした休憩時間を過ごしたあと、十九時を過ぎるまでみんなの練習は続いた。

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