第77話・妹の胸中

 花嫁選抜コンテストが行われているホール内は、不気味なまでの静寂に包まれていた。それはこれから行われるステージ上の五人の告白を、一言一句を聞き逃すまいとしているからだろう。

 これまでの和やかで楽しげな雰囲気からはがらりと変わり、俺は言い知れない緊張を感じていた。


「さて。では、誰からいくかね?」


 宮下先生の言葉にステージ上の五人はお互いに顔を見合わせ、誰が最初の告白を行うのかを窺っている様子だった。


「それじゃあ、最初は私がやらせてもらいますね」


 他の四人が戸惑っているのを見たからか、杏子は自分が最終審査最初の挑戦者になる事を名乗り出た。

 それにしても、杏子は凄いと思う。これだけの人達を前にして、物怖じしている様には見えないから。

 腰の部分がキュッと締まり、すそが大きくスッと広がったAラインのウエディングドレスに身を包んだ杏子が、ステージの真ん中に立てられたスタンドマイクの前まで静かに移動してその前に立つ。

 その名が示すとおり、アルファベットのAを連想させるこのAラインドレスは、みんながよく見知っているだろう定番とも言える形のドレスだ。


 ――そういえば杏子って、誰か好きな奴が居たのか?


 本人からそんな話を聞いた事は無いけど、果たしてそんな相手が居るのか、兄としては非常に気になる。


「わ、私は――」


 そのまま何事も無く杏子の告白は進んで行くかと思いきや、杏子はいきなり言葉を詰まらせた。

 そして俺には、ステージのマイク前に立つ杏子の身体が僅かに震えているのが分かった。


 ――そうだよな。いくら杏子が物怖じしない性格って言っても、これが仮想の告白であっても、アイツはいつだって何かをやるからには真剣なんだ。緊張しないわけがないよな……。


 それは杏子を一番近くで見てきた俺が、一番よく知っている。

 杏子は祈りを捧げる乙女の様に、胸の前で両手を握り合わせていた。


「頑張れっ! 杏子!」


 気が付いた時にはもう、そう叫んでいた。

 そしてその声にはっとした様子の杏子が、ゆっくりと俺の方へと視線を向ける。

 あんなに縮こまっている杏子を見るのは、兄として忍びない。アイツはのほほんとしていながらも、微笑んでいるのがお似合いなんだ。


「……ありがとう。お兄ちゃん」


 杏子の呟いた言葉が、まるで耳元で囁かれたかの様にして静かにスピーカーから聞こえた。

 すると気を取り直した様にして、杏子はいつものにこやかな表情を浮かべた。


 ――うん。それでいいだよ、杏子。


「私の好きな人はとっても優しい人で、小さな頃から私をよく気遣ってくれていました」


 ――ほほう……杏子の好きな奴は、結構小さな頃から居たのか。それは知らなかったな。


 杏子の言葉から推察すると、俺が杏子の意中の人物を知っている可能性は高いと思われる。

 だが、杏子の付き合いの良さや広さを考えると、その人物を特定するのはかなり難しいかもしれない。


「その人は誰にでも優しい困った人ですけど、私はそんな彼が大好きです。でも彼は、私を恋愛対象とは見ていないと思います。その事について私は、それは仕方のない事だと思っています。彼は私に恋愛感情を持つ様な位置に居る人ではないので……」


 話を聞く限りでは、杏子とその意中の相手との関係はとても複雑な様子だ。


 ――それにしても杏子の奴、そんな相手が居るなら俺に一言くらい相談してくれてもいいのに。


「でも、私の中の仕方ないという思いがどうしても抑えきれなくなったら、その時は彼にハッキリと言おうと思っています。大好きです――って」


 そう言ってにこっと微笑むと、杏子はみんなへ向けてペコリと頭を下げ、その頭を上げたあとで俺に向けてブイサインをしてきた。

 そしてそんな杏子の告白に生徒達からは自然と拍手が沸き起こり、俺も杏子に向けて大きな拍手を送った。


「でもまあ、彼は超が付く程の鈍感さんなので、気付かせるのも大変だとは思いますけどね。普段はガサツなところも多いし、結構無神経なところもあるし、他にも――」


 先程の緊張感溢れる告白から一変。

 次々と口に出されていく杏子の想い人の欠点。そんな杏子の言葉に、ホール内の生徒達からは笑いが溢れ出す。


 ――てか、アイツは自分の好きな相手の事をよくそこまで言えるもんだな。まあ、そういうところを含めての好きって事なんだろうけど、それはともかくとして、人前で欠点を晒すのは止めてあげなさいよ。


 とりあえず杏子には意中の相手に告白をする前に、絶対に俺へ報告をする様にとは言っておく事にしよう。

 意中の相手が俺のお眼鏡に適わなければ、お付き合いは絶対に認めない。兄としてそのあたりは、よーく言い聞かせておかないといけないのだ。

 誰とも知れない杏子の意中の相手に敵愾心てきがいしんを燃やしつつ、杏子の告白タイムは終わった。

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