第70話・コンプレックスへの挑戦

 掲示板に出場希望予定者一覧が張り出されてから、いよいよ今日で最終意思決定期間の最終日となった。

 まひろが圧倒的推薦者数で他薦枠に名前を出されていたあの日以来、まひろは来る日も来る日も悩み続けていた。

 今日の朝もどこか集中できない様子で授業を受けていて、時折溜息を吐いてはノートに何やら落書きの様なものを描いているのを見た。俺としてはもう少し気楽に考えてもいいとは思うんだけど、それができない生真面目さんが、俺の親友、涼風まひろだ。


「それじゃあ、行って来るね」

「おう」


 ちょうど二時間目の授業が終わった頃。まひろは宮下先生からの呼び出しを受けて保健室へと向かった。

 呼び出された理由は分からないけど、最近はコンテストの事で悩んでたみたいだし、もしかしたら悩み過ぎで体調を崩しているのかもしれない。

 それに宮下先生は、生徒に対してのカウンセリングなんかも積極的にやっていると聞く。普段はよく分からない部分も多いけど、真面目に話を聞いてくれる良い先生だというのは俺にも分かる。まあ、ちょっと理屈っぽい感じはするけど。

 そしてかったるいと思いながら受けていた授業時間は思ったよりも早く過ぎ去り、あっと言う間にお昼休みの時間を迎えた。

 しかし、宮下先生に呼び出されたまひろは、昼休みになっても戻って来る気配が無く、俺は仕方なく鞄から弁当箱を取り出して蓋を開けた。


「鳴沢龍之介は居るかー?」


 その声に教室後方の出入口を見ると、そこにはいつもの白衣を着て立っている宮下先生の姿があった。


「ここに居ますよ。どうかしたんですか?」

「お、居たか。では速やかに自分のお弁当と涼風まひろの鞄を持って、保健室の中にある談話室に向かいたまえ」

「えっ? いや、あの――」


 宮下先生は自分の用件を言い終わると、こちらの返答も聞かずに去って行った。こういった部分を見ていると、本当にカウンセリングとかできるんだろうか――などと思ってしまう。

 俺は開いた弁当の蓋を閉じてから箸箱と弁当箱を手に掴み、宮下先生に言われたとおりにまひろの鞄も持って保健室へと向かった。


「――失礼します」


 一応保健室という事で、静かに引き戸をスライドさせて中へと入る。

 だが俺のそういった気遣いは無用だったらしく、室内には生徒はおろか宮下先生の姿すらなかった。


「人を呼び出しておいて、どこに行ってるんだ?」


 俺はとりあえず保険室内にあるもう一つの部屋、談話室の扉の前へと立ってからその扉を開けた。


「よう。まひろ」

「あっ、龍之介。どうしたの?」


 談話室の中にはまひろが居て、宮下先生が出したであろうお茶を飲んでいた。

 ここ談話室は宮下先生が生徒へのカウンセリングを行う際に使われる特別な部屋で、なんと完全防音加工が施されているらしい。渡の話によれば、中でバンド活動をしても一切その音を外には漏らさない程だという事だ。

 てか、アイツはそんな事をどこで調べたんだろうか。


「宮下先生に呼び出されてな。ほれ、お前の鞄だ」

「ありがとう」


 とりあえずまひろの座る二人掛けソファーの隣に座り、目の前のクリスタルガラス製と思われるテーブルに弁当を置いてから蓋を開け、中のご飯を食べ始める。


「まひろも弁当を持って来てるんだろ? 一緒に食おうぜ」

「あっ、うん」


 まひろは慌てて鞄を開き、中から可愛らしい水玉模様の描かれた袋を取り出す。


「相変らずまひろの弁当は小さいな。そんなんでよく腹が減らないよな」

「うん。最近はあまり食べると気持ち悪くなっちゃうから」

「そうなんか? でも、しっかり食べないと身体に良くないぞ? そんなに身体細いんだしさ」

「やっぱりもう少し食べた方がいいのかな?」

「そりゃあ、もう少ししっかり食べた方がいいとは思うが。まあ、無理をする必要はないさ」

「そっか。ありがとう」


 まひろはにこっと笑顔を浮かべてお礼を言う。

 そして小さく口を開いて弁当のおかずを口に運ぶその姿は、見ているだけでとてつもない愛らしさを感じさせる。


「お、ちゃんと来たみたいだな」


 二人でいつもの様に弁当を食べ進めていたところに、宮下先生が大きく膨らんだ袋を片手に持って現れた。

 そしてその持っていた袋をテーブルの上にドサッと置くと、袋の中から大量のパンが転がり出た。


「さあ、好きなのを取って食べたまえ」

「まさか、これを買いに行ってたんですか?」

「ああ、そうだ。遠慮しなくていいぞ? 沢山食べたまえ」


 これだけ大量のパンが袋に入っていたというのに、よく片手で持って来れたものだと思う。


「では、遠慮無くいただきます」


 そんな事を思いつつも、とりあえず大量のパンに手を伸ばしてみる。人の好意には素直に甘えておくのが俺の主義だから。

 山の様に盛られたパンの中から、俺は一つを適当に掴み取った。


「こ、これは!? 伝説のお好み焼きパン!?」


 俺が手にしたのは、購買部でも一番人気のお好み焼きパンだった。

 この学園に来てから一年ちょっとになるけど、このパンを手にしたのはこれが二度目だ。一度目は奇跡的な偶然によってこれを食べる機会があったんだけど、その時、あまりの美味さにこのパンの虜になってしまった。

 そしてそれを期に何度かこのお好み焼きパンを買おうと試みたんだけど、それはことごとく失敗に終わり、もはや二度と食べられないだろうと諦めていた幻のパンだ。


「伝説?」

「そうなんだよ! 俺も一度しか食べた事がないパンなんだぜ! せっかくだからまひろも食べてみろよ」

「う、うん。ありがとう」


 俺は手にしているお好み焼きパンを半分に分け、横に居るまひろに手渡した。


「……本当だ。凄く美味しいね、これ」

「だろっ!」

「さて、二人の楽しい時間を邪魔して悪いが、そろそろ話を始めてもいいかな?」


 向かい側のソファーに座って湯気が立ち上る湯飲みに口を付けていた宮下先生が、少し意地悪な感じでそう言った。

 そんな宮下先生の言葉に、まひろは少し顔を紅く染める。


 ――いやー、いつもながらまひろは可愛いですねー。


「大丈夫ですよ。で? いったい何の話があるんですか? わざわざ俺まで呼び出して」

「ふむ。実はな、今まで彼のコンテスト出場について話をしていたのだよ」

「まひろの?」


 てっきりまひろの体調についての話をしているんだと思っていたが、これは予想外だった。

 とりあえずお好み焼きパンをかじりつつ、宮下先生の話に耳を傾ける。


「うむ。彼が他薦枠でエントリーされているのは知っているかな?」


 宮下先生の問いに対し、俺はウンウンと頷いて見せた。


「実はあの他薦枠で、彼を推薦した筆頭は私なのだよ」

「ええっ!?」


 ――てことは、応募箱が置かれた初日に宮下先生が持っていたあの紙には、自分の名前が書いてあったんじゃなくて、まひろの名前が書いてあったって事か。


「でも、どうして宮下先生がまひろを推薦したんですか?」

「ふむ。まあ、色々と理由はあるのだが、強いて言うのなら、私が涼風のウエディングドレス姿を見たかったからだな」

「はあっ?」


 いったいどんな理由が飛び出すのかと思っていたが、宮下先生から飛び出した言葉は小学生が言いそうな程に単純なものだった。


 ――本当にこの先生は何を考えてるのか分からんな……。


「君は見てみたいとは思わないかね?」

「えっ? いや、そりゃまあ、どちらかと言えば見てみたいですけど……」

「えっ!? 龍之介、見てみたかったの?」

「あ、いや。確かに見てみたいとは思うけど、それも全てはまひろ次第さ。無理する必要なんて無いと思うし」


 思わず宮下先生に乗せられて本音を言ってしまったが、今言った様に、まひろが無理をする必要はまったく無い。


「彼はこう言っているが、涼風はどうかね?」


 まひろにそう問い掛ける宮下先生。その言葉を聞いたまひろは、深く俯いて何やら熟考している様子だった。

 考えてみれば、まひろはその可愛らしい容姿のせいでいじめられた過去を持っている。つまり、そういった自分に対するコンプレックスを抱いているのは間違い無い。

 そんなまひろが花嫁選抜コンテストに出るというのは、まひろのトラウマをえぐる事になるのかもしれないわけだ。

 だけど俺は知り合った頃からずっと、男なのに可愛らしいコイツと友達だった。まひろが女の子みたいに可愛らしい事をおかしいと思った事は無いし、そう感じた事も無い。

 こう言うとおかしな話かもしれないけど、まひろはもう少し可愛らしいと言われている自分を認めてやってもいいと思う。それは男としてのプライドが許さないかもしれないけど、それは紛れも無くまひろの特徴でもあり、長所でもあると思うから。

 だから俺は、無理する必要は無いと言いつつも、まひろに向かって口を開いた。


「なあ、まひろ。いいんじゃないか? 出てみても」

「でも……」

「お前はもう少し、自分に自信を持つべきだと思うぜ? 確かにお前が可愛いとか、女っぽいって言われるのを嫌っているのは知ってるけどさ。でもそれだって紛れも無いお前の特徴で、長所でもあるんだからさ」

「…………」

「宮下先生じゃないけど、俺も正直、コンテストに出てるまひろを見てみたいんだよな。それにさ、お前を推してくれた人が二百八十人も居るんだぜ? 凄いじゃないか! それってさ、今のあるがままのお前を認めてくれてるって事にもなるんじゃないのか?」

「でももし、あの時みたいになったら…………」


 まひろの言う『あの時』というのはおそらく、俺とまひろが友達になる切っ掛けになった出来事の事を言っているんだと思う。


「心配すんな、まひろ。もしまたあんな事があったとしても、俺がなんとかしてやるから!」

「本当に?」

「ああ! 任せとけっ!」

「分かった。ありがとう、龍之介」

「話は決まったみたいだな」


 宮下先生はそう言うと、まひろに一枚の紙を差し出した。


「さあ、ここからは君の判断で君が決めて、自分の望む結果を出す為に頑張るんだ」

「……はい!」


 最終意思決定確認の紙を受け取ったまひろの表情はとても晴れやかで、ある種の決意が満ちている様に感じた。そしてその瞬間、学園内に昼休みが終わりを告げる鐘の音が鳴り響いた。


「さあ、これで話は終わりだ。教室に戻りたまえ」


 宮下先生にそう言われ、俺はまひろと一緒に談話室を出ようとした。


「あっ、そうだ。一つ言い忘れていたよ。龍之介君。君にはコンテスト当日の特別審査員をやってもらう事になった」

「はあっ!?」


 宮下先生の言葉に、俺は思わず間抜けな声を上げてしまった。


「驚くのは無理もないか。なにせ今、私が決めた事だからな」


 ――今決めたのかよっ!? てか、何で宮下先生ってこのコンテストに関してそんなに決定権があるんだ?


「いや、俺は別に特別審査員なんてしたくな――」

「ちなみにこれは決定事項だ。拒否も辞退も反抗も抵抗も認められない」


 ――いや、決定事項って……今そう決めたって言ったじゃないか。それなら宮下先生が取り消してくれたらいいんじゃないのか?


 しかし、宮下先生は少しの反論すら俺にさせる事も無く、保健室から強引に俺達を追い出した。


「何でこんな事になるんだ!?」

「た、大変だね。龍之介も頑張って」


 俺の虚しい叫びが廊下に響き渡る。

 ゆっくりとイベントを楽しむはずだった俺の予定は綺麗さっぱりと崩れ去り、気が重い事この上ない、特別審査員なるものをやらされる羽目になってしまった。

 こうして翌日の放課後。

 最終意思決定期間で出場の意思を示した人達の名前一覧が、各学年の掲示板に張り出された。

 そして張り出された紙の他薦枠の中にあるたった一つの名前は、涼風まひろだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます