第49話・素直になれない女の子

 二年生に進級してから一週間ちょっとが経つけど、最近ちょっと気になる事がある。それは、朝に学園へ登校している時や夕方に自宅へ帰る時など、主に一人で居る時に誰かから見られている様な気配を感じていたからだ。

 なんだか前にもこんな事があった様な気がするな――と、ちょっとした既視感があったある日。たまたま一緒に帰っていた杏子にその話をした事があったんだけど、『お兄ちゃんの妄想じゃないの?』という一言で片付けられてしまったのを覚えている。

 それにしても、我が妹がまったく兄の心配をしていないのが悲しい。

 もしも俺を見ているのが、危ない女性ストーカーだったらどうするんだろうか。まあ、その視線を送っているかもしれない人物を女性と決めつけるのはどうかと思うけど、できればその人物が男だとは思いたくない。


「あともうちょっとか……」


 妹からの薄情な言葉に悲しみを隠せなかったあの日から二日後。

 俺は数学の宿題をやるのを忘れていた事により、教室で居残りをやらされていた。しかも数学は英語に次いで苦手なジャンルなので、宿題を終わらせるのにかなり苦戦を強いられている。

 問題の難しさにふうっと息を吐いて黒板中央の上にある丸型時計を見ると、その針は十七時を指し示そうとしていた。こんなかったるい事は急いで終わらせて帰ろうと思い、再び机上きじょうのノートに視線を落とす。

 しかし問題を解いている最中にトイレへ行きたくなり、俺はスッと立ち上がってから教室を出て足早でトイレへと向かった。


「きゃっ!!」

「おっと!?」


 そして教室を出て急いでトイレへと向かう途中、俺は階段がある曲がり角から出て来た誰かとぶつかってしまった。


「いたたっ……」


 声がする方へ視線をやると、そこにはやたらと小さく見える女の子が尻餅をついていた。

 髪の毛の左右が少し巻き気味に外側へと跳ねている黒髪ショートカット。その不揃いな感じの跳ね方からすると、パーマではなく天然なんだろう。

 それにしても、本当に小さく見える。もしかしたら、身長150センチの杏子よりも更に低いかもしれない。まあ、この学園の制服を着ているから高校生だろうけど、学園の制服を着て探検に来た小学生だと言われても不思議には感じない。


「ごめんね! 大丈夫?」


 俺はその小さな女の子に向かって右手を差し出した。

 お互いの不注意とは言え、倒れた女の子が小さいせいか、罪悪感が半端じゃない。


「だ、大丈夫です。あっ!?」


 女の子は俺を見て驚いている様な動揺している様な、そんなどちらとも言い難い表情を浮かべながら俺の方を見上げて硬直していた。


「あの、俺の顔に何か付いてる?」

「えっ!?」


 その言葉を聞いて我に返った様子の女の子は、水浴び後の犬の様に頭をブルブルと小刻みに左右へ振る。


「な、何でもないです。ありがとうございます……」


 差し出していた俺の手を握ってから立ち上がると、その女の子が更に小さく見えた。


 ――マジで小学生がコスプレしてるわけじゃないよな……。


「……私のこと、小学生みたい――って思ってませんか?」


 握っていた手を離し、そう言いながら俺を睨みつける女の子。正直言ってめちゃ恐い。


「そ、そんな事は無いよ?」


 あまりの目力に、思わず女の子から視線を逸らしてしまう。だがこれでは、そう思っていました――と、白状している様なものだ。


「はあっ……まあいいです。いつもの事ですし……」


 そう言って女の子は諦め混じりの溜息を吐いた。きっとその手の事をかなり言われ続けてきたんだろう。


「ごめんね。ちょっと急いでたもんだから」

「あっ、いいえ。こちらこそごめんなさい」


 わりと強い口調だったのでビビってたけど、案外素直な子なのかもしれない。

 それにしてもこの女の子、よく見るとどこかで会った事がある気がする。


「な、何ですか? じっと見たりして……」


 まじまじと見てしまったせいか、女の子は一歩下がって警戒する素振りを見せた。


「あっ、ごめんね。君に似た人と、どこかで会った事がある気がしたからさ」

「えっ!?」


 一歩足を引いていた女の子は、その引いた足を前へと出してこちらへと近付く。


「まあ、そんな事あるはず無いか。ごめんね、それじゃあ!」

「あっ! ちょっと――」


 女の子は何かを言おうとしていたけど、俺はトイレを我慢していた事を思い出して急いでトイレへと向かった。


「はあー。すっきりすっきり」


 危うく漏らしてしまうピンチを脱してすっきりとした俺は、教室に戻って真面目に宿題の残りをやり進めていたんだけど、その内に段々と問題を解くのが面倒になり、もう最後の方には適当に答えを書いていた。

 そうやって適当に終わらせた宿題のノートを職員室にある先生の机の上に置き、俺はさっさと帰宅しようと下駄箱へ向かう。

 そして廊下を歩きながら胸ポケットから取り出した携帯の時刻表示を見ると、既に十八時を過ぎていた。


「あのっ!」


 下駄箱で靴を履いて外へ出ると、不意に後ろから声がかけられた。

 そしてその声に後ろを振り返ると、そこにはさっき廊下でぶつかった小学生――じゃなく、廊下でぶつかった小さな女の子の姿があった。


「君はさっきの……どうかしたの?」

「あ、あの……さ、さっき倒れたせいで――」


 真っ赤な顔で何かを言っているんだけど、言葉が段々と尻すぼみになっていくのでよく聞き取れない。


「えっ? 何?」

「だ、だからっ! さっき倒れたせいでお尻が痛いんです! あっ……」


 辺りに響く程の大声でそう言った女の子。その内容はとても大声で言う様な内容ではない。

 それは本人も分かっているからか、女の子は更に顔を赤らめて身体を震わせながら俯く。


「あ、あの、それで俺にどうしろと?」


 その言葉に女の子は身体を震わせながら、キッと鋭い視線を向ける。

 それにしても、何で俺はこの子に睨まれなきゃならんのだろうか。


「せ、責任を取って下さい……」


 鋭く俺を睨んでいた女の子は恥ずかしげにそう言うと、身体をモジモジとさせ始めた。


「あの、責任て、俺にどうしろと?」


 反論すると話がややこしくなりそうなので、とりあえず相手の要求を聞いてみる事にした。


「それはその…………あっ! な、何か奢って下さい。何でもいいですから」


 いったいどんな要求をされるのかと思っていたけど、案外普通な感じの要求に少し安心した。


「あうっ……」


 相手からの要求に俺が安心していると、女の子のお腹からきゅるきゅるっと可愛らしい音が聞こえ、女の子は両手でお腹を押さえながら顔を真っ赤にして俯いた。

 ちょうど時間帯的にもお腹が空く頃合だ。俺もお腹が空いているし、何か軽く食べて帰るのも悪くないだろう。


「分かったよ。それじゃあ、駅前のワクワクバーガーでいいかな?」

「は、はいっ!」


 顔を赤くして俯いていた女の子は、俺の言葉に顔を上げて嬉しそうな笑顔を見せた。なんと言うか、ギャップの激しい子――それがこの女の子に対して俺が感じた印象だった。

 そして俺は緊張の面持ちを見せる女の子を連れ、駅前にあるワクワクバーガーへと向かった。


「――どれにする?」

「えーっと……そ、それじゃあ、これでお願いします」

「OK。そんじゃあ俺も、同じのにしよっかな」


 俺は店員さんに手際良く注文をし、商品が来るのを注文カウンターの横で二人で待った。

 それから五分程で商品が来ると、俺は商品の乗ったトレーを持ち、好きな所に座っていいよ――と、女の子に促した。すると女の子は嬉しそうに二階席へと向かい、窓際の席を陣取った。


「いただきます」


 小さなテーブルの上に置いたトレイ。その上にあるハンバーガーを手に取り、美味しそうにかぶりつく女の子。

 男でも女でも、いい食べっぷりを見ていると気持ちがいい。それを見ているだけで幸せな気分になるから。


「美味しい?」

「えっ!? コ、コホン。ま、まあまあですかね……」


 女の子は取り繕う様にして食べるのを止め、飲み物のストローに口をつける。

 それからしばらくはお互いに黙って食事をしていたんだけど、女の子は不意に俺の顔をじっと見て質問をしてきた。


「あ、あの……さっきの事ですけど、ちょっと聞いてもいいですか?」


 そう言いながらチラチラと上目遣いでこちらを見る女の子。

 身長差を考えればこうなるのは当たり前なんだけど、なんとなく小動物を見ている様な気分になる。


「さっきの事?」

「廊下でぶつかった時に言ってたじゃないですか。どこかで会った事がある気がした――って」


 確かにそう言ったのは覚えているので、俺は飲み物を飲みながらウンウンと頷いた。


「それってどこですか?」


 なぜか女の子は期待に満ちた目で俺を見ている様に感じた。

 しかしどこだと言われても、正直返答に困る。本当になんとなくそんな気がしただけだったから。


「うーん……どこだったかなあ…………」


 その質問に対して思い出そうとしばらくの間考え込んでいると、女の子は突然スッと席を立った。


「もういいです……変な質問をしてごめんなさい。私、帰りますね……」

「えっ!?」


 女の子は自分の出したゴミを一つに纏めると、しょんぼりとした顔で階段の方へと向かって行く。

 そしてそのしょんぼりとした女の子の顔を見た時、俺は思わずはっとした。


「ひょっとしてあの子……」


 俺は中学時代のとある出来事を思い出し、女の子の後を追う事にした。

 急いでテーブルの上にあるトレイとゴミを片付けて一階へと下り、店の外へと出る。すると少しだけ遠くにしょんぼりと肩を落として歩く女の子を発見し、その背中に向かって声をかけた。


「ちょっと待って!」

「何ですか?」


 やっぱりこのしょんぼりとした表情には見覚えがある。おそらく俺の記憶違いではないはずだ。


「君さ、もしかして、俺が中学三年の夏に体育館裏で会った子じゃない?」

「えっ!?」


 しょんぼりとしていた女の子の表情が、一気にぱーっと明るくなっていく。


「そ、そうですよ。やっと思い出したんですね」


 見せていた笑顔を隠す様に、ムッとした表情を見せる女の子。ホントにコロコロと表情が変わる女の子だ。


「やっぱりそうだったんだ」

「思い出すのが遅過ぎますよ。鳴沢先輩は」

「えっ? どうして俺の名前を知ってるの?」


 確か中学時代も今回も、俺は名前を名乗っていなかったはずだ。


「そ、それはその……ど、どうでもいいじゃないですか!」


 女の子はそう言うと、突然そっぽを向いて再び駅の方へと歩き始める。


「せめて名前くらい教えてくれても……」


 そそくさと歩いて行く女の子の背中に向かって小さく呟く。

 そんな俺の呟きは当然聞こえているはずがないんだけど、女の子は突然ピタリと足を止めるとこちらへ振り返り、足早に俺の方へと戻って来た。


「あ、あの、自己紹介もしないでごめんなさい。私の名前は篠原愛紗しのはらあいしゃって言います。鳴沢先輩、今日は奢ってもらってありがとうございます。ご馳走様でした」


 篠原さんはそう言ってからにこっと笑顔を見せると、ペコリと頭を下げて駅の方へと走り去って行く。


 ――ホントにコロコロと表情が変わる子だな。しかもちょっと口調がキツイところがあるし。でもまあ、あれで結構素直で礼儀正しいのかもな。


 そんな事を思いつつ、俺は小さくなっていく篠原愛紗の後ろ姿をじっと見つめていた。

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