第八話

 わたしはけつした。

 六柱の悪魔たちと契約をせんとしたのだ。

 西暦二〇〇八年早春えんざいによって死刑判決を享受し東京拘置所内で極秘裏に『計画』を進捗させ『アブラメリンの魔術』を実践した結果どうもうなる悪魔たちを召喚するのではなく『自分自身』が召喚されたわたしは地獄らしき荒野にてしゆちゆうちよしていた。きようかんの地獄らしき荒野にはこくしゆうしゆうたる死霊のほうこうが響動めきちようりようばつするもうりようえいごうの業火に猛襲されかいわいにはなまぐさえんの大海原がれんえんとしているほか殺伐たるはいきよれきの団塊やめつりにされたきゆうきようひやくがいの残骸などが堆積しているばかりだった。ような風景の片隅で六柱の悪魔たちにじようされながらしばらく沈思黙考していたわたしはとうくつの精神で運命とたいせんとけつしたのである。無論かつしんせいなる神霊にはんぎやくしてめいもうたる地獄に幽閉された悪魔の言葉など――七つの大罪を象徴するきよかいたる悪魔たちの言葉など――おうようとしてしんぴようすることなど出来なかったがえんざいのまま死刑にされるか悪魔たちとの契約ながらふたたび自由なるにくたいとしてあなたとかいこうできるようにするかとなればもちろん後者を選択せざるをえなかった。べんしていたわたしは然として六大悪魔との契約を遂行した。刹那かいわいの風景はひようへんし奇奇怪怪なるもうりようや奇妙れつなる髑されこうべがいや内臓などの団塊がかいなるたいふう状となって渦巻き完璧なる暗闇のなかにわたしはまきまれていった。猛烈なる悪臭のなかでうつぼつたるおう感に猛襲されたわたしがへんぽんとして正気をばんかいするとくだんの東京拘置所の運動場――すなわち『聖域』――にてきちよくしておりきようあいなる運動場の片隅には漆黒の背広をてんじようさせて滅紫の口唇でマルボロの煙たばこをくゆらせている中年男性の人影があった。いわく申しおくれたがおれがベルゼブブだと。

 わたしは運命の悪いたずらじゆした。

 七柱の悪魔のなかでうつぼつたる『しよくよく』を支配し巨億の『はえ』のきよかいとされるベルゼブブだと自称した男性は中肉中背のふうぼうで――中世にはベルゼブブは『はえ』でありながら『豚』であると研究されていた――白銀のほうはつをオールバックにし灰褐色のそうぼうは貪慾なるせんこうを明滅させほうじようなる腹部のぜいにくじようするように幾匹かのぎんばえこうしようしていた。――地獄でかいこうしたベルゼブブは巨大なる『はえ』の風采をしていて四肢にはかいなるナイフやフォークや鋭利なる刃物を掌握していた――ベルゼブブはせんめいたる人間のふうぼうをしていてきようあいなる運動場の片隅で威風堂々とマルボロの煙たばこくゆらせていたがやらたる監視塔にちつきよしている監視員には無色透明の存在として勘付かれていないようであった。ようなわたしのさいしんを看破したのかほうじようなるベルゼブブは――風采に似合わない――いんぎんなるこうふんで説明した。いわくおれの『にくたい』はえいごう不滅の神霊によってあの地獄に幽閉されている。このにくたいは光の屈折による幻影にすぎない。あんたには明瞭だろうがほかの人間には虚空同然だと。べんしたわたしは――ふんぷんたるベルゼブブの悪臭におう感をじやつされたせいもあるが――あと退ずさりした。ごうとなった一本目の煙たばこほうてきしたベルゼブブは灰褐色の二本目の煙たばこを掌握ししやくねつえんも存在しないのに繊細なる煙たばこの先端を燃焼させまたいんぎんれいに煙たばこくゆらせはじめ豪放らいらくたるこうふんでわたしにしようじゆした。いわくあんたはこれから現世に存在『しなかった』人間になってもらうと。安心しろあんたは二千五百年前のすいへとしようし人類の歴史をひようへんさせる運命にある。ひつきようおれたちとの契約が完遂されればまた二千五百年後に――というのもこちらの都合があるんだが――この現在に生還させてやろうと。

 わたしはけつするしかなかった。

 ベルゼブブと盟約したわたしは早速六柱の悪魔たちとの契約どおりりようえんなるすいへとまいしんすることとなった。きよくてんせきのわたしがベルゼブブの説明に首肯すると滅紫の煙霧をてんじようさせた煙たばこほうてきしたベルゼブブは威風堂々とわたしに肉薄してきた。べんするわたしのあしもとで漆黒の魔法陣が明滅しかんたるベルゼブブとともにその中枢にちよりつすると巨億のぎんばえたいふう状に発生し隣接したわたしとベルゼブブは暗黒のなかにまきまれた。刹那ばんこくぎんばえは白銀のきゆう窿りゆうへとこうしようしてゆきかいわいにはほうはくたるこうとそれをじようするたるさんれいへんぽんとしながら出現した。まんさんたる足取りでわたしが喫驚しているとこうしようしたベルゼブブはおうようとして説明した。いわは紀元前五六二年のこくへきすうだと。いまにむかっているのは聖人孔子の父親だと。あんたにはあの青年を抹殺し孔子の存在を隠蔽してほしいのだと。無論たる人類の歴史をひようへんさせる契約だったがそれが殺人であることをさとったわたしはぜんとしてベルゼブブの要求を排斥した。ほうじようなるベルゼブブは微笑しながらつづけた。いわくあんたみたいな聖人君子が容易に殺人など出来るとは考えていないよと。いっただろう地獄に幽閉されているおれにとっては地上において自由に利用できる『にくたい』が必要なんだと。ひつきようおれの責任であんたが人殺しをすれば済むことなのさと。ぎようなるわたしのにくたいぜんたるわたしの精神にはんぎやくしてベルゼブブにきようどうされるがままに――ほうふつとするのも難儀だが――の青年である孔子の父親を絞殺していた。ほうじようなるベルゼブブは満足しさらに紀元前六五三年の楚国では思想家老子の父親を紀元前五九九年のネパールではしやぶつの父親浄飯王を其々縊殺刺殺した。

 わたしはざん念に猛襲された。

 すでに契約は遂行されていたのだ。

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