第五話「魔界の森へ先陣切るのは誰」

「ああ、そうだ。かあちゃん、ぼくの魂が置いてある場所、知ってるかなあ」


 則蔵のりぞうが丸い顎に指をそえて宙に顔を向けた。


「気にしない気にしない、ノリゾーよ。

 見つけたらまたコンビニの袋に入れて冷蔵庫へ保管してくれてるって」


「ああ、そうかあ。

 やっぱしコンビニの袋って偉大だなあ」


 魂の抜け殻と化したむつみを、今度は刀木かたなぎがその腕を掴んで、カタナギんちゃん号の停めてある地点まで引きずっていくのであった。


 ~~♡♡~~


 県道から折れる、アスファルトのない土道が碁盤の目のように、土手山周辺に敷かれている。


 ここらが土管味ヶ丘どくだみがおかなる開発途上の一角だ。

 問題の『禍桜まがざくらの森』は、その区域の中央辺りに緑色のドームを造っている。


 カタナギ・ビューティの社用車は森の脇にある土道に駐車されており、むつみたち三人は車内において重要会議の真っ最中であった。


 多分、会議だと思われるが違うかもしれない。


「キャバクラ、キャバクラってバカのひとつ覚えみたいに。

 そんなんだから、いい歳こいて独身なのよ」


 毒づくむつみ。


「わたしが独身なのはこの際置いといて。

 でもむっちゃんが聴いてきたっていうその都市伝説さあ、ノリゾーはどう思うよ」


 後部座席で則蔵も、腕を組みながらうなずく。


「しゃ、社長はキャバクラがなければ、あの世へ旅立たれるかもしれないんだあ。

 回遊魚が、止まったらポックリ逝っちゃうみたいに。

 だから社長は、マグロが眠りながら泳ぎ続けるみたいに、キャバクラへは睡眠を削ってでも通わないといけないんだ。うん、マグロ」


「いやあのね、ノリゾー。

 わたしのことはいいから。

 その前に訂正しておくけど、わたしはマグロでもアンコウでもないのよ。

 いたってどこにでもいる、普通のキャバクラ愛好家ってだけよ。

 性欲だって、あなた、同年齢の男性と同じくらいだし」


 むつみは思わず刀木から身を遠ざけ、構えた。


「せ、性欲の塊ですってえっ!

 あたしの操が、まだ見ぬ永遠の恋人に捧げようと大切にしている操がっ。

 ああ、神さま!

 どうかここにいる淫魔インキュバスからあたしをお守りくださいっ」


 刀木は、がっくりとハンドルに上半身をもたれさせる。


「ちょっとねえ、おまえさんたち。

 わたしは真剣な話をしておるのだよ」


「あたしだって真剣よ。

 だって目の前にヒトに化けた淫魔がいるのに」


「ぼ、ぼくも真剣だあ。

 だって社長が、誰彼かまわずに性欲を満たそうと考えていたなんて。

 はっ、まさかぼくもその対象として見られていたのか!」


 むつみは振り返って則蔵と顔を見合わせて、うん、とうなずく。


「そ、それで淫魔社長」


「だから、わたしは歳相応の性欲、ゴホン、いや、もうそっちの話はどこか遠くへ投げてくれないかしらねえ。

 で、なにかな。超平凡なわたしに」


「ええっと、むつみさんが聴いてきたっていうお話なんだけども。

 な、なんだったっけ。

 昔のことは鮮明に覚えてるんだけど、さっき聴いた話は気づくとフッと忘れてるんだあ」


 刀木は不貞腐れたような顔つきで、むつみに顎で合図する。


「そうそう。

 あたしのクラスメートがこの近くに住んでいるの。

 それでこの森、『禍桜の森』って呼ばれてるんだけど、夜になると毒々しい真っ赤な花が咲き乱れてそこから蛇のような管が伸びて旅人を襲うんだって。

 いわゆる吸血花ね。

 なんでもその昔、この森で心中した身分の違う恋人同士が自害して、その怨念がこもったために周囲の樹木が化け物に変化したらしいの。

 ああ、身分が違うだけで一緒になれなかった二人の悲劇。

 涙なしには語れぬ、現代のロミオとジュリエット」


「えっ?

 むっちゃん、さっきわたしに話した内容と違うよ」


「うーんと、そうだ、若いカップルじゃなくて、老いたカップルの愛、でしたっけ」


「いや、もう完璧に話が変わっちゃってるわ、それ。

 たしか、桜の季節になるとどこからともなく妖怪が現れて、この森でドンチャン騒ぎするから、うるさくてかなわないってえ話じゃなかったっけ」


 真由ピーの語った『禍桜の森』に伝わる都市伝説は、いつの間にか大きくカーブを切って本道からそれてしまっていた。


「な、なんだかまったく、よくわからないんだけども。

 宴会をやってるなら、ぼくたちも交ぜてもらってタダ酒をいただくってのが、いいなあ。

 タダ酒ほど美味おいしいものはないって、かあちゃんはいつも言ってるし」


「おっ、ノリゾーくんから飲みたい宣言が出ましたぁ」


「いいわねえ。

 あっ、あたしはまだ未成年だったわ。残念」


「しゃべくりは、すっかり中年のマダム調なのになあ」


 刀木はひとりうなずく。


「悪かったですね、社長。

 それでどうするんですか」


「せっかくむっちゃんが楽しげなお話を仕込んできてくれたから、ついそっちの方向へそれちゃったけど。

 妖怪だろうと化け物だろうと、我々に託された使命はただひとつ。

 やるっきゃないっしょ。

 まだ実際にどんな家なのかは確認してないんだけどもさ。

 えーっと、ノリゾーよ。

 キャメラは後ろにあるよな」


 ごそごそと後部席で音がする。


「あ、ああ。いつも使ってるあの骨董品のカメラは、あるよ」


「それはねえ、前にお掃除したお宅から、もう要らないからってもらっちゃった由緒あるキャメラなのよ。

 で、フィルムは入ってるかい?」


「あ、ああ」


 いまどきデジカメを持っていないなんて、ウチの会社くらいよ。


 むつみは呆れるが、刀木の次の言葉に耳を疑う。


「じゃあ、わたしはここでだい執行に関わる書類を再度精査しているので、ノリゾーとむっちゃんで物件の写真を撮ってきてちょうだいな」


「はあっ?」


「はあっ、ってむっちゃん。

 写真を撮るのにいいオトナが三人も行く必要ないじゃない。

 いわゆる役割分担? 

 わたしはわたしで、やることあるしね」


 これは間違いなく逃げてる。

 さっきの都市伝説の話でビビってるんだ。


 むつみは半目になって刀木を見る。


「怖いんでしょ」


「えっ、どういうことかしらねえ」


「森の中へ入って、妖怪に襲われたらどうしようって震えてるんじゃないですか、社長」


 刀木は鼻で笑いながらも、視線を窓に向ける。


「ちょっとちょっとぉ、むっちゃん。いったい何をおっしゃっておられるのやら。

 三十歳みそじを越えたオトナのわたしが、妖怪が怖いなどと本気でお言いかい? 

 やれやれ、困った子ちゃんだ。

 なんなら、わたしがひとりで行ってきてもよござんすよ」


「じゃ、お願いします。

 あたしとノリゾーさんはここで待機してますから」


 むつみは刀木を挑発した。

 行けるものなら行ったんさいと。


 車窓を向いていた刀木は、肩をすくめて則蔵からカメラを受け取ろうと手を差しだし、途中でピタリと止まる。


「あっ! いや、忘れてたわ。

 代執行の書類に代行業者である我が社の印鑑を押しとかないといけなかったんだっけ。

 あらぁ、確か印鑑は持ってきたはずなんだけどなあ」


 額に手をやり、刀木は運転席に座ったままつなぎのポケットや、シートの下をまさぐり始めた。


「印鑑がないと、もし住人が居たときに対処できないからなあ。

 あらぁ、困ったなあ」


 ちらりちらりとむつみに視線を送る。


 結局理由をつけて行かないんじゃない。


「はいはい、わかりましたってば。

 あたしたちが行って写真を撮ってくればいいんでしょ」


「むっちゃんねえ。わたしは何も行きたくないからこうして印鑑ををしてるんじゃあ、ないのよ。

 そのあたりは勘違いしないでちょうだいな」


 ガシャッと助手席のドアを開けるむつみ。


「さっ、ノリゾーさん。ビビリの社長は放っておいて、現地調査してきましょ」


「あ、ああ。そうだな。ビビリの淫魔社長はここに置いとこう」


 則蔵は相槌を打った。


 つづく

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