第三話「三途の川を渡らせるな」

 少し離れたテーブルで、定食のお味噌汁を飲んでいた空手部の男子学生たち。


 ちょび髭野郎はむつみとあいちゃんんの叫び声に、ビクンッ! と身体が反応し、口中の熱い味噌汁が思いっきり気管支へ流れ込んだ。


「ブッヒョワーンッ!」


 口から飛び散った咀嚼そしゃく途中のお豆腐とワカメが、噴水のごとく汁とともにテーブルに飛び散る。


 肩を寄せ合うように定食をかきこんでいた猛者たちのトレイに、それはまんべんなく降りかけられたのであった。


 周囲で食事している学生たちは笑いをかみ殺しながら、憐憫れんびんの目を向けていた。


 ~~♡♡~~


 むつみは地下鉄が駅に到着するやいなや、まるで痴漢の冤罪えんざいを被せられそうになったサラリーマンがその場から逃げ去るような勢いで、ホームの階段を駆けあがる。


「はいはいっ! ちょっと、どいてちょうだいねえっ」


 自動改札口に並んでいた人たちの間をすり抜け、得意の横入りで改札を抜け出る。


 後方で非難の声が聞こえるが、知ったこっちゃない。


 ぐずぐずしていたら、今の時代に生きられないわよ。


 とことん身勝手な解釈で走り去る。


 運動はほとんどしないむつみであったが、毎日学食へ走ることと、カタナギ・ビューティのアルバイトで、いつのまにか体力が培われていた。

 もちろん本人は意識していない。


 地下から地上へ出る階段を勢いよく登りきると、スタンッと地下鉄出入り口でいったん止まる。

 大きな目ですかさず周囲をサーチした。


 あった。


 色の焼けたくすんだ白い車体に、子どもが泣き叫ぶ人食い鳥、カタナギんちゃんのマークの入ったハイエースが、道路を挟んで反対側に停車している。


 運転席で、刀木かたなぎが口を開けてうつらうつらしていた。


 バンッ! バババンッバンッ!


 むつみは親の仇のように、カタナギんちゃん号の助手席側のドアを叩く。


「ヒーッ、ごめんなさいっごめんなさい! もういたしません!」


 どんな夢を見ていたのか、刀木が飛び起きて両手で拝んだ。


「社ッ長ッ、早く開けてーっ」


「ハッ、どなたかと思えば、我が社のべっぴん財務部長」


 ようやく目の覚めた刀木は、ドアロックを解除する。


「むっちゃん、勉学お疲れさ」


「社長! ノリゾーさんはっ」


 刀木の挨拶を遮り、まくしたてるむつみ。


「えっ?

 ノリゾーは現地で調査中よ」


「じゃあ、早く!

 急いで!」


「いやいや、そんなにあわてなさんな。まだ午後二時半じゃあないですか」


「いいからっ。ほらあっ」


「ああ、危ないから!

 勝手にハンドルをいじらないで!

 それはワイパーだからっ」


 刀木はぶつくさと口元を尖らせながら、ゆっくり後方確認しアクセルを踏んだ。


「あなたみたいにさ、見てくれが可愛いお嬢さんは、なんていうかなあ。

 もっとお淑やかにふるまわないと。

 わたしの行きつけのキャバク、いや女性同席飲食店でもね、やっぱり人気ナンバーワンの女の子なんて、もう本当に清楚で気品があって」


「悪うございましたわね、出自が出自ですんで」


「だからあ、その言いかたなんかもね」


 むつみはイライラを身体全体からにじませている。

 チラチラと前方とむつみを見やりながら、刀木は首を傾げる。


「あっ、わかった。

 大学で思いを寄せてる男子にコクって、見事に撃沈ってか。

 むっちゃんはお顔だけ見ればホント可愛いのに。

 やはり性格がモノを言っちゃうのかなあ」


「はあっ?」


 大きなため息を吐くむつみ。


「社長の頭の中って、男女のやんごとなき秘め事で百パーセント占められてるんですね」


「あらっ、これはとんだ見当違いなことを。

 わたしの頭脳はね。常に激動する社会でいかに当社がイニシアティブを取りに行くか。

 そう、ビジネスに全身全霊を傾けておるんですよ」


「だったら、今回の案件がトンデモ案件だったってことも、当然把握されているんでしょうかしら」


「ふふん。無論よ、むっちゃん。

 あえて火中のウリ坊を拾う、オケツに入らずんば乞食を得ず、ってところかなあ。

 ところで、そのトンデモって、どういうことかしらねえ」


 むつみは正面を向いたまま、茶色がかった大きな瞳だけを運転席に向ける。


「なんですか、ウリ坊にオケツって。

 それよりもノリゾーさんが、もしかしたらすでにあの世へ行っちゃってるかも」


「ノリゾーは、ほら、元々アッチの世界へトンじゃってるヒトだからさ。

 今さらなにをおっしゃるのさ」


「社長」


「はいな」


「これ、マジなんです」


 車内を沈黙が包む。

 息の切れたような排気音だけがお尻から響いてくる。


「はい?」


 刀木はハンドルを握ったまま、むつみを振り返った。


「あの森は、チョーやばい異世界へつながる、絶対に人が立ち入ってはいけない場所だったんですようっ」


 しばらくして。


「エエーッ!」


 刀木の叫声きょうせいが口からほとばしった。


 ほぼ交通法規を無視したハイエースは国道を走り抜け、甲高いブレーキ音を響かせて『禍桜まがざくらの森』手前に到着した。


 ドアを蹴破るような勢いで飛び出すむつみ。


「ノリゾーさーんっ!」


 サイドブレーキを引き忘れたことを思いだし、あわてて運転席へもどり確認すると、刀木もむつみの後を追う。


「おーいっ、ノリゾーやーぃっ、三途の川の水は腹をくだすぞーっ」


 むつみは目前に広がる、うっそうとした森の手前で立ち止まった。


 ここが真由ピーの言っていた、悪魔の森ね。

 確かに薄気味悪いわ。


 秋の陽射しはむしろまだ暑いくらいなのに、むつみの両腕にふつふつと鳥肌が立っていた。

 遠くのほうで鳴くカラスの声が、さらに不気味さを増す。


「社長!」


「ノリゾーには、むっちゃんを迎えに行くから大人しく待ってろよって言ったんだけどな。

 どの辺りだったっけ」


 刀木は則蔵のりぞうと別れた場所を思い出そうと、腕を組む。


「あたしのクラスメートが、この近くに住んでるの。

 その子が言うにはね、ここは『禍桜の森』って呼ばれていて、近隣住民でさえ絶対に足を踏み入れないチョー危険な魔の森なんだって」


「だけど、あの弁道べんどうさんは一言もそんなことを言ってなかったよなあ」


「だからですよ。

 魂を抜き取られるような禁断の地に、自社の社員を行かせるわけないじゃないですか」


 二人は木立の周辺を歩き、顔をめぐらせながら則蔵を呼び続ける。


「あっ!」


「えっ?」


 むつみが指さす方向へ、刀木は首を伸ばした。


「ノ、ノリゾー!」


 則蔵の青いつなぎ服が、土道と草原の間にうつぶせで横たわっている姿を発見した。


 刀木はダッシュする。意外に敏速であった。


「おぉい、ノリゾーやぁい!

 もどってこーい!

 こっちの水は甘いぞぅ」


 むつみも倒れ込むように則蔵の横たわる草原に、両膝をついた。


「ノリゾーさんっ、ノリゾーさんってば! 

 お願い返事して。あたしたちを置いて、先にかないでっ。

 おかあちゃんが泣くよ。こんな子でも、おかあちゃんにとっては可愛いせがれ」


 刀木は重たい身体を渾身の力で仰向けにし、両腕で則蔵の五分刈り頭を抱える。


 むつみは涙と鼻水を垂れ流しながら、懸命に則蔵の身体をゆさぶった。


 やはり真由ピーの話は、事実であったのだ。

 憐れ、則蔵の魂は異界の花へ吸い取られてしまったのか。


「しゃ、社長、早く救急車を呼んでっ。

 今ならまだ三途の川付近でボソボソと独り言を唱えてるかもしれないから。

 社長、早く」


 刀木は眉間にしわを寄せたまま、首をふった。


「いや、むっちゃん。救急車は必要ない」


「えっ、じゃあ、霊きゅう車!」


 伏せていた刀木の顔が、むつみを向いた。


「こいつ、いびきかいて寝ていやがる」


 カァッ、カァッ、カラスの鳴き声が青い空から聞こえてくる。


 むつみの、涙と鼻水でくちゃくちゃになった顔を見て、刀木はつなぎのポケットから丸まったハンカチを取り出して渡した。 


 いつ洗濯したのかは定かではないそれを受け取り、むつみは思いっきり鼻をかみ、再び刀木に返した。


 無言で受け取った刀木は、ジッとそのハンカチを見つめ、ポケットへもどした。


 ぐうぅぅっ、くかぁぁ、則蔵の気持ちよさそうな寝息が、むつみの鼓膜を振動させている。


 つづく

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