第二話「学食で怪談を語る女子大生」

「ご、ご丁寧に航空図と地図のコピーを入れてくれてる。

 うん、逆さにして確認しても百パーセント、ここ」


「別に逆さにする必要はないけど」


「い、いや、石橋は叩いて渡れって、かあちゃんが言うんだあ。

 だからぼくは本屋へ行っても、必ず目的の書物は逆さにして何度も振るんだな」


「本を逆さまにって。

 別にへそくりや宝くじが出てくるわけないだろうに。

 まだ時間はあるしさ、ちょっと運動がてら一周してみっかな」


「うん、いい提案だな。

 社長もキャバクラ通うのに、た、体力をつけとかないとね」


「その通り。

 キャバクラ通いに必要なのは、銭ではなく体力なのだよ。ウハハハッ」


 しんと静まり返った木立の前を、お揃いの青いつなぎ服姿で歩き出す二人。

 円形の森は直径で一キロメートル強なので、周囲は約三キロになる。


 二人は一時間弱かけてゆっくりと周回した。

 秋の爽やかな空気が流れており、夏の暑さに疲弊していた肌を優しくマッサージしてくれる心地良さだ。


 刀木かたなぎはつなぎ服の袖をまくり上げ、胸元のボタンをひとつはずす。


「別にどうってことない、ただの森じゃないか」


「あ、ああ、普通の森だなあ」


 則蔵のりぞうの小さな目が、草むらに隠れるようにして倒れている板を見つけた。


「ええっと、社長」


「なによ」


「こ、ここに何か倒れてる」


「はあっ?」


 刀木はしゃがみ込んで、その板を確認する。

 幅三十センチに長さ一メートルほどの大きさだ。

 煮しめたような色合いで、さらには何やら墨文字が滲んでいる。


「なんて書いてあるんだか、朽ち果てちゃって読めないなあ」


「ど、どれどれ」


 則蔵もしゃがみ、眉間にしわを寄せた。


「わかる? ノリよ」


「う、うーん。

 だめだあ、理解不能だあ」


 刀木はふと気づいたように腕時計を見やった。


「おっ、そろそろむっちゃんを迎えに行かねばな。

 ノリゾー、行くよ」


 声をかけるのだが、則蔵はしゃがみこんだまま、ぶつぶつと独り言を繰り返している。


「おいおい、そんな板っきれはどうでもいいじゃん。

 地下鉄駅までお迎えに行く約束なんだから。

 ノリゾーやーい!」


 完全に自分の世界に入り込んでしまった則蔵。

 こうなったらテコでも動かないことを承知している刀木は、舌打ちした。


「しょうがない奴だなあ、ったく。

 おーい、わたしは迎えに行ってくるからな。ちゃんとここで待つんだよ。

 ノリゾー、わかったね」


 刀木は則蔵の大きな背中をポンポンと叩くと、カタナギんちゃん号に向かった。


 ~~♡♡~~


 むつみは大学前の地下鉄八事やごと駅で、下り方面の電車をイライラしながら待っていた。


 社長たち、大丈夫かしら。

 ったく、なんで二人ともスマホも携帯電話も持ってないのさ!

 いまどき小学生だって持っているわよ。ガラケーくらい買えるでしょうに。

 いやあ、そんなお金があるなら、キャバクラ行っちゃうんだもーん、なんてぬかすし。

 け、携帯電話の電波は身体に悪いって、かあちゃんが言ってた、ってノリゾーさんアンタは理系出身なんでしょーに。いつの時代の話をしてんのよ。


 頬を膨らませながら、心の中で悪態をつく。


 ああ、真由まゆピーが教えてくれた話が本当なら、とんでもない案件を掴ませてくれちゃたわね、あのベンドンって男は。

 やっぱり人は見かけよ、お父さん。

 あんな目つきをした男を信用したあたしたちが、とんだオマヌケだわ。


 フアーンッ、警笛が鳴り構内アナウンスが流れて地下鉄が入ってきた。

 むつみはスマホを取り出して時間を確認する。

 現在午後二時十五分。

 平針ひらばり駅までは約十分。約束の二時半には充分間に合う。


 電車内はサラリーマンや買い物帰りの主婦、制服を着た高校生たちも乗っており、座席はすべて埋まっている。


「はい、ちょっとごめんなさいねぇ」


 むつみは女子高生たちが座っている横列シートに、無理やりお尻から割り込んだ。

 両隣の女子たちは、あからさまにイヤな顔つきになった。


 高校生なんてまだ若いんだから、立ってなさいよね!


 むつみは、フンと顎を上げて何食わぬ顔をする。


「おばあさま、おばあさま、こっちですぅ」


 手を口元に当て、むつみは斜め前に立つ和服のご婦人に声を掛けた。


「ここにお掛けくださあい」


 むつみは立ち上がると、近づいてきた白髪の老女は驚いたような表情を浮かべ、丁寧にお辞儀をし、そっと腰を降ろした。


 あたしは座りたかったわけじゃないのよ、ピチピチのあなたたち。

 目の前にお歳を召したかたが立っていらっしゃるのに、席を譲らないからさ。

 あたしが悪役を買ってでて差し上げたのよ。


 むつみは高校生たちを見据えながら、フウッと息をつき、学食で真由ピーから聴いた話を思い出していた。


 ~~♡♡~~


「あの『禍桜まがざくらの森』はね、絶対に近寄っちゃダメな場所なの」


 やけに声のトーンを落とした真由ピーは、辺りをこっそりとうかがうように語り始めた。

 学食のざわめきがそのテーブルの頭上を交差していく。


「そのマガザクラって、なに?」


 あいちゃんの素朴な疑問に、真由ピーは下からのぞき込むように二人を見やる。


「禍桜ってのは、そこの森にしか生えていない異界の樹木。季節に関係なく気が付くと桃色の花が咲いているの」


「じゃあ、年中お花見でドンチャン騒ぎができるのね」


 ノーテンキなむつみの言葉を無視し、真由ピーは続ける。


「一見するとヤマザクラの花なんだけどね。

 ところが深夜二時になると」


 ここで間を置く。

 怪談師の語りを真似してみる。


「花のなかに小指の先ほど小さなヒトの顔が現れて、引きつったようなわらい声を上げるのよ。

 それも何百、何千って咲いた花すべてが!」


「いやーん! 怖いっ」


 あいちゃんは自身の両肩を抱いた。


「ヒッ、ヒッ、ヒイイィィッ、って嗤うのよ。

 たまたま近くを通ってしまった旅人は、その声に精神を乗っ取られて、その場に立ち尽くしたまま同じようにヒッ、ヒッ、ヒイイィィッて嗤い続けるのよ。

 それでそのまま魂を抜き取られて、新しい花になるんだって」


 あいちゃんは両肩からを抱いていた手で、イヤイヤをしながら顔を隠した。

 この反応に真由ピーは快感を覚える。

 怪談師の気持ちがよくわかる。


「えっ、それってなんだか都市伝説みたいね」


 むつみはやっと気づいたかのように、頬張っていたトンカツを飲み込んだ。


「はあっ? 今さら、って感じなんだけど。

 まあ、いいわ。

 しかもよ。

 その森の奥深くに、一軒だけ家が建ってるの。

 代々その森の地主が住んでるんだけど。その地主を見た人は誰もいないの。

 男なのか女なのか、わかっているのは独り暮らしだってこと。

 さらにあろうことか、その地主は悪魔崇拝の邪教に心酔していてさ。

 禍桜もその地主が植えたともささやかれてるのよ。

 深夜になると聞いたこともないケダモノのき声が、森の奥から響き渡ってくるそうよ」


「その地主さんは、花に魂は抜き取られないのかしらね」


 むつみの質問に、真由ピーは眉を八の字にした。


「ってむつみ。

 その家へお掃除しに行くのよ、あなた」


「はっ?」


「はっ? じゃなくて。

 だいたい土管味ヶ丘どくだみがおかって、まだお家なんて一軒も建っていない未開発地区なのよ。

 お掃除する家は、だからその『禍桜の森』の奥にある家しかないんだって」


 口を半開きにしたまま、むつみは脳みそを食事モードから思考モードへ急いで切り替える。


 仮に住人がいたとしても、だい執行の令状書があればお掃除はできる。

 でもその住人があくまでも普通の一般人であったらという、極めてまっとうな大前提の元にだ。


 ところが。


 えっ、なんだって? 


 上半身がグラリと傾いた。


「つまりは、あたしたちは恐怖の花が咲き乱れる森へ乱入して、自分の魂を賭けて邪教の信者さんの家をお掃除してくる?」


「おわかり? そういうことよ」


 ガヤガヤとにぎやかな学食にあって、女子三人が占拠しているテーブルだけがシーンと静まりかえった。


「デエェェッ!」


「ギャーッ!」


 むつみの絶叫に、驚いたあいちゃんが悲鳴を重ねる。


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る