第二章「鶏頭よりも牛後を選ぶ安心感」

第一話「奇策に打って出る」

「ははあん。よもやあたしのバイト代にプラスして、この小汚い事務所のお家賃も滞納なさっておいでなのね、社長」


 がっくりとうなだれる刀木かたなぎ


「そんなワザとらしく落ち込んだフリしている時間があるんだったら、お得意のクライアント回りをしてきたらいいじゃないですか」


「きょ、今日はキャバクラが臨時休業日なんだあ」


「なんでノリゾーが、そんなことを知ってんだよう」


「えっと、よくは知らないけど。

 しゃ、社長が喜び勇んでお出かけして、肩を落として事務所に戻ってきた日を、ぼくはすべて記憶しているようなんだあ。

 そこから計算すると、今日は月に一度の休業日のはず。

 あれ?

 どうして記憶しているんだろ。

 これはやっぱし、真冬も毎朝四時に起きて乾布摩擦しているおかげかな。

 かあちゃんがそう言ってた」


 これはマジで会社の危機到来だわね。


 むつみは眉根を寄せ、腕を組んだ。


 辞めるのは、はっきり言えばいつでもできる。

 どうせアルバイト代金もろくに払えない会社なんだから。

 ただそれはしたくない。


 社長や則蔵のりぞうに悪いから、などと同情心はこれっぽちもない。

 いや、ほんの少し、小さじ五分の一程度はある。かもしれない。


 それよりもこんな中途半端で、投げ出してしまうことが嫌なのだ。


 当初はなんで人の家をお掃除しなきゃいけないのか、とむつみは多いに疑問を持っていた。


 だがお掃除業者に依頼する以上、素人には手の施しようもないほど部屋が汚れているのが実際であった。


 キッチンの油のこびりついた換気扇やシンク、カビが我が物顔で帝国を築いているバスルーム、鼻がもげそうなお手洗い、足の踏み場もないゴミ置き場と化した汚部屋。


 依頼人は、本当に困っていたのだ。


 普段からきっちりお掃除することができない人が、これほど世の中にはいるのか。


 むつみは驚く。


 朝から晩まで働いてクタクタになった身体で休日に片付けるなんて、ある意味理想論だ。だからそのお手伝いをする。


 もちろん報酬はいただくけど、それ以上に、綺麗になった部屋や水回りに喜んでくれる依頼人の笑顔はすこぶる快感であった。

 この手で汚れをすべて拭い去ってあげたんだという、満足感があった。


 これからの世の中で、お掃除業は絶対に重宝される。


 お掃除業にかける意気込みが、むつみの胸の中に起きつつあったのである。


「今さら広告出しても間に合わないし、飛び込みで営業をかけるしかないんじゃないの」


「そうだよなあ。

 わたしには似合わないけど、地道にコツコツとお宅訪問でもすっかなあ」


 もう一度、「ふうっ」と肩で息をする刀木。


「ノリゾーさん」


 縫い終わりかけなのか、則蔵は針の先端に糸を巻きつけている。


「旧帝大出身の頭を使って、なにか打開策を考えてよ」


「むっちゃん、こやつは卒業じゃなくて中退。

 いくらお国が創ったでっかい大学と言えどもよ、中退と卒業じゃあ、あなた」


「あああっ、そうだったあ!」 


 則蔵がいきなり叫びながら立ち上がったため、二人は腰を抜かしそうになる。


「寄らば大樹の影だって、かあちゃんが言ってたんだ!」


「いや、ノリゾーさん、意味がまったくわかんないんですけど。

 打開策になんで大樹がでてくんのよ」


「オオオオッ、そうかあっ!」


 今度は刀木が大声を張り上げた。

 むつみは今度こそ腰を抜かした。


「こ、腰がぁ、腰が抜けたぁ」


「そうだよ、ノリゾーちゃん。その手があったじゃないか。

 いやあ、さすが国立大学で学ばれた優秀な頭脳の持ち主だ。

 うんうん、なるほどねえ」


 暗雲立ち込めていた表情に、雲を割って輝く太陽が、サンサンと刀木の顔に差し込んできたようだ。


「えっ、社長、打開策が見つかったの?」


「ふっふっふわっはっはあっ、ときたね。わたしの明晰な頭脳にキラリンコと一筋の光が、差し込んできたね。

 神はこの刀木に、生きろとお命じになった、つうことですよ」


 片眉をつり上げ、ニヒルさを演出する。


 だがむつみには、ドラマで小悪党が最後の悪あがきをしようと、ショボくれたアイデアに酔いしれているようにしか映らなかった。


 ~~♡♡~~


『おっそうじするの、パパママ苦手ぇ、それなら電話、任せて安心っ、家庭の味方、沖田ソウGソウジーへ、今すぐお電話くださいなっ』


 ポップなメロディに乗せて、安直な歌詞が流れている。


 ナゴヤ市なかさかえの目抜き通りに建つ、豪奢ごうしゃな十階建てビル。


 屋上には赤地に白抜きの「清」の文字、下部には白のダンダラ模様が入った巨大な看板が取り付けられていた。「清」の文字が「誠」であれば、幕末にその名を轟かせた旧幕府軍の武装組織だ。


 ビルの自動ドアを抜けると、先ほどの歌声が聴こえてくる。常に館内放送で流されているようだ。


「ははあ、ここがお掃除業界のトップに君臨する、あの沖田ソウジ本社ね」


「い、いやあ、むつみさん。ソウジ、じゃなくて、ソウジーって引っ張るんだあ」


 則蔵はジーの部分を、指先を上げながら説明する。


「二人とも、卑屈になるこたあないからな。でかいと言っても、たかだか全国に二百店舗を展開しているに過ぎない。

 ふふん、いずれ我が社がここを吸収合併して差し上げるんだから」


 零細企業のさらに下の下でもがくカタナギ・ビューティの三人は、社の制服である青いつなぎ服姿で受付前に立っていた。


 むつみはまるで外国企業のエントランス風のビル内に、キョロキョロと物珍しそうにアーモンド型の目を動かす。


 高級革ソファ数脚、むつみよりも背の高い観葉植物、大理石風の壁、そしてスーツを着こなした社員たちが颯爽と通り過ぎていく。


 たかがお掃除、と思ったら大きな間違いね。

 こんな立派なビルディングで働けるなんて羨ましいわあ。


 むつみは就職シーズンには、ここを真っ先にエントリーしようと思った。


 刀木はコホンと咳払いをすると、受付に座る黄色地のお洒落な制服を着た若い女性の前に立った。


「いやあ、やはり一流の企業で受付をなさる女性は、洗練されていますなあ。

 玄関を入って、すぐに貴女の美しさに眩暈めまいを覚えてしまいましたよ」


 受付女性は白い歯を見せる。


「いらっしゃいませ。

 ご用件をこちらで承ります」


「きみに会いに来た、なんて言ったら驚くかい」


「ご用件を承ります」


 刀木を見上げるその顔は、口角筋は仕事柄常に上がっているものの、長いまつ毛の下の目はまったく笑ってはいなかった。


 むつみは目ざとくその表情を確認すると、横から顔を出した。


「あっ、突然で申し訳ありませーん。

 あたしたちは、カタナギ・ビューティの者なんです。

 こっちで意味不明な発言をしている男は、特殊な不治の病いに侵されているので無視してください」


 刀木は「ちょっとお、なによその言いかたは」と眉間にしわを寄せた。

 それに構わずむつみは続ける。


「えっと、今日はこちらの社長さんに用事があってやってきました」


「社長、でございますか。

 失礼ですが、アポはお取りいただいておりますでしょうか」


 グイッと刀木が身を乗り出す。


「大丈夫大丈夫。社長に、カタナギ・ビューティのCEOが出向いてきたって言ってくれれば、すんなりどうぞってわけ」


 受付嬢は表情を一切変えずに、受付台のパソコンを操作する。


「お客さま、あいにく社長は出払っておりまして」


 直後、スーッと入口の自動ドアが開きスーツ姿の数名が社内へ入ってきた。


 先頭の若い男性は高級そうな三つ揃いの良く似合うスラリとしたイケメンであり、長い脚で優雅に歩いてくる。


 三十歳前後であろうか。

 やや長めの髪は、清潔感あふれるシャンプーの香りが漂ってきそうだ。


 目尻がやや下がっているものの、大きな瞳には自信に満ち溢れた者だけが放つ、凜とした光が宿っている。


 あら、かなりタイプかも。


 むつみはデヘヘと目元を細めた。


 つづく

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