第十七話 『青年と騎士』
「何だあれは……」
その常軌を逸した光景に、クラウディアは呆然と呟くしかなかった。
二時間程前に決死の覚悟で掲げられた彼女の剣は結局振るわれる事無く、今はだらりと力無く垂れる腕に所在無さ気にぶら下がっている。
状況は覆された。僅か三十人の人間達の援軍によって。
確かに人間達の力は強大だ。古に失われた
その力を以ったとしても、二十や三十と言う僅かな人数によって戦況を覆せる程では無い。
少なくとも二百以上の隊伍を組み、彼女達騎士団と連携を取り合わなければ
しかし、彼らの登場から僅か二時間余りで繰り広げられた光景は、クラウディアの常識を覆す、ある種の悪夢ですらあった。
「何なんだあれはっ!!
崩れ去ったのは常識かプライドか。御し切れない複雑な感情を含んだ激昂だ。感情の昂ぶりに当てられて、彼女の猫耳が逆立つ。
「お嬢、落ち着きなさいってば」
「グリム……従軍神官として貴殿も指揮課程を修めているだろうに。アレを見て何も思わないのか!?」
「あー、俺そういうのは真面目に受けてこなかった不良生徒だったもんで」
そううそぶいた肩までかかる銀髪の青年は、王都レスタリアに活動の拠点を置く神霊教会から派遣された従軍神官の長である。クラウディアと大して歳の違わぬ若輩であるが、司祭の位を与えられた優秀な神聖術師でもある。狼のような耳とぼさぼさの尻尾はクラウディアと同じ獣人である証だ。
グリムと呼ばれた青年は目を細めて戦場を見つめていた。
結果は当然『彼ら』の勝利だ。
戦況は既に終局を迎え、残存するクォーツの掃討戦に移っている。
「不良神官でも、亜人としての常識に照らし合わせて考えてみればアレの異常さくらいは分かりますよ。人間……特にユネちゃんやアルフちゃんは確かにとんでもない強さですけど今回の彼女達の強さは異常です――それこそ魔性の類だ」
増援部隊は上空からの魔術による砲撃の後、『風見鶏のとまりぎ』駐屯部隊の反対側に降下した。彼らは三十分程の時間をかけて戦場を横断し、さしたる損害を出す事も無くクォーツの真っ只中で奮戦していた駐屯部隊と合流。
戦場の中心部をゆっくりとした歩みで進んだ彼らのお陰でクォーツ達の注意はそちらへと向き、騎士団は体制を立て直すどころか攻勢へと転じる事さえ出来た。
合流して五十人弱となった彼らはその集団のまま進軍するかと思えたが、そこでありえないことが起きた。
分裂したのだ。四人一組から成る十二の集団に。
そこからはクォーツ達にとってまさに悪夢だった。四人のグループに分かれ機動力を増した彼らは、家屋の柱を食い荒らす白蟻の如くクォーツの集団の中を縦横無尽に這い回ったのだ。
囮として忙しなく動き回る部隊もあれば、囮が集めたクォーツ達の集団を一斉に殲滅する魔術師主体の部隊もあった。機動力重視で戦場を掻き回す部隊の足がクォーツ達に止められれば、頑強な要員を揃えた別の部隊がフォローに入る。
騎士団の直近に存在していたクォーツでさえ、彼らの戦列でも余裕を持って対応できるように細切れの集団に分断され、それでも危険が迫った際には絶妙なタイミングで加勢が入った。
彼女らにとってそんな神がかり的とも呼べる策謀が、この戦場のあらゆる場所で何度も同時に成されたのである。
「あんな気味の悪い用兵は、リィンベル殿達が存命の時ですら見る事はできなかった……」
クラウディアの脳裏には、とある人物の姿が思い描かれていた。
人間のみならず獣人にさえも影響を及ぼす絶大なカリスマと、ユネやアルフレドさえも凌ぐ程の卓越した力を併せ持った人間の少女。
その少女の名前はリィンベル。
フォルセニア大陸に数十ほど存在する人間達の
そこでクラウディアは思い当たる。
『――響ちゃんがいればこんなのヌルゲーなんだけどな』
かつてリィンベルやユネ、その他大勢の人間達が口にしていたとある人物の事に。
「まさか、あの方が……?」
「んー、やっぱりお嬢もそこに行き着きますかー。いやね、俺もあれだけのことをやらかせるのは、もう『机上の君』しかいないんじゃねーのとか思ってたりして」
眉唾モノだったと思ったんだけどなーとグリムがぼやいた。
『机上の君』とは、北方騎士団の中でのみ通じる一種のスラングだ。
その単語は個人としての練達の極致にあるリィンベルやユネから無二の信頼を置かれていた一人の人物のことを指す。彼はリィンベルが死に等しき眠りに墜ち、『風見鶏のとまりぎ』が窮地に立たされた時でも一向に姿を現すことは無かった。
結局の所、それは苦境に苛まれる人間達が創り出した幻想ではないのか――そんな認識を持った騎士団の面々は何時からか、その人物のことを机の上で描かれた架空の人物――『机上の君』と呼ぶようになっていた。
人間達が再び目覚めてから四年。リィンベルが死の淵に墜ちてから三ヶ月。リィンベルとユネの戦友とも呼べるべき間柄だったクラウディアでさえもその存在に疑問を抱き始めていた頃だ。
「まさか実在するとでも言うのか……」
それは『風見鶏のとまりぎ』の人間達から、『最弱の廃プレイヤー』、『ゲスマント』、『もげるべきサブマス』と称される人物。傍から聞けば散々な言われようだ。
しかし、人間達は彼の者について言を述べる時、最後にこう付け足す。
数多の軍功を上げ万斛の賞賛に彩られたギルドマスター・リィンベル。
その光のような存在の在り様と背中合わせの対存在。
日陰に在り、表舞台に上がること無くギルドを支え続けた影の英雄。
即ち『日陰の軍神』と。
暫くの後、クラウディアとグリムの下に伝令兵が駆け寄って来た。
「騎士団長殿と従軍神官長殿に申し上げます!」
「ああ、頼む」
「人間……ギルド『風見鶏のとまりぎ』の指揮官の方が、団長殿にお目通り願いたいと!」
「指揮官……やはりユネ殿では無いのか?」
「いえ、ユネ様もいらっしゃるのですが指揮官は別のお方……何と言うか奇妙な風貌の――いえ、見慣れないお方で……」
「あぁ、やっぱりなぁ……やっぱりねぇ……そうなのかぁ……」
伝令兵が言いよどむ前で、グリムが何やらぼそぼそと呟いていた。
彼は半眼でクラウディアに釘を刺す。
「お嬢、頼みますよ? 常識やらプライドやらが呆気無く崩れ去ったのは分かりますが、さっきみたいなイライラは無しの方向で。ユネちゃんやアルフちゃんのような『ふぇろー』はこっちの無茶な要求をほいほい呑んでくれますけど、リィンベルちゃん達のような『ぷれいやー』は食わせ者が多いんですからね。俺は立場上話せないんで頼みますよ?」
「ああ、任せろ」
「うわ、その根拠の無い自信……さすが脳筋」
「褒めるな。気持ち悪い」
グリムの言った単語が人間達のスラングだとは知らないクラウディアが頷く。
そんな彼女の猫耳に少女の声が聞こえた。
「クラウさーんっ!!」
一人の少女が彼女に向かって駆け寄って来る。
二時間弱とは言え、敵軍の真っ只中で三千体に迫るクォーツを屠ったはずだ。それなのに傷も負っていなければ大した疲れも見えない。さすがだとクラウディアは感心した。
「ユネ殿……この度の加勢に心からの感謝を。そして貴女方の誠意を無下に、無断で戦端を切った事について謝罪を――ってわぷっ!?」
「良かったクラウさんっ! 無事で本当に良かったですっ!!」
クラウディアがみなまで言い終える前に少女が抱きつき、二人のそれなりに豊かな胸が合わさった。彼女の首に縋り付いた少女の赤い瞳には涙が浮かんでいた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 本当に――本当に貴女はユネ殿なのか!?」
「はい……? 私はユネですよ? 本当に本物です」
この世の物とは思えない不思議な色の長髪に、神秘的な色を湛える紅の瞳。武人としてはあり得ないほどの頼りない体躯の少女。
腰に下げているのはその神がかり的な腕前に相応しい、神代に鍛造されたと言う古の銀剣。在りし日、大切な人から贈られたと言うぼろぼろの赤いマフラーもそのまま――紛れも無く彼女が良く知るユネの姿だった。
ユネは物静かで危うげな少女のはずだった。平時は物静かに佇み、戦場においては瀕死の傷を負いつつも凄絶にクォーツ達と戦う――リィンベル達が居た時期はそのなりは潜めていたが――そんな静寂と苛烈さが同居したような危うい少女だったはずだ。それこそ団員達が見ている前で自分に抱きつくような性格ではない。
「なぁ、ユネ様ってあんな感じだったか?」
「団長とユネ様の百合百合な展開……アリだと思います!」
「うわー、生き残ってよかったわー、俺今回の褒章いらんわー」
「貴様ら! 私はともかくユネ殿は見世物では無いぞ! 散れっ散れっ!!」
牙を剥いて威嚇すると、騎士団の面々は蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。
戦闘前の悲壮なまでの決意は一体どこに行ったのか。基本的に獣人という種族は能天気な者が多いのである。
軽くため息を吐いたクラウディアは、そこでもう一つの声を聞いた。
「ユネー……右も左も分からないのに先に行っちゃうなんて酷いよー……ってその人が団長さんかい?」
その人物はクラウディアとユネを視界に収めると穏やかな口調で言った。
奇妙な人間だった。
ひょろりとした外見。武人には到底見えない。
魔術師、あるいは神聖術師かとも思ったが杖は携えていない。全くの無手だ。
数多の品物が飛び交う王都でも見たことが無い上下合わせの黒い装束の上には、少し煤に汚れた白い外套が引っ掛けられている。首に巻いた紐は不思議な色合いを持った金属製の留具で束ねられており、その留具には羽を広げた鶏のシンボルが刻まれていた。
首に抱きついている少女のマフラーにも、同じ象徴を象った金細工が付けられている。
それはこの戦を勝利に導いた集団のシンボルだ。
「こんにちは、始めまして。『風見鶏のとまりぎ』のヒビキです」
そんなクラウディアの混乱を他所に、青年は暢気にも聞こえる口調でそう言った。
「貴殿があのヒビキ殿なのか……?」
あのってどの僕なのだろう。
きっとりっちゃんやユネが、大言壮語で有ること無いこと吹聴したに違いない。
「ええ、ユネとアルフレドに代わって『風見鶏のとまりぎ』の代表を務めることになりましたヒビキ――ヒビキ・ナトリと申します」
「ナトリ殿か……これは失礼をした」
僕のプレイヤー名は『ヒビキ』だが、とりあえず名字も名乗っておくことにした。
レスタール王国の細かい礼儀や風習は分からないが、家名の有無で下に見られては後々困る。
「ヒビキで構いません。ギルドの皆にはそう呼ばれていますし」
「お気遣い痛み入る。先に名乗らせてしまって申し訳無い。私はクラウディア・ランスタット。ランスタット男爵家当主テオドール・ランスタットの一子だ。このレスタール北方騎士団団長の席を不肖の身ながら預かっている。この度の加勢、まこと感謝の念に堪えない」
そう名乗った女性騎士はこれまたえらい美人さんであった。
凛とした雰囲気に似合わずその容姿は意外と幼い。僕と同じか少し下くらいだろう。
ユネとは違う純粋な金色の髪はセミロングで整えられている。
身を包むのは申し訳程度の装飾が施された鈍色の騎士甲冑だ。重々しい全身装備というわけでは無く、防御力と動きやすさを両立した中量級戦士の標準構成のように見える。
材質は恐らく『レスタール黒鍛鉱』。腰に下げた鈍い銀色の長剣は『ロウ・ミスリル』製か。フォルセニア大陸の一般フィールドで採取できる素材の中では最上級の物である。EGF時代の物価で合計三十万クラース前後かと簡単に見立ててみる。
左胸には『レスタール王国聖騎士の勲章』というアクセサリーアイテムに良く似た金細工が下げられていた。近接系職業で御前試合クエストをクリアすると入手できるアイテムだ。ちょっと欲しい。
髪の色と同じ色を持った猫耳が身振りの度にぴこぴこと揺れている。それは咲耶やラシャのものとは違う自前のものだ。猫耳や犬耳を初めとする獣耳と尻尾は、レスタール王国の主要構成種族である獣人の特徴である。
獣耳と尻尾以外は人間と変わり無い。もっと体毛がもさもさしたのは『獣返り』という少数種族の特徴だ。
「男爵家……貴族の出でしたか」
「貴殿も貴族はお嫌いか? まぁ、男爵家と言っても安堵された領地は無い、吹けば飛ぶような零細貴族だからな。剣に油を挿せる程度にしか懐は潤っていない。不敬罪とやらで首が飛ぶようなことは無いから安心してくれ」
実にサバサバとした物言いだ。貴族と言うよりも武人と言った方がしっくりくる。
クラウディアさんは右手のガントレットを外すと僕に握手を求めてきた。その求めに応じ、僕は彼女の手を握った。
「む……」
「どうかしましたか?」
「いや、何でもない。失礼をした」
クラウディアさんは一瞬眉間に皺を寄せたが、すぐに表情を元に戻した。
自分の右手を確認してみるが特に変わったところは無い。大きくも無く厚くも無い一般的な男性の手だと思う。EGF時代と同じく、掌に残る古傷や受験勉強で出来たペンだこは消えている。
「貴殿の話は、かねがねユネ殿とアルフレド殿、それにリィンベル殿から伺っている」
「りっちゃ……リィンベルから?」
「ああ、リィンベル殿とは何度も剣を合わせクォーツとの戦いを越えて来た仲だ。あのような事態になってしまい、『風見鶏のとまりぎ』に数多の助力を頂いた北方騎士団を預かる身としては慙愧に耐えぬ」
そう言うとクラウディアさんは深く頭を垂れた。
「頭を上げてください。リィンベルが剣を取って戦ったのなら、こうなることも覚悟はしていたはずです。少なくとも僕が知る彼女はそういう人間でした」
慌てて彼女を制すが、彼女は顔を上げようとしない。
「そうはいかない。これだけは筋を通させてくれ。貴殿の大切な恋人であったリィンベル殿をあのような姿に――」
そんな彼女のとんでもない言葉に一瞬意識が飛んだ。
「いや違います。恋人違います。本当に違います。勘弁して下さいマジで」
超大事なことなので三回言った。
りっちゃん本人やまーくんに見られていたら指をさされて爆笑されていただろう。
「そうなのか? リィンベル殿が貴殿の事を話す時、これ以上無い信頼に溢れていたように思えたが。きっとお二人は懇ろな仲なのだろうと……」
「いや、リィンベルとはただの幼馴染です。それに僕の想い人はユネなので」
きっぱりと言い切る。
ずるずると回答を濁せば話が変な方向に転がることは昼ドラで学習済みだ。
「む……こ、これはとんだ邪推をした。戦場で聞くには不適当な話題だったな……『ふぇろー』であるユネ殿が『ぷれいやー』である貴殿に向ける信頼は主従関係のそれだと思っていた」
「いやまぁ、それはそれで合ってると思うんですけど……」
恋人同士? 父親と娘? 創造主と被造物? 主人と従僕?
はて、僕とユネの関係は如何なる物か。
ユネの方を見ると真っ赤な顔で何やら口元をもにょもにょさせていた。
「ねえ、僕とユネってどういう関係?」
「えっ!? それを私に聞くんですかっ!?」
まさか矛先を向けられるとは思っていなかったのだろう。ユネが素っ頓狂な声を上げる。
そんなやり取りをしている僕とユネをクラウディアさんが目を丸くして見ていた。
「重ねての問いで申し訳ないが、本当に彼女はユネ殿なのか……?」
「すみません……戦闘後で気分が昂ぶっているとは言え、お恥ずかしい所を」
「昂ぶっているか……とてもそうは見ないがな……」
片目を閉じてクラウディアさんが僕を見た。
これまでの和やかな雰囲気とは一転。それは射抜くような目付きだったが負の感情は込められていないように思える。
探られているなぁ、と思う。僕がりっちゃんやユネ達が吹き込んだ通りの人物か、彼女達北方騎士団が信頼を寄せるに足る人物か、あるいはその両方か。値踏みされているという感覚は、正直あまり良いものでは無い。
「まだ目覚めてですぐのコレでしたからね……と、そういうことにしておいて下さい」
僅かな皮肉を含ませてそう伝えると彼女は押し黙った。
「まぁ、前置きはこれくらいにして――」
と咳払いを一つ、本題を切り出す。
「アレ、どうします?」
僕は肩越しに背後の戦場を指差した。
戦況は既に決し、北方騎士団と『風見鶏のとまりぎ』の人員の半数が残敵の掃討に移っている。あと一時間程でそれも完了するだろう。
緩やかな丘の上に構築された北方騎士団の本営からは、戦場全域を含めたロスフォルの
EGF時代は
そして戦場の最奥には、この場において最も大きな構造物が屹立している。
高さ五十メートル、横幅と奥行は三百メートルほどの巨大な水晶の構造体。途方も無い数の水晶によって構成されているそれは、遠めに見れば大地に咲く睡蓮の花のようにも見えた。
それこそが
僕達がこの戦いに終止符を打つべく挑む場所だ。
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