第一章 軍神は二度目覚める

第一話  『彼女のいない世界』



「あれ、兄ちゃんどっか行くの?」


 玄関でむさいスニーカーの紐を結ぶ僕に、陽くんがリビングから首だけ出して聞いてきた。

 ラムネ味のアイスを口に咥えている。少し行儀が悪い。


「うんちょっと。なんか、りっちゃんが病院に運ばれたみたい」

「ぶほぉっ!? ちょっ、マジ!? 鈴姉ちゃんまた死ぬの!?」


 陽くんが口に含んでいたアイスからシャーベットを生成した。

 またって何だろう。確かに年一くらいで病院に担ぎ込まれているけど、全部徹夜続きの過労によるもので大したものじゃない。いつも慌てて病室に駆けつけると、点滴を打たれながら血色の良い顔で、もっしゃもっしゃと高カロリーの菓子パンを齧っている。もちろん即日退院。

 さすがに二十年近く付き合っていれば慣れるというものだ。


「そんな物騒な……おばさんもいつもの調子だったから、きっと大丈夫だよ」

「勉強めんどいし、俺も行ってもいい?」

「陽くん来年高校受験でしょ。お土産買ってきてあげるから、頑張って」


 僕の言葉に陽くんは口を尖らせる。多分病室に行けば、もうりっちゃんは目を覚ましているだろう。病院だしあまり大人数で押しかけて騒ぎ過ぎるのも良くない。


「じゃあ僕は行ってくるからね。あと、床はちゃんと拭いておくこと」

「へーい」


 雑巾を取りに洗面所に消えていく陽くんを見送ってから、僕は自宅を後にした。






「うーっす、響ちゃん」

「おはよう、まーくん」


 自宅の門を開けて歩道に出ると、早速背の高い青年に声をかけられた。

 筋骨隆々とは行かないまでも、陸上競技で鍛えられた身体はよく引き締まっている。いわゆる細マッチョ。もやしっ子の僕としては少し憧れる。

 彼の名前は支倉はせくら正樹まさき。通称『まーくん』。僕の幼馴染そのいち。父親同士が自宅近くの親友だったので、生まれてからかれこれ二十年来の付き合いになる。


 まーくんに、僕こと名取なとり響一きょういち。今は不在の幼馴染そのに、綾瀬あやせ鈴子りんこを含めた三人がいつものメンバーだ。綾瀬鈴子は、現在渦中の人である『りっちゃん』その人である。


 二十歳にもなって、互いの呼び方は『まーくん』、『りっちゃん』、『響ちゃん』で固定されている。さすがに、幼稚園から続くその呼称に恥ずかしさを覚えた時期もあり、『マサ』、『リン』、『キョウ』に改名しようという動きもあったのだが、逆にそっちの方が恥ずかしく思えたので今もそのままだ。


「いつもの病院で良いんだっけ?」

「うん、鹿山総合病院の803号室。おばさんはもう着いてるって」


 こめかみに装着したVRデバイスに手を当てて、おばさんから送られたメッセージを確認する。

 視界の中央に現れた透過度の高いウィンドウには、『鹿山総合病院803号室にいます』と言うメッセージが表示されていた。


 このVRデバイスは、2020年代後半から一般化されたER(拡張現実)に加え、ここ十数年で完全に一般社会に浸透したVR(仮想現実)に接続するための機器だ。

 チョーカーとイヤーフック型のイヤホンを首後ろで繋いだような形で、両側のこめかみと脊髄に密着させた素子から、生態波の受信と擬似生体波の発信を行い、ER空間への展開及びVR空間への没入を行う。

 最低限の電算処理機能は備えているため、テキストアプリケーションやネットブラウジングなどの基本的なアプリケーションはVRデバイスだけでも使用可能だ。もっとも、大容量のメディアコンテンツやVRゲームなどを楽しむためには、処理速度に優れたマシンに接続する必要があるので、まだまだ発展の余地はあると言えるだろう。

 このVRデバイスは既に二十年ほど前に市販化され、現在では道行く人々のほぼ全てが装着している。もちろん僕もまーくんも。


 メーラーをバックグラウンドに退避させ、市営バスの時刻表を開くと、生憎次の便の到着には二十分以上時間がかかるようだ。

 バスで行くことも出来るが、徒歩でも三十分程度の距離だ。郊外の住宅地だから道幅は広くても車通りは少ない。梅雨の時期にしては珍しく天気も良いので、のんびりと歩いて行くことにした。


「んで、今回は何が原因なんだろうな。新しいネトゲ?」

「それが分からないんだよね。三日前の夜、チャットで話した時はそんな素振り全くなかったから……」

「あいつリミッター壊れてるからなぁ……面白いことを見つけると自分でアクセル叩き壊すタイプだし」


 りっちゃんという女の子を一言で表すならば、『バイタリティに溢れすぎた人』だ。

 何かにハマると、寝食を忘れてそれに延々と没頭する。それこそ過労で倒れるまで。ある店のコロッケを美味しいと思えば、一ヶ月くらいずっと同じコロッケを食べ続ける。そんな女の子。


 過労と言っても、睡眠不足によるバッテリー切れのようなものだから、そんなに大事ではない。病院に担ぎ込まれて、点滴を打ってから即日退院というのがいつものパターンだ。

 今回もその事例に違わないだろうということで、僕にもまーくんにも危機感は全く無かった。


「壊すのはブレーキじゃないんだ……」

「だってブレーキは昔っから俺と響ちゃんだろ? たまに壊そうとするけどな」

「ごもっともです」


 やれやれとどこか楽しそうなまーくんに、僕は苦笑で応えた。


「そういえば、シューズ変えた?」


 まーくんの足にはぴかぴかのランニングシューズ。まーくんは、よくぞ気付いてくれましたとばかりににやりと笑った。


「へっへー、IKENOの夏モデル。バイトの給料で昨日買って来たよ。アウトソールに新素材使用で、ストライド幅二十パーセントアップだぜ」


「AGIが二十パーセントもパッシブでアップとか、壊れ性能だなぁ」

「まぁ、競技会じゃ使えないから完全に趣味の世界になっちまうけどな。ちなみに三万」

「高っ!? プラチナコイン三百枚分じゃん!?」


 ネトゲ脳丸出しの返答である。

 まーくんの趣味は陸上競技。本人曰く、トラック種目の中で最も過酷な1,500m走が専門のドMだ。僕と同じ大学のスポーツ科学学部に在籍中の二回生。実業団所属の夢は早々に諦めて、今はスポーツインストラクターを目指している。


「『EGF』に課金しなくなった分、こっちに金使えるからな。良いのか悪いのかって感じ」

「……そっか」


 『EGF』という単語が僕の胸を浅く抉る。


 『EGF』――正式名称は『エヴァーグリーン・ファンタジア』。


 VRデバイスを通してVR空間に構築された異世界『エヴァーガーデン』へ接続し、その中を冒険するVR-MMORPGの金字塔だ。

 EGFは、民間研究機関の次世代VR技術の研究を名目に、多くの大企業による強固な経済的バックアップを受けた。その結果、彼のゲームに与えられたのは、既存のVRゲームの常識を覆す、現実世界のそれとほぼ等しい仮想感覚と、連続的空間に実現された広大なエヴァーガーデンの大地だった。

 この現実世界では到底目にすることの出来ない異世界を、まるで現実世界の感覚を以って旅をすることが出来るというEGFのソリューションは、MMORPGのヘビーユーザーに限らず、日頃はVRデバイスでテーブルゲームをプレイする程度だったライトユーザにも狂喜と狂騒を以って迎えられた。


 しかしそれも二週間前までの話。

 一年前のグランドクエスト達成及び、目標としていた次世代VR技術研究の全マイルストーン到達を機に、EGFは多くのユーザに惜しまれつつその全サービスを終了した。


 それがちょうど二週間前――七月一日のこと。

 僕と彼女がエヴァーガーデンの大地で、浮遊大陸の崩壊を仰ぎながら最後の時を過ごしたあの時のことだった。


「悪い……やっぱりまだユネっちのこと……」

「うーん、もうちょっと時間かかりそうかな……しばらく不快な思いをさせるかもしれないから、ごめんね」


 心配そうなまーくんに僕は苦笑して答える。


「いや、それはしょうがねーよ。俺も更紗と別れる時はちょっと泣いちまったし。EGFの中でなら、ユネっちは、俺やりっちゃんよりもずっと長くお前と一緒にいたんだからなぁ……」


 EGFには『高度に仮想実現された異世界』という特徴とは別に、もう一つの特筆すべきシステムがあった。


 それが『フェローシステム』。

 ゲーム開始時に、『フェロー』と呼ばれるAI制御されたNPCを、自分のパートナーとして設定できるシステムだった。

 フェローは最初期こそ、いわゆる『AIらしいAI』でしかなかったが、数々のアップデートとエヴァーガーデンの中で取られた膨大な統計データを元にシェイプアップされ、サービス開始から一年経った時には既に一般プレイヤーと見分けがつかない程の感情表現を見せるようになっていた。


 ゲーム開始時からプレイヤーと共に有り、どの他プレイヤーよりも長く、冒険をしてきた相棒。多くのプレイヤーにとって、自分のフェローは得難い友人だった。サービス終了に伴い、削除される運命にあったフェローに涙したプレイヤーも決して少数ではないと言う。


 まーくんの口から出た『更紗』とは、彼のフェローのこと。


 そして、僕のフェローは―――『ユネ』という名前の女の子だった。


「大丈夫。ユネとはちゃんとお別れできたから。もうちょっとで気持ちの整理が着く。このままうじうじしていたら、ユネに怒られちゃうよ」

「あいつがお前を怒ってる姿って想像がつかないな……きっと怒る前に泣くぞ、ユネっちは」

「あー、僕もそんな気がする」


 思えば、ユネはあまり怒らない女の子だった。

 何年か前、雲海を突き抜けた『エスカリオンの尖塔』を登る途中で、まーくんとふざけ合った結果、うっかりと二千メートル下に落下死したことがあった。あれは怖かった。本当に怖かった。雲海に消える僕達を指差して爆笑するりっちゃんはもっと怖かった。

 そんな無茶をした時も、ユネはリスポーンした僕を押し倒して、その上でぴーぴーと泣き続けた。お陰で復活した後も小一時間は動けなかった。


「あれは辛かったなぁ。まーくんのお陰で、僕とユネの痴態を衆目の眼前に晒すことに……あの『もげろ』コールは今もトラウマだよ」

「今思うと、ヤンデレの才能があったよな、ユネっち」

「性格パラメータは、デフォルト値から一度もいじってないんだけどなぁ……」


 頭を掻く僕に、まーくんはいわくあり気ににやにやと笑った。


 そんなやり取りを交わしながら、僕とまーくんの二人は病院への道を進む。

 道中での話題の殆どはEGFでの思い出話だった。

 正式サービス開始から終了までの約六年。僕達としては、中学二年生~大学二回生までの思春期の内のかなり大きな部分。それをエヴァーガーデンの大地で過ごした。もちろん、まーくんやりっちゃんとは、現実世界で年頃らしい事をして遊んだりもしたけれど、それよりもエヴァーガーデンの世界で共に冒険した時間の方が何倍も長い。そんな思い出を、たかが一日や二日で語り尽くせるわけが無い。

 何日もかけて攻略した古代遺跡ダンジョンの話や、りっちゃんがギルドマスターを勤めたギルド『風見鶏のとまりぎ』メンバーの話。そして、自分達のフェローの話など、思い出話は途切れることはなかった。


「楽しかったなぁ……」


 ぽつりと、まーくんが呟く。

 その言葉は、まーくんにしてはとても珍しい、感慨深げな響きを宿していた。


「楽しかったねぇ……」


 僕もその言葉に頷く。

 この二週間、僕は何度も何度もEGFでの思い出を反芻していた。

 『たかがゲーム』と吐き捨てる層は確かに存在する。現在もVRゲームの有害性を説く活動家の人達も根強く存在している。現実世界と乖離したゲーム内容による残虐性の増長とか、容易な自己実現の可能化による一般感覚の欠如とか、大体がそんな論調だ。


 しかし僕はそんな言葉に対して、決して首を縦に振ることは出来ない。


 複雑に隆起し、深い緑に覆われたEGFの美しい世界。現実世界では決して味わうことの出来ない冒険の記憶。変人ばかりが集まったギルド『風見鶏のとまりぎ』のギルドメンバーたちとの思い出。

 そして、僕のかけがえの無い人だった――まぁ、有体に言うのなら、僕が恋をしていたユネとの思い出。

 そのどれもが現実世界での経験に取って代わることの出来ない大切な思い出だ。


 少し恥ずかしい言葉で言うならば、それはまさしく『青春』だったのだと、そう思う。




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