第155話 相対的狂気
こないだある事件──といってもWebのクラスタ内の揉めごと──で災難に遭った。
それで気付いたのは、
私は自分の中の狂気を怖れている。
私は自分の中の常識と正常の認識を信じ切れていない。
ということである。
今回愚痴である。『俺が毎日書くというだけ』において、今回は私の思考や習性を観察して多少の娯楽になるかどうかという実験という側面もある。
良識のある第三者を挟まずに、「自分の狂気を疑わずに公憤として私を非難する者」が私を攻撃してきた場合。その相手のほうがオカシイとしても、私はそれを自己の判断のみで断定することを怖れているため、相手を公然と非難できない。
これまでの経験から、クラスタ内に私の良識・常識から乖離した人物が現れ、私の主張が通らない(相手が聞かない)場合、その人物がいるクラスタからは離れるようになっていた。
私は自分が狂ってないと自信を持って主張できない。
先日の「事件」はこれそのもので。
私は「個人的意見」しか言えない。私が言う「常識的に」というのも「個人的に私が思う常識の中では」ということである。
相手がキチガイであってもこっちのキチガイが出てしまったら相対的にどっちがキチガイかの競争になってどんどん不毛な消耗戦になる。それなら、その人物から離れるために、彼がいるクラスタ──もうちょっと具体的に言うとひとつのLINEグループ──から離れるのが一番面倒がない。
彼がそのクラスタ内で常識的な存在でないと私は自信を持って言えない。
私だけが良識を持っていて、クラスタ全部が狂っていることも過去にはあったかもしれない。四人くらいの集団ならあったような気はする。気はするのはもちろん「主観」である。
そんなわけでそのLINEグループから離脱した。
離脱しても、個別の交流がある人とは縁は続くし、その私を攻撃した者と関わらずに済むなら安いものである。
結局のところ、私は無事にそのグループに戻ることができた。
結局、その私を攻撃してきた人物が今回の事件の根源であった。今回の件では私に罪はなかった。
この事件の顛末はまた語ることがあるかないかわからない。ちゃんと順を追って説明する労力が大変だから。
簡単に説明できるなら、私ももうちょっとうまく立ち回れただろうし。
ちなみにこの事件があった当日、私は『俺が毎日書くというだけ』に猫の話を書いていた。
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