第27話 異界への帽子 3

「えーーーっ、これが異界への帽子なんですか!?」


 その帽子を見るや、依頼主の磯貝隼人いそがいはやとは叫んだ。

「僕が想像してたのとはまるで違う! なんか、物凄くチャチ過ぎない?」

 慌てて一華いっかが説明した。

「お帽子の型はディアストーカーです」

 俗に言うシャーロックの帽子である。前後にまびさしがついていてどちらからもかぶれる。名探偵が流行はやらせたがもともとは鹿狩りの帽子だ。

「素材は品格あるツィードを用いています」

「は~~~あ」

 未来の大俳優は大げさに溜息を吐いて見せた。

「そりゃ、多くは期待してなかったけど、まさかここまで貧相だとは……!」

「コホン、磯貝さん。細部までよくご覧ください。このお帽子は当店の帽子職人が、持てる力と情熱の全てを注いで作ったものです。何より、特別の仕様を施してあります」

「へー、どんな?」

「ほら、こうやると――裏側もかぶれるんです! ね? 一方はヘリンボーン、もう一方は渋い猟犬の歯トゥース・ハウンド柄で素敵でしょう?」

「なんだ、それってつまり、リバーシブルってことだろ?」

 磯貝は鼻を鳴らした。

「こんなのの何処が〈特別仕様〉なんだよ? 今日日きょうび、リバーシブルなんて珍しくもないや」

「で、でも――大変お似合いですよ?」

「そんなことは当然さ。言ったでしょ? 僕の美貌を持ってすれば、逆に似合わない帽子を探す方が難しいって」

 鏡に映して全方位から眺めた後で渋々磯貝は言った。

「でもまあ、僕によく似合ってるな! 無理を言って頼んだ以上は、たとえ不満だらけの出来でも……買い取らせてもらうよ。異界への帽子ではなくてフツーの帽子として我慢しなきゃ。勝手に期待し過ぎた僕も悪いんだしね」


   カララン。


「ありがとうございましたっ!」

 

 言わずもがな、その後一華の怒りが炸裂した。

「何よあれ! ったく! 最近の若者は口のきき方も知らないのね! あれで演劇やってるだなんて!」


 ―― まぁまぁ。


 妹を宥める兄だった。


 ―― だが、言われてみればその通りだな。リバーシブルなんて珍しくもない、か。そうの話を聞いた時点では名案だと思ったんだがなぁ……


 そう、物知り婆が娘に伝授した〝人を異界へ送り込む術〟とは、

 とても簡単な方法……


 〝着物を裏表逆にして着せること〟だった。


 普段着ている衣服それをひっくり返して着る――

 新妻が着せかけてくれた裏返しの着物。そのことを夫は全く気付かなかった。そして、一歩外へ出た途端、この世ではなく、裏側の、もう一つ別の世界へ入ってしまった!

 もうこちら側の人間の目からは見えなくなり、虚しく彷徨さまよった挙句、通りかかった向こう側の住人――神――に見つかり従者にさせられてしまった……というわけだ。

 この、着物を逆にして着るという行為は、かつてはよく行われたらしい。

 裏と表をひっくり返すことで世界の位相を逆転できると昔の人は信じたのだろう。

 有名なところでは小野小町おののこまちが訪れなくなった恋人を思って、寝巻を逆にして着て寝た話が伝わっている。

 この世でなくてもいい、別の世界、夢の世界で会いたいと願ったのだ。

 更に言えば寝巻は寝衣しんい……神意・・に通じるので一層効果があったかもしれない。


 ―― しかし、どう言い繕おうと、今回の帽子は失敗作だったな。


 れんは率直に認めた。


 ―― 注文したお客さんを満足させられなかった。これは取りも直さず、僕の帽子作りの詰めが甘かったということだ。反省しているよ。


 いくら漣とはいえ、こういうこともある。

 上手く行った話ばかりではないことを今回は正直に記しておくことにしよう。

 ところで、後日、一華がボソリとこんなことを言い出した。


「なんか、気になるわ」


 ―― 何がだい?


「磯貝さんのことよ。あの人、近くに住んでて毎日この店の前を通るって言ってたじゃない? あれほどこき下ろしたにいさんの帽子をかぶったあの人を見つけて、ニコヤカに挨拶の一つでもしてやろうと、私、毎日張ってるんだけど……あれ以来一度も姿を見ないのよ。これ、どう思う、にいさん?」


 ―― うーん、確かに、ちょっと奇妙なカンジだな。


「ね? 私、背筋がゾワゾワする。大体、〈異界への帽子〉なんて注文自体奇妙過ぎたもの。だから、もう2度とあの種の注文は受けるべきじゃないわ。オカルト系はこりごり! にいさんも、絶対、やめてよね!」

「ばかばかしい。何言ってんだよ、一華ねぇも、漣にぃも」

 二人の会話を聞いて、ソファで本を読んでいた颯が笑い出した。

「それって、僕の推理によれば……きっとあいつは役を下ろされたんだよ。所詮しょせん、小道具――帽子なんかに頼ろうとした程度の演技力なんだから。それでさ、下手な演技のせいでそうなったのに、漣にぃが〈異界への帽子〉を上手く作れなかったからだと逆恨みした。だから、腹を立てて、2度とサトウ帽子屋には近づかないつもりなのさ!」

「あ、な~るほどね」


 ―― そうか! それはありうるな!



 末子の膨大な読書に裏打ちされた的確な読み取りである。

 これにて大団円。





 とはいえ……


 これをお読みになっているあなたがもし、霊感が強く、〝見える〟体質で、乙仲おつなか通りにて、まるで道が見えないという風に行ったり来たりしているお洒落な帽子をかぶった青年を目にしたなら、

 その際は一言、声をおかけになってみてくださいませんか?


『その帽子、裏返しに被ってみたら?』と。


 ひょっとしたら、それで彼、磯貝隼人君はこちら側へ戻って来ることができるかも……



 って、いえ、まさかね? 冗談です。


    

     


        第九話 《失敗した帽子》 ――― 了 ―――



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