第26話 異界への帽子 2

「というわけで、あんたの出番よ、そう!」

「へー、異界への帽子か! れんにぃの言う通りなかなか面白いじゃないか」


 その夜のサトウ帽子屋ビルヂング、3階のリビング。

 例によって夕食後のテーブルで額を寄せ合う三兄妹弟きょうだいだった。


「どうするの、にいさん? ほら、映画の〈2001年宇宙の旅〉や〈スターウォーズ〉なんかに出てくるようなプラスティックとかメタルっぽいヘルメットにする?」

「それ、いろんなものがごっちゃになり過ぎだよ、一華いっかねぇ」

「じゃ、むしろレトロ感のある潜水帽みたいなのはどう?」

「今、コッソリ嵌ってるゲームがモロワカリだよ、一華ねぇ」

 姉をからかった後で颯は腕を組んだ。

「うーん、どんな帽子を作ろうと制約がないんだろ? その未来の大俳優は、それこそ、猫耳の帽子でも喜んでかぶってくれるのかな?」

「何よ、あんたこそまた猫装束? 懲りないのね。キグルミはもういいわよ」

「違うったら! これはもう導入部なんだってば!」

 既に末弟のアイディア提供は始まっているらしい。

「テーマは異世界の扉を開く、だろ? そう聞いて僕が真っ先に思い出すのは、日影丈吉ひかげじょうきちの短編〈猫の泉〉だな」


 欧州旅行中の日本人カメラマンが偶然迷い込んだ小さな田舎町。写真撮影や宿泊を許す代わりにその町には不思議な決め事があった。旅行者は町の時計台の大時計の音を聞いて〝何と言っているか〟聞こえたとおりを住人に教えなければならない。時計の響きに異邦人にしか聞き取れない予言が含まれていると信じているらしい。これといって特色のないその町で目についたのは広場の中央の泉だ。これはもう干上がって遺跡と化している。その周囲には大きな灰色の猫たちが何匹もいて……


 ―― 面白いな! だが、猫耳帽子はだめだよ。上演されるのはシリアスな劇みたいだから、監督が許可しないだろう。


 兄は言う。


 ―― 僕としては、もっとシックでそれでいてしっかりテーマを感じさせる、そんな帽子を作りたいと思ってるんだ。


「了解」

 颯は暫く考え込んだ。

「異世界、異界がテーマの話を思い出すしてみると――うん、確かに名作と呼ばれるものには〝境目がない〟な! 一瞬で主人公と読み手を異界へと移動させる。いつ迷い込んだのかわからない、それでいてどこか妙な感じがする、肌がゾワゾワするような微かな違和感……

 この辺りを追求して行ったら良いアイディアが得られるかも。

 例えば、泉鏡花いずみきょうかの〈あられふる〉。

 地理の試験のため徹夜で勉強してる二人の小学生がふと見上げると2階の部屋のふすまが開いて階段を下りて来るのは祖父と祖母。でも、実はその二人はとっくに亡くなっているんだよ。あんまり自然なんで逆にゾッとする。この場合〈階段〉が異世界への扉と言えるかな?


 マーガニタ・ラスキの〈塔〉も境目がやばい。

 イタリア旅行中、塔を見つけた主人公は好奇心に駆られて入ってみた。古い中世の塔で狭い石の階段が螺旋を描きながら続いている。先端には夕暮れの空が丸く覗いて見えた。大丈夫、あの空を目標に登ればいい。壁に手を置いて体を支えながら……39、40、41、声に出して段数を数えてゆっくりと登って行く。83、84……

 でもいつまでも天辺てっぺんに着かない。諦めて引き返すことにした。いつの間にか日は暮れて闇の底へ降りて行く感じ。それでね、気づくと、登ってた時数えた数をとっくに過ぎてるんだよ。501、502、503、504……」

「きゃあああああ!」

 一華、悲鳴を上げて兄にしがみついた。

 兄、苦笑いして、


 ―― うん、確かに怖いな。他には?


「わ、わ、私はもっとロマンチックな話が聞きたいっ」

「それなら〈台詞せりふ指導〉かな。ジャック・フィニィ著。これは異界への扉がバスになってる。夢のように美しいお話さ。

 映画会社のスタッフが悪戯に一夜、ニューヨークの5番街で1920年代のバスを走らせる。乗ってるメンバーは全員社員で服装も撮影用の20年代の衣装。台詞指導係の主人公は車掌役だ。ひそかに恋している新米女優も往年の美女風に完璧に装って乗っている。通りを行く人たちを吃驚させようという魂胆だった。だが、走り出しても、誰も驚かない。乗り込んでくる人たちも皆、平然としている。やがてワシントンスクエアで乗り込んできた若者が……ってストーリー。

 そう、いつしかこのバス、過去の時代を走ってるんだ」

 帽子屋の末弟は唇を舐めた。神妙な顔で言う。

「それで気づいたけど、どの話も何気ない、どこにでもある普通のモノが異世界への〈扉〉――別の言葉で表現すると〈変換装置〉になってる。階段、塔、バス……そこが不思議だし怖いよね?」

「もっと話してよ、颯。その手の話、凄く興味あるわ。今、お茶を入れるから。お友達からもらった特別のレディ・グレイがあるの。青い矢車菊の花びらも入っててスッゴク素敵。あんたの大好物のユーハイムのフランツフルタークランツも出したげる!」

 あんなに怖がったくせに姉は勢いよく立ち上がると提案した。

「今夜は異界祭りで盛り上がりましょうよ!」

 人は誰も不可思議な話……異世界の話を聞くのが大好きなのだ。

「やったー! あのケーキ、安くて美味しいよね!」

ほかの高級ケーキに比べたら廉価だけど……あんた、一人でワンホールペロッと食べちゃうじゃない」

 美味しいお茶とお菓子を囲んで、では改めて、一華曰く、〈異界祭り〉の始まり始り……!

 早速、バタースポンジとメレンゲ、アーモンドが絶妙のハーモニーを奏でるケーキを頬ばりながら、颯は話を再開した。

「あそこが異世界へ通じてるってはっきりわかって怖いのは……ストロガツキー兄弟が書いた〈収容所惑星〉。その中に出てくる玩具屋かな。

 荒廃した荒れ地の真ん中に電飾満載でキラキラ輝く玩具屋が突然出現する。子供を呼び込む罠だって噂になる。この店に入った子供は2度とこちら側には帰って来ないらしい……」


 ―― ふーん、その物語では玩具屋が異界への扉……異界へ移動する入口、颯の言葉に言い換えるなら〝装置〟ってことだな? その線でもっと小さなモノはないかい? 身に着けるものなんかで。


 颯は暫く紅茶のカップを覗き込んでいた。

 おもむろに顔を上げる。

「うろ覚えなんだけど、いい? 多分、遠野物語だったように思う。でも違ったかな。他の話とはちょっと異色で妙に心に残ったんで内容はよく憶えてるんだけど、出典が曖昧なんだ。後で確認しておくよ」

 こう前置きして、話し始めた。

「ある結婚したばかりの若い女が……」



 ある結婚したばかりの若い女がいた。

 惚れ合って夫婦になったというのに、いつからか夫がいやでいやで仕方なくなった。

 朝毎に顔を見るのも我慢できないくらい嫌悪感が募る。それで、女は村の物知り婆の処へ行って夫をこの世界からうんと遠い処へやるすべはないか尋ねた。

 婆は言った。それをするやり方は知っている。教えてやるが、くれぐれもじっくり考えてからおやり。後で後悔しても遅いからね。

 だが、女は婆の警告もどこ吹く風、すぐに実行した。

 その夜、村の寄り合いに行くという夫に、婆に教わった通りにして、夫を外へ送り出したのだ。果たして……


「夫は2度と戻って来なかった。それこそ、掻き消えたみたいにいなくなってしまったんだ。寄り合いにも来ていないと村人は言う。異界に行ってしまったんだよ」

「ひどい! 一度でも愛した人にそんなことするなんて!」

 大いに憤慨する一華。

「女の風上にも置けないわ!」

「うん。でも僕がひどいと思うのはこの先さ。あれほど婆に警告されたのに、この女はまたコロッと心変わりしちゃうんだ」


 こうしていざ夫がいなくなると、あんなに嫌っていたというのに女は寂しくなった。また夫に会いたくてたまらなくなった。それで再び物知り婆のもとへ走って、夫に会わせてくれと懇願した。

 だからあれほど言ったのに! 呆れ果てて首を振る婆。それでも婆はもう一度だけ会う術を伝授してくれた。夜半に村の境の胡桃くるみの大木の下で待っていてごらん。

 言われた通り木の陰に身を潜めて待っていると足音が聞こえて来た。スタスタスタ……

 見ると、懐かしい夫が、あの夜、自分が送り出した姿のままこちらへ歩いて来るではないか。

 走り寄って夫の名を呼んだ。

 おう、おまえか! 夫も気づいて微笑んだ。

 家に帰れなくてすまないな。あの日どういうわけか外へ出た途端、道がわからなくなって、ただひたすら歩き回っていると向こうから神様の行列がやって来た。俺を見つけてくださって、以来、従者としてお仕えしている。もう行かねば。今、お使いの途中なんだ。こうして愛しいおまえの顔を見ることができただけでも良かった。女は縋りついた。いやよ、帰ってきて。夫は悲しく首を振る。俺もそうしたいんだが、何故かどうしても無理なんだよ。俺はそっちへ帰れない。では元気で暮らせよ。


「これ、『安易に異界の扉を開いてはいけない』ってことだよね?」

 姉に新しいお茶を注いでもらいながら、颯は言う。

「この女に婆が授けた異界への転移術はものすごく簡単なことなんだ。ひょっとして、この世と異界は思いのほか近いところにあって、ちょっとしたことで簡単に繋がってしまう。だからこそ、気をつけなければならないよ、とこの話は人々を戒めているのかもね」

「いやだ、怖いわね。私、鳥肌が立っちゃった」

 一段と声を潜める颯だった。

「それにね、これは後で知ったんだけど、女が隠れて夫を待った胡桃の木、民俗学的にいうと、これも異界への装置の一つみたいだよ」

 記憶を辿るように颯は目を細めた。

「dostoev氏が不思議空間「遠野」遠野物語59〈胡桃の木〉で書いている。

 〈遠野物語〉を柳田国男やなぎだくにおに伝授したのが佐々木喜善ささききぜんだ。その祖母の話で、祖母が幼い時、友達の家で見たかっぱは赤い顔で3本の胡桃の木の間にいたってさ。この友達の屋敷の周りは全て胡桃の木だったそうだ。

 他には、胡桃の古木の三又の間に赤い顔の座敷童ざしきわらしが遊んでいるのをみたというのや、蔵の中に蔵童くらわらしがいてそいつが胡桃の実を土蔵の窓から投げては子供の頭に当てて悪さをする話……

 氏が収集したところでは、遠野物語以外でも、胡桃の木を門口に植えて魔除けにしたり、小正月にやってくる魔物や疫病神をやっつけるために窓や戸口にタラや胡桃の木を立てる地域もあるとか。でも、屋敷内に植えると良くないことが起こるという真逆の伝承もある。胡桃は異界への出入り口でもあると同時に魔を呼び込む場合もあるみたいだよ。十分注意しないとね。

 胡桃の字にある〈胡〉自体が異国を思わせるからこの木は日本人にとって異境の象徴だったのだろう、とdostoev氏は考察している」

 兄の顔を覗き込んで颯は悪戯っぽく微笑んだ。

「どうする、漣にぃ? 今回は胡桃・・の木を削って帽子を作ってみる?」


 ―― いや、木工細工じゃないんだから。僕は木材は扱わない。それより……


 漣の切れ長の目がキラッと光った。


 ―― 物知り婆が伝授した異界への移動術について詳しく教えてくれないか?


 なにか良いアイディアが浮かんだようだ。



♠〈猫の泉〉日影丈吉著 日影丈吉傑作選2収録 現代教養文庫:他

♠〈霰ふる〉泉鏡花著 〈文豪怪談傑作選・泉鏡花集|黒壁〉収録 ちくま文庫

♠〈塔〉マーガニタ・ラスキ著 吉村満美子訳 〈怪奇礼賛〉収録 創元推理文庫

♠〈台詞指導〉ジャック・フィニィ著 〈時の娘・ロマンティック時間SF傑作選〉収録 創元SF文庫

♠〈収容所惑星〉A&B・ストロガツキー著 深見弾訳 ハヤカワSF文庫

♠〈遠野物語・山の人生〉 柳田国男著 岩波文庫:他

♠不思議空間「遠野」http://dostoev.exblog.jp/profile/

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