第17話 手品師の帽子 2

 12月のカレンダーは飛ぶがごとく過ぎて行く……

 そうこうするうちにC&B会交流・忘年会当日がやって来た。


 会場となった海龍菜館は南京町なんきんまちの東門、長安門から入って2分ほど。路面店ではなく一筋入った場所にある3階建てのビルだ。

 南京町は言わずと知れた神戸の中華街である。1868年の神戸港開港から長い歴史を刻んで来た。1945年、神戸大空襲では全焼、1995年の未曽有の大地震・阪神淡路大震災を乗り越えて、現在の繁栄がある。

 その中華街の中にあって海龍菜館は最も旧い一軒に数えられている。

 80数年前、宝来波瑠彦ほうらいはるひこの祖父が大志を胸に大陸から神戸港へ降り立った時、既にこの海龍菜館は有名な老舗だった。皿洗いで雇った4代店主馮富珍ひょうふうちんは息子と同い年の宝来の祖父を親身になって可愛がった。やがて一流手品師として名を上げた祖父は苦しい時代に受けた恩をけっして忘れず、以後、家族ぐるみの付き合いが続いている。孫世代の波瑠彦はるひこも大学時代の飲み会はもちろん、現在自らが会長を務めるC&B会の会合は全てここと決めている――



「わぁ! 一華いっかちゃん! また一段と綺麗になって……」

「そんなぁ! らんさんも全然お変わりないですっ!」

「ううん、私はもうオバさんよ」

 海龍菜館3階のエレベーター前で出迎えてくれた馮蘭ひょうらんは7代目である。波瑠彦の祖父を育んだ4代目は百歳、5代目は80歳を超えてそれぞれ健在ながら流石に店には出ていない。蘭は現在、6代目の両親と一緒にこの老舗中華レストランを実質切り盛りしている。優しい顔立ちを引き締めるかのように高く結った髪、小柄でほっそりとした身体に常に纏っている黒のワンピースは彼女の戦闘服だ。

「蘭さん、ダメだよ! 一華ねぇをおだてちゃあ! このひと、御世辞ってものを理解してないからね!」

「まぁ! そう君! 相変わらず憎まれ口がカワイイ――って何それ? どうしたの! その恰好!? かわいすぎるううううううう」

 抱きしめかねない勢いの海龍菜館副オーナー――

 それもそのはず、今日、颯は猫の着ぐるみを着こんでいた!

 真っ黒い耳と胸元、足だけが白い猫。蝶ネクタイとラメ入りのチョッキを羽織っている。

「一体、何があったの? れんさんのアシスタントでもするの? ということは……漣さん芸風変わったの?」

「違う、違う」

 これには少々理由わけがある。颯は慌てて説明した。

「僕が着ているコレ、手品師にまつわる由緒正しいいわれがあるんだ。これはね、あの有名なミュージカル《CATS》の猫世界における天才手品師・ミストフェリーズの装束なのさ!」

 抜かりなくちゃんとついている長くて黒い尻尾をぐるぐる回しながら、

「今、梅田で13年ぶりに大阪公演やってて……」

 数日前、友人たちと大阪四季劇場で舞台を見て大感激した帽子屋末弟。早速、大学のコスプレ部から手作りのこの衣装を借り受けたのだ。

「そもそも《CATS》はイギリスの大詩人T・S・エリオットの1939年に発表された詩集〈ポッサムおじさんの猫と付き合う法〉が原作なんだ。その中でこのミストフェリーズは〝グレイトマジシャン〟と讃えられている。だから僕――」

 これは絶対兄が着るべきだ! そう思って着せようとしたところ……


 ―― だが、断わる!


 剣もほろろに拒否された。仕方がないから自分が着て来たというわけ。

「チェ、いいアイディだったのに! 漣にぃ、絶対似合ったはずだよ!」

「いいえ! 漣にいさんはいつも通り、白のタキシードが最高よ!」

 その漣は波瑠彦と打ち合わせがあると言って既に入店していた。



 とまぁ、こんな風に始まったC&B会忘年会。

 海龍菜館3階フロアは結婚披露宴にも人気の重厚で品格ある大宴会場である。

 真紅の絨毯を敷き詰めた床、天井に煌めくシャンデリア。今宵、丸テーブルを埋めるのは、宝来波瑠彦を慕うプロ・アマの垣根を超えた手品師総勢43名とその家族。南京町でも屈指の本格中華料理を味わいながら会員は1人づつ順番に会場前方に設えられたステージで得意の手品を披露し合うのだ。


 基本的な、花がいっぱい出現する手品、指抜きシンブルを使った手品、色とりどりのパラソルを操る手品、ワインを使ったエレガントな手品など、会員皆、それぞれに趣向を凝らした楽しい演目が続いた。銀色のピラミッドから望みの物を取りだしたり、〈シカゴの4つ玉〉という伝統の手品も見ることができた。

 ――ちなみにこの会の名前、C&BはCAP&BALLから来ている。古く手品が〈杯と玉〉と呼ばれたからだ。

 漣は虹色のハンカチを使った華麗な手品で喝采を浴びた。



 いよいよ最終演目者トリの登場である。

 ステージ中央に立ったC&B会会長・宝来波瑠彦。

 マイクを手に挨拶をする。

「ありがとうございます! 今年も会員の皆さん全員の手品を堪能し、こうして最後に自分がしめることができる幸せを噛みしめています。さて、僕の今年の出し物は――」

 会長とあって波瑠彦の手品は見応えがあった。

 どういう仕掛けになっているのか、皆目わからないトランプのクロースアップマジック……!

 ガラスの板に挟んだカードを瞬時に消して別の場所から取り出す。そうかと思うとカードはもう元のガラスの中に戻っている。のみならず、指を鳴らすたび、そのカードの絵柄が次々に変わって行く……

 割れんばかりの拍手が止むと波瑠彦は再び会場を見渡して言った。

「最後に、今年はもう一つ会長特権でやらせてください。本邦初披露、その名も〈手品師の帽子〉!」

 これは異例の展開だ。交流会での手品披露は1人1演目が会則ルールだから。

 だが、こんな素敵な例外なら皆、大歓迎だ。沸き起こる拍手に深く一礼してから波瑠彦は言葉を継いだ。

「それでは、今回、この手品のために特別に協力をしてもらった我らが仲間、素晴らしい手品師でもあり、素晴らしい帽子製作者でもある佐藤漣さとうれん君にアシスタントを務めてもらいたいと思います!」

「ヒャッホー、待ってました、漣にぃ!」

「しっかりね、漣にいさん!」

 やんやの喝采の中、漣はステージの波瑠彦の横に立った。

「続いて――もう一人お手伝いをお願いします。今年も会を盛り上げてくださった海龍菜館サービスマネージャー、馮蘭さん! よろしくお願いいたします!」

 他のウェイターやウェイトレスたちと壁際に控えていた蘭にサッと照明が当たる。

 吃驚したものの、そこは客商売の研鑽を積んだ蘭。にこやかにステージへ上がった。

「私でよろしいのでしょうか? 光栄です!」

 波瑠彦は蘭の手を取って漣が用意した椅子に座らせる。

 その後、一歩下がって控える漣。


 さあ! いよいよ〈手品師の帽子〉の演目の開始だ。




♠〈ポッサムおじさんの猫と付き合う法〉 T・S・エリオット著 池田雅之訳 ちくま文庫

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